第7話 可愛いうさぎは異世界を旅する
――ピピピピピピピ……
いきなりあたりに、ピピピピ……という音が鳴りだした。
ピピピピといっても、小鳥がさえずるような声じゃない。
電子音みたいな人工的な音だ。
アラームの音っぽいけど、私のスマホから鳴ってるわけじゃない。
いったいどこから、何が鳴っているんだろう。
この世界では、いわゆる産業革命はまだ起こっていないとティコティスは言っていた。
疑問に思い、向かいにいるティコティスをみると――。
いままで、のんびりマイペースだったティコティスがあわてている。
どうやら、いまだ鳴りやまないアラームみたいな音のせいっぽい。
ティコティスは体を上下にジャンプすることをピタリとやめた。
私と視線のあう位置に浮かんだまま、私と目をあわせることなく、ティコティスは自身の右腕をみている。
つられて私もティコティスの右の腕をみた。
ティコティスは腕もモフモフな毛におおわれていて、やわらかくてとってもさわりごこちが良さそう……。
じゃなかった、いまは毛並の感想は置いといて!
ティコティスは右腕に腕時計のようなものをしていた。
チョーカーのときとおなじく、体の毛にかくれて私の目には、うつっていなかったようだ。
左の前足で右腕の毛をおしのけ、時計みたいなアイテムの表面を確認している。
どうやらピピピ音はこのアイテムから鳴っているらしかった。
……デジタル時計に搭載されたアラーム機能のようなものなのかも?
ティコティスは、あわあわしながら言う。
「ごめん、唯花! ぼく、もう行かなくちゃいけないや~」
(行くって、いったいどこに?)
私が問いかけるよりもはやく、ティコティスは右腕を上空にかかげた。
すると腕時計のようなアイテムからリング状の光がとびだす。
ちいさなアイテムからとびだしたのに、この光は、大きめのマンホールくらいのサイズだった。
(プロジェクターのようなシステム? それとも、もっと高度なシステム?)
あらわれたこの輪は、中庭の泉と回廊のちょうど真ん中あたりの位置に、まるで壁に固定された丸い額縁のようにうかびあがっている。
……泉と回廊の中間地点には、さっきまで芝しかなかった。壁なんてみあたらなかったはず。
それなのに、額縁みたいにみえるなんて不思議だけど、私の目には、そうみえてしまう。
ティコティスは、光る輪がある方向をめざし、私に背を向け一目散に駆けていった。
ものすごいスピードで走っていくなか、一瞬だけこちらを振りかえり、早口で言う。
「じゃあね、唯花! ぼく、自分の世界に帰らないと……。じゃないと、ぼくの世界で……大変なことが起きちゃうんだ」
……えっ! 帰る?
ティコティスは自分のやってきた世界とこの世界を自由に行き来できるの?
その腕時計みたいなものの持つ力のおかげ? それとも、ティコティス自身にそなわった能力なの?
私、他にも、ティコティスにくわしく聞きたいこと、いろいろあるよ。
「待って、待ってー! ティコティス!」
私はティコティスを追って走りだす。
ちなみに私の足の速さは平均以下。
子どものころの運動会も、学生時代の体育祭も、徒競走の結果がよかったためしはない。
対するティコティスはうさぎさん。
普通のうさぎだって足が速いのに、ティコティスは不思議なうさぎ。
勝負にならないかもしれないけど、ここでティコティスに去られてしまったら、私は困る。
ティコティスは、べつに私を困らせるための意地悪でこの場から去ろうとしているわけじゃない。
自分の世界が大変だからだって言ってる。
そもそも困った者を放っておけない性分だから、見ず知らずの私を助けてくれたんだろう。
でも、私にはティコティスに聞いておかないと困りそうなことがまだまだたくさんある。
せめてティコティスが自分の世界にもどる直前まで、なるべく多くの疑問を聞いておきたい。
私は懸命にティコティスを追った。
リング状の光は、広い庭の中央にある泉と回廊の中間あたりの位置にある。
追いかけてくうちに私は、これまでのおどろきの連続の疲れからなのか、それとも日頃の運動不足のせいなのか、足も頭もフラついていく。
フラフラの頭で、ティコティスの背中というか……丸いしっぽを目標に駆け、それがどんどん遠く、ちいさく、なっていくうちに、ふと思う。
……言葉を話す不思議なうさぎを追っていくって、なんかこれって『不思議の国のアリス』みたいな世界じゃない?
――あれっ!? 精霊さんと私がかわした会話では……。精霊さんが私をトリップさせようとした世界は、うさぎと追いかけっこするアリスのような体験ができる世界じゃなかったはず――。
やっぱり精霊さんはトリップ先をまちがえた?
そんな不安が私の頭をふたたびもたげる。
その最中――。
ティコティスは風のように駆け、光のわっかの中に、とびこんでいこうとする。
「待って、お願い、待ってー!」
ティコティスはもう一度ふりかえってくれた。
「ごめんっ! いまは行かなきゃ、ぼくの世界でのトラブルが処理できたら、また唯花に会いにいくから。なんかきみのこと、心配だし」
「また会いにって……いつごろ?」
「いつかは――わからないけど、なるべく急ぐねっ!」
言いつつも、ティコティスは光のわっかの中に頭からゆっくりと吸い込まれていく。
まだ輪の外にあって私の目で確認できるのは、おしりとしっぽと後足だけだ。
――……いっ、急がないと、ティコティスは完全にこの世界から姿を消しちゃいそう。ど、どうしよう……。次は、いつこれるか、わからないなんて――。
パニック状態になりそうな私は、こんなときこそ落ちついて考えなきゃと自分に言いきかせる。
(上半身はすでに謎の光に吸い込まれちゃってるティコティスだけど、体が全部消えちゃったわけじゃない。だから、私の言葉はまだ聞こえてる? それとも耳も口も、元の世界にもどってしまって、私と会話はもうできない?)
いちかばちか、話しかけてみよう。
体の一部でもここにいるうちは会話ならできるかもしれない。
「ティコティ……」
私が名前を呼び終わるよりまえに、光のなかから声が聞こえてきた。
「……あ、あれ? あれれぇ!? ヘンだなぁ」
この声は、まぎれもなくさっきまで私と話していたティコティス。
「どうしたの、ティコティス?」
ティコティスの体は、あいかわらず上半身だけが、まばゆい光に吸い込まれているようにみえる。
光の中からティコティスの、もじもじした声が聞こえてきた。
「……こんなこと言うの、すこし恥ずかしいけど。ぼく、最近ちょっと太ったかもしれない。というか、太った……」
「へ?」
「行き――今日、この世界にやってくるとき――も、この輪を通り抜けるのは、けっこうキツかったんだ。やっぱり腰のあたりでひっかかっちゃった。キツキツなのをしばらくガマンしてたら、そのうち、ぽてっと押しだされたから、帰りもおなじようなパターンでいけると思ってたんだけどなぁ。まだ元の世界に押しだされないんだ。『行きはよいよい、帰りはこわい』とは、まさにこのことだね」
「いやいや、その言葉はそういう意味じゃないって、昔聞いたことあるよ。そもそもティコティスの話を聞くかぎりじゃ、行きもよいよいじゃなくてキツかったんでしょ?」
ティコティスは以前より太ってしまい、そのせいで元の世界に帰りづらくなっているらしい。
うーん、かつてのティコティスの体型は知らないけど、いまのティコティスはうさぎさんらしい可愛い体だと思うよ。
おしりふくめて、ぽっちゃりしすぎって印象はなかったけどなあ。 ほどよくモフモフしてるとは思ったけど。
そもそも、目のまえで輝く光のリングはうさぎどころか、人間だって飲み込めそうなほど大きい。
人が地下に出入りできる、大きめのマンホールくらいのサイズだ。
それが壁なんてない場所に、壁にかけられた額縁のように浮かんでいる。
その輪をさっきティコティスは、まるで火の輪くぐりするライオンみたいに颯爽と、とびこんでいった。
余分なお肉がつきすぎてるようには、全然思えないけど……。
私の疑問に気がついたのか、ティコティスはピンチにみまわれているらしいのに、律儀に答えてくれた。
「この輪は、異なる世界同士を結ぶ空間に通じているんだ。唯花からは、みえないはずだけど、中に進めば進むほど、せまい空間になっている。うさぎ一匹、通り抜けれるかどうかの穴を抜けなきゃいけない――使用者の体型がかなり制限されたアイテムなんだ」
異なる世界同士を結ぶ空間――って、私が池の精霊さんと話したような場所?
ティコティスは『自分はセイレイじゃない、セイジュウだ』って言ってたけど……。
第一、私が精霊さんと話したのは、水を連想させる場所だった。
わっかや穴は関係なかったはず。
そして精霊さんは、これといったアイテムを使うことなく私をこの世界にとばした気がする。
わからないことがどんどん増えていくなか、私の耳にティコティスの声が届く。
涙声で、私と出会ったときの陽気な口調と全然ちがう、弱気なしゃべりかた。
「……ぼく、はやく帰らないと……みんなが、待ってるのに……」
ティコティス――。
いまの私にはティコティスのおしり(としっぽと後足)しかみえないけど、大きな黒い瞳に涙をためている顔が目にうかび、胸がしめつけられそうになる。
――なんとかしてあげたい。
ティコティスは、初めて異世界にとばされてしまった私を助けてくれた。
今度は私が助けたい。
どうにかして、ティコティスを彼の世界に、彼の帰還を待っている仲間のところにもどしたい。
でもそれは……。
私が他の世界からやってきたことを知り、その世界――21世紀の日本――のことを知っているティコティスがいなくなってしまうということ。
だけどそれでも私は、たぶん平気……だよね。
だって、この国はとても平和だというし。言葉も通じる。
翻訳アイテムをティコティスがくれたから。
精霊さんは、自分がだしたクイズの、私の解答が気に入って、なんだかんだご褒美のつもりで、私をここにつれてきたっぽいし。
だから、ひとりでもどうにかなるかもと思ったって、そこまで楽天的すぎるってわけじゃない気がしてきた。
ティコティスは、この世界に何度もきているって言っていたし。治安もいいんだ、きっと。
女性や小動物が単独行動をしても、安全な場所なんだろう。
それでも初めてきた私がなんだか心配だから、自分の世界のトラブルが解決したら、またきてくれるとも言ってくれたティコティス。
――それなのに、ちいさなうさぎさんに甘えてばかりなんて、私、大人として自分が恥ずかしくなっちゃうよ。
ティコティスは「えいっ、えいっ!」と声をだしながら、小さな足を懸命にバタつかせている。
はやく仲間のもとに帰るために。
モゾモゾと、もがきつづける両足は、なかなか前に進んでいかない。
ティコティスはたしかさっき、「今日、この世界にきたときもキツかった」と言っていた。
他の世界のうさぎの生態はわからないけれど、腰まわりのサイズって、一日でそこまで変化しないよね。
ティコティスは、行きにムリに輪を通り抜けようとして、ケガをしたとも言っていなかった。
あとほんの少し、力が加えらればスルッと入っていくのかも。
――私にできること……そうだ!
私はティコティスを半分だけ飲み込んでいる光に歩みよった。
「私が光のわっかの外側からティコティス押してみるよ」
「ゆ、唯花~っ!」
名前を呼ばれただけで、「ありがとう!」って気持ちがつたわってきた。
私はティコティスのおしりをつかみ、えいっと押してみる。
……たしかにキツい。
リング状の光の正面に立っている私からは、あいかわらずティコティスの上半身はみえないけど、内部でひっかかって進まない感覚が手につたわってくる。
私だって、ウエストのサイズが気づかぬうちにアップしてて、はいていくはずだったスカートのファスナーが上まであがらなくて、あせりにあせりまくった経験ならある。
スカートのファスナーでさえ、相当なひや汗ものだったんだから、元の世界に残した仲間を救うためには輪を通り抜けなきゃいけないティコティスのあせりや嘆きは、どれほど大きなものか。
(がんばってね、ティコティス。私もがんばるから……!)
もう一回、えいっとティコティスのおしりを押した、そのとき。
回廊――四方ある回廊のうち、私の背後に面した回廊――から、野太い声がした。
「泉の方角から声がすると思ったら……。あやしい奴! いったい何者だ。この泉が聖域であることは、知っているのであろうな」