07,山デートのつもりでしたが、超巨大イノシシを捕獲します。
セーラム市民公園には、立ち入り禁止区域がある。
小規模な山林地帯となっており、周囲には高さ三メートル、地下三メートルのフェンスが張り巡らされている。この地帯に生息する獣ではフェンスを飛び越える事も、フェンス下にトンネルを開通させてしまう事もできないように設計されているのだ。
アーリエンデはまず警察に連絡して事情を説明。
市の公園管理課に取り次いでもらい、略式的ではあるものの立ち入りを申請した。
市側からすると「事実上は超国際連合の直轄組織にあたるNUMEのお偉いさんが、この星を代表するスーパーヒーローを引き連れて、立ち入り禁止区域の安全性確保のため視察を行いたいと申し出てきた」と言う状態。
アーリエンデの申請は最優先事項として処理されたのだろう。
まるで流れる川のようにスムーズに受理され、ものの数分で許可が下りた。
そうして二人は市役所にてキーを受け取り、いざ立ち入り禁止区域へ。
……と、ここまではまぁ、何の問題も無かったのだが……。
「……なるほど。ズドドーン、ね」
「うむ。確かに……ズドドーン、だな」
立ち入り禁止区域へ入ってから五分。
少し山を登った所で、アーリエンデはやれやれだぜと微笑しながら首を振った。
ひとしきり首を振ってから深呼吸し、そして、叫ぶ。
「馬ッッッ鹿じゃないの!?」
「ぶもあああああああああああああああああああ!!」
アーリエンデの叫びに呼応するように、豪快な咆哮が響き渡る。
地鳴りのような……なんてものではない。物理的に地や草木を揺らす音圧――そんな雄叫びを上げられる巨体。
見上げるほどに大きな、四つ足の黒獣がそこにいた。
バクッと食らいつかれれば、大柄なジョウでも一口で丸呑みにされかねない大きさである。世界最大のカボチャ品種アトランティック・ジャイアントのトップサイズ(二メートル前後・重量は数百キロ級)だってぺろりだろう。
突き出した二本の牙はもはやマンモスのそれを彷彿とさせる。
こんなの、大イノシシとか言う次元ではない。イノシシ型の怪獣だ。これは。
ズドドーンと言う表現も納得のインパクト!
「ヨハネスくんは割と適切に物事を表現できる少年だな」
「あんた冷静ね!?」
「うむ。この手の相手とは対峙し慣れている」
「納得よスーパーヒーロー!」
「あはははは。あまりにも予想外すぎて取り乱しているアーちゃんも可愛いなぁ」
「どうもありがとう。お礼にその口角を耳まで裂き上げてやろうかしら!?」
「ぶもも……ぶもぉぉおおおおおおおおお!!」
イノシシ怪獣が再度咆哮!
後ろ脚で土を抉り始めた。突進の意思表示!
「うむうむ……やはり俺たちが来て正解だったな。警察官やハンターの手に負える相手ではないが――」
「ぶもおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
イノシシ怪獣、発進!!
土を抉り、木々を薙ぎ折りながらジョウ目掛けて弾丸の如く吶喊!!
「――俺とアーちゃんならば、無傷で捕獲してやれる」
イノシシ怪獣の突進が、止まる。
ジョウが、片手で止めた。イノシシ怪獣の頭を撫でるような柔らかな手つきと、スーパーヒーローらしい確かな筋肉で。
「ぶ、も……!?」
うそ、やん……!? とイノシシ怪獣が目を剥いたその次の瞬間に、勝敗は決した。
アーリエンデが鎖を放ち、イノシシ怪獣をぐるぐる巻きにして捕縛したのだ!!
この鎖は【弱ったJOKERなら何とか拘束しておける鎖】! 怪獣級に大きいイノシシと言えど、これに拘束されてしまえばもはや無力な生き肉!
「ぶもも!? ぶもっもぅも!? ぶぶぶもぉぉおおおう!!」
ええ!? こんなんどこから持ってきたでやんすか!? さっきまで無かったですやん!!
困惑の声を上げながら身をくねらせるイノシシ怪獣。悲しいかな、鎖はじゃらじゃら鳴るだけで緩みはしない!
イノシシ怪獣の疑問の答えは単純明快!
アーリエンデがポケットに入れて持ち歩いている掌サイズの化粧ポーチ、その名も【オフの日でもJOKER制圧用アイテムを山ほど持ち歩ける超絶収納ポーチ】……ものすごく身も蓋も無い言い方をすると四次元ポケット的なアイテムから取り出された鎖である!
「ナイスだ。アーちゃん」
「あんたに比べりゃ、赤ん坊を締め上げるようなもんよ」
ジョウが掲げた手へハイタッチで応えつつ、アーリエンデはもがくイノシシ怪獣の元へ。
「ったく……これ、いくら突然変異にしても生物学的に有り得ないでしょ……」
この山林地帯の規模では、これほどの巨獣が生活などできるはずがない。ここまで成長する前に餓死するか、山の可食物を食い尽くして人里への進出を図るはずだ。
「確実に人為的な何かが関与しているわね」
と言う訳で、アーリエンデは四次元ポーチからある物を引きずりだした。それは、ラグビーボールほどのサイズの機械。先端に注射針が付いている。NUMEで公式採用されている最新鋭の成分分析機。DNA配列の解析も可能な優れものだ。
イノシシ怪獣の毛皮は厚そうなので、血液採集は難儀と判断。
毛を一本むしり取ると、成分分析機の尻部分にある蓋を開け、中へ投入した。
「さて、どんなモンかしら……」
解析機側面のディスプレイに解析結果がつらつらと表示されていく。
それらを目で追って、アーリエンデは眉を顰めた。
「はぁ……?」
「どうしたんだ、アーちゃん? 何か妙な事でも?」
「……妙な事が、無いのよ」
「……?」
「こいつ、遺伝子的には何の異常も無い極一般的なイノシシよ。巨大化個体どころか……解析上は黒色変異個体ですらない」
「……!? それは絶対におかしいぞ! こんなに大きいし、真っ黒じゃあないか!」
イノシシに有り得べからざるこの超巨体。そして毛並みもまるで墨で塗ったかのような漆黒。
要因が人為的であるか否かに関わらず、遺伝子に何の異変も無いだなんてあり得ない。
おかしい所があるはずだのに何もおかしくない……奇妙!
これ即ち――
「――現段階の地球人類が持つ科学では、まったく解析できない要因が絡んでいるって事ね」
遺伝子に干渉せず、肉体を超巨大化させ体色を変化させる……完全に未知のテクノロジーだ。
「非常に不愉快な展開だけれど……異星人による生物実験と言う可能性も、大いにあり得るわ」
「……ッ……!」
ここ最近は異種からの侵略攻撃が多かった。
それらの残党が潜伏し、再起の機を図って生体兵器の開発に勤しんでいても不思議ではない。
新手の侵略者による策謀と言う線もある。
「ジョー。このイノシシを回収して。一旦、引き上げるわよ」
これは地球外性脅威対策室の管轄事案である可能性が非常に高い。
ジョウとアーリエンデがプライベートで踏み込む領域ではなくなった。
「うむ。そうだな」
今すぐ人命に関わる事態で無ければ、ジョウだって冷静な判断ができる。
ここはまず組織だって正式にこの山を調査をすべきだ、と言うアーリエンデの判断に納得し頷いた。
「……しかし、このイノシシを回収してどうするんだ? まさか解剖……」
「どうもできないわよ」
ハンディ化のため多少デチューンされているとは言え、最新鋭の解析機で異常の片鱗すら見つけられなかったのだ。どれだけ大がかりな機器で精密検査を繰り返したって、成果が出るとは思えない。被害者であろうこのイノシシに無意味な負荷をかけるだけだ。
「とりあえずここに放置していく訳にはいかないから……正常化する方法を見つけるか、まともに飼育できる設備が整うまではあんたの部屋にでも放り込んでおきましょう。あそこは広いし、変身前のあんたが全力で暴れたとしても三〇秒は耐えられるように造られているから。この程度の生き物なら問題無く隔離できるわ。問題はエサね。イノシシって何を食べるのかしら……遺伝子に変異が無いって事は食性も変化していないはずよね? あと、このサイズだと量も結構なものになるから……調べて計算してさっさと手配しないと」
調達に手こずっている間に餓死でもされたら後味が悪い。重要な案件だ。
「アーちゃん。既に思考が次の段階に進んでいるようだが……あの謹慎部屋がナチュラルに俺の部屋あつかいなのは多少の異議があるぞ」
「だったら、あそこにブチ込まれる頻度を減らす努力をしなさい」
「……ぐぅの音も出ない」
とりあえず休日出勤組に連絡を入れておきましょう、とアーリエンデがスマホを取り出そうとしたその時。
「――ッ! アーちゃん危ない!」
「え?」
異変を察知したジョウが、アーリエンデを庇って前へ出た!
何かがアーリエンデを狙って飛来し、それを払い落とすためだ!
だがジョウが飛来物を払い落とすよりも先に、飛来物を中心として闇よりも黒い閃光が弾ける!
「なッ――ジョー!?」
黒い閃光は八方に弾けると、弾けた線状のそれらが毛羽立った荒縄のような形状に変化。
まるでデビルフィッシュが獲物に食らいつくが如く――八つ又の黒い荒縄が、ジョウに絡みついた!!
「ぐぉ……こ、これは、ひ、引き千切れない……なんて頑丈な――ッ」
ジョウに絡みついた黒い荒縄は見えない何かに引きずられるように山の奥へと進んでいく。
「俺をどこかへ連れて行くつもりか……!? 二五歳にもなって誘拐などされてたまるか!」
ジョウは思い切り地面に足を突き立てて踏ん張った――が。
それを受けてか、黒い荒縄はふわっと浮上。地面にめり込んだジョウの足も体ごと浮き上がる。
「なんだとぉ!? あーーーーーー……」
「ジョーーーーーーーーーーーーー!?」
踏ん張れなくなったジョウは、あっさりと山の奥へと連れ去られてしまった。
「ちょ、あんたスーパーヒーローのくせに何あっさり拉致られてんの!? それ普通は私のポジションじゃない!? ああ違う、ツッコミどころはそこじゃあない!」
落ち着け、とアーリエンデは頭を振る。
「ジョーの反応速度でも打ち落とせずに被弾し、弱ってもいないジョーでも引き千切れない頑丈さを持ち、ジョーをあっさりと運搬してしまう拘束具………………欲しい! そのテクノロジー!!」
ってそれも違ぇわよ! とアーリエンデはセルフツッコミと共に傍らの木に頭突き。
「落ち着いて思考を整理しなさい……私はこんな時に慌てるような女じゃあないわ」
あの黒い荒縄、どう考えても地球のテクノロジーではない。
異星、少なくとも地上人類とはまったく異なる技術体系である事は確定。
タイミングと状況からして、イノシシ怪獣を生み出した黒幕とほぼ同じと考えて良いだろう。
そんな連中に、ジョウが捕まった?
「エロい事をされる前に山ごと吹き飛ばしてでも救助しないと!! ジョーにエロい事をして良いのは私だけなんだからね!?」
※アーリエンデは混乱している!
「しょ、そこの人間!」
「ん?」
アーリエンデが破壊・殲滅を目的とした発明品をいくつか取り出そうとしたその時。
山に響き渡ったのは……幼い少女の声だった。
「ぶもぉ!? ぶぶぶもう!?」
その声を聞いたイノシシ怪獣が「何故!? どうしてでやんす!?」と喚きながらのたうち回り、鎖をじゃらじゃらと鳴らす。
「…………子供?」
ジョウが連れ去られた山の奥、枝葉の天井が作り出した薄闇の中。
そこから現れたのは――薄汚い黒布で全身を覆った、小さな子供。背丈は下手すれば一メートルも無い。完全に幼児だ。
生まれてから一度も手入れをした事が無いのか、この辺りでは珍しい黒色の髪はボサボサで、地に擦るほどに伸び切っていた。何やら涙で潤んでいる瞳は、まるで星空のように光が散った闇色。
「ぴ、ピィはおまえなんか、こわくないもん!」
幼女はきゅっと結んでいた口を開くと、泣き喚くような上ずり声で叫んだ。
「おまえのオットーはヒトジチなんだぞ! ワボさんを解放して今すぐこの山から出てってくれないと、ピィはおまえのオットーにひどいことをするんだからな!? ひどいことをするんだぞ! ひどいことだぞ!」
「オットー……夫? ああ、ジョーの事ね。で……ワボさん?」
アーリエンデが頭の上に「?」を浮かべていると、イノシシ怪獣が「オレオレ、オレの事でやんす!」と騒ぎ始めた。
「なるほど。ジョウとこのイノシシで人質交換をしつつ、私たちに退去を要求したいって訳か」
いや、片方イノシシだし、人間の定義を一般的な地球人に限定するならジョーも【人】質と呼ぶべきか微妙だけど……とか余計な事を並列思考しながら、アーリエンデは幼女を観察して考える。
(見た目は普通の地球人……髪や瞳の色は黒系でアジアっぽいけど、顔の作りは西洋系に近いわね……で、言動から推測するにこのイノシシもさっきの黒い拘束具も、この子供の仕業……)
しかし、違和感がある。
(要求が人質交換と、退去? 私たちが援軍を連れて戻ってくる可能性を考慮していない?)
おどかせばもう二度とちょっかいを出してこないはずだ……とでも、考えているのだろうか?
幼女はプルプルと震え、今にも泣きだしてしまいそう。かなり気弱な性質らしい。
……もしかしたらこの幼女は、自分しか基準が無いのかも知れない。
この幼女なら、一度おどかされた相手の所には二度と近寄らないだろう。
「……ちなみに参考までに訊きたいのだけれど」
「にゃ、なにさ! ピィは人間なんかにコーフクはしないんだぞ!?」
「ひどいことって、具体的に何をするつもり?」
この幼女の精神年齢を測るには丁度良い質問だろう。
「んーと……」
幼女は指を唇に押し当てて少し思案すると、「あ、そうだ」と思い付いたように、
「火あぶり!」
「えげつな!?」
「え、いやだって、ひどいことをしなきゃだから……」
「……あんた、本当にできるの? それ。火あぶりってやる方もかなり精神的にくるわよ……? 人が焼けていく様も匂いも、悲鳴だってきっついわよ……?」
「…………………………っ」
具体的に想像してしまったのか。
幼女の震えが一段と大きくなり、ストレスからかすごい勢いで指をしゃぶり始めた。
瞳のダムは決壊寸前と言うか、既にちょろちょろと漏水している。
「ぶっもぉう! ぶぶぶもぉぉぉお!!」
おのれ貴様! あんな小さな子になんてひどい想像をさせるでやんすか!!
イノシシ怪獣ことワボさんが鎖をじゃらじゃら鳴らして猛烈な抗議をしてくる。
「…………はぁ……あんた、一体なんなのよ……?」
理外のテクノロジーを振りかざしてきたかと思えば、幼さ丸出しで。
しかし、急に火あぶりとか言い出して、でもやっぱり幼さ丸出しで……。
一体、なんなのだ。この幼女は。並列できる思考をすべてフル稼働させて色々と推測してみるが、どれもしっくりこず、アーリエンデは頭が痛くなってきた。
「……そ、そうだ! 聞いておののののけ!」
「のが多い」
「ふぐぅ……ピィはわかっててやってるんだもん! かんでないもん!」
「ぶもおおおう!」
黙って聞くでやんす! とワボさん大激怒。
「いいか! ピィはピルゲストル・イリアムズ! いだいなる魔女のマツエーなんだぞ!」
「……魔女……?」
「ピィのこわさをおまえにおしえてやるんだからな!」
「!」
未だに涙目に上ずり声の幼女――本人いわく魔女ピルゲストルは、その小さなお手々を天へと振り上げた。
すると、虚空から絞り出されるように黒い光がその掌から湧き出す。
「……!」
「ピィの魔法で……おまえにもひどいことしてやる!」