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天使は今日も動かない  作者: たいちゃん
先輩勇者の中毒
25/30

カマキリの一生

*注意

視点が変わります。時間が戻ります。


虫が這う。


針金のような虫が、手に、絡まって、無理に血管の中に入ろうとしてくる。俺の身体を征服せしめようと躍起になってる。

煩わしくて、鋏で切った。

そんでも、虫は容赦なく体に入ってきやがる。潰しても叩いても切っても意味はない。


だってもう既に、幾百幾千もの虫が這入りこんでやがる。


いっそ、身体ごと焼いちまおうか。そうしたら虫も死ぬ。でも俺も道ずれだ。虫と心中はナンセンス?

まぁ最後の手段にしておこう。


こんな愉快な思考は表面上で、俺の奥はもっと恐怖とおぞましさが渦巻いている。それに馬鹿らしさを感じる自分もいる。

案外、どれだけ苦しんでも夢中になれないものだ。どれだけ気持ちが悪くても、こんな冷静な思考を保てている。それは多分良い事ではねぇな。いっそ苦しみに無我夢中になれたら、どれだけ楽なことやら。

あぁ苦しい。苦しい。苦しんでいる自分も苦しい。


終いにゃ、耳にも虫は這い入り脳まで達した。

細い血管の中を無理に行こうとしやがるから、激痛が走る。しかしそれよりも何よりも、虫に脳を乗っ取られるのだけは勘弁だ。身の毛がよだつ。


幼い頃潰したカマキリから出てきた、ハリガネムシを思い出した。小学生だった俺は剣呑になり、先生に報告した。笑いながら答えた先生曰く、そいつは思考を乗っ取り、最期には自らを水に沈めるらしい。

果たしてそれのどの部分が本当で、どの部分が脅かすための嘘なのかは今でも良く知らないが、幼い頃の俺の脳裏には強烈な色でもって焼き付いた。


———あのカマキリの一生は、一体何だったんだろう。


俺は焦って、ボールペンで虫を掻きだした。不思議と痛みはねぇが、じんわりと温かい液体が耳から流れて床に落ちた。


「――――」


誰かの声が聞こえる。


俺を嘲笑う声。


苦しい。虫が心臓にも這って、締め付ける。血管の一本一本に虫が這って、胸の奥からおぞましさが湧き出て、思わず涙が零れた。


「―――――。」


あぁ五月蠅い。黙れ。お前らなんか消えてしまえばいい。


薬だ、はやく、薬を。あ、もう、金がないんだっけ……。どうしよう。どうすればいい。どうすれば、どうすれば。

助けてくれ、誰か、誰か、誰か…………。


————————————神様。



「——————って感じだったな。」

「そう。」


目の前の女は気のない返事を返した。

別に俺だって面白い話をしたつもりもねぇし、ましてや相手がこの能面女、この反応は予想通りすぎて笑えもしねぇ。お前さんが聞いたくせに、という言葉さえ跳ね返す無頓着さだった。

その代わり、ふと気になって、こんなことを聞いてみる。


「……お前さんは、あのほら……そういう、薬の類をよ、やりたいと思うかい?」

「その聞き方は面倒この上ない。君の髭くらいには厄介だ。」

「えっ俺の髭そんなにやばい!?」

「とっ散らかっているのは確かだろうね。まぁそれはさて置き。そもそもなぜ面倒なのかを述べよう。それは、そういう薬の類という定義が曖昧であるうえ、毒と薬は表裏一体であるからである。例えばモルヒネなどは痛み止めとして使われる有名な薬だが、健常者が使えば中毒症状を引き起こす、ような。だから、仮に私が癌にでもなったら……いや勇者はならないかな? ともかく必要に迫られたらまぁやるだろう。しかし君の問いの意図はここにはないことは、私の経験から推測される。」

「分かってんなら、普通に答えてくれや。」

「あくまで推測でしかないからね。エスパーではない私が、誤解を招かないようにするには、一から十まで話すしか方法が無いことは理解してほしい。それで、君の問いだが、その薬の類というものが非合法の薬や脱法ハーブを指しているなら、私は遊びでそういうものを使おうとは考えない。」

「だよなぁ。俺の話聞いてやるって言いだしたら、どうしようかと思ったぜ。」


芸術品なんか興味ない俺からしても、彼女の黒くて地面と垂直な髪は、魅入ってしまいそうになるほど綺麗だ。それに雰囲気も悪くない。どこか独特と言うか、人から浮いた感じが逆に落ち着く。

もっとも顔も普通で胸も普通で、何より性格がこんなんだから女としての魅力は感じられないがな。俺はもっと純粋で、あどけなくて、笑顔が可愛い子が好きだ。家庭的ならなおいい。おっぱいが大きければもっといい。


そんな子どっかに落ちてねぇかな、と辺りを見渡す。

しかし残念なことに、着飾った可愛いく綺麗な女ばかりだが、家庭的かと問われると首を傾げるしかねぇ面子だ。何故なら、ここは貴族や王族、限られた人しか足を踏み入れることしかできない社交パーティ。家庭的のかの字さえ入る隙がない。

ちなみに、そんな大層な場所に何故俺みてぇな一般ピーポーがいるのかと言うと、勇者だからだ。そして目の前の女も勇者。


そんな彼女はその綺麗な髪を鬱陶しそうに肩の後ろにまわしながら、平坦な口調で言葉をつづけた。


「まぁしかし、どこで聞いたかは忘れてしまったけれど、それらは、人生の幸福感を凝縮して一瞬のうちに楽しめる、と聞いた。そのような点においては悪くないと思う。」

「あー。いや、それはほんとに使い始めの一時的な話だしよ、途中からは禁断症状からの逃亡でしかなくなるぞ?」


それでも、あの気持ちよさが忘れられなくて、少しでもそれを得ようとどんどん薬の量が増える。一瞬天国に昇ったかと思うと、待ち受けているのは天使じゃなくて悪魔でした、っていうオチだ。


「それに、あんなんがよぉ、人生の幸福感の全てだとは、思いたくねぇなぁ。……ゾッとする。」

「案外、そんなものかもしれない。」

「うげぇ。」

「何にせよ、後が面倒なのが最大にして最悪の欠点だね。幸福以上の不幸が待ち構えているなら、そんなの、生牡蠣を食べて食中毒になりにいくようなものだ。故に私はやろうとは思わない。勇者、君みたいにね。」

「そりゃ賢い選択だ。」


生牡蠣かぁ。この世界に牡蠣ってあるんかなぁ。

あれ美味いんだよなぁ。レモン垂らして、焼酎のつまみとして……あぁ食いたいなぁ。食中毒ギャンブルって言われてるけどよ、磯の香りがふわっとして濃厚で旨いから、何としてでも食いたくなっちまう美味さがあるんだよなぁ。

同じ日本人として、生牡蠣を食べないと宣言した彼女は俺には不思議に思える。別に人それぞれで良いとは思いつつも、な。


そうそう。この女も、自分も日本人だ。

偶然でも何でもない。あの世界の地域とこの世界の地域は被っている、らしい。ひとつ前の故勇者から聞いた話だ。曰く、この国の王城がある場所は、あちらの世界では日本だとか。

だからこの国の勇者が日本人ばかりになるのは必然だし、日本文化や精神が多少なりとも入ってきているのも不思議じゃない。


「……それとも、限界まで、身体が壊れるまで接種して快楽を得て、そして死ねば一番幸せだろうか。」

「やめといたほうがいいぜ?」

「何故?」

「自分が自分じゃなくなるなら、幸せであっても意味がないだろ?」


あのカマキリのように。


それでも彼女は首を捻った。

無表情で首を傾けるのは、ホラーゲームとかに出てくる日本人形のような恐ろしさがあるが、きっと自身がどのように見えるのか興味がない彼女が気づくことは、一生こないだろう。


「ふむ。一理あるが、しかし自己の保証は出来ないのだから、どこまで気にするべきかは迷い処だな。」

「ん? どういうこった?」

「我思う故に我あり、という言葉は確かに本当のように思える。しかしながら、これはあくまで、現在の自己の存在を裏付けてくれるものでしか無い。過去の自己の証明には不十分だ。ここで疑問なのだけれど、過去と現在の自己に同一性がもし無いとしたら、それは果たして自己と言えるのだろうか。ここが意見の分かれるところだというのは承知しているが、私はそれを自己とは呼べないと考えている。」


ツラツラと、七糞面倒なことを力説する。


「証明できないものに縋るほど馬鹿なことは無い。故に、結局は今の自分を満たすしかないという結論に陥る。とはいえ、同一性がないこともまた、自明なものではないのだ。つまり将来のことも考えざるを得ない。だから私は将来の自己ために金を求めるし、現在の自己のためにそれなりの金も使う。それに、そういう薬だって、少なくとも使用には大きなためらいがある。」

「えーと。要はバランスとってきたいから薬はやらないぜ、ってことでOK?」

「好きに解釈すれば良い。私は放言するのみだ。」


こんな馬鹿みたいなことをつらつら述べているが、実は彼女、3児の母だったりする。こんなのが母だ。信じられねぇ。

世界一、それこそ二つの世界の中でも随一、大きな腹の似合わない女だと思う。


俺がこの世界にくる15年前くらいに、彼女は来たらしい。

そして、すぐに本屋の店主とトントン拍子に結ばれたとか何とか。俺もその旦那と話したことがあるが、これがまた性格も考え方も真反対。なのに、まるで凸凹がハマったように、出会ってすぐに結婚した。

そいで、それに国が驚いている間もないくらい、すぐに子宝に恵まれて合計三人産みやがったそうだ。すげぇや。


長男と次男の性格は父親に似たらしく、至って常識人な好青年だ。見た目は夫婦そろって無特徴だから、二人もそう目立つ容姿はしてねぇが、笑えば父親似で無表情なら母親似。浮気を疑う隙もない。

対して三人目の長女は、母親の写し鏡のような女の子だった。綺麗な黒髪も、顔も、瓜二つ。アメーバみたいに分裂したって聞いても驚きようがない出来だ。


そんな娘も、当然息子だって、今日はこの場に来ている。夫は、自分は一般人であるからと、この場に来ることを拒否しているようだ。

相変わらず真面目な男だな。

真面目で、誠実で、ひたむきな、人間の理想像みたいな男だ。


「なぁ。お前さんは、あの男のどんなところが好きなんだ?」

「えっ?」 


珍しく女は少し目を見開いた。


「もしかして……私と恋バナでもしたいの? だとしたら重大な人選ミスだ。あまりにもミスチョイスすぎて驚きを禁じ得ない。」

「いや恋バナとかそういうわけじゃねぇけど。」

「さては君の目は節穴だな。代わりに飴玉でも詰め込んでおいたら、少しはマシになるかもしれないよ。」


そう言って個包装された飴を手渡してきた。

人を小馬鹿にするのはこの女の悪い癖だ。しかも表情が無いから、それがワザとなのか天然なのかもイマイチわからない。


「そんな嫌そうな顔をされるのは心外だね。この世界では砂糖が貴重なことを御存じない? 味わって食べなよ。まぁ、私達勇者は比較的容易に手に入るけれどね、あの値段にはいくら君と言えども目が飛び出るに相違ない。あぁ失礼、もうとっくに飛び出る目なんてないんだったね。」

「あーはいはい。悪かったな目ん玉なくて。」

「謝る必要はないよ。悪い事なんてこの世に一つもないのだから。私にとっては不都合があるだけ。けれど、それを君が謝るのは道理じゃないだろうね。」

「……お前さんが道理なんか気にするか?」

「気にするよ。だって、愛する夫が気にするからね。…………あぁそっか。さっきの話、やはり私は絶対にそういう薬を使おうとは思わないよ。夫が悲しむから。」


そう言って彼女は飴玉を転がした。

俺も口に含むと、馴染みのある甘酸っぱい檸檬の味がして、悪くはなかった。だが俺はわざと、うげぇと顔をしかめる。


「……お前さんが愛とか言うの信じられねぇな。飴が一気に味気なくなった。」

「私が愛する夫と口にすることのどこに問題があると? 倫理上、道徳上、法律上、何ら問題ない発言だと思うけれど。この世界でも元の世界でも、愛する夫という表現に問題があるという話は寡聞にして知らないな。」

「いやまぁ、そりゃあそうだろうが……。なんだってお前さんみたいな女が、ああいうタイプの男を好きになったのか、俺には理解できねぇよ。」


こいつの旦那は聖人並みに良い人だし、怒ってる姿なんて想像できない、人徳溢れる男ではあるが、反面頑固な部分もある。優しそうに見えるが、ここぞと言う時は決して自分の意思を折らない人だ。

この女と相性が良いとはとても思えない。


「なんでって……。」と、彼女は目をぱちくりとさせた。


「愛に理屈なんているのかな?」

「……………………。…………ごもっともで。」


なーんか、納得できねぇ!


だが本気で誰かに惚れたこともないような俺が反論できる話でもないので、モヤモヤしながらも飴を舐めつつあたりを見渡した。

香水の匂いを漂わせながら歩く女達と、その手を取りダンスを踊る男達。その上に煌々と輝くシャンデリア。綺麗なところしかない。ここだけ世界が切り取られたような、妙な錯覚に陥る。そして、そん中に自分も入っているのだと思うと居心地が悪いったらありゃしない。ゾワゾワする。


時折自分に取り入ろうとしてくる女がいるが、あまりにも世界が違いすぎて恐怖しか感じられねぇ。いっそ村娘とかがニコニコ話しかけてきたら、それだけでコロッといっちまいそうだが、何故か今のところそれを経験したことはなかった。

来るのは、目をギラギラさせた野心家の女か、震えた声で必死に取り入ろうとしてくる女。しかもどっちのタイプでも貴族だから、嫌味なほどにセレブ感が溢れていて、どうにも受け付けねぇ。


だからと言って、自分から誰かに言い募ることをする気分にもなれねぇんだよなぁ。

俺だって性欲はある。誰かとヤりたい。だけど、それは裏返せば性欲という一つの欲望でしかない。

俺が誰かと正面からぶつかって、愛し合うことが本当にできるのか。

考えれば考えるほど、女に奥手になっていく。

考えれば考えるほど、風俗にばっか通っちゃう。あっ、これはサイテーか。


そんなくだらない事を考えていると、


「ん?」


ふと、妙な二人が目についた。


「おいおい見ろよ。お前さんの娘、ついにお友達ができたみたいだぜ。」

「ふーん。」


壁にもたれかかっている娘と、その隣にいる男が見える。


二人とも社交界の日陰者とでも称されるような存在で、目を引くことなど今までなかったが、この二人が一緒にいるのは異常事態だった。


まず、隣にいる無表情女の娘のほうだが、親譲りの綺麗な黒髪を肩の後ろにまわしている少女は、たまーに勇者に取り入ろうとする人たちに取り囲まれていることは確かにある。時折兄弟が話しかけているのも時折見かける。

しかしひっくり返して言えばその程度である。

ほぼ一人でいることが多い。

ぽやんとした目はどこかを見ているようでどこも見ておらず、話しかければ川のようにつらつらと良く分からないことを返し、幼いにもかかわらず表情が非常に乏しい彼女は、その異質性から人々に敬遠されていた。


そんな彼女が誰かと、何かを、話している。

これを異常事態と呼ばずに何と言えば良い。


しかし、彼女と話している相手は、さらに誰かと話しているのが珍しい男だった。

彼がこういう場で誰かと話しているのを見たのは初めてだ、と言えば、どれ程稀有な状況か分かるだろう。


長い金髪で目を隠して、俯いて、暗い青年。


とろくて愛想もない、ただ法王の息子だから次期法王という、風が吹けば吹き飛んでしまいそうな肩書しかない、哀れな若き青年。

見目は美しいが、そこだけだ。

もし地球に生まれたならば、とろかろうが愛想がなかろうが、その美しさから愛されたに違いないが、残念ながら彼は生まれる世界を間違えてしまったようだ。


周りの人は遠巻きに彼について噂をした。やれ無能だの、やれ暗殺だの、好き勝手雑言を浴びせる。

彼の両親も、彼を庇ったり助けたりするつもりはない。何なら母親の方は、進んで自分の息子を貶す。

彼はそれを黙って受け入れた。

髪に隠れて表情なんかわかりゃしないが、決して快いものではないだろう。青年と言えどもまだまだ幼い子が、よくもまぁ泣きも喚きもせずに、こんな場所にいられるものだと思う。もし俺だったらとっくの昔に逃げ出すね。


「不憫だなぁ。」


想像以上に空々しい響きを持って口から出た。

本当に気の毒だとは思っているんだが、まるで他人事だ。まぁ他人だからしょーがねぇか。


「どうだか。案外、一人で気楽かもしれないよ。人の幸不幸を勝手に決めつけるのは、人の身には過ぎたものだと思うけれど。」と、女が返す。


「そりゃ分からないけどよ、少なくとも幸せではないだろ。」

「どうしてそれが分かるというの?」

「いやぁ…………。悪口言われて嬉しい奴なんて、マゾヒストだけだろ。それに確かに髪に隠れて表情は見えないから、分かりづらいかもしれないけどよ、あの様子で幸せそうに見えるか? 雰囲気で何となく楽しそうか辛そうか、ぐれぇ分かるだろ。」

「私には分からない。」


彼女は簡明にそう述べた。


こんな性格だから彼女の評判はよろしくない。

あの少年程分かりやすく陰口が言われているわけではないにしても、ひそひそと、あらぬ噂が流れることはままあった。彼女はそれについて何も返さない。ただ所作で冷笑を示すだけ。それが火に油だとは気づいていないようだ。


そしてその性格を受け継いだ長女にも、同じような評価が下された。


そして彼女もまた、母に倣い、周りの嘲りに何か言葉を返すことは無かった。

だけど母親と違い、彼女の目には憤怒の炎が揺らめいているように見える。きっと母親ほど達観してはいられないのだろう。

それでも平常心を失わないだけ、随分と大人びた子どもだ。


「お前さんの娘、好き勝手言われているけど大丈夫なのか?」


子どものことを悪く言われても、母親はいつも通りの澄まし顔で、グラスに入った水を飲んでいる。


「大丈夫、とは?」

「傷ついてるんじゃねぇのか、って話だよ。母親として庇ったりしなくていいのか?」

「娘がどんな心情なのかは知らないが、やる必要性がない。」

「必要性がないってお前……。」

「言葉が足りなかったね。自身でどうにかするなら私が何かをする必要性はないし、自身でどうにかできないなら、周りを利用することをあの子は知っているはずだ。何故なら私が何度もそれを教えたから。私の娘は大して賢くもないが、幾度も言われたことを忘れるほど、記憶力が悪いわけでも、理解力が無いわけでもない。故に、庇う、という行為をする必要性はないと断じた。

かてて加えて、私には二人の息子がいるが、二人は夫と同じく社交性に長けている。多少の陰口を言われることは在ろうとも、度が過ぎようものなら、二人が黙っていないことが予見される。」


流れる素麺のごとくつるつると口から出る言葉は、ふとすれば言葉の意味を理解する前に流れて行ってしまいそうだが、彼女には彼女なりの考えがあることは伝わってくる。


「そうかぁ。」


特に何も考えず言っちまったが、良く考えれば俺には、彼女に何かを言う資格がないんだよなぁ。


俺だって、あの二人を哀れに思うだけで何もしていないのだ。

自分で幸せを掴まなきゃ意味がない、なんて考えがあればまた別だっただろうが、俺は俺の理由で何もしない。

理由? 単純で明快なものだ。ただただ、面倒くさい。

例えばあの可哀想な次期法王の後ろ盾についたら、法王家やその他もろもろを敵に回すことにもなりかねない。さらってしまっても良いが、自分が彼を幸せにする自信もない。誰かの一生を背負うだなんて重すぎる。


結局、何もしない。だから彼は救われない。


「あーあ。」


ウェイターに酒を貰って一気に呷ってから、げっぷ一つ、ついた。


「ちょっくら便所行ってくるわ。」

「どうぞお好きに。」


あちこちから取り入ろうとする目線を向けられている彼女を後にして、外に出る。

外に出て初めて、身体が強張っていたことに気が付いた。

パーティはこれだからつまんねぇんだ。どいつもこいつも、欲望ばっかり。


「ままならないなぁ。」


外はもうとっくに日は落ちて、地球じゃお目にかかれないような星々や月々が、空一面に輝いていた。もう見慣れてしまって感動も何もないが、見るたびに、日本の淀んだ空が懐かしくなる。

絶対こっちの方が綺麗なんだろうが、それでももう一生見られないと思うと、窓枠から、住宅や、赤と白の煙突、電柱の線を挟んで見えるあの空が恋しい。

だだくさにしか見ていなかった自分が惜しまれる。もっとちゃんと見ていたら、なんて。


いやまぁ元の世界に戻ったら、絶対こっちの空の方が見たくなると思うがな。

決してもう見られないからこそあの空が恋しいのだ。そうでなかったら、俺は今の空をもっと大事に眺めてないと辻褄が合わない。


そんな事を考えながら、しばらく庭をブラブラしていると、ふと、誰かに袖を掴まれた。


「へ。」

「ねぇおじさん、勇者さまなんだよね。」


物陰から出てきた人は、よく見ると、それはそれは活発そうな女の子だった。質の良い黄色いドレスは、確かに彼女が貴族の娘であることを物語っているが、表情は、お淑やかからはるかにかけ離れている。

きっとのびのび育った子だろう。


「まぁ間違いなくその通り、俺は勇者だがよ。そんなことよりお嬢さん。何でこんなところに? いくら警備がちゃんとしているからって、こんな暗い所に一人でいるのは危ねぇだろ。」

「あのね、わたし、おじさんがパーティから抜け出すのが見えたから、抜け出してきちゃったの。」

「俺を追って、ってことか? そりゃあなんでまた……。」


女の子は少し言葉に詰まったが、話し出した。


「お母さまはね、ほんとは嫌なの。可哀想だって思っているの。嫌だけど、でも、話を合わせているの。」

「あぁ? もうちっとおじさんに分かりやすく話してくれないか? 何の話を合わせるのが嫌なんだ? 何が可哀想なんだ?」

「法王様の子ども。男の子のほう。ずぅっと悪口言われてるでしょ。お母さまは、そんな事言いたくないの。ただ魔素がないからって、あんなの可哀想だって、時々泣いてるの。でも、そう言わなきゃいけないの。」

「なぜ?」

「お家をね、つぶされないように。」

「……あぁ。」

「立場が弱いの。弱い家は強い家に従わないと、だめ。だから、お母さまは逆らえない。私も、男の子と話しちゃダメだって言われてるの。」


こんな小さくて無垢な子供に、そんな大人の事情を味合わせるなんて、考えたくない話だ。

それでも貴族の一員として社交界へ来た以上、それを無視する振舞いなんて出来ないだろう。

それでもこんな、無邪気そのものである子どもに、それを突きつけるなんて、随分と、残酷な。


「でも可哀想。私知ってるもん。あの子、いつも泣きそうにしてる。」


ちょっと涙声で、彼女はくるくるになった髪をいじり始めた。


「勇者さまは、強いんでしょ? お母さまが言ってた。お願い! 助けてあげて。これあげるから! 私の一番のお気に入りなの。」


渡されたのは、色とりどりの宝石がついた髪飾り。子どもらしく派手で、でもどこか純粋な色合いだ。

これを俺が貰ってもしょうがないのだが、彼女は「もう戻らなきゃ怒られちゃう。」と、どこかへ行ってしまった。髪飾り片手に俺は立ち尽くした。


「荷が重いなぁ。」


早いとこ、髪飾り返さないといけねぇや。他人事のようにそう思った。




神よ、神様。神様。


あぁ、どうか助けてくれ神様。


どれだけ神の存在なんていないと馬鹿にしたって、宗教の信者を嘲笑ってあぁはならないと誓ったって、結局人間なんて弱いもので、いざとなったら何かに縋るしかない。助けてくれ、どうか、今までの無礼を詫びるから、これからはちゃんと生きるから、だから助けてくれ。


無様に頼む。それしかできない。


だって、虫が這うのだ。


「――――――!!」


俺がすべて悪かった。悪かった。謝る。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。だからどうか、助けてくれ。この地獄から。

許されないなら、せめて、一思いに殺してくれ。俺にはもう、死ぬ力すら残っていない。虫が絡まって這って這って這って、痛くて痛くて、もう……俺は……。




鳥の鳴き声で目が覚める。


頭が痛いのは飲みすぎたせいか。最悪な気分を紛らわすために、寝床の傍に置いてあった蜜色の酒瓶をラッパ飲みした。

そして煙草に火をつける。煙は一本の束になって、空気へ消えていった。それを見届けてから、煙を口に含んで肺に入れる。灰の束は俺の身体を一巡りして、口から出た。あぁなんて清々しい。

やはり朝はこうでないと。


しばらくして、ぼんやりしていた視界の輪郭がはっきりしてくる。

酒瓶が空になり邪魔になったので、俺の能力で消した。


「便利だなぁ。」


しかしこうも跡形なく、まるで最初からなかったように消えるのはどこか末恐ろしいものを感じる。


まだ酒瓶とか、塵とかだったら、別に大したことではないだろう。むしろ便利すぎる能力だ。俺も何だかんだで多用してしまう。

でもこの能力で、この星とか人類とかも消せてしまうのだ。何でか分からないが、消せる確信が持てる。


当然勇者には効かないし、勇者をこの世界に来させる方法を消すことはできない。だがその制限があっても、この能力は恐ろしいくらい強いものだ。

だからこそ、自制心が必要なのだと思う。


だが幸いなことに、もしくは不幸なことに、最近じゃ強く心が揺さぶられることがない。面白くて笑っても、驚いても、悲しんでも、哀れんでも、嘆いても、それはまるでゲームをやっている時の感情のように、一時的で薄っぺらい。

だって電源コードを抜くと消えるゲームのように、俺の一存で消せる人や、世界に、そこまで入れ込めないのだ。

最終的には消せばすべてが済む。

だからこそ、味気ないし、現実味がない。


それはとても楽だが、なんだか酷く退屈な気もしてくる。


「ねっむ……。」


しょうがないので、二度寝を貪る。


酒も煙草も飲み放題、女も肉も食べ放題、小言も無ければ表立って俺を罵る人もいないし、いたって思う存分苦しめて消せる。課題も講義もなければ、バイトもない。何もしなくても、俺は充分な地位が与えられている。


ふと、元の世界での生活を思い出した。


学校通って、無理に笑ったり冗談言ったりして人間関係を築いて、部活も一生懸命にこなして、先生や彼女の御機嫌を取って、そして良い学校に入るために死にたくなるほど勉強して、そしてまた笑顔を発付けて人間関係を作る。

きっと就職活動だって、就職後だって、大して変わりゃしないだろう。

そんで……それが出来なかった奴から、どんどん化け物に食われていく。それに怯えて、楽しくないことも、やりたくないことも、泣きながらやった。


それを考えれば今は幸せだ。

脳が溶けそうなほど幸せな生活を送っているという自覚は、確かにある。なのにどこか、満たされない。


「まー満足言っちゃいけねぇな。」


そのまま、カーテン越しの朝日に照らされながら、意識が薄らいく。うつら、うつら、と微睡みの中で漂う。


「感謝しないと。」


俺は今、幸せだ。

ズタボロだった頃、助けてくれと神に縋った。そして助けて貰った。いるかいないかさえ分からない存在だが、それでも、助けて貰った。

だから、これ以上求めるなんてとんでもない。感謝しなくてはいけないのだろう。じゃないとまた不幸なことになってしまうような気がする。


こんな感謝に、果たしてどんな意味があるのかは分からないが。


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