第1話 昨日は本当にいろんなことがあった訳だけど
朝――。
私は館の客間のベッドで目をさました。
部屋の照明は消えているものの、窓から朝日がさしこみ、室内を日の光がやさしく照らす。
(私が異世界で最初にむかえる朝……って、認識でいいんだよね?)
そもそも――。
昨日、会社帰りの私が地元の公園に寄って……足がすべったせいで公園の池に落ちちゃったことで、精霊さんが私のまえに あらわれた。
精霊さんは、私を異世界、ノイーレ王国と呼ばれるこの国に とばした。
異世界トリップした場所は、ロエルという青年の館 (ロエルは館を複数所有しているらしく、いま私がいるこの館は、普段ロエルが生活している館とは別の館だという) の中庭だった。
この世界の空は、青空から夕焼け、そして夜空へと移り変わっていった。
私、睦月 唯花がやってきた世界とおなじように、この世界の空は色を変化していった。
だから、いまこの部屋にさしこんでいるのは、やっぱり朝の光なんだと思う。
もっとも、私が昨日までいた世界、地球だって、たとえば北欧の白夜みたいに、時期によっては、夜になっても暗くならないことだってあるよね。
……でも、きっといまは朝だ。なんというか、そんな気がする。
あとで誰かに聞けば すぐにわかるだろうし、まずは室内についている洗面スペースで顔を洗おうっと。
(『あとで誰かに聞けば』――。そう、いま、ここにいるのは私だけ……)
夜になっても私といっしょにいたロエルは――もうこの部屋には いない。
私は、自分ひとりでは大きすぎるベッドをみつめた。
この客間に朝の光が差し込むまえ、彼はたしかに、ここにいた。
私とふたりで。
(ロエルがこの部屋から去っていったときの記憶は、ぼんやりと残っている。……きっとロエルは、自分の部屋に戻ったんだ)
昨日、ロエルは――。
これから100日間、私に毎日100回キスをすることを約束してしまった。
私本人に約束したというより、不思議なうさぎティコティスが、『唯花に毎日100回キスすることを100日間続けて』……なんて、とんでもない依頼をロエルにしてしまい、ロエルはそれを承諾してしまった。 (しかも、キスとキスの合い間には愛のささやきつき!)
そうしないと、いまも私の首から はずれずにいる、魔石の はめ込まれたチョーカーが引き起こす副作用が、私の体にあらわれてしまうから。
ロエルとしては、あくまで人助けの一環なんだろうけど……。
私は、ものすごい美形なロエルから何度も何度もキスされてしまい、自分の置かれた状況をあせりにあせりまくっている。
動揺という言葉ではいいあらわせないくらいだ。
(あと99日も昨日みたいなことが続くなんて……)
昨夜、100回目のキスと愛の言葉のささやきが終わったあと。
(回数を数えている余裕なんて私には なかったけど、それまで連続していたキスと愛のささやきがやんだから、あ、100回終わったんだな……と、ロエルからのくちづけで身も心もふわふわしてきちゃった私がぼんやりと思っただけなのだけど)
ロエルは私の耳元で、そっとささやいた。それは、私をいたわるような、やさしくて、甘やかな声だった。
「おやすみ、ユイカ」
これは愛の言葉じゃなくて、単なる挨拶の言葉なのに――私の胸はキュンとしてしまった。彼にささやかれた100の愛の言葉と同じように。
「ロエル……」
おもわず彼の名をつぶやいた私は、そのあとの言葉を考えてなかった。
もちろん本来なら『ありがとう』ってお礼をのべるべき。ロエルは私が魔石を身につけている者にあらわれる副作用をとめるためにキスしたり、愛をささやいたりしたのだから。
だけど、キスされたことが恥ずかしくって (もっといえば、ロエルのキスにとろけそうになっている自分が恥ずかしくって) どうしても『ありがとう』って言うことができなかった。
それまでの私は、私のことを助けてくれたロエルに何度も『ありがとう』と伝えられていたのに。
結局私は、何秒か たったあとで、ようやく ぽつりと告げる。
「……おやすみなさい、ロエル」
「よい夢を、ユイカ……」
そう言い残すと――。
ロエルはベッドからおり、この部屋からでていった。
眠りについた私は、自分がまだ子どもだったのころの思い出を夢にみた。
夢にでてきた、幼い日の私が鏡を通して出会った少年は、ロエルと同じ、金色の髪に青い瞳。
ひとりで泣いていた私を、鏡の中からなぐさめてくれた、やさしい男の子。
彼のことを夢にみたのは、ずいぶんひさしぶりのこと。
久々に夢の中に この男の子がでてきた理由は、なんとなくわかっている。
この客間に置いてある鏡は、私の祖母の形見の鏡と、縁のデザインが似ていた。
そして、昔、鏡の中から男の子が私に話しかけ、私たちが友達になったのは、おばあちゃんの形見の鏡。
他のどんな鏡にも、彼があらわれることはなかった。
だから、おばあちゃんの鏡と似たデザインの鏡をみたせいで、あの子の夢をみたんだ、きっと。
夢からさめたばかりのときも、そう予想した。
(……そういえば、客間をでていくまえのロエルは私に『よい夢を』と言っていたなぁ)
鏡の中のあの子とは、その後、悲しいお別れがあったけど……。
あの子と出会った日のことを夢を通じて思いだせたんだから、私がこの世界で初めてみた、あの夢は――。
『よい夢』……だったのかも、しれない。




