天使は二度降臨す
先輩と、おちびと、私は散歩に出ていた。
いつもの如く私は強制連行だが、途中で美味しいお菓子が食せると思えば悪くはない。どうせ車椅子なので動く必要もないのだし。
途中で常のようにそこでティータイムにするのかと思ったが、彼は野暮用があるなどといい加減なことを言い、「ほれ、これ舐めて待っててくれや。」とおちびに飴を渡し、私の口にそれを入れた。
なんて素敵な味なんだろう!
先輩の後姿が小さくなると、おちびが不安になってきたのか、義手を握った。
「う……。」
下手な笑い顔だ。何故そのように不安そうなのに、無理に笑うのか。そもそも笑うという労働をする理由が分からない私には、どうにも一生かけても解けない謎のような気がしてきた。
飴を転がしながら二人で待つ。
「……うー!」
おちびは私の頭を撫でたり、抱き着いたりしながら、不安を紛らわしているようだった。鬱陶しいが、私としてもこの状況はあまり好ましいものではない。
このまま放っておかれて餓死、なんて御免なのだ。しかし打開策も見当たらない。
幸いにしてしばらくすると、先輩の姿が見えた。傍らには女もいるようだ。
「! うー!」
おちびは二人に嬉しそうに駆け寄って出迎えたが、途中でぴたりと停止した。珍しい事だ。常ならばなりふり構わず抱き着きに行くと言うのに。
不思議に思っていたが、二人が近くに来ることで合点がいく。どうにも二人の様子がおかしい。何が、と言われると返事に窮する類のものだが、あえて言うならば表情だろうか。死ぬ前の母が、あんな表情をしていた。
二人は無言で私とおちびを見つめていた。
やがて女は私の乗っていた車椅子を押して、先輩はおちびと手をつないで、どこかへ歩いていく。家とは反対方向だ。一体どこへ向かおうとしているのか。
「う……? うー!」
先輩に引っ張られながらも、おちびは不安そうに先輩や女の顔を見つめていた。
「うー!!」
最早半泣きであったが、二人は反応しない。女は元より先輩も子どもに大層甘い性質のようだったので、これはあまり見られない光景である。
おちびはいよいよ不信感をつのらせ、先輩の手を振り払って家の方へ向かおうとした。しかしそれを先輩が取り押さえ、気絶させる。
「……わりぃな、ちび。」
気を失ったおちびを背中に乗せて、再び歩きだした。
しばらくして森の出口まで辿り着き、ついには外に出る。久しぶりに盛りの外に出たが、何も感慨がわかない。
「…………あー……元気でやれよ。」
先輩が背中を向けて手を振って去っていく。
女は「いつか先輩も救ってあげます。」と言って、反対方向へ向かった。
日はもう沈み、今日は曇っているせいか星も月も見えず、辺り一面が闇に覆われていた。しかし女の足取りは確かで、足早にどこかへ向かっているようだ。彼女は車椅子を押しているので、表情は見えない。
車椅子の揺れ具合は揺り籠のようで、私はうとうととしていた。
「ごめんね、天ちゃん。」
女がそんな事を言うのが聞こえたが、眠気に誘われて、そのまま眠りに落ちた。
こと……、と、小さな物音がした。
私は、何故かその小さな小さな音により、再び現実世界に戻された。
そしてその音は、あの家の住民が建てた音だと、信じて疑わなかった。それはあの家でそれなりに長いこと過ごした証拠でもあるし、寝起きで頭がふやけていたからでもある。
ともかく、きっと誰かが傍にいるのだろうと、その程度の思考で私は目を開けたのだ。
「お目覚めですか? 天使様。」
———えっ。
だから、眼前の若法王の存在が、一瞬、受け入れられなかったのも致し方がない。
「お帰りなさい。ご無事で何よりでした。」
記憶の中では顔すら朧気になっていた彼だが、その綺麗な笑い方だけはよく印象に残っていて、それを再び見て記憶と一寸も違っていないことに驚いた。
「……本当に。」
頭が覚醒して思考がクリアになるのと同時に、昨夜あの女により森の外へ連れ出されたことを思い出す。
やがて周りを見渡してみると、そこが神殿の地下の一室、私が以前いた場所であることに気づいた。どうやら私は神殿に戻されたらしい。
「お戻りになられて早々申し訳ありませんが、信徒の前に出て頂きます。皆天使様が拉致されて、大変不安がっていましたから……。しかし天使様が前に出れば、直に暴動も治まるでしょう。」
暴動が起きているの?
「被害が大きくなる前で良かった。さぁまいりましょう。」
そう言って連れ出される。
まぁ再び天使として働くのは悪くない話だ。ここは料理が美味しいし、何もしなくても良いし、三大欲求も十分に満たせる。
そうして私は再び、天使となった。