四を祝え
全国の「普通」と呼ばれる顔をした人たちの、顔の平均値をとる。すると、その顔は「美人」になるってぇ話だ。
目の前の少年は、そんなくだらない雑学を思い出させる容姿をしていた。
全く特徴のない顔なのに、何故か格好いい。小さくも大きくもない目はキラキラとしてこちらが気圧されそうになる。屈託のない笑顔は、女ならいちころ、男でもつい好感を抱いてしまいそうだ。
さらには性格も良い。困っている人を見かけたら助ける、を自でいく利他主義。そんな彼は勇者だ。元の世界でどうだったかは知らないが、この世界ではあまりにも圧倒的な善性を纏っていた。
もちろん、雰囲気だけじゃない。
この世界に来て彼のやったことは、多くの人たちを助け、笑顔にしていた。そしてそれは、勇者というある意味での偏見を、恐らく彼は気づかぬ内に乗り越えて、この世界の人たちと仲良くなることにも繋がった。
今までにないようなタイプの勇者だ。
そんな勇者と、彼の幼馴染と、喫茶店で珈琲を飲む。
「お前さん優しいなぁ。」
これは、今まで彼について聞いた話と、能力を使ってまで乞食に金をやった姿を見た、率直な感想だった。
神にでも仏にでも誓うが、この言葉に、含みなどない。
皮肉などでは絶対なかった。
だが彼は憮然として、こう答えた。
「やめてください偽善です。」
それは一見、謙虚さのように見えなくもない。だが、どうにも俺には本気で嫌がっているように見えた。勿論俺は自分の観察眼などさして当てにしてはいないから、あるいは勘違いだろうとも考えたがな。
だが「やっぱ貴方は優しいわね!」と、彼と一緒にこの世界に来たという幼馴染が言った時、目の縁に明らかな苦しみを浮かばせたので、やはり本当に嫌なのだろう。いや、違うか。嫌と言うよりは……ありゃ恐らく、罪悪感。
彼が、珈琲のカップで顔を隠したのはそれを悟らせないためなのだろうが、ちゃんと隠しきれてはいない。
そんな男の様子に気が付いた時、俺はつい悟った。
こいつめんどくせぇ奴だ。
人の良い彼が、自分のことを偽善と言う理由は分からなくもない。完全な善行などあるはずないんだからよ。
でもそんなの、誰だって分かり切っていることだ。そしてもっともっと幼い頃に、諦めなくちゃあいけねぇことだ。そして所謂、既存の道徳や倫理観に沿って行動することが正しくって、困っている人に手を差し伸べる気持ちが優しい、こういうシンプルな形で納得すべきなのだ。それ以上考えても無駄。
だがそうは言っても、彼は苦笑いするだけで、あるいは表面上で同意するだけで、特に何か変えることはねぇだろうなぁ。
どいつもこいつも頑固なヤツばっかだ。
自分の腹の中で何かが決まっているヤツに何を言ってもしょうがない。もしそれを変えようとするならば、それこそ相手の人生全てを否定するような勇気とエネルギーが必要だ。
当然、俺にはそんなのない。
だから上滑りするような言葉を投げかけて、反応を確認し観察するだけに留める。
「お前さん、孤児院にけぇっこう寄付してんだろ? それに、王にこういう子たちの保護を頼んだとも聞いてるぜ。」
「……。」
「さ、ら、に、いろんな人に呼び掛けて、子供の保護まで進めていると! くぅ~、格好いいねぇこの野郎! もはや聖人レベルじゃねぇか。」
「いや……そんなんじゃないんです。本当に。」
目の縁に、唇の端に、罪悪感をにじませながら笑う少年。
誰も、何も、この少年を責める人なんていないのに、ただ一人自分自身が責めている。
俺がこの年の頃こんなんだったか?
いやいや。俺がこれくらいの頃は、もっと何も考えてなくて、もっと無知で無思慮で、もっとうまーい事生きていた気がする。
少なくとも信念みたいなものなんて何もなかった。
なんだか羨ましいような、それでいて哀れだと思わざるを得ない。
「あーあ。」
「どうされたんですか?」
「いやぁ別に。」
全く、なーんでこいつが……時の能力を持った勇者なんだか。
せめて意志の弱い男だったら。せめて悪人だったら。いやその前に、その厄介な能力さえなかったら。あーあ。
俺はもしかしたら、コイツを殺さなくてはいけなくなるかもしれない、なんて、想像するだけでもゾッとする。
「はぁ……。」
思わずため息もつきたくなるってもんだ。
「あら、先輩。ため息をつくと幸せが逃げていきますよ~! ほら笑顔笑顔! 笑顔は幸せを呼ぶんですよ!」
「笑顔ねぇ。」
「そうです! 見てくださいよ私のこの笑顔。100点満点でしょう。」
「確かに100点満点だ。」
「でしょう!」
俺の薄暗い考えとは反対の、太陽のような笑顔。まるで何の悩みもないような、全てが思い通りだとでも言わんばかりの笑顔。
彼女は自分のことを弱い人間だ、と言っていたが、とんでもねぇ。
まだ俺の生きた人生の半分ほどしか生きていないはずなのに、俺より余程たくましい。こんな縁もゆかりもない世界に来て数日で、そんな笑みを浮かべられる人間が、弱いはずがあるか。
とにかくその場はお開きにして、俺は一度喫茶店を出た。
…………そしてリターン。
くるっと踵で1回転、もう一度喫茶店へ戻った。
俺のことを覚えていたらしい店員は、少しうろたえながら席へ案内しようとした。ちょっと申し訳ない。
だがそれを断り、ちょうどさっき俺たちが座っていた位置からは視覚になって見えない席へ向かう。
そこの、二人用の席に一人で座っている男は、垂れ目の優しそうな青年だった。俺を見て不思議そうに眼を開く。
「あの…………。……なにか?」
彼はやけに疲れた表情をしていた。長い黒髪は顔にかかり、余計に暗く老けて見える。猫背なのもあって、お爺ちゃんみてぇだ。
だがよく見れば中々整った容姿をしていて、一部の女が好きそうな感じもある。何となく、守ってあげなくてはいけないような儚げな様子だ。そしてもっきゅもっきゅとケーキを頬張る姿は、小動物か何かのようで、庇護欲をそそった。
男のくせに、なんて言うつもりは無いが、こうまでもショートケーキが合う男もどうなのかと思わざるを得ない。
「おい兄ちゃん、さっきからずっとよ、俺たちのほうを見ていただろ。」
さっきからずっと、視線が気になっていたのだ。
もしかしたら、時の勇者を殺そうとする人かもしれないし、逆に守ろうとする人なのかもしれない。それにしては視線があからさまだが……。
俺が急に話しかけると、彼はためらいも何もなく、不思議そうにこう言った。
「まぁ……ちょっと見ましたけど。なんですか、ちょっとくらい良いじゃないですか。減るもんじゃないでしょ。そんなつまらない文句をつけるために、わざわざ戻ってきたんですか? 暇ですね。」
可愛い顔から出る言葉は、あまりにも可愛げが無かった。
俺は再び珈琲を頼み、この男の前へ座る。
「え……。無断で相席ってどういう神経……。」
「いいじゃねぇか。人類みな兄弟ってこった。」
「世界が少なくとも2つあるという時点で、その言葉は嘘になりますけどね。」
「まぁ僕らはそういう意味では遠くで血が繋がっている可能性は、十分ありますが。」と、彼はため息をついた。
「お前さんは勇者だな。」
「だったらなんですか?」
「何回だ?」
「は?」
「何回、時間が巻き戻るのを体験した?」
目の前の女のような男は、フォークを加えながらこちらをジッと見た。
「あんたもですか? あんたも、超長生きしてるんですか?」
「んん? いや、俺は……。」
「なんだ。誰かに聞いただけですか。なら自分のほうが年上ですね。文字通り何千周りくらい年が違うんですから、敬うべきでは?」
「おう……。んで? 何回?」
「3回です。」
さん、と指を伸ばした。
「お前が時間を巻き戻したのか? それとも……。」
「おっと、次は自分の質問に答えてください。自分だってあんたの質問に答えたんですから、あんただって質問に答える義務があるはずです。」
「そうだな。」
「では質問。どこでこの話を知ったのですか。」
その言葉の返答として、俺は“神の書”のことを話した。
彼は「なるほどなーるほど。」と一見興味深そうに聞く。そこには明らかな侮蔑と憎悪が混じっていた。
「馬鹿ですねぇ。」
「じゃあ次は俺の質問に……。」
「お前が時間を巻き戻したのか、ですっけ。そんなわけないじゃないですか。自分はそんな悪行はしませんよ。そんな能力も持っていませんし。」
大きな目がぎょろっとこちらを向く。
「自分はね、どこかの糞野郎が時間戻しやがったせいで、友達が奪われたんですよ。自分が友達と生きて、死ぬっていう当然の権利を奪いやがったんです。だから殺してやろうと思って、超長生きして、根掘り葉掘り探しているんですけど、なかなか見つからないんですよね。もう死んじゃったかなぁ。ほんっと許せない。」
「あー……そうか。」
どいつもこいつも、どでかい爆弾ばっか抱えやがって。
目の前の少年はこちらを、目を細めながら睨んだ。独特な威圧感はまるで猫ににらまれているようだ。
「なにが、あーそうか、ですか。重々しい空気出しといて、言うのがそれですか。大して思っていることもないなら、何もしゃべらないでくれませんか。」
…………手厳しいなぁおい。
その後彼はケーキを追加で3個ほど頼んだ後、上機嫌で店を後にした。
この世界には、案外、大量の勇者がいるのかもしれない。
◇
晴れやかな青空の元で行われる、お祭り騒ぎ。
屋台がずらっと並び、景気の良い声と共に食欲をそそる匂いが立ち込める。外にいるにはちょっと暑い日だが、それもまた味。
人も多く、小さな子供から年寄りまで、皆一様に笑顔を浮かべていた。
今日はなんて素晴らしい日だ、口をそろえて言う。
こんな素晴らしい日には祝わなければ、と騒ぎ立てる。
仏頂面のおっさんも、陰気なお姉さんも、強面な男も、不機嫌なおばちゃんも、ひねくれた子供も、今日ばかりは楽しそうだった。
好きな食べ物や、彩り豊かな玩具片手に、騒ぎ合う。
そしてそれは、この性格の悪い、オレンジ髪の女さえ例外ではなかった。
「ふっ、あは、あははっ!!」
ワインを持って、未だ興奮冷めやらぬといった様子で笑っている女。人ごみの中器用に歩いていたが、こっちに気が付くと、ちょっと駆け足気味に近寄ってきた。
その目は、語りたい語りたいと叫んでいる。
「ねぇねぇあんた見た? あいつらの最期!」
俺は首を横に振る。
「なぁんだ。見てなかったの。」
「残念ながら。」
「もう死んじゃったけど、死骸は残っているから見てらっしゃい。ほらあっち。」
そこに何があるかはすぐに分かったが、言われた通り向かってみることにした。
うじゃうじゃいる人が柵越しにそれを見ているのが分かる。しかしどうにも人が多すぎて肝心なものが何も見えないので、かき分けて前に進むと、そこにはまだ血が滴っている生首が20個ほど掲げられていた。
そして立て看板には「オグル教徒、ここに処す。」と書かれている。
「あぁ今日はめでたい日だよ! こんなに多くの悪魔どもが死んだんだ!」
「ざまぁみろ悪魔め。天使様が俺らの味方なんだ。お前らなんか目じゃねぇ。」
どこからともなく、こんな声が聞こえてくる。
人が死んで喜ぶ人ってーのは、平和な世界に生きてきた自分の倫理観的には酷く不謹慎な気がするが、それは俺が異端なだけなのだろうか。
郷に入れば郷に従うべきか?
「テキトーに人生上手くいってそうなヤツ選んで、殺してみたのよ。ほら見て? みんな美人でしょ? ……って、ぶふっ! もうわかんないか! あんなしわくちゃな顔されちゃ、どれもこれも同じ肉の塊よね。」
「………あー……。」
「あんなのでも、愛する人がいて、愛されていたなんて、聞いてあきれちゃう。」
「……。」
「でもそれを否定はしないけれどね。肉塊が肉塊を、愛したって恋したって、そういう風に作られたのだから、しょうがないでしょ。」
「肉塊って、おいおい。」
「でもあの肉塊たちは幸せよね。愛されていたんだもの。あたしとどこが違うのかしら。」
根本的なものが違いすぎると思う。
「でももう、愛された記憶も、愛した記憶もない、動きもしないただの肉塊なんだけどね。あいつらを知っている人ももういないし。ははっ、うける。最期がこんなんなら、確かに途中経過でちょっと幸せでも帳尻が合う……と思わない?」
「俺に振られてもねぇ。」
「俺もそう思います、って言えばいいのよ。」
ふざけるな、なんでこんなことを!
と、あの新しい勇者なら、怒り狂うだろうか。
ずるい俺はそこまでする気にはなれなかったが、それでも「なんでこんなことを?」と、純粋な疑問風にぶつけてみた。
「なんでって言われても……ただの余興ね。面白いでしょ。」
アンジュ教徒のみなさーん、本物の悪魔はここにいましたよー。
「あたしだって、色々ストレス溜まってんのよ。これくらい良いと思わない?」
良いか悪いかで言われれば、間違いなく悪い。
そう言い返したくなったが、何とか喉元で収めた。こいつが粘々オクラみてぇにしつこいヤツだって分かっているのに、わざわざ不興を買う必要もねぇ。
「あーそうだな。その通りだ。ストレスは人生のスパイスだっつてもよ、辛すぎちゃあ食うに食えねぇからなぁ。ストレス解消は大事だと俺は思うぜ。」
いい加減に調子を合わせる。
学生時代を思い出した。おべっかを使ったり、愛想笑いをしたり、無理に冗談を言ったり、笑わせるために虚言を吐いたり……。
思い出しただけで、疲れ果てる。
だから、ちょっとくらい不利益があったって、マイペースに生きたほうが100倍マシだと思う。
だからこの世界では自由に生きると決めた。
でいくら、決めたっつても、わざわざ怒らせて大きな面倒ごとを引き起こすのは御免被るんだよなぁ。
だから彼女を本気で怒らせるつもりはない。本音を言わない。どうせ大した本音もないのだから、調子よく話を合わせるのは容易い。
おっと、さっきと言ってることが矛盾してるって? そんなもんだろ。
主義主張も信念も、その場の都合でコロコロ変えるもんだ。
そうでないと、弱い俺にはとてもとても、この世界で生きていくことが出来ない。
「ところで、お前さん。」
「だからお前さんって言うのやめてってば。気色悪い。呼ぶなら綺麗で心優しいお姉さんと呼びなさい。」
「綺麗で心優しいお姉さん。」
「……きもっ。」
いくらなんでも理不尽だ。
「……。ところでこんな話を聞いたんだが、お前はどう思う?」
法王の言っていたことを残さず話した。
記憶を操ることによって出てくる違和感、現実と記憶との矛盾。彼女の能力は勇者の能力の中でも、非常に使いにくいものだろうな。
「そんなんあたしが知らないとでも思ってるわけ? あたしだって馬鹿じゃない。出来るだけ記憶と現実の矛盾が出来ないようにしているに決まってるじゃない。」
彼女が言うには、肖像画の件も、肖像画を全て燃やしてからそこら辺の人を放火魔にしたてあげたことで、矛盾を強引に消したらしい。
他にも恐らく、細々としたところのために日夜活動しているのだろう。能力を使い人を使ったって、それにも限度がある。目の下には濃い隈がくっきり浮かんでいた。
「そのうち身体壊すぜ?」
「あんたに関係ないでしょ。」
「俺の能力を使って、その労力減らしてやろうか?」
俺の能力で、果たしてどれだけその矛盾を減らせるかは分からない。
だが少なくとも、彼女が隈を作る必要はなくなるだろう。それくらいの自信はある。それを彼女に説明した。
「あ、もちろん、タダじゃないねぇぞ。それなりの対価をもらう。」
「ふーん。対価ねぇ……それはなに?」
やっぱり彼女は食いつくと思ったんだ。俺は少し声を潜めて言う。
「———勇者を殺す準備をしてほしい。」
フサフサの人工眉毛に囲まれた小さな目が、大きく開いた。
「あたしは……あんたを、人畜無害な男だと思っていたけれど、認識を改めたほうが良いかしら?」
震える声で彼女は無理に笑った。
「いや、俺は無害な男だぞ。」
「殺すなんて言った口で、俺は無害な男だぞなんて、随分豪胆ね。それでどこの勇者を殺したいのかしら? もし、最近来たあの気に食わない偽善野郎のことだっていうなら、喜んでOKを出すけど?」
「あぁそう、そいつ。まさしくそいつだよ。」
大きく見開かれた小さな目が、さらに開かれた。目尻が引き裂かれそうで見ていて恐ろしくなる。
「あの勇者は、あんたに何をしたの?」
「いや別に。」
「何か事情があるなら、あたしに教えてくれない?」
これは少し困ったことになった。
もし有りのままを話せば、交換条件なんかつけずとも、彼女はきっとあの勇者を早急に殺すだろう。そうしなければ今までの故全てがおじゃんになるのだから、それはもう何としてでも、一秒でも早く殺そうとするに違いない。
でも俺としては、彼が生きたまま時間を巻き戻すのをやめるのならば、そのほうが良いと思っている。何とか納得してやめてくれれば、なけなしの良心が痛まない。
後味が悪くない、と言ったほうが正しいか。全ては自己満足。善人ぶるつもりは元よりねぇ。
それに最悪巻き戻ったって、俺は、自然豊かな場所でゆったり余生を過ごしたって良いんだ。無責任とでも何でも言え。元より責任なんてない。
まぁ今の時代の方が文明も文化も発達しているから、どっちかって言ったら巻き戻って欲しくないけどな。それに存在が無くなる人々も、それを悲しむ勇者も可哀想だ、っていう気持ちもある。
だけどだからと言って、何が何でもあの勇者を殺す、というのも如何なものかと思うのだ。
というわけで、俺のスタンスがこうなのだから、彼女に伝えるのはあまりよろしくない。
彼女にはあくまで殺す準備だけをしていて欲しい。
「まぁ、別に、大したことじゃねぇけど……。せっかく異世界に来たんだから、もっと自由に楽しみてぇんだよ。あぁいう、なんつーの? あぁお前は偽善者っつてたな。そういう類のはなぁ。まぁでもしばらくこの世界にいて考えが変わるかもしれねぇから、そしたら殺すのはやめるけどなぁ。」
「ふーん……。」
納得していないことをありありと示す相槌を打った。
それでも、それ以上何か突っかかることもなく、「分かった。準備しておく。」と苦々しい顔で言った。
「それは助かる。」
彼女は俺の能力を知っているから、きっと俺を恐れているのだろうな。俺がやろうと思えば、若法王も世界も消せる。
だが反面、俺の性格も知っている彼女は俺を侮っていた。
優柔不断な俺がそんなことをしないだろうと、半ば確信していたのだ。別にその確信は間違ってないけどよ。
だが少なくとも俺が勇者を殺すことを考えていることを知った彼女は、警戒を高めたようだ。だからこそ今は従順に、俺の願いを聞き入れた。
「ところで一つ質問なんだけど、あんたは何で、あたしに頼もうと思ったのかしら。」
「そりゃあお前とは古い付き合いだし、信頼できるからだよ。俺は他の勇者と深い親交はねぇしな。」
「信頼、ねぇ。」
「信頼だよ。そりゃあお前とは色々あったさ。忘れることはできない。だけど今はこうして異世界に来てよ、それぞれ人生を歩んでいるだろ? 昔のいざこざはさておいて、ここは一つ、同郷の者どうし協力し合おうぜ。」
自分でも、よくもまぁここまででまかせが言えるものだ、と思った。
彼女は「ええ。そうね。」と言った切り、しばらく口を噤んで、何かを考えていた。周りの喧騒が尚更、彼女の沈黙を際立たせる。俺はもうこんな面倒なことは放っておいて、周りの楽しそうな馬鹿騒ぎに身を委ねたい欲求にかられた。
幸いにして、しばらくして彼女は口を開いた。
「……。……ちょっと聞いて欲しいことがあるんだけど。若法王のことなんだけどね。」
「ん?」
「あたしは最初、本当にあいつを地獄の底に落とすつもりだったの。」
いきなり何かを話し始めた。
「だってあいつ、確かに、顔は良いよ? でも、おどおどしてて、動作が鈍くて、失敗ばっかりして、馬鹿で、自分の意思も大して持ってなくて、顔色ばっかり窺って、全然格好良くない。超ダサい。———まるで、昔のあたしみたい。」
「……。」
「あたしも小さい頃、超ダサかった。だけどあたしは努力したの。化粧もダイエットもしお洒落も、面倒だったけど手を抜かなかったし、男を落とすテクも手に入れる努力をした。」
「あぁ。」
「だから、努力もせずにウジウジしてるアイツがうざい。許せない。大した努力もしてないくせに、被害者面して落ち込んで、助けを待っているだけなんて馬鹿々々しい。あたしはあんなに努力したのに! ただ被害者面しただけで、救ってもらえるわけないじゃん。そんなのずるすぎる。許せない。」
恐らく彼女が美人や天才を忌み嫌うのも、ずるい、という気持ちからくるのだろう。
オグル教徒にそういった人が多いのも納得だ。彼女が少しでも羨ましいと思ったやつをセレクトしてオグル教徒に仕立て上げて殺しているのだ。
それがどれだけ理不尽であろうとも、彼女の中では筋道が通っている。いや、筋道なんて大して重要じゃないのだ。
人の理性を溶かすくらいに、嫉妬は熱い。ただそれだけの話。
俺だって、特別な才能を待って自由な生活を送っている人とか、超絶格好良くて美女にモテモテの男とか、好きに使える金を多量に持っているやつとか、勉強しなくても良い天才とかを、羨ましいと思わなかったと言えば嘘になる。
かといって、彼女ほど好き勝手やろうとも思えねぇんだがな。
「許せないからさぁ。最初だけ言うこと聞いて良い立場までいかせてね、調子のらせた後すぐに奴隷まで身分を落とそうと画策してた。だけどあいつ、あたしを縋る目で見るのよ。子犬みたいにね。」
頬が紅潮した。
「あたしがいないと、アイツは、もうどうしようもなくなる。」
少し潤んだ声には、確かな熱があった。
「そんなの、恋しちゃうに決まってるじゃない。」
彼女の言っていることはきっと本心の一側面ではあるのだろう。自己心酔と言えばそれまでだし、決して健全な思考とは思えないが、その熱情は伝わってくる。
しかし、ゾッとしない話だ。
彼女の涙には、巧妙な媚びがあった。……これだから女は恐ろしい。
彼女はぶよぶよの手で、俺の手をとり、胸にあてた。
そうして俺をしたから覗き込む。娼婦よりもなお一層下品な媚態は、思わず吐き気がするほどの悪臭がする。
「お願い。いえ、お願いします。どうかアイツを消さないで。」
気持ちわりぃ!
思わず手を振りほどいた。
大体、そんな媚びてこなくたって、そんなことをするつもりはないのだ。
彼女の哀願は、まさしく、無駄骨。だがそう言ったって意味がないし、怯えているように見える彼女を安心させる必要もない。
だってこいつは……。
「勿論、例の勇者を殺す準備は手抜かりなくやるし、他にも何かあったらぜひ言って頂戴。協力は惜しまないから。あたしの能力は便利よ? 恐らくあんたのより制限は多いけれど、かなり融通が利く。あたしを味方にしておいて損はないと思う。いえ、損はさせない。だから……ね? アイツを消したりなんかしないで。お願い。」
吐き気を抑えながら俺も笑う。
「あぁ勿論。俺に害がない限り、そんなことしねぇよ。」
「ありがとう。信頼してる。」
信頼、信頼、シンライ、口の中で、音を出さずに繰り返す。
彼女と俺の口から出る信頼ほど、空っぽな言葉はないだろう。信頼とはどのような概念にラベリングされた言葉だったか、ついぞ分からなくなってしまいそうだ。
彼女はいつでも片手に真っ赤な毒杯を持っている。
甘い言葉にそそのかされて、油断した瞬間、殺されるのは目に見えている話だ。そこに信頼なんて……。
彼女にとっての天敵は、どこをどう考えたって、勇者でしかない。
特別な能力を持っていようと勇者相手には効かないうえに、自分の計画や、自分の命さへ屠られる可能性が十分にあり得るのが、勇者。
だからこそ、彼女が勇者を排除しようとしないなど、ありえないのだ。
元々、あの平和で平凡でまったりした日本においても、この女は異常だったのだ。
薬の売人の女である時点で既に裏の住人、決して正常な人間ではなかったが、彼女の異常性はそこにはない。そうそうその前に、俺は依然、まるでビッチのように彼女を表現してしまったことがあったが、その誤解を解いておこう。
確かに彼女は誰とでも股を開くが、それはあくまで、付き合っている相手がいない時だ。
一度恋をすれば、その後は、驚くほどに一途な女である。
だからこそあの事件が起こったのだと思えば、それも考え物だが。
あの薬の売人はいくつかの女とつながっていた。それは勿論、商売関係もあっただろうし、趣味もあっただろうが、ともかく、彼は一途な男ではなかった。
それに嫉妬したあの女は、まず彼と繋がった全ての女を洗い出し調べつくした。そして———殺した。
恐ろしい事に一夜かぎりの関係であった女でも、風俗嬢であっても、全てだ。全て殺した。合計24人。
狡猾に、忍耐強く、蛇のように静かに殺した。そして気でも狂ったのか、最後にはあの男をも殺し、そしてその後何に興奮したのか、幾晩に渡り、多くの男と交わった。俺もその男の一人ではあるが、今考えると背筋が凍る話である。
彼女は数日を経て、やっと捕まった。
判決前に俺はこの世界に来たので、これは後々知ったことだが、最終的に彼女は死刑囚となったらしい。当然か。だが残念なことに、死刑執行前にこちらの世界に来てしまったようだ。
そんなことをした奴が、この世界で殺しを厭うはずもない。
邪魔な勇者を殺すつもりなのは、ほぼ確定である。その証拠に、既にもう一人、勇者を殺しているのだから。
思い出すのは、綺麗な黒髪と能面のような表情。
彼女は自殺した、と言われている。だがあの女が自ら死を選ぶなんて有り得ないのだ。確かに一見自殺を選びかねないような不安定さがあるが、あんなんでも、彼女は彼女の信念をもって生きていた。そして何より、夫を愛していた。
その夫を悲しませることを彼女がするとは思えない。
それに自殺方法だって、苦しいことが嫌いな彼女が焼死なんて、一番苦しい死に方を選ぶはずがない。なのに何故焼死か。
そんなの、殺した証拠ごと燃やすためでしかない。
遺書は恐らく彼女が脅して書かせたものだろう。
もしくは彼女の愛情かもしれない。殺されることを悟った彼女が、夫が人を恨まないように。尤もこれは、想像の産物にすぎないけどな。
それから、この前他国の勇者が死んだと聞いたが、それも彼女のせい、のような気がする。それについては確信が持てないが、十分あり得る話だ。
彼女は世界中の勇者を虎視眈々と狙っている。とうぜん、俺も標的だ。
だが恐らく、彼女は、最初に俺よりもあの若い勇者を殺すつもりだろう。あちらのほうが、情報を持っている俺より幾分か殺しやすい。
……実はもう、殺す準備を始めていたりしてな。
まぁともかく、その後に、やはり俺を殺すつもりだろう。
彼女は俺を恐れた。だが俺も彼女を恐れるに足る理由を、十分に持っている。
「それじゃ、今から準備しておくから……。」
「あぁ。準備だけで頼む。殺してほしい時はまた頼むから。代わりに俺に何か消してほしいときは連絡してくれ。」
「ええ。分かった。その時は宜しく。」
ワインを片手に去っていく女の後姿がどんどん小さくなっていった。
「馬鹿な女。」




