「……逃亡劇の、始まりですわ」
前置き的なもの
その昔。精霊王は人間界に降りておいでになりました。
王は人間をお導きになり、精霊たちは皆に智慧をお与えくださいました。
そのおかげで、人間たちの暮らしはとても豊かになりました。
火を使って調理をし、水で建物を清め、大地の実りを手にして、風に憂いを流し、光で夜を照らしました。
やがて精霊王は、一人の人間の女性を妻にお迎えになりました。
彼女の名前を知っているものは、もういないことになっています。
けれど、彼女の容姿は漠然と伝わっております。
彼女は、人であることが怪しいくらい美しい方だったと言われています。中には、目も当てられないほどに卑しい見かけだったという不届きな輩もいますが、精霊王がお目をかけられるような清純な女性の容姿が卑しいわけがありません。
しかし、その暗闇のような髪と瞳が、人々に疎まれたのは言うまでもありませんでしょう。
人々は、暗闇を恐れました。夜が訪れるたび、怯えました。
それは、仕方のないことなのかもしれません。でも――ああ、それはあまりに、罪深く許されがたい感情でした。そう。
――彼らは、罪を犯しました。
人間は、精霊の女王となったその方を、襲ったのです。彼女がそのときどうされたかまでは存じません。しかし、精霊王は人間の所業にお怒りになられました。
当然でしょう。精霊王は、愛情深いお方なのですから。それを裏切ってしまった人間にこそ、非があるはずなのです。
しかし。
愚かにも、人間には、そう思わない者がおりました。彼らはそう仄めかします。
【精霊王は、暗闇の庇護者である】
そのような馬鹿げた考えを持ち、それを支持する輩が精霊王を襲撃しました。精霊と人間の一部の、戦争となりました。これが、世界で初めての戦争と言われています。
精霊王はついに人間に失望なさり、精霊界へと帰ってしまわれたのです。
けれど。一般的には知られない、この話の続きがあるといいます。
彼女には、王子が二人おられました。彼女は、その容姿がご自分に似ておられないことに安心なさいましたが、襲撃の際、お二人を精霊王に託されました。
聡明にして誠実な、忠義の象徴たるダーマッド様。
鷹揚にして潔癖な、清白の護手たるアート様。
お二人はとてもよく似ておられました。精霊と共に暮らし、彼らを朋友とし、人間界のことは知らされずに。
しかし、アート様が湖の畔で水浴びをなさっていたとき。彼の方は、湖に映る景色に気づいてしまわれたのです。アート様は、湖に映る、『人間』という存在に興味を持たれます。
そして、兄のダーマッド様と共に、人間界へと旅立ってしまったと言われています。
数年ののち、ダーマッド様とアート様は精霊界へとお帰りになられました。
その当時の精霊たちは知りません。二人の王子が人間界に残してきた、宝物のことなど。
これは、太古より続く運命の物語。
―――
わたしは本を閉じた。
白地に茨文様の、題名の無い本。
義父に拾われたときから持っているらしいが、そんな昔のことなんて覚えていない。
ただ。大切なもの、なのだろう。
わたしは部屋の大窓に近づいた。この部屋からは街が一望できる。
長く続く雪に閉ざされてなお、日の照っている街はひどく美しい。けれど。
「あと、少し」
この優しい景色とも、もうお別れしなければならない。
教会に拾われ、勤めて十年以上。後ろ盾とも言うべき義父が身罷り、わたしを邪魔だと思うものが、わたしを捕らえようとしている。親しい警備兵から、そんな情報を入手した。
誰がとは言わないが、どんな理由で捕縛しようというのか。ちょっと興味があるけれど、我が身はかわいい。
だから、わたしは逃げる。
明るい街の景色に、わたしはカーテンを閉ざす。さあ。
「……逃亡劇の、始まりですわ」
ステータス
スリズィエ・ベレスフォード(15)
ジョブ『ビショップ』 LV21
武器『?』
属性『?』
種族『ヒュマネ』
性格『?』
タイプ『?』