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第10話 「婚約者のフリを続けてもらう」って、どういう意味?

 見ず知らずの私を助けてくれた金髪の青年、ロエルにお礼を言おうと、口をひらきかけた、その瞬間。

 彼は自分の右手でグイと私をひきよせる。


(っ…………!!)


 おどろく暇もないほどすばやい動作だった。

 右手で私をひきよせただけではすまさず、いつのまにか私の背中にまわされた彼の左手で、私の体をがっちりおさえこんでいた。


 身動きがとれなくなったまま、彼と私の体が密着する。

 服ごしでも、この人は細身だけど筋肉質な体をしている大人の男性なのだと実感してしまう。


(ちょ……っと、ひっつぎすぎ……)


 この人は長身だから、抱きしめられると、私のほっぺたは彼の胸の位置だ。

 いまや私の体は、胸も背中もロエルにしっかりつつまれていた。彼の広い胸と大きな手によって。


(だから……ひっつぎすぎなんだってばっ……)


 ロエルの体温のぬくもりが衣服をとおしてつたわってくる。

 顔から火がでそうなほどあせってしまう。

 だって、たくましい胸に顔をうずめているだけでも、私には充分すぎるほどドキドキなのに、背中にも彼の大きなてのひらや硬い腕の感触を感じてしまう。


(……い、いくらあぶないところを助けてくれた恩人でも、いきなりかかえこむよう抱きしめて放さないなんて、――この人、いったい何を考えているのよっ!?)


 一難去ってまた一難。

 私が身をよじってどうにか抵抗をこころみた瞬間。

 ロエルは左手で私の背中を抱きかかえたまま、自分の体をかがませる。


 彫りの深い美しい顔が超至近距までちかづき、私の緊張感は一気に加速する。

 心臓がドドドドド……と大音量になる。


 おたがいの目と目があったのは一瞬だった。

 ロエルは顔をかたむけ、私の耳もとに形のいい唇をよせた。


「――まだ、きみはあやしまれている」


 耳もとで、私にしか聞こえない程度のひそやかな声でささやかれる。


「あいつらが完全にこの庭を去るまで、オレの婚約者のフリは続けてもらう。きみもこれ以上、面倒なことはごめんだろう」


 ……えっ、婚約者のフリをつづけるって――?

 これ以上面倒なことはごめんって部分には全面的に同意だけど。


(でも、婚約者のフリって、具体的に何を?)そう声にだして聞いて、あの五人にこれ以上あやしまれてしまっては、私を助けようとしてくれているこの人にも迷惑をかけてしまいそうだ……。


 だって私は、小声でひそひそ話をするのが苦手だから。

 ちいさな声でしゃべっているつもりでも、気がつくとすぐに普通の声になちゃう。

 ――だから、慎重になるべき局面にいる場合。私は声を落として話すのには向かないことをこれまでの人生で知っている。

 ひとり暮らしのアパートだって、知りあいがきたり、電話したりするときのことを考えて、壁が厚いところに決めたくらいだ。


 そして……。いま私を抱きしめているロエルという青年は (真意はわからないけれど) 私を助けようとしてくれている。

 この人まで窮地においやってしまう事態は避けたい。


 私は首をコクコクして、ロエルの提案にうなずく。言葉を使わずに、彼の婚約者のフリをすることを承諾したかったから。


「よし、いい子だ……。ユイカ」


 甘やかな低音でささやかれる。

 耳をくすぐる吐息の感触に心臓……ううん、全身がビクッとふるえてしまった。

 ロエルは、私の反応をみのがさなかったようだ。

 彼の視線を肌に感じながら、私は彼がクスッとわらった声を聞いた。


「ユイカは、ずいぶん敏感だな……」


 演技とは思えないほど満足そうにささやき、左手だけでなく右手も私の背中にまわし、両手で私をギュッと抱きしめる。

 服は着ているのに、いままで以上に彼が持っている体の熱や、私とはちがう、硬くてしっかりした肉体をこの身に感じてしまう。


 心臓の、ドキドキ、ドキドキという音が、全然とまってくれない。そして。

 今日会ったばかりの男性にいきなり婚約者として抱きしめられるという状況に、すっかりパニックな頭でも――。

 さすがに気づいたことがあった。


(この人いま、……私のこと、ユイカって呼んだ……)


 なんで私の名前を……? あっ! そういえばティコティスが最後に言った言葉は――。


『ロエルが言ってることは、本当だよ~! 唯花はロエルの花嫁さんになる子なんだよっ……――』


 異世界からやってきた不思議なうさぎ、ティコティス。

 ティコティスは、自分が去る最後の最後に、私が唯花という名前であることを告げた。


 それで、この人は私の名前を知った――?


 もしかしたら、ティコティスはロエルに私の名前を教えたかったのかもしれない。

 ロエルがあらわれるまえ、黒装束の5人に私が囲まれたときは、私のことを『娘さん』と呼んでいた。


 いま思えば、ティコティスは意識的に私の名前を言うのをさけていたような気もする……。


(ティコティスが自分の世界に帰っちゃったいまとなっては、本当のところはわからないし。彼がまたきてくれるのは、いったいいつになるのかも、わからないけど)


 『ロエルに婚約者として抱きしめられている』以外の考えごとを開始したおかげで、私の心臓はさっきまでの、尋常じゃないほどのドキドキから、ちょっとは落ちついた状態になってくれた。

 ひとまず、ほっ……。

 この調子で、もう少しヒートダウンしてほしい……。


 じゃないと私、とても冷静にこれからのことや、この世界でどうすべきかとか、そういう重要なこと、ぜんぜん考えられなくなっちゃいそう。


 なんだかロエルって人は、ささやきかたとか、まなざしとか、体のふれかたとか、いちいち艶っぽいというか……。だから、私、ドギマギしすぎちゃうんだ。


 私がそんな心配をかかえていることを、知ってか知らずか――。

 ロエルは、いたずらっぽくささやく。

 かがみこんだ姿勢で、私の目をじっとみながら。


「オレたちはせっかく婚約できたのに、オレは婚約者であるきみと、抱きしめあうこともできないのかい?」


(……え? だ、『抱きしめあうこともできない』っ!? 私、いま、おもいっきりあなたに抱きしめられてるじゃない。……あ!)


 彼に言われて、おどろきながらも初めて気づく。

 いまのこの体勢は、私が彼に一方的に抱きしめられている状態であって――。

 ふたりで、ひしっ! と、抱きあっているわけじゃない。


(……えっと。たしかに婚約者同士なら……相手に抱きしめられたら、ケンカ中でもないかぎり、抱きしめかえすのが普通……なのかな、やっぱり)


 この世界の、婚約期間の人たちがどの程度イチャイチャするのが『婚約者同士ならあたりまえだよね』の範囲内なのか、よくわからない。

 でも、この世界の人であろうロエルが、『抱きしめあうこともできないのかい?』なんてささやくくらいなんだから……。

 ここは、自然に抱きしめかえす……べきなんだよね、おそらく。


――そういうことなら、私も彼を抱きしめかえしましょう――


 頭ではそう決断した。

 大きな体に抱きしめられている状態のまま、私は自分の手をもぞもぞっといださせて、右手も左手も彼の広い背中にまわそうとする。


 これならただ一方的に抱きしめられているいまの状態よりも相思相愛の婚約者同士っぽい。

(婚約者同士=相思相愛とは、かぎらないだろうけど、ロエルが黒ずくめの五人に話した婚約者設定は「周囲からの反対もあったけど、それを乗りこえ婚約したふたり」だったし)


 だからっ! いまは「この人は私の婚約者だ」と思いこむくらいの意気込みがなきゃ、完全に中庭から出て行ったわけではない五人の目をあざむくことはできない。

 そう自分に言い聞かせる。


 あの5人に目を向けると、彼らは目深にかぶったフード越しに、こっちをチラッ、チラッと観察する動作をしながら、ゆっーくり、ゆーっくり左側の回廊に移動している。

 なにかあやしいそぶりはないか、ギリギリまでしっぽをつかめないか、できるだけねばってやろうって雰囲気。


 ……うわぁ、しつこい人たち……。

 これは、はやく私もロエルを抱きしめて婚約者ムードをだす協力をしたほうがよさそうだ。

 恥ずかしいとか言ってる状況じゃないっぽい。

 私は非協力的な態度をあらためようと決意した。


 ……なのに。

 私の両手は、ロエルの背中に自分の手をまわすまえの段階でとまってしまう。

 どういうことかというと、彼の両腕がつくったわっかからもぞもぞと手を抜けださせ、左右にひろげたところで、とまってしまった。


 ちょっと元気のない、前へならえのポーズみたいに、ななめにさがってしまったまま、かたまってしまっている。

 この場にいるのが、私とおなじ世界からきた人だったのならば、ブリキでできた昔のオモチャのロボットみたいな固い動作にみえたかも。


 私だって頭では――。『私も彼の背中に手をまわして抱きしめるべきだ』と、わかっている。


 なのに、脳の指令を心が完全無視。

 理由?


 めちゃくちゃテレるし、こっ恥ずかしいからです!

 初めて出会った人と、その日のうちに抱きしめあうなんて経験、私にはないし。

 しかも、ロエルはやたらとイケメンなうえに、単に美形だから、かっこよくみえるってわけじゃなくて――。

 なにやら色っぽい、魅惑的なムードがただよっている。


 そんな人と体を密着させて、自分の名前を甘くささやかれ、きみはオレの婚約者だとくりかえし言われているうちに、なんというか……。

 いまやってることは、私を助けるためのお芝居なのに……。私には、それがちゃんとわかっているのに――。

 なのに、このままじゃ、心がグラッとかたむいちゃいそうで――なんだか怖い。


 ……あれ? 私、どうしちゃったの?


 私はべつに、異性に惚れっぽいほうじゃない。とくに面食いというわけでもない。

 イケメンに抱きしめられて耳もとで甘く「敏感だな」とささやかれたので、一発でノックアウト!

 恋に落ちちゃいましたってタイプじゃないのに。


 ちょっと待て、自分! いまは私がどういうタイプなのかの自己分析は二のつぎ、三のつぎ。

 いまは『婚約者との自然な抱擁』――をイメージして、それを表現しなきゃ。

 そのためには、ここはやっぱりロエルを抱きしめかえすべき!


(……でも)


 やっぱり背中に手をまわして私も彼を抱きしめようとしても、心臓がバクバクしすぎちゃって、――できない。

 手には力が入らないのに、肩にはやたらと力が入りまくってしまう。


 そんなこんなで、ぜんぜん手は動いてくれないまま、決意もむなしく、結局私の手は、だらりと下におりてしまった。

 ……あ、ななめ下にさがってたときよりも、背中に手をまわすという一連の動作から遠ざかってる……。


 ちょっとはあがっていたはずの手が、いまやもっと下にさがっているなんて。なんたる後退。

 婚約者(女)として、婚約者(男)を抱きしめかえすお芝居をこなせなかった私に、ロエルは落胆しただろうか。


 おそらく彼に、私を助ける義務はないはずなのに――。

 私は両手をさげたまま、チラリと彼をみてみる。


 ロエルの瞳に失望の色はなかった。

 そのかわりに、彼はおもしろそうに目をほそめている。


 ……おもしろがれても、困るのっ!


(私だけじゃなくて、ロエルだって、私が婚約者のフリをちゃんとできなきゃ困るんじゃないの?)


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