表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

醜い仙草

作者: 春秋梅菊

 清朝、擁正帝の御代。天台山のふもとに、小さくて醜い仙草が生えていた。先帝の時代に、さる仙人様が植えたのだ。山の清水で百年育てれば甘い香を発するようになるのだが、生憎と仙人様からほったらかしにされて、もう二百年が経つ。緑で艶やかだった肌は枯れ、すっかり色落ちしている。体中から、鼠の死臭にも似た嫌な臭いを発していた。山の生き物達は、この醜い仙草を等しく嫌った。

 その仙草には心があった。近くを通りかかる鳥や虫達から心ない言葉を浴びせられ、いつも嘆き悲しんでいた。

 その日も、彼女のもとへ二羽の烏が降りてきたかと思うと、鋭い爪で彼女の身体を引っかきながら吐き捨てた。

「ごらんよ。この仙草の醜いことったら、不愉快だよ。いつも引っこ抜いてやりたいと思うんだけどさ、なまじ仙人様の植えた草だから、根っこが深くて抜けないんだよ。爪で切りつけても、すぐ治っちまうし」

「それにしても酷い臭いだね。ここは景色も綺麗で居心地がいいのに、この草のせいで台無しだよ」

 二羽の烏は口々に罵り、土をかけるやら唾を吐くやら、散々に痛みつけた。仙草が何度も、やめてくださいと訴える。が、その耳障りな声は余計に彼らを怒らせた。

 ようやく烏が去ると、今度は三十匹ほどの蟻がやってきて、口々に文句を言い始めた。

「やい、そこの草。お前が地面の水気をすっかり吸い上げるから、土が乾いちまってわたしらが巣を作れないじゃないか! 家族みんなではるばる河北から越してきたのに、どうしてくれるんだ!」

 ごめんなさい。仙草は身を折って謝ったが、蟻達は許さなかった。わらわらと襲いかかって、彼女の手足に鋭い顎で噛みつきまくり、ようやく帰っていった。

 仙草はしくしく泣きながら、空を見上げた。

「ああ、もう死んでしまいたい。生きているだけで、皆さんの迷惑になるんだから」

 けれど、仙草は死ぬに死ねない身なのだった。彼女は自分の生い立ちもわからない。長い年月が経ちすぎて、忘れたのかもしれない。あたしは、どうして生まれてきたんだろう? ただ忌み嫌われるだけの毎日が、辛くてならなかった。

 孟秋のある日、一人の若い書生が天台山を訪れた。彼は仙草の老樹の根本に腰を下ろし、ふと足下の地面が酷く乾いているのを見咎め、それからぽつねんと生えている醜い草に気がついた。

「可哀想に。これでは枯れてしまう」

 書生は腰の瓢箪を逆さまにして、中身を仙草に注いだ。それは蘇州恵山の清水で、仙草にしてみればまさしく干天の慈雨だった。彼女はみるみる水気と色を取り戻し、甘い香りを発し始めた。書生はその香を吸い込むと、酔ったように瞳をとろとろさせて、木にもたれて眠り込んでしまった。

 仙草は彼の夢の中に入り、何度もお礼を述べた。彼女は若くて美しい人間の娘になっていた。書生にお酒の酌をしたり、踊りを披露したり、手厚いもてなしで楽しい時間を過ごす。しかし、書生が目を覚ましてしまうと、この楽しみも突然打ち切られた。

「不思議な夢だったなあ」

 起きあがった書生はぼんやり呟くと、日の傾いているのに気がつき、慌ててその場を駆け出していく。仙草は引き留めようとしたが、間に合わなかった。

 その日以来、彼女の甘い香は周囲の生き物達にとってまたとない恵みとなった。草木は彩り、虫や鳥が集まる憩いの場になったのだ。かつて彼女を虐めた者達も、ころんと態度を変えて恭しく接してくる。仙草も最初は喜んだが、そのうち物足りなくなった。自分を救ってくれた書生のことが忘れられず、毎日彼がやってくるのを待ち続けた。

 瞬く間に数年が過ぎた。今の仙草には、周りに集まってくる連中が煩わしくてならない。

 ――この生き物達は、あたしが醜い時には少しも優しくしてくれなかった。今更親切にされても嬉しくないわ。

 あの書生に会いたい。想いは募り、募ればいよいよ会いたくなる。その夜、仙草は他の者達に比べてやや気を許しているちび梟に、思い切ってその話をした。相手はからかうように笑った。

「人間なんて、お前のことなんか何とも思ってないよ。もう忘れたに決まってるさ」

「そうなのかしら」

「嘘だと思うなら、確かめに行ってみれば?」

「でもあたし、力が出てこないの。以前よりずっと強くなったけど、ここから飛び立つにはまだ力不足なのよ。お願い。山の清水を汲んで、あたしにそそいでよ」

 ちび梟は承知した。川まで飛んでいくと、口に水を含んで戻り、彼女の身体にふりかける。

 力で満たされた仙草は、自分の気を根本に集めた。地面が盛り上がって、一粒の種が勢いよく吐き出される。種は風の力を借りて、遠く遠くへ飛んでいった。

 書生の家は、温州の外れにあった。彼女はその家の庭に降り立つと、根を生やして即座に芽吹いた。

 家はこじんまりとしていたが、なかなかに風情のある造り。書生は奥の間にこもって科挙試験の勉強に勤しんでいた。どことなく、疲れているようにも見える。

 ――あの方を元気にしてあげたいなあ。

 しかし、旅の途中で力の大半を失ってしまい、彼女は香を出せなくなっていた。書生を甘い夢の中へ誘い、楽しい時を過ごしたかったのに。

 夜半、書生の部屋に誰かが入ってきた。若い娘だ。いや、娘と呼ぶにはちょっと歳をとっているかもしれない。

「あなた、頑張りすぎは体によくございません。少しお休みになったら?」

 書生は彼女を見た途端、満面に笑みを浮かべた。

「いやいや、君のためにも、今年の試験には受からないと」

 仙草は、女が書生の妻なのだと知った。二人の仲睦まじい様子を目にして、得も言われぬ羨望を感じた。

 ――あたしがあの女の人だったら、書生様と一緒にいられるのに。

 遠路遙々やってきたが、自分はただ彼の姿を遠巻きに眺めることしか出来ない。以来、悶々として心安らぐ日は無かった。少なからず、嫉妬の念にも苛まれた。あの人間の女は見た目も平凡で、刺繍ぐらいしか能がない。書生様にはまるで相応しくないわ。

 季節を経ると、彼女の体は栄養不足で再び枯れ始めた。葉っぱが力無く折れ、あの嫌な臭いもたちこめる。近くの生き物達は彼女に寄りつかなくなった。

 晩冬のある日、仙草が夜風に震えている目の前を、継ぎ接ぎの服を着た猫背の影が通りかかった。

 物の怪だ。人の姿をしていたが、肌は薄気味悪い青色で、おまけにただれていた。髪も爪も伸び放題、瞳は真っ赤、顔の上を蛆や虱が這いずり回っている。

 物の怪は仙草を見咎め、眉の肉をひくつかせた。

「おや、こんなところに仙草がいるなんてね。おまけに、随分悲しげな咲きかただこと」

 仙草は人恋しくなっていたので、相手の醜いのも構わず返事をした。

「こんばんわ、物の怪さん。実は、そこの家にあたしの想い人がいるんですけど、一緒になれないのが悲しいのです」

 すると物の怪も興味を持ったらしく、しきりに話を促してくる。仙草はあらかたの事情を語った。聞き終えた物の怪はこう提案した。

「あの男が欲しいなら、簡単だよ。あの若妻を始末して、あんたが成り代わればいいじゃないか」

「どうすればいいんでしょう?」

「いい方法があるよ。わたしはあの若妻の肉が食べたい。皮はいらないから、あんたにあげよう。剥いだ皮を被ってあの女に化ければいいのさ」

「そ、そんな酷いこと出来ません!」

「平気だよ。人間なんて外見しか気にしないんだから。中身が変わってもどうってことはないのさ。あんた、ここでただ生えてたって一生想いは報われないよ。やっぱりわたしの言う通りにするのが正解だね」

 物の怪から熱心に勧められて、仙草もその気になった。

「じゃあ、やります」

 物の怪は得たりとばかり、書生の家へ入っていった。明け方近くになって、相手は戻ってきた。右手には若妻の皮を携えている。仙草が皮を被ると、たちまちあの女の姿になる。裸だったので、家に入るとまず女の部屋へ行き、着替えと化粧を済ませて書生のもとへ向かった。

 書生は寝室にいた。寝床のそばでわんわん泣いている。そこには、物の怪が食い散らかした若妻の肉片が散らばっていた。壁や床に乾ききっていない血が残り、不気味な輝きを放っている。

 仙草は書生が哀れでならず、そっと寄り添って声をかけた。

「もう泣かないで。あたしよ」

 書生は彼女を見て、仰天した。

「君は誰だ?」

「あなたの奥様よ」

「君は僕の目の前で、さっき化け物に食べられたじゃないか!」

「あなたが愛おしくて、蘇ったのよ」

 半信半疑の書生だったが、不意に感極まった様子で仙草に抱きついてきた。彼女が甘い思いで一杯になったのもつかの間ーー。

「違う、君じゃない。こんな嫌な臭いがするはずないじゃないか!」

 血相を変えた書生が、言葉と同時に仙草を突き飛ばす。床の血に足をとられ、彼女は無様に転んだ。転んだのと同時に、被っていた皮がずれて、顔の部分が剥がれてしまった。頭蓋ではなく、苗の先端が覗く。

 この有様に、書生は愕然とした。

「化け物だ、化け物だ!」

「待ってください、誤解です――」

 書生は聞かなかった。諸手をあげて泣き叫びながら、寝床の角に頭を打ちつける。ぐしゃりと肉が潰れた。

 書生は床に倒れ動かなくなった。

 仙草は絶望し、泣いた。こんなことになったのも物の怪のせいだと思ったが、相手はとうに逃げ出している。

 それから、やっぱり自分がいけなかったのだと思った。書生の幸せも命も、全て奪ってしまった。愛しい人の亡骸を前に、彼女は身も枯れよとばかり泣き続けた。

「まったく、うるさいのう」

 振り向くと、白い髭を生やし道服をまとった老人が立っている。仙人だ。

「わしを覚えておるかね」

 仙草は首を振りかけて、はっとした。

「まさか、あたしを植えてくれたお師匠様ですか?」

「いかにも。お前という奴は、こんなところで一体何をしでかしてくれたのだ? 困ったものだわい」

 仙草はすがりよって言った。

「仙人様。あたくしは欲にかられて大変な間違いを犯してしまいました。どうかお助けください」

「何を助けて欲しいのかね」

「この夫婦を生き返らせて欲しいのです。あたくしはどんな目に遭っても構いません。お願いです!」

 仙人は長いこと仙草を見つめていた。やがて、白い髭をもごもご動かして言った。

「やれやれ、その約束を忘れるんじゃないぞ」


 天台山のふもとに、再び醜い仙草が芽吹いた。

 仙人は彼女を見下ろしながら、ため息混じりに告げた。

「あの夫婦はきちんと蘇らせてやったぞ。お前は罰として、ここで大人しく反省することじゃ」

 仙草がぺこりと身を折る。

 きびすを返し、緩やかに立ち去りながら、仙人はひとりごちた。

「あの草め、今度は百年そこらで自分の過ちを忘れなければいいがのう……」


あとがき

中国風の童話として書いたのですが、別にこのストーリー中国じゃなくてもいいだろ、ということで書籍化しないボツ作品です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ