2
「俺は昔から雨の子どもらの守護をしろっていわれてたんだけどな。……昔はそんな必要もなくて、しばらくは見てはいたんだけど、みんな幸せそうだったんだよなー」
「幸せ………」
「……まあな。……何か様子がおかしいって言われて、見に行ったらこんなんなっててよー。守護者の面目丸潰れだよ」
そう言って背の低いヤウズが、ばつが悪そうに自分の頭をがしがしとかきむしっている。
「ここはあの国の端にあたる。この森のすぐ外は岩石砂漠だから。祈りはここでしてもいいし、しなくてもいい。あの国は神との契約を蔑ろにし、あまつさえ雨の子どもを何人も死に追いやった。………万死に値する」
ルビー色の瞳が陰りを帯び、ガーネット色になる。気配が瞬時に変わり、森の騒めきがぴたりと止まる。今にも帯剣している剣を抜き、あの国を滅ぼしにいきそうだった。
「……ヤスミンもこんなに細っこくて……。人の子は貧弱だから、ここで沢山食って元気になれよ」
全身をくまなく見つめられてしまい、羞恥で恥ずかしくなる。
「俺は人の子のことはわからないからな。人間の従者が何人かいるから、彼らに世話を任せよう」
「いえ、そんな訳には……」
「遠慮するな」
そう言い、着ていた薄手のロングコートを控えていた従者に渡し、自分の屋敷の案内を始めた。三階建ての一階部分には生活スペースとなる、食堂やサロン、大広間などがあり、三階、二階部分は個人が住う部屋が多くあった。特に二階は使用人達、三階はこの家の主人でもあるヤウズの部屋というようになっているようだった。
「部屋はさっきも言ったけど、空いてるところ使ってくれ。無ければ見晴らしの良いところでも用意させよう」
「………はい」
「食事は食堂で皆で一緒に食べる。後は好きに過ごして構わない」
「………ありがとうございます」
三階建ての家はヤウズがいうように、空き部屋が多かった。何人かの使用人も一人一部屋もらっているようで、皆気ままに自由に生活しているようだった。すれ違う人達が、皆明るい笑顔で挨拶をしてくれて、嫌味や悪口、手を出すような人達はここには誰一人いなかった。
たったそれだけのことだが、ヤスミンの心と身体が少しずつ晴れ渡っていくような気持ちになっていった。
「………ここはとても過ごしやすそうです」
「だろう?ここにいる奴らは皆、俺の庇護を求めてきた奴らばかりなんだ。悪い奴はいないし、気のいい奴らばかりさ。種族は様々だけどな」
ヤウズはヤスミンに屈託なく笑う。
「ここで働いている奴らは、外に居場所がなかったり、追われたりで外には出られない奴らが多い。そのせいか、皆勝手に家の管理や俺の世話なんかし始めて、正直助かってるところもあるんだ」
そう言い、一つの部屋の扉を開けてそこへヤスミンを招き入れた。
「俺の部屋の隣だから安全だからな。何かあれば部屋に来てくれてもいいぜ。中でつながってるからな」
教会でヤスミンにあてがわれていた部屋よりも何倍も大きい部屋だった。寝室はまた別室にあるようで、ここはリビングのような部屋だった。可愛らしいテーブルとソファが中央に置かれ、綺麗な花瓶に花が生けられており、可愛らしい女性用の部屋だった。
「ありがとうございます……。しばらくお借りします」
「気にせずずっと居ても構わないからな」
そう言うとヤウズは部屋を出て行った。
ヤスミンはあまりにも多くのことが変わってしまい、頭が混乱してしまっていた。
「……迎えはこないのは捨てられたから……。ヤウズは迎えに来たのは守護者だから?」
守護者という者に関して、ヤスミンは何も知らなかった。教えられてもいない。ヤスミンは物心ついてから、ただ祈るだけの毎日だった。それが務めと言われたから。何故祈るのか、親がいないのか、厳しい仕事が言いつけられるのかは分からなかった。ろくな教育も受けてはいないので、読み書きもできないので、言われるがままにしてきた。
よくわからないまま、ソファに座りそのまま身体を倒した。
***
「ヤスミン、そろそろ起きて。風邪をひくよ」
誰かが身体を揺する感覚で目が覚めた。いつの間にか眠っていたようだった。身体を起こすとそこには恰幅の良いモスグリーンの落ち着いたワンピースを着た女性がいた。
「ヤスミン、疲れたのかい?気持ちはわかるけど寝すぎると夜眠れなくなってしまうよ」
「はい…………。えと、どなたでしょうか?」
「あらやだ。ごめんなさいな。私はノーラ。ヤウズからあなたの世話を頼まれたんだよ」
ノーラは自己紹介しながら、お茶の準備をしていた。
「しばらく前からヤウズがなんだかそわそわしているから何かと思えば、あんたのことだったのね」
お茶はヤスミンとノーラの分を淹れ、ヤスミンが腰掛けているソファの向かいに座った。ノーラは話好きなのか次から次へと話をしてくれた。
「夕食前だから、お茶だけにしようか?ヤウズもわざわざ自分の部屋の隣にしなくても良いのに。男性の部屋との扉続き嫌だろう?大丈夫さ。結界を張っておくから」
逞しい自分の腕を叩き、ヤスミンの背中を叩いた。
「ヤウズは魔族でも変わり者なのよ。ここには人以外にも妖精や獣人もいるから。困ったことがあれば誰にでも聞いて頂戴。あんたが来ることはみんな知ってるから」
ヤスミンは小さい頃からずっと教会暮らしだったため、常識に疎いところがある。人との距離感や男女の関係など。
だからノーラの言っていることはヤスミンにはわからなかった。ヤスミンはヤウズと隣の部屋で平気だったし、誰かの部屋と繋がっていようが構わなかった。
「私は教会に帰らなくてもいいのでしょうか?」
「いいんだよ」
「ここにいてもいいのでしょうか?」
「いいんだよ」
「私、何も出来ないけど怒られませんか?」
「怒らないさ。ここでゆっくりと過ごせばいい」
ヤスミンは自分が安全な場所にいることに安心したためか、今まで心の奥深くにたまっていたものが溢れ出てきた。それは止まることがなく、とめどなく出てきてしまった。
「………ああ、ヤスミン、辛かったのね?ここは大丈夫。安心して頂戴」
「………っふぐっ……は……は………はい……ぐしゅっ」
ノーラは優しくヤスミンの頭を抱き抱えて、撫でていいようにさせていた。
バタンッ
そこへいきなりヤウズが飛び込んできた。
「ヤスミン!大丈夫か!?」
気持ち良くノーラに身を任せていたところに、いきなりの闖入者に二人とも驚いてしまった。
「……ヤウズ。しばらく構うなと言ったじゃないか」
「え、いや、だって、泣いて……」
「………しかも覗き見かい?」
「え、あの、だって、心配で……」
「これだから魔族は!大概におしよ!人間の女性同士にしかわからないこともあるんだよ!」
「え、ええ?でも、そんな……」
助けてくれた時の強引さは鳴りを潜め、お母さんに怒られる息子の図のようだった。
「の、ノーラだってヤスミン泣かせたんじゃないか!」
「なんだって!?あんたは全く女ってものをわかってないね!?女はね男の前で泣きたくない時だってあるんだよ」
「………そ、そうなのか?」
ヤウズはヤスミンを窺い見て、目の合ったヤスミンはそっとうなずいた。常識はわからないが空気は読めると思っているヤスミンは、ここはノーラに逆らってはいけないと直感的に悟ってしまった。
「そ、そうか。そうなのか?知らなかった………」
「ほら。女性の部屋に無断で入るなんて失礼だよ。人間の女性は結婚するまで貞淑でいなくちゃならないんだよ」
「………そうか」
「……ヤウズ、手出したら解ってるだろうね?」
ノーラのその威嚇とも思える言葉には、頷くことなく部屋から去っていった。
ヤウズと入れ違いに、今度はノックの音が聞こえてきた。
「……ノーラ。僕だけど、まだ怒ってる?」
「……今ヤスミンの支度を手伝ってるんだよ」
「………じゃあまた後でね。ヤウズがね、もうそろそろ時間だから下に降りてきてって」
「………ああ、わかったよ」
「……みんなには待ってるように伝えとくから早くおいで」
部屋の外に声をかけたノーラは、テーブルに出してあった茶器を片付け始めた。
「先程の方は?」
「ああ、亭主さ。魔族のね」
「旦那様?」
「とんだボンクラだよ!女心がわかってないんだから!見た目変えれるんだから、私と合うようにそれ相応の見た目にしてくれればいいものを、人の女の子は若い子がいいんでしょ?って聞きやしない!違うって言ってんのに!!」
「………そうなんですね?」
「……すまないね。聞き流しておくれ」
「………はい」
少し本音を言って恥ずかしくなったのか、ノーラは少し耳が赤くなり目を逸らしてしまった。
「さあさあ!気を取り直して!皆のところへ行くからね。着替えはヤウズが用意してあるだろうから、好きなの選びな」
気を取り直したノーラの指し示したところには、扉がありその中は、小さいながらも一部屋丸々衣装部屋となっていた。
「この中から……」
衣装部屋の中には、これまでに見たことのない数の衣類が入っていた。何をどう選んで良いのかわからないヤスミンは途方に暮れてしまった。そこに茶器をワゴンに片付けたノーラがきてくれた。
「……ノーラさん。私この中から選べなくて……」
「あらまあ。こんなにたくさん。ヤウズははしゃぎすぎだねぇ」
「……すみません」
「いいんだよ。幸せな悩みだろう?これからそういうことが増えていくからね」
衣装部屋に入って、ノーラが服を選んでいく。
「雨の子どもは決まって、髪色は黒に近い青と瞳はきれいな紫色だからね。うーん……」
色の薄い濃いはあるものの、雨の子ども達の髪色はネイビーブルー、瞳はパープルという組み合わせだった。ヤスミンももれなく、薄いネイビーブルーと濃いパープルの組み合わせで、雨の子どもと一目でわかる容姿であった。
ノーラは悩まし気にグレーの膝丈のワンピースを選んできた。グリーンの草木模様の刺繍が入っていた。
「可愛い………」
「あら、よかった。若い子の流行りなんてわからなくてね」
「これ、着てもいいんですか?」
「ヤウズがあんたのために買ったんだから、好きにしていいのよ」
「私のために?」
「魔族はちょっとおかしいんだよ。種族が違うからわからないことも多いし、表現方法も違うのさ」
まったく、とぶつぶつ小言をいいながら、ノーラは覚束ないヤスミンの手助けをする。
いつもヤスミンが着ていた衣服は、貫頭衣に腰に紐を巻きつけたような簡単なものだった。いつも同年代の子達が着ているような、可愛い服に僅かな憧れがあった。自分の惨めさが際立つため、それを口には出さず、ただただ心の奥深くに留めておくばかりだった。
だからヤスミンは、自分がこんなに素敵な服を着られることが幸せだった。普通の服を着られるだけで幸せを感じてしまうような、そんな生活をこれまで送ってきたのだった。
「私、もう幸せです」
「いやねぇ、何言ってるの。まだまだこれからじゃないか」
ヤスミンの着替えが終わり、ノーラとともに食堂へやってきた。すでに食堂には、10人近くの人が席に着いていた。ヤスミンには種族はわからなかったが、羽が生えていたり角や尻尾、人とは違う耳がある種族まで様々だった。ぱっと見、人間も何人か居そうではあった。
「ヤスミン、隣に来い」
「は、はい」
ヤウズに呼ばれて隣の空いてる席に着き、ノーラもヤスミンの隣へ着く。
「皆も知っての通り、今日からヤスミンが一緒に暮らすこととなった。何かと不自由すると思うから気にかけてやってくれ。ヤスミンからも皆に挨拶を」
「は、はい。あの、初めまして。ヤスミン……といいます。ずっと教会暮らしだったので、こういうところでの暮らしが初めてです。何かありましたら、教えて頂ければと思います」
「そういうことだ。じゃあ、皆で食事にしよう」
ヤウズがそう言い、皆が頷いたところで各々食事となった。教会では食事の時には神への祈りをしてから食事ではあったので、皆の様子を見ながらヤスミンも恐る恐る食事を摂り始めた。
ヤスミンは一人だけメニューが違い、柔らかく消化の良さそうな物ばかりで少し安心した。
パン粥にスープ、柔らかく煮た野菜、チーズが少し。口直しに一口サイズのゼリーが幾つか添えられている。味は教会で出される食事よりも美味しく、完食はできないことが残念で仕方なかった。
「ヤスミン、食事はどうだ?」
「はい、美味しくて完食出来ないのが残念です」
「そうか。今までろくな食事をしてこなかったんだから、ゆっくり食べてたくさん寝て、元気になれよ」
見た目は10歳位のヤウズに言われると少し複雑な気持ちになるのだが、こんな有様なので仕方はない。ただ、やはり気にはなる。
「あの、ヤウズは何歳位なんですか?」
できれば見た目が自分よりも年上に見えると安心するのだが、年下であるとどうにも落ち着かなくなってしまう。
「あ、あの、お年は私なんかよりもとっても上というのはわかるのですが………」
「………数えてはいないけど、ボラは何歳だ?」
ヤスミンも自分の歳をおおよそ20前半程度の認識でいる。だからか自分の歳をはっきり数えていないヤウズには、多少なりとも親近感が湧いていた。
ヤウズから指名を受けたボラといわれる魔族は、10代後半の容姿をしており、額に小さな角が横並びで生えていた。黒い髪は肩のところで綺麗に切りそろえられており、どこかの王子様のような容姿をしていた。
「ええ!?ぼ、僕?うーん、ヤウズと同じで数えてないけど、1000年は越してるかな?」
「じゃあ同じ位かな?」
「わからないよー。同じ位の生まれだけど、僕たちの時間感覚は人間と違うから…………」
ボラはちらとノーラの方を窺い見る。ノーラはその視線を気にすることなく、食事を進めていく。
「うぅ、ノーラはこんなおじいさんは嫌なの?」
「あんた、その話は後でって言わなかったかい!?こんなとこでそんな話さないでおくれよ。………嫌なんて言ってないから」
最後の一言はぼそぼそと口元で言っていたが、ボラには聞こえていたようだった。
「ノーラァ、ごめんね。僕が悪かったよ」
「人前ではやめておくれっていってるだろう!?」
抱きつこうとしたボラを押し返し、ノーラは「これだから魔族は……」とぶつぶつ小言を言い始めた。どうやら昨晩二人の間で年齢に関する物言いがあったようで、一晩経った今日になっても、ノーラがボラを許していなかったようだ。
「そんな、だってじゃあどうしたらいいの?」
「そんな女々しく言うもんじゃないよ!人前ではやめなっていってるじゃないか!?」
「え?じゃあ早く部屋に戻ろう?」
余計な一言をいって、さらにノーラに怒られたボラは半泣きになりながらも、大人しく夕飯を食べ始めた。
「多分、1000年以上生きてると思うんだけど、ヤスミンは年上は嫌か?」
「年上の方は博識で頼れると思いますよ?」
「そうか。そうだろう。何しろ俺はお前の守護者だからな」
ヤウズは得意げな顔になり、ヤスミンは安心した。これまでの教会での生活では、相手が望まない解答をしてしまい、そのために多くの罰を受けてきた。ヤスミンにとってここは、とても安心でき居心地がとても良いと感じているが、長年受け続けてきた悪しき習慣というのは違う環境になったとしても、その影響が抜ける訳ではなかった。
「………あの、その守護者とは何ですか?」
ヤウズが一瞬の間ではあるが、動きがとまってしまいそれをヤスミンは、自分が知らなくても良いのかなと思ってしまった。
「あ、あの、その私なんかが知らなくてもいいのであれば知らなくてもだ、だい、大丈夫です!」
「あー、いや。皆知ってることだから別にいいんだけど………」
そう言い、ヤウズはちらっとノーラを窺い見た。ノーラは渋面ではあったが、ヤウズの意を汲み頷いた。
「それは後で俺の部屋で説明する」
「お部屋には食べ終わったらすぐ行けばいいですか?寝る前ですか?」
ヤスミンが聞いた途端に、ヤウズが飲んでいたコーヒーを吹き出してむせ込んでしまった。
「ごほっ……それでいいなら寝る前にしようぜ」
「はい?わかりました」