フランシス・ベーコン『ニュー・アトランティス』
父の記憶はおぼろげである。
日通の父は、韓国の軍事政権のことと、日本に生まれたことがいかに幸運か、ということくらいしか教えてくれなかったが(のっけから堅い話で、すみません。そのうちブックオフで見つけたら『かいのおさしみ』とかも取り上げるつもりですのでお待ちください。あしからず)、その父だったらどう言ったか、ということをいま振り返って想像してみると、次のようになる。
中世暗黒時代を抜けて、ルネサンスとよばれる復興期になると、いろんなユートピアが構想されましたが、そのユートピアにはどれも「人間は食わなきゃいけない」「食うためには働かなきゃいけない」という根本的な二つの人間学的な事実が欠如していました。わかったか、綱。働け、ってことだこってや。
これに対し、反抗的なドラ息子の立場から反論するとすれば、①ルネサンス期のユートピアは、人間学的な精確さを求めていなかったのではないか。②ルネサンス期のユートピアも、「人間は食わなきゃいけない」という事実を無視していなかったのではないか。③ルネサンス期のユートピアは、「人間は文筆的存在である」という別の種類の人間学的事実にもとづいて構想されたものではないのか。ということになる。
こうやって反抗してみても、どこまで父にひっかかってくるかはわからないが(とくに、『ブリタニカ国際大百科事典』を買ってくれた父は、③はわかっていただろう)、とにかくユートピアを構想する、という行為には、ほかの観察や活動にはない社会自身についてのコミュニケーションが見え隠れするのである。
フランシス・ベーコンは1561年、イギリスのロンドンで生まれた。法律家として大成したが、その関心は深く、広く、『学問の進歩』や『新機関』における、アリストテレス的演繹にかわる新たな推論の手法、つまり帰納法の発見に向かっていった。
帰納法が経験的でアポステリオリな推論かというと、そうでないところもあるのだが(「すべてはエネルギーだ」という仮説を立てて帰納すると、エネルギーの意味が変化してしまう。このばあい、帰納は演繹を逆倒しただけ)、とにかく帰納法によって新たな世界が開けたことに気づいたベーコンは、それを「太平洋上の孤島、ベンサレムの国にはじめからあった」ことにしたのである。
ベンサレムの国の文化は、ユダヤ人、ペルシア人、インド人がつくった。ペルーからの大きな影響もあり、ペルー産のエメラルドは各家庭の儀式でいまも大切に使われている。なぜか、聖書全巻が漂着して、かなり早い時期にキリスト教化したことになっているのだが、これは、ベーコンはキリスト教徒にこそベンサレムの国(の実在)を訴えたかったからだろう。
ベンサレムの国のキリスト教の牧師は言う。アメリカ人は粗暴で無知だ。しかしそれはしかたない。「アメリカの住民は若い、世界の他の地域の住民に比べて、少なくとも一千年は若いということを考慮しなければなりません」(川西進訳、岩波文庫、30㌻)。この場合も、判断は各自で、ということなのである。
ベンサレムの国には「サロモンの家」「週日技能学院」とよばれる施設があり、これがちょっと秘密結社っぽい、知の高まりを示している。ぼくが関心をもったのはサロモンの家の研究員の職掌で、「収奪者」とよばれる3名の書籍に記された実験をすべて収集する者、「開拓者」または「採掘者」とよばれる自らよしと思う新しい実験を試みる者が3名、そして最後に実験により過去の発見をより大きな事実、法則および定理へと引き上げる「自然の解釈者」が、ふっふっふ、これも3名いるのである。
本書の岩波文庫版には本書初版本の口絵が記されている。そこには旧約聖書『創世記』の「神は光を見て、良しとされた」(新共同訳)というエピグラフが、「知の宇宙」という大きな球体の上に掲げられている。測定ではなく、分類によって、異教的知によらず、聖書のみによって、ここまで来ることもできる、ということを知れば、父も納得してくれるのではないだろうか。
お父さん。それは、決して越えられない、ということが自分のなかに収まったとき、はじめて越えているものかもしれません。




