in dream
記憶は過去の産物ではあるけれど、過去そのものではない。
自分に都合良い部分だけを残すなんて当たり前。ちょっと妄想力を働かせて改変改悪お手の物。それに付随する感情も、痛みも、苦しみも、その人によって軽くなったり重くなったり付け加えられたりする。
人類が進歩して、王制ができて、国ができて、法ができたけど、頭の中は依然として無法地帯だ。
だからこそ僕は、あの日の記憶を掘り返すたびに、あの日の痛みじゃなくて、あの日を思い出した今日の痛みを感じる。何度も何度も本を読み返せば、どれだけ素晴らしい本でも次第に飽きて、感じた情熱も快感も薄れてしまうけど、記憶は違う。
それは新鮮な痛みだ。ずっと新鮮だ。この痛みも記憶として過去に葬られてしまうだろう。しかしまた思い出すたびに、僕は何度も何度も新しく傷つけられる。
慣れることなんてできない。
「ねぇお兄様……いいえ、もう兄ではありませんね。私は真実をお父様とお母様に伺いました。あなたは神の元にある……清らかな人間では、なかったのですね。」
今より少し幼い妹の、失望と軽蔑を織り交ぜた声が聞こえる。
「だからそんなに……。……騙すなんて酷いです。……酷いじゃないですか!」
「……っ。」
「今までずっとお兄様だと思っていたのに、本当は汚れた人間だったなんて……! なんでそんな非道な行いができるのですか!? ずっと騙し続けていただなんて……酷い……あんまりです。どうして……!」
涙にぬれたヒステリックな声。
僕は何も言えなかった。
ただ怒りと悲しみに染まる黄金色の瞳に射抜かれて、足元から崩れ落ちそうだった。心臓がバクバク鳴って、心が痛くて、いなくなりたくて。
先ほども言った通り、記憶なんて曖昧だ。もしかしたらあの時の僕の頭は真っ白だったかもしれない。そう言われればそうだったような気もする。
けど僕の中にある記憶は、確かに今の僕を傷つけた。
「痛い……。」
最悪の目覚めだった。
◇
瑞々しいサラダには生ハムが、ふんわり焼きあがったパンにはバターが添えられ、コーンポタージュからは湯気と香りがむわっとあがる。いかにも美味しいですよ、と押しつけがましい感じだ。その奥には卵がすっぽりはまった銀のエッグカップと、グラスに入った赤ワインが右大臣と左大臣のように鎮座していた。
まぁ端的に表して、分かりやすく豪華な朝食だろう。
その朝食は無駄に長くて白いテーブルの一番奥に、フォークやスプーンなどと共に並べられ、食べられるのを今か今か待っている。
近くには見目の悪くない使用人が給仕をするために立っていた。
僕が部屋に入ると、「おはようございます。若法王様。」と言って深々とお辞儀をする。
「お、おお、お。」
僕は上手く返せない。でも問題はない。警戒心の強い冒険者に出会ったら、魔物の鳴き声と疑われてしまいそうな声が出たが、問題はない。強がりとかではなく、本当に問題が無いのだ。
その証拠に、使用人も特に気にした様子もなく、椅子を引き僕を座らせた。その目に軽蔑はない。
「ばっかみたい。」という“彼女”の声に、苦い愛想笑いで返しつつ食事を進めた。
“彼女”も一緒に食事をする。もっとも“彼女”は基本的にお酒と合うおつまみしか食べない。
食事をすまして廊下に出る。すれ違う使用人は皆、僕に深々と頭を下げた。目を見ずとも、姿を見ずとも、そこに含まれた敬意を感じる。敬意を抱いているかどうかは、肌で分かるのだ。勿論、それは嫌悪においても同じ。頭の中で何を思っても人を傷つけないと本気で思っているならば、思い改めたほうが良い。
ずんずん廊下を進むと、ふと若い女の使用人で皿を運んでいる者が、頭を下げた瞬間に皿を一枚落とした。
「っ!」
女の顔がみるみるうちに青くなっていく。
「も、……申し訳……ございません……!」
冷たい空気が廊下に満ちた。明白で当然で、それでいて残酷なことではあるが、誰も彼女を庇う者はいない。あぁ理由は単純明快すぎてあくびがでるものさ。あまりにもデメリットが多きすぎるからね。
例えば、人の雑務を良く手伝っているお人よしだと言われているあの侍女も、優しいと人気のあの従者も、この場面では助けない。誰も彼女を助けない。助けたところで、道ずれにされて地獄へ真っ逆さまになるなら、助ける意味はない。聡明な人類は、ちゃーんと人を助ける意味を両方の脳で分かっているのさ。
つまり、助けるという親切行為は前貸し、後でなんらかしらのメリットがなければ意味がない。だから助けない。誰も助けない。
昔の僕を誰も助けなかったようにね。
オセロの白と黒が反転したように、こんなに大きく世界が変わっても、やはり人間は変わらないのだ。
彼女は「も、申し訳ございませんでした!」と、見ていて気の毒になるくらい震えている。良く見るとうっすら涙がにじんでいた。
昔はこういうのを見ても、僕の方がもっと不幸なのにそんな世界のどん底にいるみたいな顔されてもねくらいの感想しか抱かなかったが、今は純粋に可哀想に思えてきた。優越感ゆえの同情心というものかもしれない。当然僕の感情も決して清いものではないが、この女にとっては誰の同情よりも利に働くだろう。
“彼女”に媚びるように目を向けると、チッと舌打ちしながら頷いてくれた。僕はしばらくこの使用人の前に立っているだけでいい。
やがてこの使用人は「ありがとうございます! ありがとうございます!」とお礼を何度も繰り返した。僕から見ればいきなりお礼を言いだした壊れた絡繰り人形だが、他の人間にとってはそうではないらしい。至極当然な反応として受け取っているようで、そのまま澄まし顔で腰を折り曲げている。全く持って奇妙な光景だね。
どうせあの人たちは、僕が去った後に心の底から気の毒そうな仮面を被って、「災難だったね。」「でも、機嫌がよかったのかな。許してもらえてよかったね。」とあの女に言うだろう。あぁつまらない。とんだ茶番劇。
そのまま外に出て、派手ではないが上等な馬車に乗りこんだ。勿論“彼女”も一緒だし、護衛や使用人も3、4人一緒だ。
すぐ横の神殿を通り過ぎ、西区の貴族ばかりがいる一等層を通り抜けると、露店が並ぶ賑やかな通りに出る。そしてそこもしばらく進むと、目的地である少し古いが綺麗な教会が見えてきた。
教会の入り口で僕たちを待っていたらしいが、僕たちを教会の中へ案内をした。そこにはずらっと大勢の人間が部屋に溢れかえっている。
みちみちと肉の塊が蠢いているよ。あはは。
吐き気を覚えながらそいつらの前に行くと、鼓膜が破れるかと思うほどの拍手が起こり、やがてそわそわと僕が話し始めるのを待っているようであった。
「え、えと……。どどど……どう、も。」
どうにも人に見つめられると顔が赤くなってしょうがない。
「あの、えっと、あ…………あ、ぼ、いやわたし……は、わかほお……で、です。あ、あの。はい。」
慣れるために一応こうして話すようにしている。
“彼女”がいるのだから意味はないけど、それでも、一応。じゃないと僕は存在しなくなってしまうような気がするのだ。
しかしそれも途中で疲れてやめて、煙草を吸うのだから、本当に意味がない。あぁでも煙草美味しい。パイプも良いが、僕は葉巻のほうが好きだ。口に含ませて、そのまま出す。それだけで精神が少し安らいだ。
「ふぅ。」
しばらくして、光悦とした表情を浮かべた信者に見送られながら、教会を後にした。同じようにいくつか回った後に、最後、神殿に寄ることにする。
白を基調とした神殿は、古めかしい造りではあったが、堂々として時代の流れに負けない存在感があった。築800年くらいだったか。改修に改修を重ねて、なんとか元の形のまま保っている。
今日は式典が無いので非常に静かで、まるで森に引きこもる賢者のような厳粛なものを感じた。こういったものへの感性が低い僕でもそう感じるのだから、まぁ、ここが愛されている理由も分かる気がする。
でも実は、僕はここがあまり好きではなかった。この空気も建物の存在感も好きだが、ここを思い出すとき必ずあいつも思い出すから苦手だ。
あいつ――――あの女をどう呼ぼうか。
ふむ、自らの毒に気づかないスズラン、なんてどうだろう。如何にもあいつらしく間抜けでお似合いではなかろうか。白くて小さくて可憐で、でもご存じだろうか、あの花は下しか見ていないのだ。決して前を向いて真実を知ることはない。あぁ本当にあの馬鹿な女にぴったりの花だね。死んだときはその花と一緒に焼いてやろう。
そんなあいつは今日も神殿にいるだろう。必死に神や天使に縋りついて泣いているだろう。
あいつ―――泣き虫の妹が。
使用人と護衛を置いて、“彼女”と共に神殿へ入る。神殿の中央には澄んだ泉があり、その奥へ行くと想像通り妹はいた。
手を捧げて、祈りと救いを求める言葉を吐いている。そんなので救われるわけないのに。そんなので救われるなら、僕はもっと早く、こんな風にじゃなくてちゃんと救われてなきゃおかしい。
妹は今、惨めな立場に立たされていた。それは前の僕と同じ立場だ。人から見下され、陰口を言われ、冷たい目に晒される。
それでも妹はまだ僕よりマシな立場だ。
魔素があると認知されているうえに、跡継ぎではない。母にも見放されていない。他にも、可愛らしい容姿の女であるというだけで、まだ味方がいた。
なにより、兄に見放されていない。僕は妹に見放されたのにね。
そうであるというのに、何度も泣き崩れる妹に、何度軽蔑したか。
まぁ以前あれだけの評判を集めていた彼女のこの様を見ると、軽蔑と同時に快感も覚える。もっと苦しめ、と思う。
でも僕は妹へ冷たくはしない。冷たくするような僕にしない。
きっとそうしたら、心の支えを失った妹は潰れてしまうから。吐き気と怒りに耐え、笑顔にする。簡単に楽にはさせないさ。
僕に今まで冷たくした分を償わせて、精々利用して殺してやろう。殺すときは、これでもかと言うほど痛めつけて、散々懺悔させて、辱めて、いっそ涙が出なくなるまで泣かせて、そうして殺してやる。
以前より随分小さく、小鳥の囀りのようになった声を聞きながらそう考えた。
その一部始終を見た“彼女”は、妹と僕を見て、これでもかと言うほどの軽蔑を込めた笑みを浮かべた。
◇
まだ何も知らなかった頃の、記憶の欠片。
「おにいさま、どーぞ!」
ぽんっと頭にのせられたものを、一度外してみると、それは花冠のようだった。赤、黄色、ピンク、白、紫、色取り取りの花々が綺麗に円を描いている。少しずつ出ている小さな葉っぱが可愛らしい。
「作ったの! あげる!」
今なら、きっとこのニコニコとした彼女を気持ち悪いと評するに違いない。
しかしこの時の僕は恐らく、心の底から嬉しかったんだと思う。僕にもあのふわふわ浮かぶ綿毛のように真っ白な時があったのさ。笑っちゃうだろ?
僕は妹にお礼を言って、また花冠を頭に載せた。甘い香りがした。優しさの香りだ、とその時は思った。
「あのね。これね、あと、お母さまとお父さまと、あとあと、ばあにもつくるの!」
ばあは、彼女の乳母のことだ。
婆さんというほどの年齢はいっていないが、なぜか妹はそう呼んでいた。
「だいすきな人たちね、作るの! ね! そしたらきれーでしょ?」
その言葉に僕は笑う。勿論、含みなど全く持たせず。
この頃の僕の笑い方が気持ち悪かったがどうかは覚えていないけど、妹の笑い方は多分、今と変わらず綺麗だったんだと思う。
二人は笑った。
僕は、まさかそのだいすきな人の枠から自分が外れる日が来るだなんて、想像すらしていなかった。
ぽかぽかとした陽気な日で、遠くで鳥の声が聞こえて、空はどこまでも澄み渡っていた。




