09,ついに完成させます。
宇宙開拓機構NUMEカンパニー、特設謹慎部屋。
元を辿ればある男がスーパーヒーローとして世界に認められる前――実験動物だった頃に「変身後の活動反応について」を検証するために用意された超巨大シェルター型実験室。
全高二〇メートルを超える巨人が暴れても少しなら耐えられる耐久性と広大さを誇る。
まぁ、件のスーパーヒーローに変身禁止令が出てからはその用途で使われる事は無く。
数日前までは盗撮カメラ以外は何も無いただっ広い部屋だったのだが……今はセーラム市民公園の山林が再現したビバリウムとなっている。
この空間の住民は、巨大イノシシことワボさん。
自らの意思でピルゲストルという魔女の魔法を受け巨大化したものの、元のサイズに戻る方法が不明なのでNUMEで一時的に飼育中。
そして、住民はもう一人――
「……ぶもぉ」
……出て行ったと思ったらすぐ帰ってきたでやんすね、とワボさんが呆れた視線で見下ろしているのは、黒い光の荒縄でぐるぐる巻きにされた男。NUMEカンパニーが世界に誇るスーパーヒーロー【JOKER】ことジョウ・ジョレークである。
「ふ、ふふ……アーちゃんめ、まさかもう発明品に組み込める段階まで魔法を解析しているとは……良かったなワボさん、君はそう遠くない内に元の山に帰れるだろう」
「ぶもぉ、ぶぶもう?」
「ん? すまない、イノシシ語は履修していないのでざっくりとしかわからないのだが……『そんな技術力があるなら、あんたが変身しても無事で済む薬なり装置なり開発できないんでやんすか?』と言ったのか?」
「ぶもぉ……」
相変わらず何で言葉が通じるんでやんすかねこの男……と呆れながらもワボさんは頷いた。
「確かにアーちゃんは万能の幼馴染だが……当人いわく『全能には程遠い』そうだ。以前、俺がそれと同じ質問をした時に教えてくれたんだが――俺が変身時に起きる細胞劣化は現地球人類の持つどんな技術を以てしても防げないし、修復もできないらしい。そこさえクリアできれば開発できるそうだが……『そんな技術が確立できたら不老や若返りの薬が作れるっての』と笑われたよ」
「ぶもー、ぶっぶもう」
あー、それは確かに難しそうでやんすなぁ。とワボさんが再び頷いた時、特設謹慎部屋の扉がウィンッと開いた。
「ワボさん! ピィが会いにきたよ! あ、ジョーもいる。いつもいるね?」
「ぶもう!」
「む、やぁピィちゃん」
やって来たのは、服やアクセサリの節々にカボチャの意匠が散りばめられた少女・ピルゲストルことピィちゃん。ちなみにカボチャの星の姫みたいになっているのは、彼女の保護者であるアーリエンデの趣味だ。
「ワボさん、あのね! 今日はアーねぇちゃんのドレーで『ろりこん・ほさかん』って呼ばれてるおにーさんから、たくさんおかしをもらったんだよ! わけてあげるね! ジョーもいる?」
「いや、そのお菓子は君たちで分けて食べると良い」
このキャンディきれいだねーと無邪気に笑うピィちゃん――これで齢三五〇だと言うのだから信じ難い。
(アーちゃんが言うには、ピィちゃんの細胞は凄まじい修復機能を持っていて、細胞変化の進行速度――つまり成長や老化の速度が実に常人の四〇分の一程度らしいな)
つまり、人間の寿命を一〇〇歳と仮定した場合、彼女は四〇〇〇歳まで生きるという事になる。
ちなみにピィちゃんの証言から推測するに、この超絶長命は魔女と呼ばれる一族の特性のようなものらしい、との事だった。
(しかもアーちゃんが【マジカル細胞】と呼称したその修復プロセスは恐ろしく特殊で、完全に解析、発展強化できれば、不老や若返りの薬も作れるのではないかと、アーちゃんの部下の補佐官が興奮気味に語っていたな……)
全人類幼女化計画がどうのと騒いでいた補佐官の見苦しさは記憶に新しい。
「……ん? 不老や若返りの薬が作れる……?」
はて、何故こんなにも引っかかるのだろうか。
確かに実現したら世が引っくり返るような大発明だが……それ以外に重要な何かを見落としている気がする。
「ん~……ダメだ、答えが出かかっているようで出てこない」
アーちゃんなら何かに引っかかったらすぐに答えを導きだせるんだろうなぁ、とジョウはぼんやりと思ったのだった。
◆
ピルゲストル・イリアムズと言う魔女について思考する。
三五〇年の時を経てもなお、幼体を維持していられる理屈とは?
生物には【成長】と【老化】がある。
共通するのは「時間経過によって生じる細胞の不可逆的変化」と言う事だ。
ハダカデバネズミやベニクラゲのような極々少数の例外は存在するが、それらですら成長と老化を完全無視できている訳ではない。
ハロニア星人の遺伝子が持つ癌細胞の正常化作用も同様。壊れた細胞を正常な細胞に変化させているのであって、細胞の癌化そのものを無かった事にしている訳では無い。
なので、これらのアプローチでは修復できる細胞状態に制限がある。
そしてジョウの肉体に起きている劣化を止める術には繋がらなかった。
ピルゲストルの細胞についても似たような結果だろう――そうは思いつつも、アーリエンデは解析を進めていたのだが――
「………………」
アーリエンデのために用意された特別研究室。
卓上に表示されたいくつかのホログラム・ディスプレイにはピルゲストル・イリアムズの細胞について観測した各種データが表示されている。
激しく上下するグラフをじっくり眺めながら、アーリエンデは溜息を吐いた。
「あー……これ作れるわ。作れちゃうわこれ。はい、そして完成品がこちらになりますー」
アーリエンデがポケットから取り出して卓上に置いた小箱。
側面のボタンを押すとパカッと開き、黒鉄で造られたシンプルデザインの指輪が露わになる。
指輪と向かい合って、アーリエンデはついに頭を抱えた。
「どーして作れちゃうかなー……【JOKERが変身した時に起きる細胞劣化を即座に修復する事でもうどんだけ変身したってオールオッケー☆になる魔法の指輪】……」
そう、アーリエンデはついに完成させてしまったのだ。
JOKERが変身した時に起きる細胞劣化を即座に修復する事でもうどんだけ変身したってオールオッケー☆になる魔法の指輪を!!
地球を幾度となく救ってきた救星の英雄が、無制限に活躍できるようになる世紀の発明品!!
……だのに、アーリエンデの表情は暗い。
「……これを渡せば、あいつは泣いて喜ぶでしょうね。世界中で大祝いが起きたって不思議じゃないわ」
スーパーヒーローの復活を歓喜する民衆だって少なくはないだろう。
「……あいつはその歓声に応えて、死ぬまで戦い続けるんでしょう。馬鹿だから」
アーリエンデは辛い過去から目を背けるように、小箱の蓋を閉じた。
「わかっているわよ。効率を考えるなら、スーパーヒーローであるジョーが前線で戦って、天才科学者である私がそれを全力でバックアップするのが最善。頭がカボチャでもわかる事だわ」
防衛軍が一度の出動するだけでどれだけのコストがぶっ飛んでいるか、知らないアーリエンデではない。
それに、火力は正義だ。圧倒的火力を用いた短期決戦は、防衛線における被害縮小においてこの上無い一手。
JOKERというスーパーヒーローの復活は、全人類に多大な利益をもたらす事だろう。
「………………あー……あー、あ~……」
必死に考える。言い訳を。
これをジョウに渡さなくて良い理由を探す。
これを作らなかった事にして隠滅して良い大義を探す。
四つの並列思考をフル稼働させて、探す、探す、探す、探す。
「………………………………ウーパールーパーって美味しいのかしら」
※アーリエンデは現実逃避している!
「……無理。あの馬鹿に自分の人権を主張する程度の知性があれば『周囲からの精神的重圧による不本意な過重労働の抑制』を建前にこの指輪を闇に葬れたけど……あいつにはそんな知性なんて無い……!」
そんなものがあったなら、JOKER制圧作戦が二〇回近くも発令されていない。
一応、あの馬鹿には自殺願望など無いだろう。
いつぞや本人も言っていたが『死を目指す事』は無い。そこだけは徹底されている。
……だが、あの馬鹿は『死を手段に組み込む事』に躊躇いが無い。
誰かを救う、みんなを護る。それらの目的を果たすためなら、本当に何だってやろうとする。
「……どうせ、自分が死ぬ事で誰かが悲しむとしても、『きっと時間が解決してくれる』とかふざけた事を考えているんでしょうね……」
あんたが死んだら私も死ぬっつーの、と唾を吐き捨てて、アーリエンデは背もたれに全体重を投げ出した。
「あいつのそーゆーとこマジで嫌い……」
ぽつりと呟いて、アーリエンデは自嘲気味に笑った。
「そーゆーとこに惚れといて、何を言ってんだか……」
自分でも笑えるくらい、馬鹿な話だ。
子供の頃――独りで泣いていたら、寄り添ってくれた。いつだって、いつまでだって。「ぼくは幼馴染だから」「俺は幼馴染だから」と口癖みたいに言いながら。
子供の頃から、そう言う奴だったのだ。
あの馬鹿は自分の幸せより、誰かの幸せを優先する。
あの馬鹿は自分の何を犠牲にしてでも、誰かの悲劇を否定する。
「……最初は『私だけ特別扱いしてくれてる』って勘違いして、好きになっちゃったのよねー……」
我ながら本当に馬鹿だわ、とアーリエンデは手で顔を覆った。
……その勘違いを自覚してもなお、嫌いになれないのは何故か?
「……カッコ良いのよね、あいつのそーゆーとこが。ムカつくけど」
結局、アーリエンデも愚かな民衆と変わらない。
自分の信念に真っ直ぐで、どこまでも駆け抜けようとする。
そんな自然体のスーパーヒーローに魅せられた。
だから、何だかんだ言いつつこんな指輪を作ってしまったのだ。
「あーあー……どうにかしてあの馬鹿をほどほどにカッコ良く活躍させつつも無茶な戦い方だけはさせない方法があればなー……あの馬鹿、本当に他人の事しか考えてないからマジであーもうあーーーーーー…………いっそ戦闘中は私があいつの胸んとこに張り付いとくとか? そうすればあいつだってダメージを喰らわないように立ち回るでしょうし。あーはははははは………………ん?」
冗談めかしてつぶやいた後、アーリエンデはハッと目を見開いた。
「……それだ」