第16話 どうして私にキスしたの? って聞きたい! だけど……
そうだ、私、ロエルに大事なことを聞かなくっちゃ!
私は思いきって彼に質問してみる。
「あの……ロエルは、いま何歳?」
普段の私は相手の年齢にあまり興味がわかないし、自分から年齢に関する質問は、しないんだけど――異世界にとばされたばかりのいまは、そんなことを言っている場合じゃない。
ロエルはあいかわらず私の目をまっすぐみつめたまま答える。
「オレは26歳だ」
……ほっ、みためどおりの年齢だ。
318歳とか、56億7千万歳だとか言われたらどうしようかと思った。
ロエルが……というか、この世界の人々が、私とまったくちがう年のとりかたをしている=この世界は私がいた世界とはちがう時の流れをしているところだったら、私はますますパニックになっていたはず。
安心した私は、ロエルに年を聞いて自分は教えていないことに気づき、あわてて言う。
「私は24歳。あなたのほうが2歳も年上……。あ、さっき呼びすてでかまわないって言ってくれたけど、本当にそれでいいの?」
2才上なら、もし同じ学校に通っていたのなら「ロエル先輩」だ。
私は年上を呼びすてで呼ぶのがなんだか苦手。
仲がよくなった年下の子から呼びすてで呼ばれるのは、べつにかまわないのに……。自分が言うとなると、ムダに緊張してしまう。
だけどロエルは、
「ああ、呼びすてのままで、もちろんかまわない」
と答える。
本人にそう言われてしまうと、今度は呼びすて以外で呼ぶことのほうに心理的ハードルができしてしまう。
そもそもロエルとは、出会ってすぐに婚約者のフリをすることになったあいだがら。
キスされて、私もすぐに彼を「ロエル」と呼んでいた。
……というか、まず――。
中庭で私のことを「あやしい奴」と言ってからんできた、黒ずくめの恰好をした5人は、うさぎさんを熱狂的に愛好する一団体の人たちであって、べつに悪の権力と結びついている怖い組織とかではなかったんだよね、結局。
(あの場で、婚約者のフリをしてキスする必要なんて……本当にあったの?)
この話題を蒸し返すのは本当に恥ずかしいけど、この部屋に私たちふたりしかいない、いま……。まだ誰もこないうちに、聞いておこう。
そう決心したとき――。
客間の扉がサッと開いた。
私は自分の口を閉じ、喉元まででかかった質問を飲みこむ。
他の人がいる場所で、「婚約者のフリをして私にキスしたのは、どうして?」なんて、恥ずかしくって、とても聞けない……。
開いたドアから、黒髪の若者がひとり、あらわれた。
「お茶をお持ちいたしました」
なめらかな、よく通る声で、その男性が言った。よくみれば彼の手にはティーセットをのせた銀盆がある。
初めてみる人だけど、この館で働いている人なのだろうか。
ロエルは、ふだんはここ以外の館で生活していると言っていたような気がするけど。……ん、この黒髪の人は片手でティーセットをのせた盆を持って、もう片方の手で扉を開けたの?
もしそうなら、ずいぶんバランス感覚がいいけど、扉の付近に他の人はみあたらない。
この人が手にお盆を持っているから、館の誰かが扉を開けるのを手伝って、その人は他に仕事があるから、客間には入らずに行ってしまったとか?
どっちにしろ、第三者 (しかも若い男性) がいるまえで、ロエルにキス云々の質問なんてできない。
それに、目のまえのティーセットをみているうちに、私はいまとても喉が渇いているんだってことに気がついてしまう。
なにせ、ロエルにあんなにたくさん質問したんだ。喉がカラカラになってしまうのも、しかたがない。
そしてそれは、私の質問にひとつひとつ返答してくれたロエルにも、きっといえるはず。
私の疑問に答えてばかりじゃ、ロエルだって疲れちゃうよね。……もう、疲れているかも。
向かいにいるロエルに目をやると彼は――。
『あー、くたびれた。休憩、休憩』って感じでは全然なかったものの『さあ、お茶がきたからいっしょに飲もうか』といった雰囲気で私をみている。
ここは、他の人に聞かれても恥ずかしくない質問に切りかえて、またロエルを質問責めにするのではなく、ありがたくお茶をいただかせてもらうほうが、いいのかも……。
質問タイムはいったんお休み! 私は好意に甘えて、お茶をごちそうになることにした。
* * *
つややかな黒髪の青年が、優雅な所作でティーカップにそそいでくれたお茶をうけとる。
お茶……といっても、私の知っている紅茶の香りとは異なる。
色は茶色みがかっているけど、紅茶の色とは少しちがう気がする。
いったい何の葉っぱのお茶? ハーブティーなのかな?
でも、とっても――。
「美味しい……」
おもわずこぼれる感想に、黒い髪の男性がはにかんだようにほほえみ、
「ありがとうございます。よろこんでいただけたのなら幸いです」
さっと頭をさげた。
あれ? この人の声、さっき扉が開かれたときは、あわてちゃって気づかなかったけど……。
この、なめらかな言葉の発音のしかたに、私はおぼえがあるような気がする。
でも、まさか、まさか、そんな!
――だけど、この話しかたは、さっき中庭でみかけた九官鳥の……。
「ペピート……さん?」
おそるおそる聞く私に、黒髪の若者はサラリと答える。
「はい、そうですよ。お客様、僕はペピートと申します」
向かいに座っているロエルが私に言う。
「ユイカ、きみはいまごろ彼がペピートだと気づいたのか」
さっきも会ったのに、やっといま気がついたのかと、むしろ私のほうを不思議がっている様子だ。
ティコティスは人と会話することのできるうさぎ。この世界とは別の世界からやってきた。
ペピートは人と会話することのできる九官鳥。
この世界の人は、私とおなじように年齢をかさねていき、私とおなじように「人の言葉を話すうさぎ」がいたら、それは特別なことだと思う感覚を持っている人間――だと思ったんだけど……。私の理解は、まちがっていたのかも。
この世界で「人間」と呼ばれている人たちは、私が認識している「人間」と……もしかしたら、かなりちがうのかもしれない。
とんでもない世界にきてしまったかも――とビビリながらも、私はまず、ペピートに向かって質問してみることにした。
「――つかぬことをうかがいますが、その……あなたは鳥になることのできる人間なのでしょうか。それとも、人間になることのできる鳥なのでしょうか?」
ペピートは静かにほほえみながら、またしてもサラリと答える。
「僕は、正真正銘、ごく普通の人間ですよ。あ、人間に変身できる鳥が、もしもいたら……すごいですね。お客様の発想は、なんというか、その……夢があって大変よろしいと思いますよ」
ロエルもソファに腰をおろしたまま「そうだな」と、おもしろそうに相づちを打つ。
ペピートは「絵本の題材になら、ありそうですね」と、嫌味のない笑顔でつけくわえた。
……うーん、「人間になることのできる鳥」は、夢見がちな想像の産物みたいなあつかいで、人が鳥になれることは、ごく普通って――。
ここ、いったいどういう世界?
だいたい人間が鳥に変身して、言葉も話せる、空もとべる状態が普通なら――。
言葉を話せるうさぎティコティスを、『聖兎』という特別な存在として、神聖視しなくてもいいのでは?
ペピートは、動物が人間に変身するのは本の中だけ、みたいな言いかたをした。
そういえば、ティコティスは人間に変身するそぶりもないまま帰っていったけど――、この国には彼を熱狂的に愛好している人たちがいるんでしょ?
理解が追いつかず、頭の中がゴチャゴチャしてきた。
この国の「普通」と「特別」の基準が、まだ全然わからない。
それに――。人が動物に変身できるなら、うさぎにだってなれちゃうのでは?
私は気になって、ふたりにたずねる。
「あのっ……、普通の人が動物に変身できるなら……うさぎに変身して『自分は聖兎だ』と言いだす人もでてきちゃうんじゃない? そこのところ、どうなってるの」
ふたりは目を点にした。あきれてると言うより、なんでそんな (結果のわかりきった) ことを聞くのか不思議だって感じ。
ロエルは、さっきまでのキリッとした顔をちょっとだけポカン顔にしながら言った。
「人類というものは、基本的に翼のあるものにしか、変身できないだろう」
はいっ!? 私の知ってる人類とちがう!
「うさぎの耳を翼にみたててうさぎを一羽二羽と数える国がはるか遠くにあると聞いたことはありますが……うさぎは鳥ではありませんからね。人はうさぎには変身できませんよ」
ティコティスは耳を羽のようにパタパタさせて浮かんでいたけど、あれはべつに翼の役割をはたしていたわけではなかったみたい。
そうか、この世界の人間は、翼のあるものになら変身できるのか――と、なかばムリにでも自分を納得させようとしたとき。
ふと、ひとつの考えがうかんだ。
(もしかして……ふたりして、私が他の世界からきたことに気づいて、からかっているのでは?)
ロエルは私が別の世界からきた人間だって言いあてることができた。
ペピートはお茶を運ぶときに、偶然私たちの会話を壁ごしに耳にした可能性がある。
九官鳥のペピートと人間のペピートは、おなじ声だけど、九官鳥は人の言葉をマネすることならできる。
中庭にあらわれた九官鳥のペピートとロエルとは、会話をしているように感じたけど、人間のペピートが教えた言葉を九官鳥が声マネしていただけなのかも。
会話が成立しているようにしかみえない人間と九官鳥の動画なら、私がやってきた世界でもみたことあるし。
私がふたりに向かって「この世界の人は鳥に変身できるのね、すごい……!」と言った途端、
「やーい! ひっかかったー、ひかかった! まったくおばかさんだなぁ、人が鳥に変身できるわけないだろう」
って悪ノリした小学生男子のように騒ぎだすかも。
……でも、わざわざ、そんな幼稚なイタズラをしかけてくるような人たちには、とてもみえないんだけどな。
きっと善意で私を助けてくれたロエルやお茶をいれてくれたペピートを疑うのも、気分がよくない。
あれやこれやと悩みだし、私はうかない顔になっていたのだろうか。
ペピートは、「よろしかったら、おかわりはいかがですか」とお茶をすすめてくれた。
喉の渇きは充分に癒えている。お茶の時間はもうおしまいでいいよね。
私は「もう大丈夫、ありがとう」と答える。
その直後のことだった――。
熱いお茶で体にうっすら汗をかき、飲み終えてしばらくたったから、そのぶん全身が冷えてしまったのか。
それとも、別の何かが原因なのか。
――くしゅんっ……!
私は、くしゃみをしてしまった。