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 ローズは二人の部屋を繋ぐ小さな空間を進み、ルバートの寝室側の扉の前で立ち止まった。

 いつでも逃げ帰れるように、ローズ側の扉は開けたままにしている。

 むしろ今すぐ逃げ帰りたい。

 だが、それではこの先もずっと逃げ続けてしまうだろう。

 ローズは一度大きく息を吸って気持ちを奮い立たせ、ぐっと強く手を握りしめた。


 扉の向こう側ではかすかな人の気配を感じる。

 でも、もしルバートが一人ではなかったら? それとも侍従だけでルバートはいなかったら?

 急に弱気な考えが浮かび上がり、ローズは躊躇した。


(でも……それはその時だわ!)


 自分を叱咤して、勇気が萎えないうちに右手を振り上げる。

 その時――。


「……ロザーリエ?」


 ノックをする前に扉は突然開き、眩しさに目を細めたローズの耳に、驚くルバートの声が聞こえた。

 何度か瞬いて視界がはっきりすると、ルバートの困惑した表情も見える。

 途端に焦り動揺したローズは、用意していた言葉も何もかもが飛んでしまった。

 そして開いた口から出てきたのは、言うはずもなかった言葉。


「テレンズ伯爵未亡人は、陛下の恋人なのですか?」


 瞬間、ルバートは目を見開いた。が、すぐに顔をしかめて一歩前へと進み出る。


「誰から聞いた?」


 問いかける低い声には怒りが滲んでいる。

 ローズは思わず一歩後じさり、それでも震える唇をどうにか動かした。


「ごめんなさい。わたし……」


 青ざめたローズを目にして、ルバートは冷静さを取り戻したのか、慌てて表情を和らげた。


「すまない、あなたを責めているわけではないんだ。ただ……彼女については明日にでも紹介する予定だったんだが……。とにかく、入ってくれ」


 ルバートは穏やかな声音に変えて、部屋へ招き入れようと大きく扉を開けた。

 しかし、動揺したままのローズはその場に立ちすくんだ。


「い、いいえ。それには及びません。あの、わたしは……」


 紹介などいらない。ルバートの口から伯爵未亡人のことなど聞きたくない。

 その思いに囚われて、ローズは先ほどの決意も虚しく踵を返した。

 背後で扉の閉まる音がする。

 それでも振り返ることなく自室に入ったローズは、そこで腕を掴まれ引き止められた。


「ロザーリエ――」

「ご不快な思いをさせてしまい、申し訳ありません。わたしが口を出すべきことではありませんでした。ですから……どうか、陛下の望まれるようになさって下さい」


 ルバートから顔をそむけたままローズは訴えた。

 できればもう一人にしてほしい。一人になって、この大失敗に大泣きしてしまいたい。

 だが、優しいルバートが今のローズを放っておくわけがないのだ。

 ローズは俯き涙を堪えて唇を噛みしめた。


「ロザーリエ、あなたは本当にそれでいいのか?」

「……はい」


 どこか緊張した様子のルバートに気付く余裕もなく、ローズは頷いた。

 掴まれたままの腕に力がぐっと加わる。

 その痛みよりも、続いたルバートの言葉にローズは胸を突き刺されたような痛みを感じた。


「明日、私は彼女と会う約束をしている。その約束は果たすつもりだ。それでいいのだな?」

「……」

「ロザーリエ?」


 返事を促されても喉に何か大きな塊が詰まったようで声が出せない。

 掴まれていた腕を解放されても、もう動くことができない。

 堪え切れずついに涙が溢れ出したローズの頬をルバートは両手で包み込み、藍色の瞳で真っ直ぐに見つめた。


「なぜ泣く?」

「わ、わたし、本当は……」

「本当は?」

「……い、いやなんです。陛下が他の女性といるのもいや。親しくしているのはもっといや。わたしのそばにいて欲しい。わたしに……」


 一度言ってしまうと、堰を切ったように今までずっと秘めていた想いが口をついて出てくる。

 頭の隅ではやめなさいと止める声がしているのに、もう止めることができない。

 ローズは頬に触れるルバートの手に手を重ね、涙に濡れた目でルバートを見つめ返した。


「この手で……もっと、わたしに触れて欲しいんです。もっと……」


 それ以上の言葉を口にすることはできなかった。

 ルバートの唇がローズの震える唇に重なり、声を奪ったのだ。

 それは今までのような優しいキスではない。


「……私の望むようにすると、きっとあなたは怯えてしまう」


 キスの合間に呟いて、ルバートはローズを抱き上げた。

 そのままベッドに歩み寄り、驚くローズをそっと横たえる。


「……陛下?」

「あなたは、私の名を呼ばなくなった」


 独り言のようなルバートの言葉に、ローズの混乱は増した。

 いつから彼の名を呼ばなくなったのかは覚えていない。

 ただ二人きりの時でも距離を感じてしまい、親しみを込めた呼び名を口にすることができなかったのだ。

 それがまた、ルバートを遠ざけたのかもしれない。


「――ルバート」


 勇気を出して、ローズは覆いかぶさる彼の頬へと手を伸ばし、囁くようにその名を呼んだ。

 するとルバートは微笑んでその手に口づける。

 しかし、ふと眉を寄せた。


「すまない、ロザーリエ。私はあなたを守ると約束しながら、私自身があなたを傷つけてしまったのだろうか?」


 久しぶりにしてしまった左手の悪癖を見られてローズはうろたえた。

 それは昼間にキャロルと対峙した時のものだ。

 慌てて首を横に振ったものの、上手い否定の言葉が出てこない。


「これは……わたしが愚かで……」


 ルバートに恋をして、愛してしまった。

 そんな恋心から生まれた嫉妬が、ローズに王妃らしからぬ言動をさせてしまうのだ。

 いっそのこと、この気持ちを打ち明けてしまえば楽になれるのかもしれない。

 そんな誘惑に駆られたが、ローズが口にすることはなかった。

 だが、募る想いはローズを大胆にさせた。

 心配そうに見下ろすルバートを引き寄せ、自らキスをする。

 初めてのローズからの積極的なキスはルバートを驚かせたが、すぐに応えてキスを返した。

 二人の熱い吐息は重なり合い、一つに溶けていく。

 やがてローズはルバートのぬくもりに優しく包まれたまま、朝まで続く幸せな眠りについた。




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