4日目:笑えないわけありゃしない。
曇りのせいか、いつもより暗めな朝だった。いつも起きる頃には朝日が差し込んでくるので、なかなか起きられなかった。
「葉月さま……あっ、葉月さん。起きてくださーい。朝ですよー」
顔を触ってくるふにふにと柔らかい指。優しい感触。はぁぁ……ここが天国か……。
「もうっ、葉月さん!起きてくださいっ!」
「ふぬっ」
顔を両手で挟まれた。そろそろ起きなきゃ本気でおこられそうだな。
「んー……おはよ、樹来」
「はいっ、おはようございます!」
朝から元気いっぱいに礼儀正しく挨拶をされた。いつも疲れる朝に、癒しの時間ができました。
今日で暦家での仕事は4日目か。昨日、一昨日と、樹来くんのおかげでスムーズに仕事が進められた。おかげで1日がいやに短く感じる。楽しささえ感じていたのかもしれない。
「……まぁ、楽しいとはいえ、またあのバカ女の世話するんだけどね……」
「なんか言った?アホ執事さん」
声のした方を見ると、窓の前に立つ弥生の姿があった。
「……い、いつからいらしたのでしょうかお嬢様?」
「最初からよ。あんたが樹来にデレデレしている間からずっとね」
ウソ、俺そんなにデレデレしてたの?感情が表情に出にくいと言われ続けてきたんだがなぁ。
……それでなんで樹来くんは恥ずかしそうにもじもじしてるんですかね……。可愛いからいいけど!
「しかし、困ったわね……」
「ん?何が困るって?」
「それがね……」
弥生が説明しようとしていたが、それより速く樹来くんが口を開いた。
「おそらく、先生方の件ではないかと。予報だとこのまま大雨が続いて、もしかしたら雷が……」
その時、眩い閃光、その直後にとてつもないデカさの雷音が響いた。
「ひゃっ!」
急な出来事に驚いたのか、樹来が俺の胸に飛び込んできた。もちろん俺はしっかり受け止める。
「おっと、大丈夫か?怖かったな。よしよし」
慰めるように頭をなでてあげる。触れると、かすかながら震えているのがわかった。
「うぅぅ……雷、怖いです……」
樹来は俺の腕の中で、上目遣い(涙目)で、俺の顔を見上げる(可愛い)。守ってやりてぇ。
「……あー、びっくりしたぁ……。…と、とまぁ、こんな天候なわけだから、交通機関が止まっちゃってるのよ」
弥生は対照的にあまり怖がっていないようだった。お化け怖いのに雷怖くないのな……。
窓の外を見てみると、確かに雨が降っている。電灯の灯りが見えなくなるくらい、絶え間なく。これは確かに交通機関になんらかの影響を与えそうだ。
「と、いうわけで!」
と、弥生は手を叩いて俺らの視線を集める。
「今日は、お休みの日としまーすっ」
「「………はい?」」
見事に俺と樹来の声が重なった。嬉しい。
「だから、おやすみの日!今日は1日、お勉強、お稽古なーしっ!」
「い、いや待て待て腐ってもお嬢様。そんなこと、勝手に決めていいもんなのか……?」
「ちょっと腐ってもってなによ。そもそも、暦家のお稽古の日程は、1週間に1日はお休みを入れてるのよ。その日を今週ずらせばいいだけよ」
思ったよりユルイな暦家。
でもまあ、休みの1日2日ないと、教える側も気が滅入るか。
「よし、そうと決まれば、さっそく連絡を……」
「しました!」
指示を出そうとした弥生の出鼻をくじくように樹来が声を被せてきた。
「あ……あら、そう。じゃあ、これから何しようかしら……」
すると、待ってましたとばかりに「はい!はいっ!」と樹来が手を上げた。なんかワクワクしてて可愛い。
「弥生お嬢様!今日こそ遊びましょうよ!」
腕をぶんぶん振って、一刻も速く遊びたそうにしている。なにこの生き物可愛い。
「そうね……なにしよっか?」
「そうですね……雨だし、外には出られませんし……」
ふたりして並んで、腕を組んで考え込んでいる。樹来がちょっとちっちゃくて可愛い。……本当に残念だなぁ……。
と、ここまで来てようやく自分だけが寝間着なのに気がついた。朝から癒され過ぎて忘れてたぜ!
「じゃあ、俺は着替えしてくるから」
「ん、そう、じゃあとっとと……」
そこまで言って、弥生はハッとしたように体の動きを止めた。
「着替える……遊び……夏らしい……」
今度はひらめいたように顔を輝かせた。
「そうよ!あれがあるじゃない!!」
……なんかものすごく嫌な予感するのは俺だけでしょうか……。
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前言撤回。弥生お嬢様最高。
一足先にその場に足を踏み入れた俺は、今日の天気にそぐわない明るい空間に、心地よささえ抱いていた。さっきからたまに雷も鳴ってたが、それを忘れてしましそうである。
「へへーん、どうよ?そろそろ私を尊敬する気になった?」
聞こえた方に振り向くと、水着姿の弥生がいた。
赤と黒の、ギンガムチェックのビキニだった。その衝撃的な格好のおかげでその名前がついたと、歴史の授業で聞いたことを思い出した。案外着痩せするタイプなんだな。
その分をカバーするかのように、すらりと伸びた手足。しっかり手入れもされているようで、無駄な毛なんて一切無かった。あ、腕の話ね?
いつもはドレスや正装で隠されていた腰周り。いつも見えていない分、手足以上に透き通るように白かった。
「……いや、ジロジロ見すぎだし」
「ん、あ、すまない……」
しまった。チラ見だけで終わらせようとしたのに、そんなにジロ見してしまっていたか。
「あ、2人とももうこっちに居たんですね!更衣室にいなかったので、心配しちゃいましたよ……あははっ」
「おー、悪いな、先に来……ちゃっ……!?」
そこには、一糸まとわぬ……間違えた、海パン姿の樹来がいた。
「すいません……水着、これしかなくて……弥生お嬢様が用意してくれたものの中に」
それは、例えば競泳選手が着るような、いわゆるブーメランパンツだった。水の抵抗を抑えるためなのか、布の面積が少ないやつ。
ほとんど足の付け根から見える樹来の足は、男子とは思えないほどに細く、美しかった。
前風呂に入った時にも思ったが、こいつ本当に色白だよなあ。海底で巨大なシャコ貝の中で裸で丸まって眠るイメージが簡単にできる。俺の妄想ボキャブラリひどいな。
「しかし、こんな巨大なプールが弥生の家にあるなんてな」
「しかも、いつもは一般開放しているものを貸し切りに……なんか、ワクワクしますね!」
今俺らは、暦邸に隣接する、屋内巨大プールにいる。
初めて暦家の手伝い来た時、ただでさえバカデカいあのお屋敷の隣にある、それなりの大きさの建物など、「なんかあるなー」程度にしか興味を示せなかった。が、入ってみると、暦家の経済的な力の強さを思い知ることとなった。
青く澄み、キラキラと輝く水。学校などでお馴染みの底に溜まる謎の汚れなどもない。あれ本当に汚ねぇよな。
プールの種類は5つ。まずは一般的な25mプール。大会でも開いてるであろうことが、記録版や観客席があることで予想できる。
そこの扉で隔てられた先には、遊園地のような光景が広がっていた。
緩やかなスピードの流れるプール。浮き輪でもして浮かんでいれば、何周でもできそうな、ちょうどいいスピードだ。
時折ビッグウェーブのやってくる波のプール。レンタルサーフボードがあった理由がやっとわかった。危うく流れるプールでサーフィンしようと思うところだった。まあ、できないけどね。
そして、全長50mと100mのウォータースライダー。安全性も確保されたチューブ状のものとなっていた。
完璧。大人子供誰でも来れな、完璧なレジャー施設だ。
「ねえちょっと、そんなに見入ってしまうのはわかるけど。ま・ず・は!私に何か言う事があるんじゃな」
「いやほんとありがとうございます弥生お嬢様」
「へっ……?い、いやにすぐ言うのね……」
なぜか面食らったような表情をしていた。小声で「もうちょっと見え張りたかったわ……」とか聞こえた気がしたが、気のせいだろう。
「弥生お嬢様!今日は本当にありがとうございます!ほらほら!早く遊びましょうよ!」
「え?えぇ、そうね。それじゃあ、何をしましょうか?」
一緒に遊べることが嬉しいのか満面の笑顔で、樹来はこの空間の中で何より高いアレを指さした。
「ウォータースライダーがいいです!」
「ごめんそれはダメよ」
「……え、えぇっ!?ど、どうしてですか?」
俺は樹来の肩に手を置いた。
「樹来くん、察してあげよう。きっと弥生は
高いところが怖いビビ……」
「んんんなわけないでしょうがっ!!」
まっすぐ飛んできたボディブロー。毎晩腹筋(10回2set)をやってきた俺にも、これは効いてしまった。
「わ、私がビビリですって!?言うじゃない……樹来!すぐにやるわよ!ウォータースライダー!」
「ほ、本当ですか!?やったぁ!!」
ふっ……樹来が幸せなら、俺の…役目は……ぐはっ……。まぁ、生きてるけどね。
「それじゃあ、さっそく行きましょう!弥生お嬢様!」
「え、ええ、そうね……」
冷や汗かいてるぞー、お嬢様ー。
樹来は弥生の手を引いてウォータースライダーへと向かう。
全長100mゾーンの方へ。
言うまでもないが、ウォータースライダーは長くなればなるほど、高くなる。
「……ち、ちょっと、樹来?」
「はい?どうかいたしましたか?」
「う、ウォータースライダーって……こっち?こっちよね?」
弥生は樹来を全力で50mゾーンに引き連れようとする。
「え?やっぱり乗るなら、高くてながいほうじゃないと!さぁさぁ、行きましょう、お嬢様!」
「え、あ、ちょ、樹来ぃ!……」
努力むなしく、弥生は樹来に引きずられるように、100mウォータースライダーへの階段を登っていった。
それから約5周分くらい、樹来の歓喜の声と、弥生の絶叫……もとい悲鳴が鳴り止まなかった。
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「いやー、しかし凄かったなぁ、あいつの声。もう途中ガラッガラだったじゃんな……くっくくく……」
「葉月さん、笑ったら失礼ですよ。せっかく、あんなに楽しんでいたのに」
「あ、あぁ……そう、だな……楽しんでたな……」
プール遊びも終わりに差し掛かり、シャワールームでシャワーを浴びる俺ら。安心してください、まだはいてますよ。
「しかし、このプール凄いですよね……何がというか、何もかもが!また遊びたいです!」
プール後の独特のグッタリ感をものともせず、樹来は次のことを考え始めている。若いっていいなぁ……。まあ俺も一年前は同い年だったわけだけどね。
「うーし、じゃあ午後なにするかわからんし、昼飯も食べなきゃだから、着替えて行くぞー」
「あ、はーい。今着替えますー」
一足先にシャワールームを出て、着替えを終える。一応、今のところはコック長的な立場なわけだからね。
とりあえず、早く屋敷の方に戻ろう。樹来と並んで。
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……20分か。さすがに心配だなぁ……。
あれから、いつまで待っても樹来が出てこない。
……嫌な予感がする。
恐る恐る更衣室に入る。何かあったら、すぐ対応できるように。
「樹来くん?そろそろ行かないと……」
「あ、は……葉月さんっ!!」
目が合ったかと思うと、急に俺に飛びついてきた。なぜかまだ髪も濡れている。樹来が髪を濡らしたまま系男子とは思えないし、何か違和感を感じた。
「お、おい、どうした……お前、服は?」
遅れて、樹来が腰にタオルを巻いており、それ以外身につけていないことがわかった。
「は、葉月さん……な、ないんです……」
顔を上げた樹来は、目に涙を浮かべていた。
「僕の下着が、ないんです……!」




