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 その昔、雨の聖女、聖人がいた。


 彼らは『雨の子ども』と呼ばれた。


 その大陸はほぼ岩石砂漠で、人の住めるような場所が非常に少なかった。


 それを嘆いた人々は女神へと祈りを捧げた。


『この砂漠に恵みを、実りを、雨を』


 女神は人々の祈りを聞き届け、雨の祝福を宿した子どもが生まれた。それからその土地は雨に恵まれ、実りが多い豊かな土地へと変わっていった。


 雨の子どもが生まれると優しい祝福の雨が降り注ぎ、人々は小さな良き事を得られ、雨の子どもが亡くなると暖かい実りの雨が降り注ぎ、人々は小さな実りを得る事ができた。


 だから人々は雨の子どもに感謝をした。雨の子どもは人々の感謝を糧とし、それで満たされていた。だから何もいらなかったし、欲しがりもしなかった。人々はそんな雨の子どもに沢山の貢物を捧げてきた。そして彼らはその恩恵として豊かな土地を手に入れた。



***



 そこが岩石砂漠だったのは遠い昔のこと。


 今は多くの実りに恵まれ、大きな街、そして国に発展していった。昔の記録は人々の記憶から忘れさられ、古書に残るばかり。それを振り返ろうとする者はごくわずか。それでも長き時により、そこまでもたどり着く事ができなかった。


 雨の聖女、聖人はその存在意義が問われていた。


 数代前から雨の子どもを庇護している教会が彼らを疑い始め、それが街、国全体へと蔓延ってしまった。教会内部では、雨の子どもに対して、厳しい仕事内容を命じ、さらに心ない言葉、体罰により、二代前の聖人は衰弱死、先代の聖女は自死によってその命が尽きてしまっていた。


 雨の子どもは感謝されることがなくなってしまい、満たされず常に飢えていた。


「本当に愚図ね」

「………申し訳ありません」

「やり直しよ。できなければご飯は無いと思いなさい」

「………はい」


 チャンセルを清めるよう言われ、何とか早朝と言われる時間から午前一杯かけて、聖水を用い清めたものの、気に入らなかったようだ。


「……はあ」


 頭も体も常に重いのに、何故か飢えていた。食事をとっても、何かを達成してもそれは満たされることはなかった。たった一度、小さい子どもからの「ありがとう」という、たった一言の笑顔で全てが満たされる思いを得られたが、以降は言葉をかけられることすらなかった。自分を見つめる人々の顔は嘲りと嫌らしさに満ちていたから。


 再びチャンセルを清める準備を始める。言葉を紡ぎバケツに聖水を満たす。雨の子どもは、その祝福により聖水を作り出すことができる。彼女は溜めた聖水にきれいな布を再び拭き始めようとしたところ、複数の足音が聞こえてきた。振り返ると小綺麗な服に身を包んだ同年代の少女たちだった。


「まだチャンセルを清めることができていないのですか?」

「なんて愚図なの?」

「そんなこと言ってはダメよ。愚図だから時間がかかるのは仕方のないことよ」

「これでは神の使いの方々にご迷惑がかかってしまいますわ。本当に困ったこと」


 彼女達は普通の聖女候補として、最近教会にやってきた貴族の娘達だった。嘲笑とともにかけられる言葉はいつものように、弱った心を抉っていく。


「………申し訳ございません」

「謝ればいいと思っていることも困ったものだわ。皆様どうしたらいいのかしら」

「誠意を見せなくては、ねえ、そう思いません?」

「ええ、ええ。そうですわね。誠意を見せて頂かないと」

「跪いて許しを乞いなさい」


バシィッ


 そういうと扇子で思い切り頬を叩かれ、彼女達の従者に頭を押さえつけられる。


「……………申し訳ありませんでした」

「神の使いの方々に代わり、許しましょう」

「まあ、許すなんて寛大ね」

「聖女としての優しさですわよね?」

「そうですわね」


 口々に自分達の優しさについて述べて後、ようやく去っていった。


 打ち付けられた頬は擦れて触れると痛みが走る。掃除の為に出した聖水で傷口を拭うと、少し痛みが落ち着いてくる。


 前はこんな仕打ちに悔しくて泣く日々もあったが、心が弱くなって何も感じなくなってきた。ただ言われた通りに日々を過ごして、事が大きくならないように、息を潜め、息を殺し、何も言わずにいる。こんな風に日々を過ごし、短い一生を終えるのだと思っていた。



***



 チャンセルの清めは、夜もふけた頃にようやく終わった。夕飯はなんとか残り物にありつく事ができ、空腹を凌ぐことができた。


 井戸水で身体を拭き、ようやく寝ようと部屋へ戻ろうとした時、少し開いた窓から声が漏れてきた。窓の下にしゃがみ込み息を殺して話を聞いた。無作法だとは思ったが、漏れてきた声は、自分のことを話しているように思ったからだ。


「………あの雨の意義がわからん」

「何故あのような者を………」

「………もう良いのでは………」

「では………」

「明日…………」

「これでようやく…………なれる」

「はは、………果たした。………御免だな」


 これ以上は聞いていられなかった。


 急いで部屋に戻り布団を頭から被って震えていた。考えれば考えるほど自分のことを話していたとしか思えなかった。意味がわからない、とは自分がここにいることだろうか。もう良いとは、見放された?明日何かがおこるの?


 気づけば朝になっていた。いつのまにか寝ていたようだ。日頃の疲れと身体の重さで眠るが、一向に疲れが抜けることはなかった。


「雨の。今日は森での祈りの日だ」

「………はい」


 朝食時に神の使いの者より声がかかる。毎日の祈りに加え、時々場所を変えて祈ることもある。概ね、月に一度から二度ほどになる。


 場所を変えて祈る時には、正装に着替える。唯一持っているぼろではない服だ。それでも先代からの物なのでくたびれてはいる。昔は真っ白ではあったものだとは思うが、今では黄ばみ、他の聖女候補達と比べるとその色合いは一目瞭然ではあった。


 神の使いの後ろから着いて歩いていると、嘲笑され明らかに陰口をたたかれているような、ひそひそ声が聞こえてくる。


 頭を下げて出来るだけ小さくなり、後について歩いていった。


「森の中にある、小さな小屋で祈ってもらう。夕方の迎えになる」


 馬に荷車を繋げてその荷台に乗り込む。フードで顔を深く隠し身を小さくする。そうすれば、誰も自分に気がつかないだろうかと思い、誰も自分に心ない言葉をかけないだろうかと思い。


 たまにもし、自分が、違う人生を歩んでいたのならこんな風にはならなかったのだろうか。往来を堂々と歩く人々を見てそう思う。自分は何も悪いことなんてしていないのに、人の目を恐れ、言葉を恐れ、隠れるようにして生きている。もし、往来を堂々と歩けるのならどんなに良い気分だろうか。これから起こることにも、堂々と対峙できるであろうか。



***



 森の道無き道をしばらく進み、着いた先は、まだ多少は人の手が入っているのではないだろうかと思うような小屋であった。板を繋いで作ってはいるものの、その隙間は雨や風、虫や獣から自分を守るには幾分か心許ない状態であった。


「夕方の迎えになる。それまで祈りをここで行うように」


 中に入ると申し訳ない程度の小さな祭壇があり、床には長い間そこには誰も入っていないかのように埃がうず高く積もっていた。


 でも雨の聖女にとっては、人の目を気にすることなく、自由に祈る環境にわずかに心躍ったのは仕方のないこと。


「……とても静かで気持ちがいい」


 久しぶりに人の悪意に晒されることがない環境は、雨の聖女にとって喜ばしいことだった。気のせいだろうが、頭と身体も軽い気がする。もやがかっていた頭が晴れるようだった。


「……清めてからのお祈りにしましょう」


 雨の聖女は、普段出し惜しみしている力を発揮し、聖水を霧状にし小屋全体をしっとりさせ、埃が舞わないようにする。それから僅かに使える風の魔法を使い、塵を集めていく。一度でかなりすっきりした小屋は、雨の聖女にとってはどの場所よりも神聖な場所に思えた。祭壇の前に跪いて祈りを捧げる。


「世界の創造神たる女神よ。我の願いを聞き届けたまえ。この地に豊穣の恵みと実りを、生命の雨をもたらしたまえ」


 祭壇の御神体が僅かに光り、天へ登っていく。そして、その祈りは聖女を中心にその土地へと還元されていく。


「……ずっとここに居られればいいのに」


 昨日の神の使い達が話していたことが、頭から離れない。自分は今日どうなってしまうのか。この祈りが終わり、教会へ帰ることで一体これからどうなるのか、先の見えないことと、恐ろしいことが起こるのではないかという漠然とした不安で心が苛まれてしまう。幽閉ならいいが、放逐されて自分は生きていけるのだろうか。どこかに売られたりしてしまうのではないだろうか。恐ろしい考えが頭に浮かんでは消え、消えては浮かんでを繰り返す。


バキイイィッッズドオオォォンンッ


「ぎゃっ」


 いきなり背後に大きな物音が響き、聖女、もとい女性らしからぬ叫び声をあげた雨の聖女は、恐る恐る背後を振り返る。するとそこには小さな男の子がしゃがんでいた。天井にはそこから突き破ってきたと思われる大きな穴が空いていた。

 

「………お前、名前は?」

「……え?え?……名前?」

「なんて呼ばれている?」

「……雨の」

「アメノ?雨の?」

「……雨の聖女だから、雨の………」

「名無しか……」


 よく見ると頭に角があるため、恐らく魔族であることはわかった。そのため見た目=年齢ではないのだろうとは察することができた。


 彼は何かを考え込むように下を向いていた。この突き破った穴はどうしたらよいのだろうか。


「……じゃあ、お前はヤスミンな。俺はヤウズだ」

「……え?ヤスミン?……ヤウズ様?」

「様は要らないぜ、ヤスミン」


 外見が一二歳から一三歳位の魔族の男の子は、短いシルバーグレイの髪色で、毛先がつんつんと天井を向いている。耳の上から生えている角は、細く後ろへ向かい伸びている。ルビー色の瞳は強気で蠱惑的な印象を与える。着ているものは、薄手のインディゴ色のロングコートに中にはシャツとグレーの半ズボン、膝下のブーツを履き、強気な少年といった雰囲気を強くしているようだった。


「魔族の目を見ると魅了されるから、見続けないほうがいいぜ」


 性格は親切なようだが、小屋が壊れてしまいヤスミンは途方に暮れてしまっていた。弁償になるだろうが、その費用はどの位になるのか、さらにいえば、もしかすると自分で直さなくてはいけないかもしれない。建物の修理なんてしたことがないヤスミンは、とりあえず板を打ち付けておけば何とかなるだろうかと考える。そもそも、この天井を壊した張本人は手伝ってくれるのだろうか。

 

「ほら、手を出せ」

「……はい」


 ヤウズはヤスミンの手を取ると、その場から転移した。転移した場所は、同じ森の中ではあるが、先ほどの場所よりも手入れがされており、こじんまりとしているが比較的大きめな家と小さな菜園に鳥や豚などの家畜が放し飼いになっていた。家の周囲は手入れがされており、おそらく魔物や獣が入り込まないような結界が施されていそうだ。


「俺の家だ。お前一人くらいの部屋ならあるだろうから、好きな部屋を使ってくれ」


 ヤスミンは驚いた。驚いて声も出せないほどだった。いつも表情をだすことのない顔が、驚きの顔になってしまったため、顔のあちこちがひきつっているように感じている。


「……………こ、困ります、そんな急に」

「急ではないだろう?むしろ遅すぎた位だ」

「で、でも戻らないと、祈りとあの壊れた小屋のこととか、お迎えもくるし………」

「迎えはこないぞ」

「え?」

「迎えはこない」

「こない?」

「だから俺がきた」


 魔族と人間ではよく見える物が違うと言われる。それは寿命の差であったり知識や考え方、価値観などの根本的な物の違いからではないかと言われている。それでも種族の違いを通り越し夫婦となる者もいるし、親友、友人関係、家族となる者達も少なくない。


 だからヤスミンは鈍くなった頭をフル回転させて、ヤウズと話をした。言葉を重ねることが相手への理解の一歩だと思うからだ。


 何とか会話を重ねて辿り着いた結論が、自分が捨てられた、ということだった。昨日の話から今日、自分に何か起こるだろうとは考えていた。ただ、それは教会に帰ってから、何か言われるか放逐されるか地下牢にでも囚われるのだろうかと考えていた。しかし教会側が選択したのは「遺棄」であった。


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