rainstorm
朝日と水を十分に浴びた植物のように、やたら偉そうな学者の髭のように、人の悪口を楽しむ女どもの機嫌のように、アンジュ教はぐんぐん育ってきたようだ。
それは“彼女”の能力のおかげも勿論大いにあるし、天使役の少女も思った以上にハマり役で、もはや“彼女”の能力を使わずともそれらしい雰囲気を纏っているほどの出来栄えであるというのも、疑い様がない一因さ。
まぁ能力を使えばどうとでもなるのだがね、やはり“彼女”も使いすぎると少し疲れるらしいし、良く分からないが制限もあるようなので、温存できるに越したことはない。いくら天使役が天使っぽいとはいえ、流石に奇跡そのものは、ただの子どもに起こせるものではないので“彼女”の能力に頼りきりだ。
今もほら、随分高尚な奇跡もどきが起こったよ。
「あぁ……あぁ……ありがとうございます……!! 天使様……!!」
教会の中、病で死にそうだったが天使のおかげにより完治した……と、記憶された夫の横で、婦人が泣く。大いに泣く。先ほどまでピンピン動いていた夫の姿を見ていた俺としては、滑稽すぎて目も当てられない。
僕が目をそらしても、全ては順調に進んでいく。
天使役の女の子は掠れた声を出す。他の人には、恐らく美しく聞こえるであろうが、僕としては耳障りも良い所だ。
“彼女”は心底つまらなさそうな表情で能力を操っている。
“彼女”もつまらないだろうが、安心してほしい、僕も詰まらない。苦痛も嫌だが、退屈も辛いものだと知れたのは幸せなのか不幸なのか。
「「「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、清らかなる神の子よ。あなたの手はわたしたちのために葬られた。どうぞお次は、私たちの手をお使いください。」」」
幾重にも重なったそんな声が聞こえて、あぁ狂信者とはこうまでも幸せそうなものかと、間違っていなかった道に安堵する。
と、同時に不快感が胃袋から食道を這ってずずずっと上がってくる。人間が幸せそうなのは、こんなひねりも嵩増しもない安直な表現をするのは大変遺憾だが、非常に不愉快だ。あの幸せそうな連中を辱めて涙と鼻水だらけにしたらどれだけ楽しかろうか。
一度くらいなら、それも悪くないかもしれない。だって“彼女”がいるから、全てなかったことに出来る。
あぁでも、それでは意味が無いのさ。
苦しみは、その事が起こった最中より後のほうが苦痛を感じる。最中はあくまで主観的でしかない苦しみだ。苦しいには苦しいが、自分の視点から見た景色しか見えない。頭のほうでも気を遣って少し麻痺してくれる。それに一瞬である。たとえ長い間でも、その後の長い間に比べればほんの一瞬だ。
しかしその記憶が一度頭にこべりついたらさぁ大変。なまじ冷静に、客観的に自分自身の惨めさを知って、あるいは苦痛を正気の頭で受け止めて、何度も何度も、繰り返し繰り返し、苦しまなければいけない。
もうお分かりかな? そこまでセットで不幸だ。苦しめて記憶消してハイ終了じゃ、こっちとしても納得できないのだ。
そんな事を考えていると、ふと舞台装置である聖歌隊の歌声がしっとりと耳に入ってきた。
聖歌隊は奴隷で構成されている。そのほとんどが10歳未満で、奴隷と奴隷の子か、もしくは法の網をすり抜けて売られた奴隷だ。
何故そうなのかと言えば、やはり子どもの声の方が綺麗だからに他ならない。大きくて華美な皿にちょこんと乗せられた料理や、女の髪のように艶があって長い王の髭や、使い道のない美しい筋肉をつけた貴族の子息のように、アンジュ教にとって歌声はそういった無駄なようで無駄じゃない装飾なのだ。それは人の心を大いに惹きつけ、より柔らかいものにしてくれる。
そんでもって、これは誤算ではあるのだが、不思議なことに奴隷も幸せそうだ。奴隷は人間ではないから何でもいいが、幸せそうな子どもの歌声はこの空間の中で唯一美しいと言える音で、密かに僕の耳の洗浄剤になっている。
まぁ奴隷の中から美しい声の持ち主のみを選出させたのだから、順当な結果だ。
しかし安心してほしい。僕はそんじょそこらの宗教家のように、無駄遣いしては悦に浸りやしない。
しっかりすっぽり、選ばれなかった奴隷も有効活用している。
「「「子はわたしたちのために手足をもがれ、苦しみを受け、葬られ、主の手によって復活し、天に昇り、主の右の座についておられます。神の子は悪魔を滅して世界に奇跡をもたらすために、1000年後、栄光の内に再び来られます」」」
詠唱が終わると、そいつらの出番さ。
合図をすれば、蛾が光に魅せられ寄って来るように、奴隷が控室から天使の方へやってくる。服も奴隷自身も、あまりにも汚かったので洗わせたが、それでも栄養が足りないのか何なのか非常にみずぼらしい。
手足も皮と骨だけのように見え、もし魔物に献上しても丁重に断られるだろう出来だ。
こんな出涸らしでも使おうと思えば使えるのだからすごい。
まぁ、人間とはどれだけ念入りに脳を洗っても、こべりついたクサヤのような残酷性と言うか、根本的な欲望は中々消えるものではない。それをささっとコストなしに解決できるのが、この清めの儀だ。
清めの儀ではこの奴隷を溶かして、疑似的ではあるがある程度、この欲望を充足させるのである。
倹約家奥さんも驚きの節約術だろう?
天使役の浸かっている泉は、信者に見えないように半分に仕切ってあり、天使役のいる側は普通の水だが、信者側の泉には劇薬が入っている。それは“彼女”が用意したもので、詳しい成分は今一分からないが、どうも身体をドロドロに溶かすことができるようだ。
欲望も満たし、天使の特別性も強調できるので、一石二鳥というところさ。
「こーえい……です、てんしさま……」
「……。」
目の前で奴隷が溶けても、天使役の表情はぴくりとも動かない。目は確かに開いて、その鏡のような瞳にはきっと色んなものが写っているのだろうが、それはただ単に写っているだけにすぎない。この子にとって目の前の事象すら自分に何の関連もないという確信からくる、無関心。ただ写して、そのまま跳ね返すだけ。
もし僕がこの子のようになれたならば、どれだけ楽に生きられただろうか。
しかし相反するようではあるが、この子のようでなくて良かったとも思う。もし僕がこの天使役のようだったら、きっとあの本を見つけて、会話することなどなかった。
それはそれで、むしろ今よりきっと良い人生だったろうとは容易に想像つくがね、それでも知ってしまったからには、あの時間がない人生など考えられない。
……いや、でも、どうなのだろう。
さてそんな事を考えているうちに奴隷はすっかり綺麗に溶け切り、泉の上には脂がマダラ模様を描いていた。
周りは馬鹿みたいに手を叩き合わせてしたり顔。
天使役の表情は動かず、柱にもたれかかった“彼女”は小さなボトルに入った酒を舐めてはにやにやしていた。
今日も無事に事が済んだ。
「……はぁ。」
「うざっ。陰気臭い顔しないで。こっちまで陰気になっちゃう。」
そう吐き捨てる“彼女”とともに、馬車に乗り込んだ。馭者が恭しくお辞儀をして、馬を走らせる。
馬車は広いが、なんだか息苦しい。どんなリズムで鼻から息を吸ったり吐いたりしていたのか分からなくなってくる。呼吸ってこんなに難しかったっけ。仕方なく口で吸うと、横隔膜がずきりと痛んだ。あぁ糞。
今すぐ飛び出して、空まで逃亡したい。それができないから、仕方なく、妥協案として悠然と流れていく雲を眺める。
「……はぁ。」
「……ほんとに鬱陶しい。なに? あたしへの当てつけなわけ? そんなに本燃やしたのが気に食わないなら、はっきりそう言えば?」
「え、あ、ちが……。」
「あぁそう。それとも、僕ちゃんは、あのご本が無いと夜も寂しくてねれないんでちゅか~? ……ふん。きもちわるっ。」
あの子じゃなくて、“彼女”の四肢をもげたら、僕はきっと天国にも昇る気持ちになれたに違いない。途中で飽きたりもせず楽しめただろう。
それでも僕は本気で“彼女”に逆らったり、あるいは殺そうとしたりすることはしない。だってもし、万が一殺してしまったら……。
たとえ灰色の毎日でも、あの頃の僕よりはまだ……。
ふと思う。僕はそんなにあの本のことを、大事だと思えてなかったんじゃないかって。ただ崖の上から垂らされたロープに縋りついただけかもしれない。
もし本当に愛していたと言えるならば、こうして“彼女”と共に馬車に乗っていること自体が矛盾さ。どうかしている。周りから蔑まれる日々が来ようとも、あるいは殺されようとも、“彼女”に逆らったほうがどれだけ自然か。
あの本は僕にどれ程慰めと慰安をくれたか知れない。それなのにその恩を返せず灰になってしまった。
やはり僕も人間だ。分かっちゃいたがやるせない。
「いい加減、こっち見てよ。」
“彼女”が囀る。
「……。」
「ねぇ。」
僕はあえてその言葉を無視した。それは怒りからか、憎しみからか。ただハッキリ言えることは、僕のこの怒りや憎しみは薄っぺらいのだ。何故ならこの感情を健気にも支える根底は、何を隠そう罪悪感。
「ねぇったら。聞いてんの? 耳ある? ……はあーあ、もういいや。つまんない。」
そう吐き捨てた後、“彼女”は珍しくそれ以上何も言わなかった。どんな表情をしていたのだろう。気にならないと言えば嘘になるが、どうにも見る気は起きない。
無言の馬車は街道を走り続ける。その馬車についているアンジュ教の紋章を見て、多くの人は帽子を取り、頭を下げた。
まるでドミノ倒しみたいだ。
窓枠から見る人や、物や、自然はどこか白けていて、遠い世界のようだった。この馬車の中は息苦しくて、決して居心地が良いわけではないが、その遠い世界に交わるより“彼女”に守られた世界のほうが幾倍かマシだと思える。
けれどもそれは裏切りでもあり、まるでそれの言い訳をするかのように、あの本が願った通り世界中の人々を幸せに、なんて……。
駄々っ子の言い訳よりもナンセンスさ。
だが、この罪悪感はある意味あの本への情でもある。もともと、本当にあの本をなんとも思っていないなら、こんな感情は起こらない。
それを自覚して、それさえ言い訳の道具にしてしまう自分にほとほと愛想がつきそうだ。
いや、ごめん嘘。何を言ったって、何をしたって、結局僕は自己愛の塊でしかないのだ。全ての起因はこれでしかない。
「……はぁ。」
本当にどうしようもない。
僕こそ四肢をもがれたほうが良いのかもしれない。絶対御免だがね。
そんな事を考えながらしばらくして、馬車から孤児院の建物が見えてくると、何やら騒がしい声が聞こえてきた。
何がそんなに面白いのか、この世界にそんな面白いものが存在しているとは思えないが、馬鹿みたいにわーわーきゃーきゃーはしゃぐ、耳障りな子どもたちの声だ。孤児だろうがなんだろうが、あれだけ騒げるなら幸せだろう。
「うっさい餓鬼どもね。」
“彼女”の全面的肯定を示す。
道の関係上、ちょうどその孤児院を巻き込んで左に行かなくてはならず、そうすると建物の裏手にある小さな庭で遊びまわる6、7人の子どもを目に入れる羽目になった。
この五月蠅い子ども達を、あの劇薬の中に沈めて溶かしたらどれだけ胸がすくか、考えただけでちょっと愉快だ。しかしそれ以上にあの声が不愉快で仕方がない。
手に入れる愉快量と不愉快量が全く持って釣り合っていないが、案外この世界なんてそういう風に作られているのかもしれないね。いや、世界じゃない。人間がそういう風に作られているのさ。
案外、あの自殺した勇者の遺書は、真理をついていると僕は思う。
いっそあのボサボサ髭の勇者みたいに、麻薬で狂ったほうが、普通に生きるよりずっとずっと幸せなのかもしれないとさえ思ってしまう。もっともアイツは、この世界に来たせいですぐには麻薬が手に入らず、随分苦しんだようだが。
そんなことを考えながらぼんやり横を通り過ぎようとすると、ふと、理不尽な引力に引っ張られるように視線がそこに向かった。
「えっ。」
そこにあったのは、善の塊。
絶対的に、圧倒的に、完全無欠な善は、何かもを照らし焼き尽くす太陽のようだ。それに対して反抗すれば、必ず自身を悪と認めなければいけないように、理不尽で押しつけがましい、それでいて魂に刻みつけられる善性。
付いていけば自分ですら明るみに出られるような、そんな錯覚までしてしまいそうになる。
「――――あいつは……。」
“彼女”も少し驚いた様子でそれを見た。
善の塊とは、つまり、優しい笑顔というシンプルな言葉が一番似合う表情を顔に張り付けながら、子どもたちと戯れる男のことである。平凡な顔つきに笑顔で愛嬌を添え、まるで本当に楽しんでいるかのように子どもの相手をしていた。
その光景は彼の雰囲気によって、何者にも汚されてはならないと女神が守護しているような、そこが世界の模範解答のような、そんな印象さえ受ける。
この独特の雰囲気は、勇者しかありえない。彼もまた、最近この世界に来た勇者だ。
「…………気に食わないやつね。まるで自分が正義側にいるとでも言うのかしら。」
“彼女”が一つ舌打ちをする。
僕は黙って“彼女”の様子を伺うだけだ。
「でもいいや。どうせ死ぬし。」
計画はすでに順調に進んでいる、だなんて、言っている。僕はあまり知らないけど、まぁもし成功したらよりあの本の夢に近づけるだろう。
むしろあの本の願いを叶える条件の一つと言えるかもしれない。
「勇者は私だけでいいの。」
“彼女”の能力的にも勇者は邪魔だろうことは、容易に想像がつく。
しばらくして、屋敷に付いた。鉛のように重い体を引きずって馬車の外に出ると、霧雨が降っていた。
侍女が傘をさすのを断って、そのまま天を仰ぐ。細かな雫が顔を覆う。重い空が頭上にのしかかる。風が耳を通るたびに、轟轟とおどろおどろしい音を主張して、泣きそうになる。足元から頭まで徐々に、徐々に、冷たくなってきたようだ。
上も下も定かではなくなり、奇妙な世界に迷い込んでしまったような心地になる。いや、実際ここは奇妙な世界か。目はぐるぐる回り、首は痛くなり、それでも少しでもこことは違う世界を見たいから必死に上を見るが、厚い鼠色の雲が視界を遮って、それすらもままならない。
この世界は牢屋だ。狭くて、臭くて、息苦しい。そして馬車の中より一層、居心地が悪い。
気づけば“彼女”が隣に立っていた。
「大丈夫、最後に笑うのはあたしと……あんた、かもね。」
「…………。」
「なぁに? その浮かない顔。大丈夫よ。」
「…………。」
「あんたが……本当にあたしを愛してくれるなら、全てが上手くいくわ。ね、あたしの大事な大事な王子様。」




