始まりは唐突に
*注意
視点が変わります。時間が戻ります。
人が嬉しければ、俺も嬉しい。
人が悲しければ、俺も悲しい。
人が幸せなら俺も幸せだと感じるし、人が不幸なら俺も不幸に感じる。
人と人との心が音叉のように共鳴していくのは、風が吹けば葉が揺れると同じようなものだ。どうしようもない自然の摂理。子どもだって大人だって、人間である限り、互いの心に触れあい影響しながら生きていくことになる。
だからこそ―――自分が幸せになるためには、人に幸せになってもらえばいいのだ。
その真実を俺は知っているから、今日も人を幸せにしたいと思う。それ以上でもそれ以下でもない。
君は俺を優しいと言ってくれるけど、本当の自分はその程度人間なんだよ。
「わかった?」
幼馴染は、頭上に広がる晴天と同じように輝く笑顔で、こう言い放った。
「だから貴方は優しいのよ!」
…………やめてくれ。
◇
ふと、瞬きをしたら、まるで別世界のような景色が広がった。
「おぉ勇者よ! よくぞ参られた!」
そう言ったあの老人は、王だろうか。これでもかと言うほどふさふさの髭をたずさえ、赤いマントを羽織って、一番高い玉座でふんぞり返っている。王制に馴染みのない俺でもわかるほど、その老人は典型的な王様像をしていた。
王の周りには、漫画の中から出てきたような、典型的な中世の西洋人……姫や執事、騎士やメイド……などが、ずらっと並んでいる。
そして目の前には黒いローブと、杖という、これまた典型的な魔法使いがいた。彼は俺を嬉しそうに見ている。
「まずは突然、異世界に連れてきた非礼を詫びよう。そして我々は貴殿を歓迎する! この世界へようこそ。」
王であろう人が、両手を広げて良く通る声でそう言った。俺は混乱の真っただ中であったが、その中で、いの一番に確認したのは、幼馴染の手のぬくもりだった。
そう―――幼馴染が隣にいたのだ。
現状何一つ呑み込めていない状態でも、幼馴染の存在のおかげでなんとか正気を保っていられた。どうして彼女と手を繋いでいるのかは分からないが、この状況下では精神的にとても助かっていた。
しかしなまじ正気を保てているせいで、周りの異常性が嫌でも目についてしまう。
「いやなんだよ、これ……。」
王らしき人が何かを言っているが、全く頭に入ってこない。入ってきた言葉が、目からの情報に負けてポロポロと外へ落ちていってしまう。
幼馴染の表情を見てみると……まぁおおよそ俺と同じ感じのようだった。
「おーい、大丈夫か?」
「ワケワカメ~。」
いや~俺よりひどいな、これ。
幼馴染の彼女はいざとなると強い鋼の心を持っているが、心の準備ができていないと、俺よりポンコツになる。はっきり言ってアホの子になる。古典的な表現で大変恐縮だが、今にでも頭の上から煙が出そうな様子だ。
いや、いざって時はほんと強かな子なんだけどね?
しかし、唐突すぎて心の準備もクソもないこの状況で、それが発揮されることはないだろう。ただ、ぽけーっとしている。俺と同じように。
そうして、そのまま二人で呆けているうちに、王様は話し終わり、俺たちはそのままこの宮殿で暮らし始めることになっていた。
そう―――俺たちはこうして、異世界に連れられてきたのだった。
唐突すぎる? まぁでも、俺の感覚としてもそんなもんだ。
この世はフィクションじゃない。だから、伏線や予兆なんてない。ただ普段の日常の中で、突然、前触れもなく、この別世界へ連れてこられた、という現実があるだけだ。
元の世界には、夢を語り合った親友も、優しかった両親も、一緒に馬鹿やった級友も、いろんな人たちとの縁があって、物語があって、それをいきなりぷっつん切られたことに憤りを感じなかったわけではない。
それにいきなり、まったく違う文化の中で生活しろと言われて、困惑も不安も当然ある。
それでも、まぁなんとかなるか! と思えたのはきっと……。
「ねぇ見て! トンガリ帽子買っちゃったわ! 可愛い? 可愛い?」
この幼馴染のおかげだった。
あぁ、ちなみに今は、連れてこられてから、1か月かそこらが経過したところだ。俺も彼女も、ここの暮らしに多少は慣れてきていた。
「あぁ~トンガリ帽子。魔法使いの定番だなぁ。君、魔法使い系のアニメ好きだったもんね。とても似合っているよ。」
「ありがとう! そう、そうなのよ! せっかく、魔法使いになったんだもの。あこがれの実現なの!」
「魔法使えるの?」
「んふふふ、もっちろん。みてて!」
そして彼女が一口呪文を唱えると、何やら黄色い光がここら一帯を包み込んだ。ぽわぽわとした光の粒は蛍にも似て幻想的で、思わず口を開けてしまうほど美しい。
惜しむらくは、今俺たちのいる王宮が、すでに十全な明るさを持っているせいで、彼女の魔法の魅力を最大限発揮できないことだ。
「これはライトっていう魔法よ!」
「すっげぇ……。 滅茶苦茶綺麗だった!」
「そう? 光栄だわ! じゃあ今度は何を見せよっかなぁ。……あ、そういえば、この前貴方ひざを怪我してたわよね。」
「ん? あぁ、そういえば。」
意識すれば少しじくじくと痛む。
血管の中でミミズが這っているような鈍痛は不快だ。
「なんで怪我したんだっけ?」
「なんであなたはいっつもそういう事忘れちゃうの? 車で引かれそうな子供を庇って、でしょ?」
「あぁ~!」
あったあった、とうなずいた。
車ではねられそうになっていた少女を、衝動的に突き飛ばしてしまった記憶がよみがえってきたのだ。
あの子元気かなぁ。―――もう俺には知る術がない。
もう俺はあの世界に戻れないらしい。俺たちをこの世界に連れてきた王様がそう言っていた。最初は少し落ち込んだが、……我ながら、結構あっさりと元の世界を手放してしまったなぁ、と思う。
勿論そうできたのは、幼馴染のおかげに違いない。
きっと誰にも想像できないくらい、彼女は心の支えになっているし、支えてあげなくてはという気概すら俺の支えになっている。俺という樹がまっすぐ立てるのは、彼女が添え木になってくれているからに違いない。
「ヒール!」
なんて思っていると、幼馴染が何か呪文を唱えた。
「ふふーん、これは回復魔法よ! すごいでしょう。」
「へ~これが……。すごいね、全く痛くなくなったよ。ありがとう。」
「どういたしまして! 私、回復魔法が一番得意なの!」
カラカラと快活に笑う彼女に救われる。
正直言うとあまり効いていないようで、まだズクズク痛むが、気持ちは楽になったように感じた。精神を癒すヒールなのかもしれない。
「すごいでしょ! もう私も立派な魔法使いなのよ!」
えへん、と胸を張る彼女は非常に可愛らしい。ひいき目なしに見ても、幼馴染はトップアイドル並みに可愛いし、ひいき目で見れば世界一可愛い。背は小さめだが華奢でバランスがよく、肌も玉のようで、気立ても良く、最高だ。特に耳から白いうなじにかけての線が美し……いや、流石に気持ち悪いのでやめようか。
彼女の魅力は何と言っても、内面が綺麗だからだろう、笑顔がすっごく可憐なことだと思う。笑うと周りにピンク色の花が飛び散るのは、きっと俺の幻覚ではないはず。
「……じ~と見てどうしたのかしら?」
「あぁ……いや、別に。なんでもないよ。」
「そう?」
「う、うん。」
小さいころからずっと一緒にいたというのに、……いや、だからだろうか、彼女に見つめられてしまうと照れてしまう。
この妙な感情が、いわゆる恋心というものなのかどうかは分からない。
けれど彼女に俺へのそういった想いはないのはわかっているので、今更どうこうするつもりはない。もちろん彼女とそういう事したいという欲望はあるけれど、それ以上に俺だってこの関係を気に入っているんだ。
「そういえばあなたは、最近よく王宮の外に出かけているわね!」と、出し抜けに言う幼馴染。
「そうだね。」
「何をしているの?」
「ん~。商店街でぶらぶらしたり、公園や孤児院へ行ったり、冒険者ギルドってとこ行ったり……ってところかな。あ、ギルドは知ってる?」
「知っているわ! ギルドに登録したの?」
「いや~、したかったんだけどね。」
「できなかったのね!」
「うん。勇者はギルドに入れませんって言われちゃったから、ギルド登録はできてないんだ。でも、冒険ってほら、なんか……浪漫だろ?」
「浪漫ねぇ……ちょっと私よくわかんないわ!」
「君はリアリストだもんね。」
「そうかしら? そう言うあなたは似非ロマンチストね!」
「なんだそりゃ!」
おちゃらけながら突っ込むと、彼女は意地悪に笑って見せた。それがまた可愛らしくて、戯れ交じりの毒舌なんていくらでも水に流してしまう。
「まぁそれでね、ギルドでできた友達のクエスト一緒に受けさせてもらってたんだよ。」
「へぇ~。どんなクエストを受けたの?」
「ゴブリン討伐だよ。結構ポピュラーなんだ。」
昨日行ってきたばかりだが、滅茶苦茶面白かったのを覚えている。
鉄の結束で固まった友達のパーティは、純粋にすごいと思った。索敵や罠解除する人、双剣で攻撃する人、盾で防御する人、回復する……、誰か一人でも万全ではなくなると、撤退しなくてはならないほど一人一人の役割は大きい。それを任せられるのは、強固な信頼と絆があってこそ。
なんだか部活のようで、少し懐かしかった。
まぁゴブリンは普通に気持ち悪かったが、今思えばそれも合わせて良い経験だろう。
幼馴染にその時のことについて臨場感たっぷりに話すと、彼女は楽しそうに聞いてくれた。
「とっても、楽しそうね! サイコウに笑顔が輝いているわ!」
「うん。君も一緒に来ればよかったのに。そしたら、俺はもっと楽しかったよ。」
「まぁ! でも残念、私もちょっとやりたいことがあったの。」
「やりたいことって?」
「魔法の特訓よ! 魔法使いには必須でしょう?」
なるほど、先ほどのいくつかの魔法はその成果だったようだ。
俺の予想をはるかに上回って、彼女は真剣に魔法使いを目指しているみたいで、ここ一か月ほどずっと部屋にこもって魔法の訓練をしているらしい。活力にあふれ、アウトドア系の彼女がずっと部屋なのは珍しいが、一つのことに熱中してコツコツ積み上げていくのを得意とする一面もあるので、らしいっちゃらしいかもしれない。
そうした彼女を見ているとなんだか、遊びまわっていた俺がとんだロクデナシに思えてくる。勿論ただ遊びまわっていたわけではなく、情報収集や、王様に頼まれたパトロールも兼ねたものであるが、結果は同じようなものだ。
1日くらいは、ずっと彼女と一緒にいればよかったかもしれないと、ふと考える。
それから、純粋にこんな疑問が出てきた。
「特訓って、どんな感じのことしてるの?」
「うーん……説明が難しいわね! まぁ端的に言えば、えいや、ほいや、って魔法を放っているだけよ! あとは魔術式の解読と、マジックアイテムの知識を収集することかしら!」
「おう……?」
「まぁ私のことなんかどうでもいいのよ!」
「それより他には何かやった?」と、彼女は大きな瞳いっぱいに太陽光を反射してキラキラとさせて、こちらを見つめる。
やばい、可愛い。この表情は、幼馴染の可愛いさが最大限発揮される表情だ。
「え、ええと……。」
その目にどぎまぎしながら、いくつかの出来事を話した。
教会の炊き出しを一緒にやらせてもらったこと、そこである一組のカップルが成立したこと。スリにあったこと、騎士に助けてもらったこと。騎士と一緒に飲み明かしたこと。飲み比べて完敗したこと。
孤児院で歌を歌ったこと、そこで美味しいクッキーをもらったこと。パン屋の店番をしてみたこと。店主の奥さんに頼まれて子守をしてみたこと。出産の手伝いをしたこと……。
ひとつだけ、意識的に話さないことがあった。
ある日近道のために路地裏を通っていた時だ。
すっぽり黒いマントを被った人に話しかけられた。格好こそ怪しかったが、その人はすごく優しそうな甘い甘い雰囲気の人で、警戒しようと思っても出来ない何かがあった。声は中性的で男か女か分からないが、とてもおっとりした喋り方だったことを覚えている。
その人が僕に耳打ちした。
「君を殺そうとしている人が、大勢いる。気を付けてね。」
「へ?」
「でも大丈夫。守るから。」
「えーと?」
何を言われているのか分からなかった。だがその人は気にせずに、更に言葉を続ける。
「もしかしたら、君が許せないような酷い時代になるのかもしれない。それでも人たちは賢明に生きている。それを忘れないで。一から始めようなんて、思わないで。」
一から、というのは、思い当ることがないでもなかった。
まぁそれはともかく、不穏なことを言われてその時は焦ったものだ。しかしそれから別に襲撃に合ったわけではなく、ただ謎として僕の記憶の中に残っている。
わざわざ彼女を心配させることはないから、そのことだけは省いて、他はすべて話した。
「やっぱり、貴女のお話は面白いわ! それに、貴方は……いつでも人を助けてあげられるのね。」
「へっ? 今の話に、そんなところあった?」
「あったわよ! 色んなお話から、貴方に関わった色々な人の温かい気持ちだとか、感謝が伝わってくるもの! それに聞かなくても分かる。貴方は、どこへ行っても人を助けてあげられる優しい人よ!」
「……。昔っからずっと言ってるけど、俺は優しくないよ。」
「じゃあ正しい人ね!」
「正しくもないよ。」
彼女はずっと俺と一緒に育ってきたのに、俺のことを誤解している。よりにもよって俺を優しい、正しいなどと、無垢な笑顔で言ってくる。
そのたびに彼女を欺き騙しているような気がして、負い目と、期待と言う名の重荷を感じるのだ。やめてくれ、って彼女の前で跪けたらどれほど楽だろうってくらい苦しい。
でもそれだけじゃなく、少しだけ嬉しさというか、快感というか、虚栄心が満たされるような感覚になるのも事実だ。それに気づいて、また自己嫌悪するこの泥沼を、彼女は知っているだろうか。
彼女は、胸を張ってこう言った。
「ふふん。いいのよ、私がそう思っているってだけなんだから!」
……はぁ、まぁ何を言っても無駄かぁ。今はあきらめよう。
元気でいてくれたなら、まぁいいや。
今でこそ、こんな感じで溌剌と生命力にあふれた幼馴染だが、この異世界へ来たあの日、彼女は―――ぽろぽろと涙を流していたのだ。
彼女の笑顔を見るたびに、それを思い出して、その表情の裏にある拭いきれない何かを感じては、どろりとした罪悪感が日に日に俺の胸へ溜まる。
扉の向こう側、一人すすり泣く幼馴染の声。大声でわんわん泣く幼い日の彼女なら見たことあるが、あんな声は……絞り出すような、嗚咽交じりの声は初めて……。
俺はどうしても、扉を開けられなかった。
開けてしまったら彼女の何かが壊れてしまいそうだ、なんて馬鹿のことを感じて、でもその時は真剣にそう思って、ただ扉の前で立ち尽くしたんだ。今思えば、そのまま思いっきり開けて、彼女の小さな身体を抱きしめてやればよかったかもしれない。
というか、いつもなら絶対そうしてた。
でも何故だか、その時は開けてはいけないような気がしたのだ。
あの日から幼馴染は変わった。この世界に何とか適応しようとしたのだろうか、トンガリ帽子や魔法使いらしい格好をし始め、魔法の特訓を始めた。それは、一見この世界を楽しんでいるようにも見えるけど……。
たぶん、空元気だ。
笑顔も発言も仕草も、いつも通りではあるけど、ふと見ると目の奥の光が消えていることがある。
でも、よく考えたら当然だ。
彼女は家族と深い愛情を結んでいたし、友達も親友もいて、毎日が楽しそうだった。そんななかで急に異世界へ連れてこられたのだ。それで落ち込まないわけがないし、それでも気遣い屋で優しい彼女は、無理に笑ってみせてしまう。
だが、本心は元の世界へ帰りたいはずだ。
決めつけてしまうのは、よくないかもしれない。でもきっと、彼女は俺に気を遣って本心を言わないだろう。
だから彼女の気持ちを、無言の叫びを、誰かが汲み取らなくてはならない。そしてそれをできるのは、幼馴染である俺しかいないだろう。
「よし!」
決めた。彼女が楽しいと、俺も楽しい。彼女が辛いと、俺も辛い。だから俺は、俺のために彼女を幸せにする努力をしよう。
俺が幸せになるために、何とかして、元の世界に戻る方法を探そう!
◇
彼女と別れた後、大臣にアンジュ教という宗教の話を聞いた。元々、あることは知っていたが、宗教には興味がなかったので、今までは詳しく聞いていなかったのだ。
正直、宗教にあまり縁がなかった俺からすれば、どうしても胡散臭く感じてしまう。大臣の話もいい加減に聞いていた。
だが、ある一言だけが記憶にべったりこびりついた。
「天使様は舞い降りられました。天使様は全ての願いを叶え給う……奇跡をおこす尊き御存在であられますよ。」
もし、もしも、それが本当なら、元の世界に戻れるんじゃないか?
あまり大きな期待はできないが、でも可能性が0じゃないなら調べる価値はあるだろう。