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「ばっかみたい!」
「え?」
とある昼食会からそのまま皆で散策に出ていたローズは、背後から突然聞こえた声に驚いて振り向いた。
すると、そこには淡い金色の髪を腰まで真っ直ぐに流した若い女性が立っていた。
だが、その柔らかそうな唇は不満げに尖っている。
女性は先ほどまでローズに嫌味を言っていた夫人を睨みつけていたが、見られていることに気付いて、ばつの悪そうな顔をした。
「あの、ごめんなさい。今の……聞こえちゃいました?」
「えっと……まあ……」
嘘をつくほどでもないので正直に答えると、女性は気まずそうに目を逸らした。
しかし、すぐにローズへと視線を戻す。
その碧色の瞳は決意に満ちている。
「殿下はもっと、遠慮なさらずに言い返すべきです」
「はい?」
「あんな人達に好き放題言わせておく必要はないんです。あの人達はただ単に妬んでいるだけなんですから」
「あの……?」
彼女が何を訴えているのかはわかっていたが、なぜここまで怒っているのかがわからず、ローズは困惑した。
そんなローズの気持ちを察したのか、そうでないのか、若い女性はひと際甲高い声を上げる。
「だって、悔しくないんですか!?」
そこまで言って、女性は我に返ったらしい。
はっとして慌てて口を押さえた。
「あ、あの! すみません! 殿下に失礼な口をきいてしまって……」
あたふたする彼女が可愛らしくて、ローズは微笑みながら首を横に振った。
「いいえ、どうか気にしないで下さい。それよりも、ありがとうございます」
「え?」
「だって、わたしのために怒って下さっていたのでしょう?」
「それは……はい」
ローズの優しい言葉に女性は小さく頷いた。
しかし、再びはっとして、深く頭を下げる。
「ごめんなさい! わたし、名乗りもせずに!」
顔を上げた女性は今さらながらお淑やかに膝を折った。
「わたくし、キャロル・モリスンと申します。父はモリスン男爵。今日は母と一緒にこの昼食会に参りました。先ほどは大変失礼いたしました」
年齢は恐らく二十歳にはなっていないだろう女性――キャロルの変わりようがおかしくて、ローズはつい吹き出してしまった。
だがすぐに申し訳なくなって、しょんぼりしたキャロルに謝罪する。
「笑ったりして、ごめんなさい。でもどうかそんなにかしこまらないで普通にして下さい。それと、わたしのことはローズと呼んで頂けませんか? 実は殿下と呼ばれるのに慣れていなくて。エスクームでもいつもローズと呼ばれていたから」
「ええ! じゃあ、わたしのことはキャロルと呼んで下さい!」
元気に応えて喜ぶキャロルを見て、ローズは先ほど嫌味を言ってきた夫人に感謝したくなった。
キャロルは目を見張るほどの美人だが、どうやら気取らない性格らしい。
その彼女とこうして知り合えるきっかけをくれたのだ。
それからあっという間に仲良くなったキャロルとは、たびたび個人的にサロンでお茶をするようになった。
* * *
「まあ! これが噂の猫ね!」
何度目かのサロンでのお茶の後、二人はローズが与えられている客間に戻っていた。
子猫を見たいとキャロルにねだられたのだ。
これまでは借りている部屋なので人を招くことは遠慮していたのだが、せっかくできた友達の願いだからとローズは了承したのだった。
ローズが部屋で子猫を飼い始めたことは、すぐに噂になった。
しかも、ルバートやエリオットまでも子猫をかまいにローズの部屋へと訪れるものだから反感を買ったらしい。
ずうずうしいだの、礼儀知らずだのと嫌味を言われるようになり、キャロルと出会うきっかけになった夫人にも責められていたのだ。
「名前は何なの?」
「……ルーよ」
「ふーん。由来は?」
「ル、ルートヴィヒのルー。祖父の名前だったの」
「ああ、二代前のエスクームの国王ね。なかなか立派な王様だったって聞いたことがあるわ」
「……そうね」
昔からエスクームの土地は貧しく、四代前の国王の時代にブライトンの東の土地を強奪してから二国間の争いは続いていた。
しかし、ローズの祖父の代にはそれなりに落ち着いていたのだ。
それが先代の強引な政策の影響で再びブライトンと事を構えるようになってしまった。
結局、先代国王は敗戦のショックで倒れ、そのまま息を引き取ってしまったのだが。
現国王は敗戦国の王として即位しなければならず、ローズへと怒りをぶつけるのも仕方がないように思えた。
「きゃっ、やだっ!」
ぼんやりしていたローズは、キャロルの甲高い声で我に返った。
子猫のルーが床に叩きつけられ、悲痛な声で鳴く。
ローズは慌ててルーを抱き上げて状態を探った。
幸い何事もなさそうでほっとしたローズは、怒りに目を吊り上げるキャロルへ顔を向けた。
「ルーがどうしたの?」
「その猫! わたしの手を噛んだのよ!」
確かに、キャロルの白く美しい手には小さな噛み痕がついている。
どうやら甘噛みされたらしい。
「ごめんなさい、キャロル。この子も悪気があったわけじゃないのよ」
「悪気の問題じゃないわよ。ちゃんとしつけないと! そもそも、このお部屋で飼うなんて――」
謝ってもキャロルの怒りは治まらない。
とりあえず傷口の手当をとローズが言いたくて言いだせないでいると、新たな来訪者の名を告げられた。
キャロルはぴたりと口を閉じる。
「こんにちは、殿下。ずうずうしくも、またお邪魔してしまいました」
エリオットがにこやかに現れ、その後ろに少しむっとした表情のルバートが続く。
しかし、二人ともキャロルを目にして、かすかに眉を寄せた。
「えっと……君は確か、モリスン男爵の……」
「はい! 娘のキャロルと申します」
エリオットの問いかけに、キャロルは頬を紅潮させて答えた。
先ほどまでの怒りもどこかへいったようだ。
エリオットは軽く頷くと、ローズへ申し訳なさそうに微笑みかけた。
「先客がいるとは知らず、大変失礼いたしました。先触れを出せば良かったですね」
「いいえ。わたしが子猫を見たいと我が儘を言ったのです。ですからどうか、お気になさらないで下さい。それよりも、わたしがお二人のお邪魔をしてしまったのではないでしょうか? 陛下も侯爵様も、動物がお好きなのですか?」
ローズより先にキャロルが応え、長いまつげを伏せてしおらしく問いかけた。
ルバートはローズの腕の中からルーを抱き上げ、人差し指で優しく撫でている。
ルーは小さく鳴いて、気持ち良さそうに目を閉じた。
「……動物は正直だからな」
低い声で呟いたルバートの言葉に、キャロルは顔を輝かせて同意する。
「本当にそうですよね。ですから、わたしも動物は大好きです」
「へえ……では、乗馬はするの?」
「す、少しだけです。父があまり許してくれなくて……」
和やかな雰囲気の中で進む会話を、ローズは驚きの思いで聞いていた。
国王とサイクス候を前にしても怖気づかないキャロルの度胸に感心してしまう。
子猫を抱いたルバートとそれを囲むエリオットとキャロルは、心温まる一枚の絵のようで、ローズは静かに三人を見つめていた。