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天使は今日も動かない  作者: たいちゃん
勇者の苦悩
12/30

アンジュ教と清めの儀


3か月ほど経って、ようやくこの世界にも馴染んできた。

それが良いことか悪いことかは部屋の隅にでも置いておこう。とにかく落ち着いてきたので、俺は元の世界へ戻るべく、そして幼馴染の笑顔を取り戻すべく、とりあえず本腰を入れてアンジュ教について調べることにした。


情報が集まる場所と言えば……、やはりパーティだろう。

大臣にパーティ参加について頼んだところ、即日OKの返事がもらえた。勇者の力ってすごい。

そして、それなりの情報が収穫できたと思う。日本の多くの宗教信者とは比べ物にならないほど、国民はアンジュ教に心酔しているようで、ふぅっと息を吹きかければ、どこまでも飛んでいく綿毛のように、次々に情報が出てくるのだ。

それに幸運にも法王の娘ともじっくり話せる機会ができ、ある程度の内部情報も知ることができた。


法王の娘―――彼女とは確か、パーティ会場の裏にあった薔薇園で出会ったんだったかな。

緩やかにウェーブした金髪と、まるでフランス人形のような美しい顔立ちは、まるで芸術品のようだった。

しかし笑うと一転人間味がでて、女の子らしい愛嬌が現れる女性だった。

そんな彼女はシスターと呼ばれている。シスターとは、その薔薇園で小一時間ほど話した。


印象に残っているのは、まずこの会話だ。


「勇者様は、この世が理不尽だって思うことはございませんか?」

「勿論あるよ。貧富の差、才能の差、容姿の差……努力したって埋まらない部分はたくさんあって、……それってすごく理不尽に感じるよ。」

「えぇ、私もそう思っておりました。とても悲しいことですが、世の中にある様々な差別はなくならないし、悪人は滅ばないし、善人は報われない。努力が実を結ぶなんて幻想でしかありません。」


そこまで言った彼女は、立って俺と向かい合わせになり、両手で俺の手をぎゅっと力強く握った。まるで自分の熱意を伝えよう伝えようとする幼子のようで、何とか言うか可愛くはあるのだが、ドキドキはしない。

ただ流石に、顔を近づけられたときは、緊張してしまった。


「でも私は知りました。分かったのです。それは全て、天使様の御心の内にあるものだった……! 大自然の法則は全て、天使様に帰結しているのです。」

「ええと、……?」

「あぁご理解いただけませんか。森羅万象全ては天使様が許されたものだったのですよ。観念に囚われてはなりません。」

「観念?」

「うーん……これは、言葉にすると陳腐なものになり果ててしまいますね。抽象的な話を言葉でするのは非常に難しい。私の力が及ばず、非常に申し訳ないです。えぇ、だから勇者様、信じましょう。」

「えっ。」

「信じた人にしか分からないことがあるのです。信じなければ、何も感じない。だから進まない。勇者様は私の言う意味を一生理解できないし、世界もまったく分からないまま。」

「へぇ……そういうもんなんだ。」

「えぇそうなのです。ですから、この深淵なる世界の一歩目として……アンジュ教へ入信しましょう。」

「いやぁ、……ちょっと遠慮させて。」

「どうしてですか!? こちらが一歩踏み出せば、天使様も必ず答えてくださいます。そうしなければ救われないままですよ!」

「そういう考えの人を否定はしないけど……。無理やり入信させるのは違うんじゃない?」

「……。えぇ、おっしゃることは、ごもっともかもしれません。ですが、始めなければ分からないことがあるのです。正しい道がそこにはあるのです。」

「アンジュ教をはじめなきゃ正しくないの?」

「人間は、アンジュ教の訓戒なしで正しく生きられるほど強くはありません。必ずどこかで、曲がって、間違った道を歩んでしまいます。神から離れていきます。そこに悪魔が憑りつきます。ですから……。あぁ! 馬車にひかれそうな人間の手を慌てて引っ張らないほど、私は冷酷にはなれません!」

「う~ん。」


そろそろ、少し不気味に感じてきた。それを感じたのか、シスターは両手を優しく放した。


「すぐには受け入れられないかもしれません。ただ……これだけは申しますと、信じていればいつか分かる日が来るのです。勇者様は私を胡散臭そうにご覧になっておられますが、それではすべてを跳ね除けてしまいます。一生理解できません。理解するにはまず、信じるのです。そして信じた末に感じるのです。」


正直理解できない部分も多かった話だったが、なんとなく頭に残っている。彼女のいうそれが、信仰というものなのかもしれない。


まぁそれはともかく、彼女含む様々な人のお蔭で、俺はかなりアンジュ教に詳しくなったと思う。

まぁザックリ言えば、アンジュ教の要は天使だ。

そんでもってその要の天使とやらがこの世界に来たのはつい最近だそうだ。それで、もともと大きかった宗教が、奇跡を起こす天使を目の当たりにして急速に信者が増え、さらに大きくなっているそうな。


そして重要なのは、その奇跡の内容だ。

なんと、生き死に以外のすべての願いは本当に叶えられているらしい。


目撃者は多数。市民から貴族まで口をそろえて、その奇跡を目で見たと感極まった様子で教えてくれた。ただし生き死に関わることは教義に反するとかなんとかで、叶えられないそうな。

しかしそれ以外の災厄、例えば不治の病なんかは容易く治し、千切れた足なんかも生えてきたそうだ。さらに干からびた土地を潤し、作物を実らせ、心をも豊かにする。

なら、俺たちを元の世界に戻すという奇跡も叶えられるかもしれない。


とはいえ、問題が一つある。実は———勇者は、教会に入ってはいけないことになっているのだ。

理由は何だったかな。なにか宗教的なこと云々言っていた気がするが、忘れた。ともかくそういうわけで、残念ながら大手を振って、天使に会うことは不可能だ。


「忍び込むしかないかぁ……。」


教会という、なんと言えば良いか、犯すべからずのところに無断で侵入するのは、少し気が引けてしまう。

しかし幸いにもそれを簡単に実行できる能力が俺にはあるわけで、あとは俺の心ひとつ。


「やるしかないな。」


全ては彼女の笑顔のために。もとい、俺のために。





ゆるく波紋を描く水の中心に天使はいた。


「あの子が……。」


天使の容貌を非常にシンプルかつ直結に表すならば、手足が無い少女だ。むしろ、そうとしか言いようがない。


俺の美的感覚で言えば、天使は別段美人でもなくさりとて不細工でもなく、街を歩けば二、三人はいそうな容姿だ。濡れたような黒髪は美しいと思うけど、日本人としては珍しくもない。手足が無いのが違和感と言うか、なまじ女の子の見た目であるだけに痛々しく感じるが、どうしても人間と大きく変わっているようには見えない。

俺の想像としては、魔物や魔族と同じく、天使っていう種族があって、その姿は人間とはかけ離れているものだと勝手に思い込んでいたが違ったようだ。


手足が無いこと以外で印象に残ったことと言えば、天使の目か。

彼女の瞳が、金の燭台に立った蠟燭の光で照らしだされた時、ただただ静かで何も語らないことに驚いた。


どんなに冷静な人の目でも、そこから読み取れるものがなかったことはない。だからこそ、この子が天使だということを少しだけ信じてもいいかな、とは思った。

まぁ勿論のこと、ただ金儲けのために、人が天使のフリをしている可能性もあるのも事実だ。そうであってはほしくないけどね。元の世界に戻る一縷の望みがなくなる。そしてなにより、それはこの少女の手足が無い、ということになる。

それは……、可哀想、というのはおかしいかもしれないけど、それでも、あって欲しくはない話だ。


……まぁうん、天使の感想といえば、こんなものか。


天使単体で見れば、もう少し違った見方もあったかもしれないが、何しろ信仰者のインパクトが強すぎて印象が霞んでしまう。


「天のいと高きところには神に栄光、地には善意の人に平和あれ。」

「愛し子の涙には奇跡が宿り、地には善意の人に幸あれ。」

「我ら神なる主を褒め、讃え、拝み、崇め、主のおおいなる栄光ゆえ感謝奉る。」

「主よ、神の御子天使よ、我らをあわれみ給え。すべての災いから私達を救い、平和をお与えください。」

「神の愛、天使の恵みがみなさんと共に。」

「我らは限りなく信じます。どうか我らに限りない奇跡をお与えください……。」


昔何かの動画で、イスラム教の人々がメッカの方向に向かってお祈りしているものがあったが、まさしくそれと同等かそれ以上の熱狂具合でみんなは祈りを捧げていた。両手を天使様の方へ向けて祈る姿は鬼気迫るものがある。信仰者達を包んでいる空気には目に見えない熱量があって、その熱さに俺なんかは足元がグラグラしてたじろいでしまった。

怖いとか不気味という印象よりは、その圧倒的な熱さと重みに、一撃ガツンとしてやられた感覚だ。あ~目がチカチカする。


そんなことを考えていると、男の声が聞こえた。


「て、ててて、……天使様、に、しし信仰を、あ、あの……その……。お、おしめしくりゃ……くだしゃい。……さい。」


なんだか、めちゃくちゃどもっているようだ。


赤面しながらごにょごにょ言っているその男は、黄金色の髪と白い肌の西欧系の顔をしていた。

白い修道服には金糸の刺繍が入っているとこから見るに、彼は、恐らくだが……若法王だと思う。多分。いや、違うかな……? ちょっと自信がないけど、たぶんそう。


情報集したときに聞いた若法王の情報は、こうだ。

金色の髪と白い肌、法王の血筋のみが着るのを許された金色の刺繍の入った修道服を着ている。また、法王の正妻の息子であり、天使の司祭である。その巨大な権力は王にも匹敵し、そのカリスマは人を否応なく従わせる。


―――ん???


……姿は、条件に当て嵌まっている。そして、この場面でみんなの前に出て語り、みんなが彼の声を皮切りに、一斉に祈りの姿勢をとった、という事実は確かに彼を若法王だと示している。

ええと……それで、カリスマはどこいったんだろう。

そして、これはいつものことなのだろうか、誰も彼の挙動不審の行動に反応しない。むしろ敬服している感じも見受けられる。

俺がおかしいのだろうか。世にも奇妙な物語へ入り込んでしまったようだ。あ、でもここ異世界だから、似たようなものか。文化が違うのかもしれない。……ソンナコトナイトオモウケドナー。


ちなみに、周りにいる人間は全て貴族だ。みんな、小綺麗な格好をして、豪奢な椅子に座っている。貴族じゃない人はいない。

たまたま今日は、そういう日のようだ。

庶民だけが来る日、貴族だけが来る日、が教会で決められているらしい。これはまさしく、文化の違いというやつだろう。


「ひ、ひひっ、ひび! え、えと、あっと、えと、あ、そのまえにっ、て、ててってんししゃま! え、えーとえーと……。」


若法王が、わたわたしながら口を開く。


「しょしょしょしょれでは! こここっ。こ、これ、より、きよめ、め……の、ぎうぉ……を、……。」


恐らく、彼は「これより、清めの儀を行います。」みたいな内容を言いたいのだろう。

清めの儀は、百日に一度やる儀式だそうだ。貴族だけしか見られないとか云々、パーティで着飾った女の子が言ってた。

奇跡を起こすのはこの後のようなので、しばし待機するしかないだろう。1日もはやく行動したかったから今日にしたが、明日でもよかったかもしれない。


「しゃしゃしゃせて……。あれ……えっと、その前になにか……えっと。……。…………。」


若法王がそう言った後、しばらく無言が続く。

彼は顔をリンゴのように真っ赤にさせたままうつむき、沈黙。やがて顔を上げた。


「……もう……い、い……や。」


えぇ!?


どうやら、彼はあきらめてしまったらしい。

小さな小さな、吐息交じりの声だったが、口の動きでなんとなくわかった。なにより表情がそれを物語っている。

次期法王がそれでいいのか!


俺は動揺を隠すのに必死だったが、どうやら周りは違うらしい。彼の態度にまったく反応せず、神妙な顔をしている。

そして数秒後、大きな拍手が上がった。……なにがどうなってるんだ。わけがわからん。

若法王はそのまま、俺はやり切ったぞ、みたいな表情をして、すぱーっと煙草を吸いだしてしまった。


「……うわ……完璧にボイコットしやがった……。」


彼は思いっきりだるそうに煙草を吸っているが、誰もそれをとがめる様子はない。確かに顔がいいので様にはなっているが、それはアウトだと思うのだが。

なのに、咎めるどころか、さすが若法王様、なんて声も聞こえる。


「えぇ……。」


文化の違い? いやいやいやいや。

こんな圧倒的ずれがあるなら、この世界に来た当日に気づけるはずだ。


しばらく煙草を吸っている若法王だったが、数分後彼はようやく重い腰を上げ、おもむろに手を動かした。

すると、齢10から15くらいであろう女の子が歩いてきた。


手足は痩せ細り、目には希望がない。俺はそういう人を知っている。前の世界では見たことが無かったが……この世界では、何度か見かけた。そのたびに何とも言えない、酷く人の尊厳を冒されたような、どうしようもないかと死刑囚を眺めるような感じがして、思わず目を背けてしまう、そういう人たち。


つまり―――奴隷だ。


「……っ。」


この世界では、この国の城下町でも他国でも、当たり前のように存在する奴隷制度。この世界に人権という概念が存在しないことは知っているけど、それにしたって残酷すぎる制度だと思う。人として踏み入ってはいけないラインを超えた制度だ。

まぁしかし、少なくともこの国では、罪を犯した人しか奴隷になれなかったはずだ。それは死刑と一緒で必要悪といえるものかもしれない。

だが―――彼女は、それにしてはあまりに幼すぎやしないか。


正直、罪を犯したならば、そしてそれが殺人罪とかならば、自業自得の部分もあると思う。それだって事情があるのかもしれないけど、殺された人や家族の気持ちを考えるなら、……まぁ。うん。ね。

決して気持ちのいいものではないけれど、しょうがないことかもしれない。

だが、それはあくまで、分別のつく大人の話だ。

こんな幼い子が、たとえ罪を犯したからと言って、奴隷にしていいのだろうか。奴隷にして、人生全てを他人の持ち物にして……。

果たして、人間にそんなことが許されるのだろうか。


もちろん、俺が今まで奴隷について、何も行動を起こしていない時点で、何かを言う資格がないのは分かっている。こんな幼い子の奴隷がいるなんて知らなかった、なんて言い訳は通用しないだろう。知ろうと思えば簡単に知れたことなのだから。

それでも―――やっぱり、こんなの間違っている。

不快感を握りつぶすように、手を握ると、蚊が鳴くようなか細い女の子の声が聞こえた。


「こうえ……です……こ……です。」


奴隷の女の子の声だ。女の子は、虚空に向かって「光栄です。」と繰り返している。怖いくらい、何度も何度も、壊れたラジオのように、何度も何度も……。

その姿に、ずくり、とスプーンで胸が抉られたような感覚に陥る。それから頭のどこかが沸騰するような感じがした。

それでも俺の後ろにいる冷静な俺が、沸騰した俺を押さえつけていた。


女の子はしばらくすると、天使が半身浸かっている泉へ足を向けた。よたよたと千鳥足で、栄養不足からであろうふらつきを見せながらも、何とかその場所へ到達し、足先を泉につけた。

そして彼女の小さな小さな足は―――溶けた。


「はっ……?」


えっ、なにが……なんで……!?

叫びそうになるのを必死に抑える。

俺がそうしている間にも、彼女は次々と泉に入り、溶けていく。むわっと血の臭いが教会中に広がる。


「なん、で……。」


未来の有るべき小さな小さな女の子は、チーズのごとく溶けていく。

そしてそれを見た貴族たちはあろうことか、拍手している。若法王はつまらなさそうに煙草を吸っている。

天使は無表情。


……は?


「いやいや、……いやいやいやいや。…………え……?」


思わず、呟いてしまう。

子どもがあんなことになっているんだぞ……なんで誰も助けないんだ? なんで貴族は嗤っている? 

なんで―――天使は動かない?

天使なんだろ? どんな奇跡を叶えるんだろ? 神の子じゃないのか。 

……なんで、みんな揃って、ただ黙ってみているんだ……。


ゾクッと冷たいものを感じて身の毛がよだつ。しかし、その言い知れぬ恐怖は次第に、今にも爆発しそうな怒りに転換していった。胸の奥から、グツグツと、鼻が痛くなり涙が出そうなほどに怒りがわいてくる。

わずかに残った冷えた頭で、元の世界へ帰る手段のこととか、この国のこととか、アンジュ教のこととか、色々なことが巡っていく。『考えろ』、と誰かの声が聞こえる。けれどそんな事を考える自分にも情けなさと怒りを感じて、やがて全て煮えくり返った。


「ふざけるなッッ!!」


気づいたら、思いっきり叫んでいた。


「なんで……なんで、みんな、平然としているんだよ……ッ! 人が死んでんだぞ……しかも、こんな残酷な……! こんなの……狂っているだろ!!」


神殿の中にその声が響き、教会内にいる全員の視線が突き刺さるが、そんな事はどうでもいい。全速力で駆け出し、女の子を引き上げるために泉に手をつけた。

じゃぽん、という、場違いな音の後が響き渡る。後ろの方で困惑した声が聞こえた。だがそれに構ってなどいられない。


片腕を泉の底へ付けて身体を支え、もう片腕で少女の手を取る。少女の体がぐらりと揺れて倒れそうになるので、あわてて引きあげた。

片手で簡単にあげられるほど彼女の身体は軽い。

それは、彼女の栄養状態にも起因するだろうが、あともう一つ―――きっと彼女の足が無いからだ。


「~~~~ッッ!!」


思わず胃から何かが飛び出そうだった。何とか吐かなかったのは、俺の意地が勝ったためか、この世界に順応したためか、わからない。

彼女の足の付け根は、赤いような白いような色をしている。それより上は膨れた餅のようなもので覆われて、どろどろになっていた。


彼女を抱えると、血と、透明な液体が彼女の体から俺の服へ染み出していく。


あぁ、どれだけ痛かっただろうか。この小さな体に、どれだけの激痛が走っているのだろうか。せめて意識がなくなればマシだろうに、彼女の目は虚ろながらまだ開いていた。それは生きていてくれていることの証だから安心する反面、本当に可哀想だ。

どうやらこの液は俺には効かないようで、痛みの共有さえできない。それでも彼女が苦しんでいるのが分かった。


それに彼女の痛みには遠く及ばないが、僕も、この少女の痛みと無くした足を思うと、ただただ胸が苦しく痛かった。

そして、こんな目にあわせた奴らに、見殺しにしたやつらに、どうしようもない怒りがわいた。


……自分だって、すぐには動かなかったくせに。


それでも、どうしようもなく憎かった。

未だに何かを、ごちゃごちゃ言っている貴族に言い返して、剣を握る。


少しだけ冷静になるよう努めた頭で周りを見渡せばすぐに、みんな、こんな事態に内心怒り狂っていることはわかった。ただ動けなかっただけ。

ただ、きっかけがなかっただけだろう。

だって、こんな事を平然と見てられるほど、人間は冷たくないはずだ。


「みんな、おかしいと思わないのかよ!?」


剣を上げる。


「こんなのおかしいと思う人は、俺に力を貸してくれ!!」


あぁやっぱり。

俺の行動を阻止しようとする貴族や、それに従う騎士や使用人に対して、みんなは立ち向かってくれた。

俺の言葉を聞いて、力を貸してくれた。


あ、あそこにいるのは、道を聞いてきたのがきっけかで仲良くなった新人の使用人だ。それに、一緒に炊き出しをした教会の子。酒飲み仲間であり、剣の師匠でもある騎士たち。仲良くなった貴族の子もいる……。

人との繋がり……利害関係じゃなく、心から繋がった人たちだ。心と心は通い合い、こうした強い力になる。これが人間のあるべき姿だろう。少なくとも、幼い女の子を見殺しにするのは正常な人間のやる事じゃない。


俺は、異世界に戻れる手段になることを願って天使を抱きかかえ、足をなくした少女を背負い、神殿を後にした。

後ろのほうで、何か大きな声や音が聞こえたが、振り返るつもりはない。


「……あぁ。」


……これでよかったんだよな?



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