第11話 フィアンセのフリでキスまでする必要ってある?(前編)
異世界についた当日から、なりゆきでロエルという青年の婚約者のフリをすることになっちゃうなんて……。
いきなりの大役をすんなりこなせず、あわあわしてる私をロエルはおもしろそうに目をほそめ、みつめている。
(私だけじゃなくて、ロエルだって、私が婚約者のフリをちゃんとできなきゃ困るんじゃないの?)
「ロエルっ……!」
黒い服を着た男たちに聞かれては、まずいようなことをうっかり言ってしまわぬように、私は彼の名前だけをつぶやいた。
――なのに、ロエルときたら。
ますますおかしそうにわらったあげく、ちいさな声でささやいた。
「ユイカってずいぶん純情なんだな。……すきだよ、そういう初々しい反応」
……ちょっと、何言ってるのっ……!?
この人って、けっこう軽い? こんな、女たらしっぽいセリフをすんなり言えちゃうなんて、実はかなりの女ずきなんじゃないの?
『実は』というほど、ロエルのこと知ってるわけじゃないけど……。
長身で細身のイケメンで、たとえこの人が本当は恋愛や異性になんの関心がなかったとしても、女の子のほうが放っておかなさそうな雰囲気ではあるよね。
……あ、黒ずくめの男たちのひとりが言ってた、あの言葉。
『あなたはこの世界の誰とも結婚する気はないと言いつづけておられる』
あれは、もしかして――。
ロエルが『結婚する気がない』のは、いろいろな女の子とたくさん恋を楽しみたいから?
この国の女子も、よその国も、それどころか他の世界からきた女子も、とりあえず女子ならみんな、一度はくどいておこう……みたいな。
……でも、困っている私を助けようとしてくれているのは、事実だし。
(それを大義名分にして、私のことからかってるだけ……じゃないよね?)
キザなセリフを言ったからといって、即、女とみれば手あたりしだいの遊び人……みたいな印象を持つのも、よくない。性急すぎるかも。
この世界にやってきたばかりの私には、黒ずくめの集団が、この世界で結構な権力を持っている、国の中枢ともつながっているような組織や結社なのか。
それとも、ご近所のやっかいさんレベルなのか、皆目わからないし。
むしろ、これから暮らしていくしかないであろう世界で、ご近所のやっかいさんレベルの集団のほうが手ごわい場合だって充分にありえる。
だって、よっぽどのディストピアにきちゃったとか、個人で大それた悪事を働いたり危険とみなされる行為をするとかでなきゃ、国の中枢ともつながっているような権力者たちの集団に、一般人が目をつけられることって、なかなかないだろうけど。
ご近所のやっかいさんは――。
日々暮らしていくうえで、避けては通れないときがあるだろうし。
さいわい私の借りたアパートは、近所の人たちもいい人が多くて、トラブルはないけど、友達から聞いた話では、結構しんどい案件が複数あったらしい。
だから私も、今日まで暮らしていたアパート――その賃貸物件さがしには慎重になった。
自分の声の大きさを気にして、壁の厚さだけにこだわっていたわけじゃない。
このまま元の世界には、もどれない身の上なら――。
私が現代日本で、不動産屋さんのサイトで情報をチェックし、クチコミサイトにも目をとおし、ひとり暮らし歴のながい友人に貴重なアドバイスをもらったり、実際に物件をいくつもめぐったり……に、費やした多くの時間 (仕事が忙しいときは睡眠時間を犠牲にしてまで) は、なんだったんだろうという気にもなるけど。
そう、あんなに慎重になってお部屋さがしをした世界に、私はもどれない。
池の精霊さんの話じゃ、私は元の世界で『死んだわけじゃないけど、存在自体が消えちゃった』らしいから……。
いまの私は、イケメン青年に抱きしめられてドキドキしてる場合じゃないほど、重く受けとめるべき問題が山積みの身の上なのかも。
でも、そう思ったところで現にいま、私がロエルに抱きしめられつづけているのも、まぎれもない事実――。
もうずいぶん長い時間、私はロエルに抱きしめられている気がするけど、それは、この中庭が広いせい。
それと、黒ずくめの例の5人は、あいかわらず、ゆっーたりとした歩調で、中庭から回廊に向かっていた。
彼らはまだ、ここから姿を消していない。
……ということは、私はまだ当分のあいだは、ロエルに抱きしめられたままということ?
当分って、いったいあと何分くらい!?
やばっ、なんだか私、頭の中がグルグルしてきた。
昔、学校の朝礼で倒れてしまったときと似た感覚。
――目がまわりそう。
私の様子に気がついたのか、ロエルがささやく。
「ユイカ。大丈夫か?」
気づかうような声音に、やっぱりこの人は悪い人ではないんだと思ってしまう。
というか、いまはそう思いたい。
知らない土地で味方が誰もいないのは、やっぱり心がめげそうになってしまう。
私はできるだけ明るく返事をした。
「……た、たぶん平気……」
もうちょっとでも元気だったら、「大丈夫!」と答えていただろうけど、頭がボーっとしているせいか、「たぶん平気」としか言えなかった。
ロエルがそっと耳うちする。
「あとほんの少しだけなら待てるか? すぐにあの男たちを帰らせるから」
……ロエル、これ以上何をする気なの?
疑問に思いながらも、私はロエルを信じてうなずいた。
私の耳もとで彼はそっとささやく。口調がついさっきまでの真剣なものから、うんと軽めのものになったのは、なにかしらの作戦があってのことかもしれない。
「ユイカ、あんなにがんばってオレのことを抱きしめかえそうとしてくれてたのに、もう、あきらめてしまったのか。まったく、きみは……どこまで恥ずかしがり屋なんだい?」
……えっ、その話題をいま私にふるの? とも思ったけど、たしかにロエルを抱きしめかえそうとしても、それができなかった私の両手は、ぶらんとさがったままだった。
「ごめんなさいっ、私……」
ロエルは少し芝居がかったくちぶりで言う。
「あやまることはないさ。きみのかわいい手がオレの背にふれてくれたら、それはよろこばしいことだ――。だが、せっかくなら、オレは背中よりも唇できみの手を感じたい」
……へっ、唇……?
なんでいきなりそんな話になるの!?
背中に手をまわすのも恥ずかしくってできなかった私に、よりによって唇でなんて――。
(さらにハードルがあがっちゃってるじゃない。さげて、さげて!)と目でロエルに訴える。
彼は私が何を言いたいのか、瞬時に理解したようだった。
ニコリとほほえんでから告げた。
「オレは前言撤回なんてしないよ。もじもじ動くきみの手をみていたら、唇で直接にふれたくて、しょうがなくなった」
……『しょうがなくなった』もなにも、手と唇がふれたら、それはもうキスになってしまう。
そして、私がロエルにキスされたからといって、婚約者である証になるっていうわけではないし。