ゼラニウム
火の星が微笑むお昼時、王城でパーティが開かれて私もそこへ参加させていただいておりました。
青空の元、白いテーブルの上には彩り豊かな料理と、光を浴びてキラキラと光るワインが宝石のように並べられていました。もう見慣れた光景ですので、感慨深いものもありませんが、毎回見事な美しさだと思います。
仲良しの友人や婦人方と談笑し、王や王子に一通り挨拶いたしますと、火の精霊が活発な季節ということもあって流石に少々疲れてまいりましたので、王城の裏手にあります薔薇の園で一休みさせて頂くことにいたしました。
甘い香りが立ち込めたベンチで深呼吸すると、
「おっと先約がいたか。」
と、男性の声が横から聞こえました。
優しい声につられて、その方のほうへ向き直りますと、すぐにその人物と私の記憶が照らし合わされました。
「―――勇者様!」
先ほどご挨拶に参りました際に、王様が、この方が新しくこの世界に来た勇者様だとご紹介下さいました。
いえ、その時にご紹介が無くても、私は彼を勇者様だとすぐに分かったことでしょう。勇者様の、周りを巻き込む竜巻のごとく人を惹き込む力強い雰囲気、そして彼に頼っていれば間違いないと思わせる瞳が、勇者様を勇者様だと嫌でも理解させられます。
ちなみに、勇者様とは、異世界から来ていただいた方全てを含む総称です。この国にも現在二名おり、世界中では三十二名おります。
皆様、独特の雰囲気と、詳細は存じ上げませんが強力な能力をお持ちで、非常に影響力が強いお立場です。また多くの勇者様は聡明で、私たちの日常生活も、異世界の豊富な知識と技術の恩恵を受けているところが多いと伝えられております。
その中のお一人であられる勇者様は、柔和な笑顔を浮かべながら、「隣良いかな?」と尋ねられましたので、勿論私はすぐに了承の旨をお伝えします。
「はい! どうぞ。お邪魔でしたら私はもうパーティに戻りますけれど……?」
「へっ? いやいや! 俺そんな暴君じゃないから。むしろ休憩してるところお邪魔してほんとごめんって感じ。」
「いえいえ、とんでもございません! 勇者様に話しかけて頂けるなんて、身に余る光栄です。」
目の前にいらっしゃる勇者様は焦げ茶色の髪と、同色の目をしており、肌は薄橙色です。同じ勇者でもそれぞれ見た目は大きくかけ離れており、髪も肌も統一的な見た目がありません。普通の人間とそこは一緒なのでしょう。
ちなみに勇者は、連れてきた術者の母国語を習得した状態でこの世界へいらっしゃいます。勇者様を連れてきた術者の母国語は、この国のものですので、こうしてお話しすることができます。
「うーん? ちょっと勇者様とか身に余るとかよくわかんないけどさ。こんな美人と一緒に薔薇を眺められるなら勇者も悪くないなぁ。なんて……あはは。」
勇者様でありながら、随分親しみやすいお方のようで、私も口を隠してふふと笑います。お世辞の類はこの国の者のほうが数段上手のようですが、善に満ちたお姿と柔和な笑みは、とても魅力的でした。
社交界では型破りの少々俗っぽい言い回しも、彼にかかれば気さくさに早変わりです。
「君はアンジュ教法王の娘さんだったよね。あの……シスターって呼ばれてる。」
「はい!」
「どうしてここに?」
「実はパーティに参加していたのですが、少々日に当たりすぎてしまいまして。一通りご挨拶も終わったので、ここで涼んでおりました。勇者様は御一服とのことでしたが?」
「俺も一緒だよ。熱くて逃げてきたんだ。ここは砂漠かな? と思いながらオアシス探してたら、薔薇の甘い香りがしてついつい引き寄せられちゃったよ。……あれ? これじゃ俺虫みたいか?」
「ふふふ。そうでしたら、薔薇に感謝しませんと。」
「えっ?」
「こうして勇者様とお話しできるのは、薔薇の香のおかげなのでしょう?」
「……じゃあ俺も感謝しなきゃなぁ。」
「そして天使様にも感謝を。巡り合わせの奇跡は全て天使様のお蔭様でございますから。」
「……。」
天使様がその御身を犠牲に舞い降りてくださらなかったら、私はこうして勇者様と目を合わせてお話しすることもできなかったでしょう。
例え同じようにお会いしたって、私の中の悪魔が暴れるだけでした。今なら、こうして気安くお話しすることもできます。それが本当に嬉しいです。
「そういえば、法王の息子さんのほうは?」
「本日は、体調不良でお休みです。」
「そっか。お大事に。」
「はい! ありがとうございます。勇者様のお見舞いのお言葉、必ず申し伝えます。」
「いやそんな仰々しいものではないけど。……にしても君のお兄さんなら、格好いいだろうなぁ。女の子たちに人気なんじゃない?」
「ふふふ。どうでしょう。申し訳ありませんが、私はそういった方面はさっぱり存じ上げません。そうおっしゃる勇者様はどうなのですか?」
「へ? 俺かぁ……俺はモテないよ。」
「そんなことありませんよ! 私の友人も、勇者様素敵って申しておりました。」
「えっほんと? 光栄だなぁ。でも、なんというか……。俺、好き、っていうのかな、うん……好きな子がいてさ。恋愛としてかどうかは、よくわかんないんだけど。今のところ、他の誰かとお付き合いしたいとはちょっと思えないかな。」
勇者様がおっしゃる好きな子とは、きっとこの世界に一緒にいらした女性のことでしょう。
実はこの勇者様がこの世界へ来てくださった際、彼ともうお一方、同年代だと思われる女性が一緒だったそうです。こうまでも、まだこの世界にきて日の浅い勇者様の顔を赤くできるのは、同郷のお方しかいらっしゃいませんから。素敵なお話です。
私もいつか……、なんて、流石に気が早すぎますね。色の悪魔に囚われてはなりません。天使様が地上にいらっしゃる以上大丈夫だとは思いますが、気を引き締めなくては。
ちなみに、勇者様と一緒に他の方もこの世界に来るというのは、例を見ないものでございます。私も侍女が噂をしているのを聞いた時は耳を疑いました。
しかし事実でございます。私も何度かお見掛けしましたし、そもそも、一度だけですがお話したことがございます。
とても印象深い出来事でした。
あの日は、確か空は仄暗くて、ぽつりぽつりと雨が降っていましたね。そして遠くから獣の唸り声のような雷音が鳴っていました。少々肌寒くて、どこか憂鬱な空気が漂っていました。
私は自室で紅茶を飲んでいると、彼女は、扉を三回ノックしました。そして、「いらっしゃるかしら?」と、扉の向こうでおっしゃいました。思わぬ来客に私はティーポットを落としそうになったのを覚えています。
もちろん、直ちに開けました。
「ご機嫌ようシスター! そして初めまして、ね?」
扉の先にいた彼女は、笑顔で手を振ってくださいました。けれどそれは、口元だけの笑みというのでしょうか、目の奥に暗い影が落ちています。何となく、彼女のトレードマークであるトンガリ帽子の先も萎びているように見えます。
そしてそれを誤魔化そうとしているのは、同じ女だからこそ分かるものでした。
いつかお見掛けした時は、もっと無邪気な子供のような元気さを持った女性でしたのに、一体どういうことなのでしょう。
「まぁ! 御機嫌よう。そして、お初にお目にかかります。今までご挨拶できなかった御無礼をどうぞお許しください。」
「あ、ううん、ごめんね。私が引き籠っていただけよ! こちらこそ、突然お邪魔しちゃって本当に申し訳ないわ。都合が悪いようなら、出直すけれど……。」
「とんでもないです! どうぞ中へお入りください。」
とにかく彼女を部屋へお招きして、ゆっくりお話を伺うことにいたしました。しばらくお話を楽しんでいるうちに、彼女は非常に細かい所に気が利く繊細さと、その奥にブレない何かを持っていらっしゃって、また、一つ一つの動作が小さな動物のようにぴょこぴょこしていて、大変可愛らしいお方だと分かりました。
そしてそれと同時に、大きな違和感を覚えました。
「法王様は私たちに、とてもよくしてくださるわ! この前、あの人……勇者と一緒に、挨拶しに行ったのだけれど、とっても丁寧にもてなしてくれて、神の祝福を願うお言葉までいただいたの! 不思議よね。」
「不思議ですか?」
「不思議よ! だって、娘には何も言わない。いつも冷たい目で睨むだけ。でしょう?」
「……え?」
確かにお父様は、私には何もお話ししてくださいません。言葉一つ、かけてはくださいません。そして冷たい目で私を見下します。
しかしどうしてその事を―――この目の前の女性は御存じなのでしょうか?
パーティに出たこともない彼女がどうして。
そしてさらに違和感と言いますか、疑問だったのは、私がそれに驚いて顔を上げた時、むしろ彼女のほうが驚いていたことです。
「え……。」
「えっ?」
彼女はそのチョコレートのような甘い色をした瞳を大きく見開いて、それから何かを考えこむように閉じました。
その表情をすべきなのは私の方のはずですが、彼女があまりにも憔悴しているように見受けられて、疑問よりも心配が勝ってしまいました。
「あの、大丈夫ですか。」
「そっか……やっぱり……。」
「え、ええと?」
私はどうしていいのか分からず、意味のある言葉を発することができませんでした。そして目の前の初対面のはずの女性も、しばらく沈黙し何かを考えこんでいらっしゃったので、部屋の中は激しい雷の音と、雨が窓に強かに打ち付けられる音が、場違いにも無遠慮に響いておりました。質の悪いオペラのようでした。
しばらくそれが続いた後、彼女が、ふと、ふわりと微笑まれたことにより、妙に居心地が悪い空気は瞬く間になくなりました。
「唐突に、変な事言ってごめんなさい! 本当に失礼なことをしたわ!」
「い、いえいえ! お気になさらず。」
「あの、あのね。本当に申し訳ないのだけれど、あともーいくつか質問してもいいかな?」
「え、えぇ。勿論です。喜んで。」
そこからいくつかご質問を受けましたが、年齢や趣味など、他愛のないもので、だからこそあの時の彼女には妙な感じが致しました。それと、彼女にはこれまた妙な、本当に不可思議に耐えないほどの親近感があったこともあって、こうして深く記憶に残っております。しかし残念ながら、それから彼女とお話する機会もなくなってしまいました。
しかし全ては神の予定調和です。こういったものも全て縁でございます。私はただ、創造主たる神様と、天使様に感謝するのみです。
こうして私の愛すべき日々が続いていきました。
あの日までは。