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天使は今日も動かない  作者: たいちゃん
若法王の涙
24/30

passing shower


「お兄様は素晴らしい御方です!」 


鈴のような声を激しく鳴らして、白い頬を赤く染めて、金の睫毛で縁取った大きなコロコロとした瞳をこちらに向けて、妹は僕を見上げた。

天使役と会わせる前の、俯いてばかりの妹とはえらい違いさ。周りの人間はそれを口々に褒めていたがね、もとより周りが赤くなれば赤に染まり、青くなれば青に染まる女なのだから、性格がコロコロ変わるのもいたって自然の成り行きである。


「お兄様は私と違い様々なことに秀でておられますし、魅力的ですし、何より親切です。お兄様の慈愛の心にどれだけの人が救われたか……。勿論、私もその一人です! お兄様の妹としてこの世に生を授かったこと、これほど恵まれた話はございません。」


そんな事を言う妹の声に重なって、過去の、妹の記憶の中にはない過去の妹の声が聞こえた。


『あなたはどうして…………どうして生まれてきてしまったのですか。私があなたなら、生きていることを恥じてすぐに死ぬのに……。…………お願いですから、死んでください。お願い、ですから……。これ以上、お父様とお母様を苦しめないで!』


あぁ糞が! しまった。軽率に思い出すんじゃなかった。噛み殺せない感情が痛い。


ともかく、こんな主体性のない女の言葉に意味などないのだ。ただ僕にとっては、ガシャガシャ耳障りな鈴の音が聞こえるだけでしかないのさ。

それ以上の意味などまるで持たない。毒にも薬にもならない。無味乾燥だ。ただの音だ。ただの鈴だ。


「何をやっても失敗ばかりの私を、いつも庇ってくださったのはお兄様でした。いつも慰めてくださいました。そしていつも親切にしてくださいました。感謝してもしきれません。本当に、有難うございます。」


意味など、ない。


「あぁ私は世界で一番幸福な妹です。そしてこれは全て天使様の思し召しなのですね。なんて慈悲深き御心なのでしょう。お兄様がお兄様であったことで、私は私でありました。……嬉しい。嬉しいです。」


意味などなくても、それでも尚、気持ちが悪い。

どうしてかくも容易に、忌み嫌っていた人間に好意を示せるのか。人間の尊敬とか愛とか優しさとか情とかは、才能がなかった程度で脆く崩れたり、記憶を弄った程度で芽生えたりするなら、それはなんと薄っぺらいことだろう。

最近よく作られるようになった薄型の硝子も真っ青な薄さだ。もっとも人間なんてそんなものだろうけど。


隣にいた“彼女”が僕の顔を見てぷっと笑った。


僕は笑うに笑えない。


妹の嬉しそうな顔を見ていると、どうにも雨上がりの土を踏みしめる様に、ぐちゃぐちゃにしたくなる。

それは純粋な怒りでもない。純粋な悲しみでもない。純粋な憎しみでもない。当然、純粋な愛情でもない。色んなものが複雑に絡まりすぎて、もうよく分からない何かだ。鼻の奥がじーんと熱くなって、胸の奥の化け物が騒ぎ出す。自分なら自分を容易に制せるなんて勘違いしてはいけない。

今にも妹を殺してしまいそうになるのを、何とか宥めすかす。大丈夫、もうすぐだからさ。


「……はぁ。」


さぁ紅茶を淹れようかね。


温めたティーポットに茶葉を入れて、手早く湯を注いで蓋をする。茶葉がくるくる楽しそうに揺らめいた。ゆっくり底で動いたり、ティーポットの表面に沿って泳いだり、手を繋いで優雅にワルツを踊るやつもいる。

まったく茶葉でさえ楽しそうなのに僕ときたら。

まぁしょうがない。気分を入れ替えると、気取った香りが鼻を犯した。透明だった液体がだんだん緋色に染まっていくのを眺めて、蓋を取る。そこに隠し味を一つまみ。あとはティースプーンで軽くひと混ぜして、茶漉しを挟んでカップに注ぐだけだ。


「まぁ! とっても良い香りがしてきました。」


ついでに妹へのこの複雑な感情も混ぜておこう。

そして出来上がった色付きの液体を妹の前に差し出した。彼女は嬉しそうにそれを飲む。


「なんて美味しいのでしょう!」


こんなものの何が美味しいんだろう。


小さい頃は、よく妹に紅茶を淹れてやったことを思い出した。侍女の真似事をしてテキトーに入れた紅茶を、彼女は美味しい美味しいと飲んでいた。実際はとても飲めたもんじゃなかっただろうがね。

あれは無理に飲んでいたのだろうか。

それとも、本当に美味しいと、思い込んでいた?

彼女の僕への親愛も、天使への敬愛も、全ては“彼女”によって作られた偽物だ。だけど“彼女”がいない時でも、僕の妹は、本物の気持ちなど果たして持っていたのだろうか。


そんな事を思い出しながらぼんやりとしていると、今まで一人でぺちゃくちゃ喋っていた妹の頭が、俄かに、ぐらりと揺れて床に倒れ込んだ。

カップが割れて紅茶が零れて、髪を浸す。頭を打ったのか血が流れ、いつの間にか流していた涙と共に、紅茶に混じった。

丸く虫食った葉っぱが風に載せられ彼女の腹のあたりに乗る。


「お。」


やっと事切れたな。


僕が最初に感じたのは、そんな軽いものだった。

白目をむいて口から泡が噴き出す姿は醜くあるべきなのに、元の顔が顔だけにむしろ美しいのが残念だ、とさえ思った。

なんとなく哀れな感じもしたが、悲しみ、と呼ぶにはあまりに薄すぎる。予期していた爽快さもなく、かと言えば虚しさもなく、軽い憐れみと達成感が心の表面をゆるゆる漂うのみであった。


「…………。ま、こんなもんでしょ。」


“彼女”は疲れたようにそう言ってから、ティーポットに残った紅茶を新しいカップに注いで豪快にごくりと飲む。


「うわにっがぁ。あんた紅茶淹れるのド下手糞ね。これなら泥水啜ったほうがまだマシって感じ。そこらへんの記憶はイジってないのだけれど、失敗したかな。」

「え、そ、それ、ど、どく。」

「はぁ? 知らないの? 勇者に毒は効かないのよ。てゆーか死に直結するような攻撃は何も効かないの。それ以外でも大概は……そうね、勇者本人がわざと受けようと思わなければ、何も効かないわ。」


つくづく規格外の化け物だ。


「とはいえ対勇者用の魔法とかも開発されてきているから、無敵ってわけじゃないけど。それでも、勇者を殺せるのは勇者だけよ。」


そう言って“彼女”はいつものように、カサカサとした両手で僕の顔を、有無を言わせぬ強さで、自分の顔のほうまで引っ張った。


「殺せなくて残念ね!」


皮肉めいた顔で“彼女”はそう叫んだ。

本当に残念極まりない。どのくらい残念かって? 幸せなまま妹を死なせてしまったくらい残念さ!

まぁ今となっては、それでもいいかと思えるくらいには冷静なのだがね。



妹がいなくなってからも、時計の針は呑気に十周も回った。


「良いニュースよ。聞け。」

「え、あ、はぁ。」

「記憶を全部移し終わった。だから安心なさい。」

「あ、えと、あり……がとう、ご、ござい……ます。」

「にしても、……ふふ。」

「?」

「あの顔は傑作だった! ふふ、今思い出しても笑えちゃう。あっはは!! もーさっきからツボにはまりまくりで、も、あふ……ふふふ。」


あの顔、というのは、例のまともな勇者と一緒に来ていた女の顔のことだ。今までも少しずつ妹の記憶を、その女へ注いでいたらしいが、どうやら、最期の妹の記憶まで全て移し終わったらしい。

だからなのか、珍しく“彼女”の機嫌が良い。


「ゔふふふっ、聞いてよ、あの綺麗な顔がね、くしゃって……紙屑みたいにくしゃって! あはは! あれじゃ美人形無しね!」

「……はぁ。」

「んふ、ふふ、あはは! ……。……ふぅ。あー、久しぶりにこんなに笑った。やっぱり、元の記憶と別の記憶両方あると、人間、キャパオーバーになるのね。やって良かった。」


当初は別に苦しめるためでなく、例の勇者に気づかれないための処置だったのに、いつのまにか目的がすり替わっていたようだ。

誰がすり替えたんだろうね? 世の中、不思議なこともあるもんだ。


「そんでね、あの女、ずっと、わかんないわかんないって、部屋の中をぐるぐるしてて……ふっ。ありゃ狂人も良いトコロね。」

「……。」

「計画はきっと、上手くいく。少なくとも、あの女は絶対次の清めの儀の時に来る。」

「……はぁ。」

「そして、あの勇者もね。全部あたしが仕向けるの。……ほんと誰も彼もころころ手の中で転がっちゃって、笑っちゃう。」


“彼女”は計画の委細を話してはくれない。

屹度、僕ごときじゃ分からない、と、見下して話さないのだ。僕だけじゃない色んなものを見下している。見下しすぎて、そのまま首が一周したらちょっと面白いな。もはや人間じゃないから、一種の愛嬌が出るかもしれない。

それでアイシテーなんて鳴かれた日にゃ、思わず首も縦に動いてしまうに違いない。まぁ嘘だがね。


「それにしても、あの女、あれだけ可笑しくなっているのに、よく誰も気づかないものね。」

「……。」

「ちょっとあんた、これ、覗いてみなさい。」


恐らくマジックアイテムであろう、水晶玉を手渡してくるので、仰せのままに覗いてみると、部屋の中で机に向かっている例の女がいた。


一心不乱になにかを書いては、隣に重ねてある本の内の一つをパラパラ捲り、首を捻りながら、また書きこむ。目の下には立派な隈を拵え、髪や肌は枯れ始めの花のよう。手には豆だこが出来ており、それが痛むのか、時々ペンを置いてそこを優しくこすっている。こすりながらも決して本から目を離さない。


かと思えば、何を思ったか、唐突に立ち上がった。勢いがよすぎて椅子がひっくり返るが、それを気にする様子はなく、そのまま部屋をぐるぐる回り始める。歩みは遅く、少し猫背だ。そしてそのまま倒れ込んで、頭を地面にぐりぐり押し付ける。芋虫かな? そのまま隅まで転がり、壁を背に膝を抱えて座った。そいでもって何を思ったか、手に持っていたペンを、思いっきり壁へ投げつけた。それを死んだ目で見ながら、口元だけでブツブツ何かを呟いている。

お分かりの通り、言動は常人のそれではない。だが同時に、理解できないものではなかった。どうしても胸中に収まらない激情は、身体で以て発散するしかやりようがないのさ。


女はしばらく部屋の隅で大人しくしていたが、やがてのそっと立ち上がり、再び机に向かい、鬼気迫る様子で何かを書き始めた。


「こいつ顔は整ってるからさぁ、ちやほやされすぎてメンタル弱いのね。だからこの程度で、こんだけボロボロなわけ。」

「……はぁ。」

「ほんと今までどんだけ恵まれてたの? って話よ。」

「……。」

「でも、馬鹿々々しい事に、こういうのが一番男にモテるのよね。新しい勇者もこいつにお熱よ。見たらわかるもの。はーあ。こんな弱くて若さだけの女のどっこが良いんだか。男って本当に馬鹿ね。」

「……え……っと。」

「あたしの元彼も馬鹿だったの。そのままあたしと一緒にいればよかったのに、教養も何も無い若いだけの女たちに捕まっちゃった。はーあ。ほんと馬鹿。」


なるほど、“彼女”が上機嫌の訳はこれか。“彼女”の中にある劣等感が満たされるのはさぞ心地よかろう。

その夢見心地のまま天国まで逝ったら良いさ。なに止やしない。いくら冴えない僕と言えども、笑顔で見送る度量くらいはあるさ。


「しかも何が面白いって、この女が今必死に学んでいるこれがね、例の勇者を殺すための魔法なの。まじウケる。」


これはこの女に移した妹の記憶の影響だろう。どうやらこの女にとって幼馴染である勇者を、殺す理由が妹の記憶にはあるらしい。どういうことかと言うと、勇者はオグル教だという風に妹の記憶を変え、それを女に移したのだ。

はてその記憶を植え付けたところで、勇者に殺意なんて芽生えるのだろうかね。この女自身の記憶も残っているのに。僕には一寸分からない。


しばらく水晶の奥に映る女を見ていると、ノック音が鳴った。自分の部屋かと思ったがこの女の部屋だ。女は突然ピタッと動きを止め、一二度肺を思いっきり膨らましてから、ドアに向かって誰かを招き入れた。

まぁある程度予想通りではあるが、そこにいたのは例のいけ好かない勇者であった。


「邪魔してごめんね。」

「ううん、丁度集中切らしていたところだったから良かったわ! ナイスタイミングね。」

「本当? 良かった。余計なお世話だとは思うけど、あんまり根詰めすぎないようにね。君はいつも無理しちゃうから。」

「安心して! すこぶる健康よ。貴方も無理しないようにね。」

「ありがとう。」


思わず二度見した。それだけじゃ飽き足らず、目をこすって三度見する。耳もかっぽじる。それでも変わらないから、どうやら僕の五感が間違っているようではないようだ。それでも信じられない。


到底、先程の狂った女と、このにこやかな女が同一人物だとは思えなかった。


しかも何よも身の毛がよだつのが、この女はついさっきまで、この会話相手である男を殺すための魔法を必死に学んでいたということだ。

女は恐ろしいと言うが、今ほどそれを実感した事はない。なるほどこれなら、異変に気付かないのも無理はないだろう。


二人の会話はなおも続く。


「今日、ケーキ貰ったんだけど一緒に食べない? ほらこれ。このチョコレートケーキが人気なんだって。」

「あら美味しそう! 一寸待っていて頂戴、ココア淹れるから。」

「えっ。チョコ味強すぎない?」

「そのほうが美味しいじゃない!」

「まじかよ。」

「国のお金で買っているものだから、本来はあまり飲むべきじゃないと思うけれど……。貴方はパトロール頑張っているし、今日は私も城の薔薇園の手入れを手伝ったから……ご褒美ね!」

「薔薇園の手入れ?」

「そうよ! 魔法でばりばり土に栄養つけたの! 良い花が咲くに違いないわ!」

「へぇ~! 魔法ってそんなこと出来るんだ。」

「ふふん。魔法は凄いわ! あちらの世界での人類の知恵は科学に集約されていたけれど、こちらの世界では魔法特化ね。しかも若干、あちらの世界の情報も入ってくるから、ちらほら科学技術も見られるし……なんだかんだ進んでいるわね。まぁ本で見ただけだけれど。」

「実際、元の世界より便利だなぁって思うものも結構あるもんね。」

「そうね!」


“彼女”は酒を飲みながら、ニタニタ笑って「良い出来でしょ? 狂人と常人半々ってところね。」と言った。

僕はただ頷くしかなかった。

それを満足げに見た“彼女”は「それにしても」と言葉を続けた。


「あの偽善者、どこかで恨まれていたのかしらね。」

「?」

「この計画はあたしが作ったんじゃない。これを持ち掛けてきたやつがいるのよ。」

「え。」


この勇者が、誰かに恨まれるなんてあまり想像できないが……。


「……まぁ面白そうだから、乗っかってみたけど。騙されているかもしれないから、注意しなくちゃいけないのよね。」


どこのどいつか知らないが、恐ろしい事を考えるもんだ。

大丈夫、“彼女”の能力が効く以上、あの女は僕が幸せにすべき人である。用が済んだら、悩みも苦しみも全部洗い流して、幸福な人形にしよう。





“彼女”の言う通り、清めの儀をやる日に、勇者はやって来た。


いつの間に入り込んだのか。どうやら彼の能力は時に関連しているらしく、時を止めて入ってきたのだとか。

化け物だ……。まぁ、もう驚くまい。驚かないさ。


ただ自分にも、そういう能力があればまた違った人生があっただろうか、とは思う。


こんな事口にするのも馬鹿々々しいが、そもそも自分に才能が無かったからあぁなっていたのは事実だ。決まり手は魔素がなかったことだが、そうじゃなくたって何か一つでも突出した能力があったのならば、話は別だったのかもしれない。

いくら頭すっからかんな自分だって、有能でも不幸せな人がいることくらい知っている。でもそれはきっと、無能が不幸せなことよりずっと良い。自分を信じられないのが、一番惨めなのだからね。


ただ自分が無能であったお蔭で、馬鹿騒ぎをする猿を柵越しに傍観できた事もまた事実。負け犬の負け惜しみだと思うかい。いやいや案外、負け犬も本心で語っているかもしれない。勝ち負けだけで真偽を見極めるのも芸が無いぜ?


まぁそれはさておき、“彼女”の計画は概ね上手くいった。


簡単にまとめるとこんな計画だ。

まず勇者の幼馴染に今日この日に、神殿に来るようにする記憶を植え付ける。そのうえで、どうやるかは知らないが勇者もこの日に来るように調節する。

どうやら勇者は奴隷を人として見ているらしく、奴隷を溶かそうとすると助ける、と“彼女”言う。それはアンジュ教への反逆だ。それを見て、妹の記憶を植え付けられた女がどう反応するか……言わずもがなさ。

そして逃亡先は迷いの森だ。簡単には手出しできないが、その分、女が勇者を殺す可能性は高くなる。

それに失敗したとしても、勇者である自分は迷いの森に入れるから、恐らく弱っているであろう勇者を殺すのは容易いだろう、と意気揚々に“彼女”は語った。


どうにも穴だらけのような気がしないでもないが、具体的にどこが、と言われると脳みそスポンジの僕には一寸厳しい。

言語化できないものは数多くあるのに、それらは全て妄言として括られて仕舞うのは世知辛いとしか言いようがない。しょうがないか。


さて本道に戻ろう。

繰り返しになるが、計画は、概ね、上手くいったのだ。概ね。

ただ一つ、大きな誤算があった。

―――――天使役が連れ去られたのだ。


一体あの勘違いファッキング野郎のどんな思考回路が、あの子を拉致せしめたのか。訳が分からない。あの顔つき、あの迷い無さ、あの雰囲気、「自分は正義です!」と言いたいばかりだ。そんな様子であの子を背負って逃げていった。

ついでに奴隷も。盗みまでならまぁオイタで済むかもしれない。しかし人浚いは完全に盗賊の仕業だとどうして気が付かないのか。

一体全体、どういう理屈であの行動を肯定させて動いていたのかさっぱりだ。


あぁ確かにね、さっき自分は、言語化できないものがあるとは言ったさ。けれどもやっぱり、理屈が無けりゃ納得できないという、悲しい事実もあるんだよ。

矛盾? この矛盾こそが人間が人間たる所以だ。批判している僕だって人間なのだからそれくらい許せよ。何で俺だけ論理一貫してなきゃいけないのか甚だ理解に苦しむね。僕を無能だと批判した奴等だって、どこをどう考えたって完璧人間じゃないんだからさ。それと一緒。


だから僕は勇者をイカれた男だと断ずる。異論は好きに喚けばいい。


そんなイカれ野郎は、天使役を背負い、奴隷を片手に教会から走り去った。当然阻もうとするが、何かしら交流があったらしい人達がそれを阻止した。

“彼女”は能力を使うか使わないか迷っていたが、「放っておいても上手くいくと思うから、このままにしておきましょう。」と、まるで全てのマリオネットの糸を握ったように笑った。僕は従うしかなかった。



その後のアンジュ教徒の荒れ具合と言ったら、大昔魔王が出現した頃や、大量の竜が攻めてきた頃なんて目じゃないくらいだ。

夫が浮気して雷ドーンした嫁だってあぁはなるまい。


勇者はタブーを犯した大罪人として、一時期あの男の絵が流行った。勿論破ったり、踏んだり、溶かしたりする用である。

けれど肝心の張本人は迷いの森で引き籠りだ。これではどうしようもない、流石に馬鹿な信者も気づき始めた。故にその怒りの矛先は徐々にずれていくのは自然の顛末だったのだろう。

ではどこにずれたかと言うと、仮想エネミーであるオグル教だ。


やれアイツがオグル教徒、やれこいつがオグル教徒と、気分はまさに世紀末。不幸そうな面々は見ていて面白いが、目的に背いているのでどうにかしなければならない。

でもまぁこの状態も、あの女が勇者を殺すまで、だ。僕とて我慢の出来ぬ男ではない。


また計画に含まれていたかどうかは知らないが、幸運だったのは、これで勇者という存在がどことなく忌避されるようになり、少なくとも新たに連れてくるような国はなくなったことだ。

もっとも一時的であろうが。


「……はぁ。」


今日は雲一つない快晴だ。青天井が一面に広がっている。太陽光が肌に突き刺さる。薄く見える月が僕を嘲笑っている。

埃が舞って、床に落ちるのがよく見える日だ。

汚い所を照らして得意顔の太陽は、今日も元気。良かったね。





何の前触れもなかったと思う。


僕が部屋で酒を飲んでいた時、窓の外からあの女と、天使役の姿が見えた。

女は頬がこけ、目の下にインクを垂らしたかと疑うほど濃い隈をこしらえていた。口元だけが少し笑っているのが、脳内葛藤を物語る。

天使役は車椅子に乗って、その女に押されていた。女とは対照的に、ここにいた頃より多少色艶が良くなっていた。


僕は“彼女”とともに外に出た。


「おにい、さま。」


そう言って倒れたのは女だ。天使役は何も知らず、呑気に寝ている。それが何とも羨ましくて、もう一度泣いた姿を見たくなる。

一方“彼女”は女の変わり果てた姿を見て満足したようだ。


「まるで御婆さんね。これがあの若い女だとは思えないくらい。ま、お気の毒様ってところ?」

「……。」

「心配しないで。王子様の要望に応えて、真っ新にしてあげるから感謝なさい。」


“彼女”はあっさりと女の記憶を消した。


そうして女は新品のマリオネットになり、天使役は天使役として、再び活躍し始めたってわけさ。天使の復活を聞きつけた人々は、むせび泣いて喜んだ。それからさらに、オグル教と思わしき人々への弾圧が激化したが、まぁぼちぼち収まるだろう。


ちなみに僕の妹の記憶も消した。

今までシスターは大丈夫なのかという声が届くたびに、記憶を操って誤魔化していたが、いっそ全て消してしまったほうが楽だと“彼女”が言うのでそうした。もはや妹の記憶は僕と一部の勇者の中にしかない。ざまぁみろ。


何もかも順調。世界中の人々が幸せにというのも、もう遠い道のりじゃない。

あぁ我ながら良くやったさ。あの本だって褒めてくれるに違いないね。なんだかんだ、砂糖菓子のように甘いヤツなのさ。

アイツならなんて褒めてくれるかな。『すごい!』……いやいや、ここまで飾り気のない言葉は吐かない。『さすがは僕の息子だ!』って、誰がお前の息子だよ。……でも、一回頼んでみればよかったかな。


『君は僕の誇りだ。』


これは、……言ってくれそう。もしその一言をくれるなら、僕の世界はどれだけ華やかに、心躍るものになるだろう。あぁそうなったら、裸で薔薇園をスキップしてもいいくらいだ。虫に刺される? それくらい愛嬌だって。


「でも……。」


こんな想像に意味などない。だってもういないのだ。


僕が何をやったって、話を聞いてくれるヤツはもういない。


誰も彼も僕を慕っている奴らも、見ているのは蜃気楼だ。僕じゃない。作り変えられた、僕じゃない僕。

“彼女”だって、実質僕の顔しか見ていない。

他の勇者も、僕に興味なんかない。まぁ僕だって興味ないが……。ないが……。


「…………なんか……。……寒いな。」


胸がまーるく開けられて、そこから無遠慮な風が吹いてくる。息を吸うごとに、ひゅうひゅうと音を立てて、僕を不安にさせる。

それに足元がおぼつかない。僕は立っているのか、寝転んでいるのか、良く分からなくなってくる。


そんな時、ふと足が向かうのは、“彼女”がいる場所だ。

“彼女”は相変わらず爪先から頭のてっぺんまでおぞましく、汚らしい。シャワーを浴びているはずなのに、どうも肌が薄汚れた感じがする。人体の不思議だ。勿論、髪だって肌と同じくらい荒れ果てている。あれじゃ荒野だ。

高級品だと言っていた香水をつけているようだが、化粧品の臭いや体臭と交じり、異臭を放っているのに何故気づかない。時々、“彼女”の周りに臭いの膜を幻視してしまうほどの異臭は、まぁ今ではもう慣れたがね。

もっとも慣れた、というのは、嫌じゃなくなったわけでなく、嫌であることに慣れただけさ。残念ながら。


「あの……。」


僕が話しかけると、“彼女”の目がゴロンとこちらへ動いた。白目であるはずの場所が黄みがかっているのは、何かの病気だろうか。


「ええと……。」

「―――なに?」


不機嫌そうに答える。

その声に、その目にひるみそうになる。


こちらを鬱陶しそうに見る目は、僕を完全に否定してくるのだ。消えればいいのに、と。


本当に小さい頃、仲良くなった同世代の男の子。侯爵の息子だったか。一緒に笑ったり、時には泣いたりした。

けれど僕の立場が危うくなってきた時、同じような目を向けてきた。口元だけ少し遠慮がちに笑いながら、目元には軽蔑の光が隠しきれていなかった。僕の価値は、僕の立場に起因したものでしかなかった。当然、すぐに交際はなくなった。いつか、彼が僕のことを悪く言っているのも聞いた。

まぁもう、いいがね、過ぎた話だ。すでにアイツの記憶も無くなっているはずだ。もう、僕が忘れれば、このことは無かったことになる。

だけど、……前も言ったがね、捨てるって案外難しいのさ。


捨てたい思い出というなら、父もそれに含まれる。

父も、最初は温かい父だったのだ。

「良い法王になるんだよ。」と時にはお菓子をくれたり、頭を撫でてくれたりした。僕が多少悪戯しても笑って許してくれた。

それでも魔素がないと分かった時から、ただ何も口に出さず、目は冷たくなった。


母はもっと酷い。最初は宝石のように大事に接してくれた。それが母の愛情だと僕は信じていた。

しかしその態度から一変、俺をゴミ扱いし始めた。

もっともあの女は野心家だから、最初から僕を利用して、這いあがろうとしただけみたいだがね。


妹だって……。


何なら、僕には許嫁すらいた。

特段器量の優れた女ではなかったが、血筋が良く、年齢以上に上品な振舞いと十分な教養を身につけた許嫁だった。笑うとえくぼが出来るのが、幼くて馬鹿な僕は可愛らしいと思っていた。何よりこれが自分のものだ、という感覚が、あの女を実物以上に上等なものに見せたのだろうね。

僕が出来損ないということが隠しきれずに、世間に知れ渡ってから、あの家は婚約破棄を申し出た。事情が事情なだけに、承諾するしかなかった。


あの元許嫁は泣いた。「こんな酷いことはないわ! 何故、こんな出来損ないの許嫁なんかにしたの!」って。僕の目の前で。煌びやかなパーティ会場、皆がいる前で。

その隣で、彼女の父が必死に宥め、慰めているのを、僕がどんな気持ちで聞いていたか想像できるかい。

あぁ思い出したって身震いしちゃうね。武者震いかな。誰を倒しに行こう。ははは。


あぁ嫌なことを思い出して、胃が絞られているように痛い。僕の胃は雑巾じゃないんだ。やめてくれ。

その痛みと不快感のせいで、上手く言葉が出せない。泣きそうになる。あぁ糞、痛みを知っただけ強くなるなんて言った馬鹿はどこのどいつだよ。痛みを知っただけ出来ない事が増えていく、ってのが正しいんだ。覚えとけ馬鹿。

ほら見て見ろよ、こちとら震えが止まらないのさ。武者震いだぞ。お前を殺しちゃうぞ。お前って、誰だか知らないがね。全員死ねば良い。死ね。いなくなれ。滅びろ。人間なんか、いなくなればいい。


「……あのさ、黙ってちゃ分からないんだけど。用事あるんでしょ? なに?」


“彼女”が不機嫌そうにそう言う。

……大丈夫。大丈夫だ。僕がどうであろうと、いくら無能であろうと、僕の面がある限り“彼女”に見捨てられることは無い。

いや違うか。良く考えてみろ、いつ飽きられるか知れたもんじゃないぞ。出来るだけ飽きられないように、出来るだけ長く愛してもらえるように、ほら、這いつくばって靴でも舐めたほうが幾らか建設的……。


って、馬鹿じゃないのか。あの本を燃やしたのはこの女だ。こいつのことは利用しているだけにすぎない。

見捨てられても何とかなるように、どうにかしなければならない。どうにか…………って、どうすればいい。

分からない。だって結局僕は、何もしてない。


「はぁ……。呼ぶだけ呼んどいて無視って、あたしを馬鹿にしてんの? 言いたいことがあるならハッキリ言えば良い。そうやって黙りこむのはあんたの悪い癖よ。」

「えっと……その……。」

「黙っていたら何でも察してくれるなんて思わない事ね。餓鬼じゃあるまいし。こうやって聞いてあげているんだから、ちょっとは喋ったらどうなの?」

「…………あっあの。」

「だから、なに?」


頭がこんがらがって、顔がカァッと熱くなる。それを冷静な僕が馬鹿馬鹿しいと見下している。

ただ生憎、僕の口は、冷静なほうではない僕が操作をしているらしい。熱射病にでもかかったような脳で、こんな事をほざきやがった。


「その、ええと、ぼっ僕の! ……その、記憶も……真っ新に……その、消して、くれま……せん、か。」


言ってから、自分でも驚いた。

それでも不思議と、後悔はなかった。むしろ清々しい気分で一杯だった。唯一、僕が幸せになれる細い小道を、見つけ出したような心地がしたのだ。


だが現実は甘くない。


“彼女”は小さな目を大きく見開き「やだ。」と簡潔に返した。


「おね、……おねが、いしま……す!」

「やだ。」

「なん、で……。」

「やだ」


“彼女”は僕を平手打ちした。片頬が熱くなり、目の前がチカチカする。だがもう慣れた痛みだ。

そんな僕の様子をジロリと睨んだ“彼女”は、存外、冷静な声でこう言った。


「あたしを一人にするつもり? ふざけないで頂戴。」



そこからは、あまりしっかりと覚えてないが、しばらく庭園かそこらをウロウロしていたように思う。飽きもせず日が沈んで、昇って、その間ずっと歩いていた。息をするたびに疲労が全体に回る。喉が渇いた。お腹が痛い。足も痛い。全てがボロボロだ。だがその苦しみが、心の痛みを少しでも紛らわしてくれたら良いのにと思う。


昔よりはずっと幸せなはずなのに、泣きたくなるのはどうしてさ。


「……はぁ。」


いっそ命を絶ってしまおうか。果たして僕にその勇気があるかね。ないな。

そんな事をぼんやり考えていると、その思考を引き裂くように、突如、雷鳴が轟いた。


「雷……。これは……一雨が降る……か。」


轟轟とこの世界に響き渡る雷撃は、雨開始のゴングだ。


しばらくすると雨がざぁっと降り始めた。大粒の雨だ。一粒、二粒はどうってこともないが、こうかたまって降ってくると堪らない。痛いし、なにより耳がおかしくなりそうだ。傘を持っていないから、すぐに顔も服も靴も濡れた。

頭皮や肩を無遠慮に雨は打っては流れていく。口に入った雨の味は酷く不味かった。一体どこの水を持ってきたんだかこの曇天は。


なんだか無性にやるせなくなって、そのまま地面にわざと倒れた。


身体が地面に触れてひんやりとした。泥の臭いがする。僕の髪と服は瞬く間に泥だらけになった。頭が少し痛い。

目の前の薔薇が美しさと強さを見せびらかしてくるのが鬱陶しいから、手でつかんで毟り取った。けれども生意気なことにまだ綺麗だ。花弁を散らしても、美しさは遜色ない。むしろ更に生命力と儚い美しさを感じる。


近い所で雷が鳴っている。このまま死ねたらどれだけ良いだろう。


「もう嫌だなぁ。」


返事はない。空は泣き続ける。


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