「スリズィエ・ベレスフォード、ですわ」
旅用のブーツなんて持っていないし、服も旅用のものはない。
それでも心細くならないのは、腰元に揺れる一振りの剣があるからだろう。これは、義理の父の形見だ。刃も柄も銀色に輝き、美しい。わたしの腕の長さにもぴったりだが、これを振り回すには技量が足りなさすぎるので、スカートのエプロン下に短剣を忍ばせる。これなら扱える自信がある。
荷物は少ない方がいい。
服は、どうせスカートなんて邪魔だから、買うついでに売り払えばいい。よって持っていかない。
本はできるだけ持って行きたい。まだ習得していない魔術の載っている本の一冊だけでも持って行く。先ほどの本は、もちろん肌身離さず持って行くつもりだ。
お金は持っていないが、冒険者ギルドかなにかに入れば収入は得られる。それでもだめなら……。うん。
一通りのものは揃えた。あとは、ここから抜け出すだけだ。これはちょっと一苦労だったりするが、『抜け道』を使えば比較的簡単だ。
「参りましょう。それでは、さようなら」
ここに、未練は無い。気がかりなことはあるが、きっとなんとかしてくれる。義父がなくなってからというもの、早くここから抜け出したくて仕方なかった。誰かさんは、格好の機会を与えてしまったわけだ。
わたしは、抜け道に向けて動き出した。
昔のままの、抜け道。
ここには警備兵なんて無粋な連中はいない。小柄な女性か、子どもなら通れる道--といっても、猫道のようなもの--がある。知っているのは、教会で幼少期から過ごしている子どもたちだけだ。かくいうわたしも、義父の実の息子、つまり義兄にこれを教えてもらったのだ。持つべきものは賢い義兄上だ。
うん、と一つ頷いて抜け道の方へ進み出そうとした。が、その足はすぐに止まった。……今話していた義兄上が、いた。警備兵の制服に身を包み、相変わらず凛々しい姿だ。
「リズ」
たぶん、待ち伏せされていたのだろう。そういう態度だ、アレは。彼は、わたしに情報を流してくれた警備兵でもある。捕まる心配は、おそらく無い。仕方ないので、挨拶だけはしていこう。
「義兄上。大司祭さまのこと、お知らせくださってありがとうございます。わたしは義兄上の助言に従い、これより旅に出る所存です」
「……知っている」
「義兄上……不孝者のわたしのことは、どうぞお忘れください。そして、願わくば、ご自分のこと、ひいては精霊殿のことにのみ御心を砕いてください」
「……」
彼は基本的にひどく無口だ。けれど相槌くらいは昔から打ってくれたものだけれど。やはり、不孝者のわたしに怒っていらっしゃるのかもしれない。それも、しょうがないだろう。けれど、意地は、通す。
「では、義兄上。行って参りま」
す。とは、言わせてもらえなかった。静かな表情は変わらずに、わたしの頭に手を乗せた。それだけで、彼の言いたいことの半分はわかる。義兄妹の特権というやつである。
「リズは、がんばった。たまには逃げていい。がんばらなくていい。けど、諦めるな」
「義兄上、それは」
「父さんの、口ぐせ。移った」
穏やかな声が非常に甘やかな色なのを知っている娘なんてそういないだろう。女性の前だと話さないから。
義兄上はとても優しい方だから、黙って出て行こうと思ったのだけれど。
そんなことは許さないと言うように、彼はわたしに布袋を押し付けた。
「父さんのへそくり。何かあったらリズと俺で使えって。……今が、その『何かあった』とき。持って行け。この町のギルドには行くな。すぐに手が回る」
「え、えっ?」
へそくりって、お義父さま……なんでそんな主婦みたいなことを。というより、ギルドに手が回る? ありえない。ギルドは国家からの干渉には応じない組織のはず。
わたしが混乱しているのに気づいたからか、義兄上は首を振った。
「国じゃなくて、教会。独自に調べるらしい。俺も召集される。反逆罪らしいよ」
「はあっ!? 反逆? 一体何のためにわたしがそんなことしなきゃならいんです?」
「さあ。少しでも大きな罪にしておいた方が、捕縛と処刑の確率が上がると思ったとか」
「……それ、最低ですわ」
「まったくだ」
普段はあまり表情を動かさない義兄上が、明らかに眉をひそめた。わたしに合わせてくれたのだとしても嬉しい。
とにかく、なぜそんな忠告をされたのかはわかった。義兄上は、お義父さまとわたしには嘘をついたことは無い。と思う。
「……わかりました。ありがとう、ございます。ディートハルト義兄上」
「いってらっしゃい。スリズィエ。おまえの旅路に、大いなる精霊王と、ダーマッドさま、アートさまのご加護があらんことを」
「はい。行って参ります」
かくして、わたしは旅に出る。どんな旅路になるのか、どんな人に出会うのか。手探りなのは旅の醍醐味だ。行けるところまで、行ってみる。
そう決意したのはほんの一時間ほど前のことだ。
町外れのカフェで、なぜかわたしは足止めを食らっている。
服を売り払い替えの旅服を購入。残ったお金で、軽く食事していたのだが。
「……何ごとです?」
「あっ、お客様……! 危険です、離れてください」
「喧嘩ですか?」
騒ぎを聞きつけて、カフェの中の人だかりに押し入れば、なんてことはない。喧嘩だった。危険だと止める給仕の言葉を制し、中心へと歩を進める。ちょうどいい。腕試しだ。
喧嘩の中心人物は二人。幅広の剣を持った大男と、どう見ても大柄とは言えず、武器も持たない少年。あの二人を止めればいいのだろう。
「″大気よ、万物を留める大地の力よ
彼の者たちを捕らえ給え
願わくば罰を与え給え″」
瞬間。二人が宙吊りになった。
もちろん、空中に糸の仕込みなんて無い。これが、この世界に精霊がもたらした魔術だ。原理は知らないが。
二人は急な変化に驚いたようで、大男の方は降ろせと喚いている。降ろしたら何をしでかすかわからないのでこの男は保留。わたしは少年に視線を移した。
「これ、おまえ? やったの」
「さあ、どうでしょう?」
「頭に血ィ登んだよね。解いてくんない?」
言われて、わたしは彼を観察する。あの大勢のギャラリーからわたしを見抜いた少年。くすんだグレイの癖っ毛は、しっかりと艶がある。顔立ちも整っており、深いエメラルドの瞳は気品さえ湛えている気さえする。服装も地味だが、生地には僅かに魔力が宿っている。
「ご自分で解けるのでは?」
「うげ」
魔力を編み込んだ生地を使った服。それを身に纏うには、自身にも魔力が宿っていいなければならない。そこから推測してそう言うと、図星だったらしい。顔を歪めた。
彼はやれやれと首を振る。
「解けるのでは? とか簡単に言うけどな、こんながっちがちに固めといてそれかよ……っと」
ひらりと空中で半回転し、無事に彼は着地した。
「で、こいつどうするつもりだ?」
「ああ、そうでした」
忘れていた。
「店員さん、この人、町の兵士さんの駐屯所に連れて行ってくれませんか? そこに着いたら降りられるように、魔力を調整しておくので。わたしは急ぎの用事があるので、これで失礼いたしますわ」
「はっ、はい! かしこまりました!」
呆けていた店員にそう告げると、わたしはその手に伝票とぴったりのお金を握らせて、カフェから逃げ出したのだった。そこ、かっこ悪いとか言わない。
―――
逃げるように(実際逃亡しているのだが)町を出たわたしは、これからどこへ行こうかと考えをめぐらせていた。やはり、ギルドの登録ができるところだろうか。
「………ぃ」
それとも先に海を越えようか。いや、一人だと先行き不安過ぎる。却下。
「おーい」
とりあえず、町から離れてまた違う町で働いて、路銀を増やそうか。これもまた、本気で捜索されているならリスクが高いので却下だ。
「おい!」
「うわっ!」
心臓が肋骨を突き破るかと思った。こんなところに知り合いはいない。わたし以外に、町の外に出ていた人はいただろうか。
視線をめぐらせ、目に入ったのは。
「よう」
「……さっきの」
見まごうことないグレイの髪。先ほどの、魔力の宿った服を纏う少年。何してるんだろう。
そんな疑問がありありと顔に出ていたのだろう。彼は言った。
「おまえを追っかけてきた」
「……ストーカーですか?」
「殴るぞ」
「冗談ですよ」
半分本気でしたが。まあそれは言わなくてもいいだろう。
彼はため息をつくと、仕切り直しと言うように切り出した。
「おまえ、さっきの魔術がなんだか知ってるか?」
「? 教会にあった、義父の本に載っていましたが?」
ちなみに、その本の内容はコンプリートしたので持ってきていない。
そのままそれを伝えれば、彼はおかしな顔をした。
「……本? いや……ああ。知らないならいい」
「だから、本に載っていました」
「わかったよ」
まさか、それを問うためだけに追ってきたのだろうか。物好きにもほどがある。
しかし彼はわたしが答えた後も、一人で何か考えている。
「なあ、おまえ。これからどこに行くんだ? それ旅装だろ?」
「あなたには関係ありませんよね?」
「それがちょっとありそうなんだ」
なんだろう。この食いつきようは。
「差し支えなければ、着いていかせてくれないか」
「お断りします」
「そう言うなよ。見たとこ旅なんて初めてだろ。野宿の仕方、金の稼ぎ方、食料の調達方法。知らないんじゃないか?」
なんなのでしょうか。
矢継ぎ早に繰り出される図星の数々。どれも正解で、返す言葉がない。
「習うより慣れよ、と申しますし」
「あ、その諺こっちにもあるんだな」
「コトワザ?」
「いーや、なんでも。でも正直、この先って女の子が一人で旅するには危険だし、旅慣れて顔も広いオレがいた方が便利だと思うぜ?」
「ギルドで同行者を捜しますので、結構です」
「旅初心者のお嬢さんについてく良心的なベテランがいると思うか? そういう奴、大抵下心満載だぞ」
ぐうの音も出ない。
「ちなみに、オレはお嬢さんみたいな貧相さじゃ手ェ出す気にもならな、ちょ、待てって!」
失礼に過ぎるので置いて行こう。と踵を返した瞬間に、腕を掴まれた。一瞬この手を凍らせてやろうかと思ったが、離れなくなったら嫌なのでやめておいた。
「話聞けって。いいか? 今なら、魔法も剣も使えて旅慣れてる、しかも顔もそこそこ広くて、おまけに紳士な奴とパーティが組める。これ、逃すには惜しいチャンスだと思わねえ?」
「……」
彼の人柄を知らないわたしが、その言葉を推し量れるはずがない。うまい話には裏がある、と義兄上も昔言っていた。しかし本当ならメリットはかなり大きい。
どうするか、考えなければ。
しかし、はたと気づく。この少年に何を言っても、たぶんすぐに言い負かされる。強引について来られたり、妙な条件を付けられるとか、脅されたりするよりましではないか。
それなら、この手を取る。それが今の、最善策。
「スリズィエ・ベレスフォード、ですわ」
「! パーティ成立、か?」
「あなたが許可してくださって、名前を教えていただければ」
「ああ。オレは、ウォルシス・チョーサー。なんとでも呼んでくれ」
「……はい。よろしくお願いいたしますわ」
非正規だけれど、わたしたちのパーティが成立した瞬間だった。旅路が、始まる。
ステータス
ウォルシス・チョーサー(17)
ジョブ『魔法騎士』 LV25
武器『剣・短剣』
属性『?』
種族『ヒュマネ』
性格『軽い・世渡り上手』
タイプ『中距離』