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天使は今日も動かない  作者: たいちゃん
少女の独白
16/30

隠れ家にて安住す

*注意

視点が変わります。時間が戻ります。


勇者に攫われて、短くない時が経った。どれくらい経ったかは知らないし、知りたくもないが、経った年月は二日三日ではあるまい。

その間に私には手と足が生えた。正確に言えば義手と疑足だが、最早これは本物と言っても過言じゃないくらいの出来で、私の感覚としては、生えたという表現が適切だろう。


しかし当然、手足が生えようとも、動くことを良しとする私ではない。そもそも生まれた時から携えた手足があっても動かなかった私が、如何して今更動くというのか。

最初はどうにか私を動かそうと苦心していたが、やがて諦めた。

勇者達は悲しそうな顔をしていたが、知ったことでは無い。承認欲求の塊に付き合うつもりは毛頭ないのだ。


そうそう、それからgoodニュースがある。

私はそれなりの幸運の持ち主ではあったようだ。


ここは煩わしいこともあるが、動かなくても、幸福を享受するのに困る環境ではなかった。

食事も排泄も入浴も全て周りの人間が世話をし、私は柔らかい羽毛のソファで睡眠を貪れている。


概ね、幸福な暮らしをしていた。


問題は、この家の住民が日中五月蠅いことだ。しかしまぁ、それくらいは許容範囲だろう。本屋にいたころの耳障りな客の声よりは、断然良い。


何故あの人たちの声が嫌に私の耳に入ってくるのか。何故ここの住人の声にはそこまで不快感を抱かないのか。

これは謎でも何でもない。

乃ち、ただ生物としての本能的に、悪意に不快感を抱くのは当然であるということだ。悪意に敏感でなければ、厳しい弱肉強食の世界を生き残れず、その名残は今でも残っているということ。

一方ここの住民の声に悪意はなく、だからこそ大きな不快感はない。故に許容範囲。

それでも、やはり五月蠅いものは五月蠅いが。


「ねぇねぇ天ちゃん天ちゃん! お外出ようよ!」

———嫌だ。


勇者の幼馴染の女が無駄に明るく誘ってくる。

ちなみに私の名前は天ちゃんで固定されたらしい。どうでも宜しいが。


「家の中にずっといると体に悪いもの。っというわけで、お外へレッツゴー!」


彼女は手際よく私を持ち上げて車椅子にのせて、外へ連れて出した。誘っているような形だが、事実上の強制連行だ。

まぁどうせ動かないのだから、外に連れ出すのは勝手にやれば良い。

彼女はしばらく庭を散歩した後、大きな樹木下に座った。そして水筒の中身をコップに注いで、私に飲ませた。


「この紅茶美味しいでしょう? 家の裏で育てているのよ!」 


フルーティで悪くない香りだが、腹の足しにはならない。


「ちなみに、この前飲んだ緑茶も同じ植物なのよ! 信じられないわよね。」


そんな女の独り言に応える声があった。


「いやぁほんとに信じられないよなぁ。味も香りも全然違うのによ。」


藪の中から人影がぬっと出てくる。少し猫背気味の男だ。四方八方に伸びた髭を弄りまわしているその男は、血色の悪い肌と少し血走った鋭い目を持っているが、概ねあの勇者と同じような顔つきをしていた。

ちなみに、彼もまた勇者であり、私の母とは知己の者である。その縁で私も多少話したことがあるが、印象に残っているのは、彼が麻薬をくれたことくらいだ。あれは良かった。是非ともまたやりたい。


「あー良い匂い。俺は緑茶派だが、たまには紅茶も悪くねぇな。」


あの頃と少しも変わらない陰気臭く重苦しい雰囲気を携えながら、あの頃と少しも変わらず軽い言葉を放つ彼は、自然に私達の隣へ座り紅茶を飲み始めた。


「あら先輩。お味はいかが?」と女が言う。男は先輩と呼ばれていた。


「……美味い。いやマジで。」

「あら! お褒めいただき光栄! でもそんなに褒めてもらっても、クッキーくらいしか出ませんよ?」

「十分すぎるくれぇだ。」


そのクッキーの内いくつかは、私の口へ放り込まれる。大変美味であった。


「ところでこのクッキーは誰が焼いたんだ?」

「私ですよ先輩! えへん、上手に焼けているでしょう!」

「それは……ニホンにいる時に覚えたのか?」

「……? あら! ニホンが恋しくなっちゃいました?」

「いや、そういう訳じゃねぇんだが。」

「ふふ、誤魔化さなくたっていいですよ。先輩はこの世界に来てから長いですもんね! かく言う私だって、ニホンに戻りたいかなぁ、とか、家族は大丈夫かなぁ、とか、色々考えちゃう! まぁお兄様はこちらにいらっしゃいますけど……。」

「……。」

「あ、そうそう、クッキーの話だった! これはお母さんに教えて貰ったんです。」


二人の会話の音と、風でさわさわと揺れる葉の音を聞きながら、先輩がここに来た時のことを思い出す。



先輩がここに来たのは、私が連れて来られてから数日後の夜であった。

ソファに寝転がっていた私はぼんやりと、何もしないという至福の時間を味わっていたのだが、ふと目を横にやると目の前に先輩の顔があったのだ。


「……。」

—————っ。


無言でこちらを見ていた。

私は驚嘆した。心臓が飛び出るかと思った。それは見知った顔であったからというのみではなく、彼の鬱々とした空気はそれだけ重く心臓に悪いからだ。

端的に言えば油断していたのである。しかし彼がここに来るとはだれが予想できようか。


「手足も無くなっちまって……。」


声は酒焼けしているのか、煙草の影響か、しわがれている。

先輩の濁った瞳は茶がかった黒で、私を誘拐したあの男と同じ色であったが、印象は正反対である。どろどろとして、陰鬱で、気味が悪い。


「どうしてお前さんらは……お前たち親子は、誰よりも幸せを望んでいたのによ、こうも、不幸なのか。皮肉だなぁ。……可哀想に。」


彼の言う、カワイソウニという言葉ほど薄っぺらいものを私は知らない。


「でもお嬢ちゃんは、それを不幸だと思っていないのかもしれねぇな。だって、縋る手も縋らないなら必要ねぇし、歩く足も歩かないなら必要ねぇ。」

———縋らなくてはいけない状況なら縋る手は欲しい所だが。

「お前はそのままで、誰かと関わることなく、一人で呼吸しているだけ。」

———手足が無い女が一人で生きていけるわけがないのに、何を言っているんだか。

「お前は……手を取り合って生きるような、そういう安易な逃げ道が塞がれたことに、内心ホッとしてんじゃねぇか。不幸の中の安心……な。」


逃げ道も何もない。決められた私が決められた道をたどった結果だ。逃げ道なんて道は人の都合で出来たものでしかなく、森羅万象それぞれ一本道しか残されていないのが何故分からないのか。

故に私の現状も運だ。

しかし不幸ではない。僥倖に恵まれ、幸せな生活を送れている。彼は何かを勘違いしているようだった。


そもそも、何かを見る時人は絶対に自分というフィルターを通さないといけない時点で、勘違いされないというのは最早ありえないのだが、それにしたって曲解が酷い。


「だって、お前の望む幸せを、妥協しなくていいもんな。もしくは、これは、俺の自己投影かもしれねぇけどよ。」

———that‘s right. お前の自己投影でしかない。

「でも俺は、お前は一人じゃ幸せになれねぇと思うぞ?」

———何を当たり前なことを。手足が無い今、他者の存在なしに幸せなど望めない。


先輩はそう言ったきり、部屋を後にした。

兎にも角にも、久しぶりの彼とのコンタクトはこのようであったのは、記憶に新しい。



「あれ、ピクニックしているの?」


回顧していると、今度は勇者とおちびが現れ、これまた隣へ座った。これでここの隠れ家にいる住民は勢揃いしたようだ。

人が密集しすぎなので、クッキーを私の口に入れた後、出来れば今すぐ私を自室へ戻すことを推奨する。


「おぉ美味しそうな匂い。」

「う!」

「おちび、クッキー好きだよね。特に苺ジャムのついたやつ。」

「うー!」

「ちょっ、よだれよだれ!」


おちびの口から出た唾液を、女がすかさず拭き取った。


「あはは! 君もすっかり、お姉さんムーブが板に付いたね。」

「私はずっとしっかり者のお姉さんよ! あなたより、ずっとずっとしっかりしていたのよ! 昔からね。」

「そうだったね。君は何時でも強くて可愛いしっかり者の頼れるお姉さんだ。」

「まぁ! 照れるわね!」

「おいおい、そこラブラブしてんじゃねぇよ。俺ぁ独り身なのに、色々寂しくなっちまうだろうが。」

「うー!」

「ほら、ちびもこの通り、いちゃいちゃしてんじゃねーぞこの野郎って言ってるぞ。」

「う!?」

「もう! 先輩! おちびがそんな事言うわけがないじゃない。」


そう言いながら女はクッキーを私の口へ入れた。私は咀嚼する。これは……檸檬ジャムのクッキーだ。爽やかな酸味があっさりしていて実に素晴らしい。


「それに天ちゃんも、こう言ってるぜ。黙れ小娘騒がしいぞ、って。」

「どんなキャラ!? それこそ先輩の本音でしょう!」

「いやこれについちゃ、割とホントかもしれねぇぞ。」


確かに先輩の言う通り、騒がしいとは思うがそれももう慣れた。

それに最近では、教会に戻りたいとも思わなくなったのだ。そも、今まで通り動かなくていい生活ができると把握した時点で、戻る理由はない。

しかし、戻る理由はないが、天使の代わりをしていた時と違って、私がここにいる意味もないわけで、何時捨てられるか分かったものではないから、そこら辺は冷や汗ものである。彼らの様子を見るに杞憂に済みそうではあるが。


「天ちゃん、ちび、あれを見ろよ。」


先輩が空を指さした。目線だけを動かしてそちらを見ると、虹がかかった薄い雲が浮かんでいた。


「あれは彩雲っつーんだ。綺麗だよな。」


どうでも宜しい。だがおちびは偉く感動している様子であった。


「そう、目に焼き付けて、……そう。それは目を通して、魂に刻まれるんだよ。その魂に刻まれた美しい光景は、苦しくて苦しくてしょうがない時、そっと手を差し伸べてくれる。だから、綺麗なもんはたくさん見ておくに限るぞ。天ちゃんも、ちびも……お前さんら二人もなァ。」


綺麗なものを見たから何だと言うのだ。綺麗だからと言って、こちらを幸せにしてくれる訳でもない。

それとも、これも芸術性を誇示して承認欲求を満たす行為なのだろうか。

それなら尚更、馬鹿々々しい限りである。


「さーて。俺、ちょっとやることあるんだった。肉干さなきゃ。二人も手伝ってくれる?」


勇者がおもむろにそう言うと、他の三人が立ち上がった。

二人と言われた時点で、一人は労働を逃れられるのに、何故その一人になろうとしないのだろう。不思議な人たちだ。


「あ、手伝いはおちびと先輩だけでいいよ。」

「あら。私の手はいらないのかしら?」

「君は、天ちゃんになんか話したいことがあるんだろ? 雲も綺麗だし、今にしたら?」

「ばれてた!?」

「バレバレ。だってチラチラ天ちゃんのほう見てたしね。」

「えへへぇ……ばれちゃあしょうがないわね! 気遣い、感謝するわ!」

「どういたしまして。」


三人はそのまま揃ってどこかへ行ったようだ。

今まで賑やかだった場所が嘘のように静かになった。私を出しにして労働を逃れた女

も、今は何故か黙っていた。

これだけ静かに出来るのだから、是非平常も黙っていて欲しいものである。


「……。」


静穏な時間が過ぎていく。


日は山の裏へ半身を隠し、赤くなって私達を覗いている。彼女の髪は夕焼け色に染まって、静かに風になびいていた。瞥見すると、その表情は常の騒がしい姿からは考えつかぬほどの渋面で、まるで別人のよう。

彼女はしばらく、空を見上げながら黙っていたが、ふとした瞬間に此方を見て口を開いた。


「ねぇ、天ちゃん。」


彼女にしては珍しい小さな声は、この時間特有の静けさに溶け込み、空間と一体化したように思えた。

女は短く息を吸う。その音さえ鮮明に聞こえた。


「いえ、———天使様。お久しぶりです。私が誰だか……お分かりいただけますか?」


え、誰?


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