32
次にローズが目を覚ましたのは、小鳥達の元気な声が響き始めた翌朝だった。
柔らかな光がカーテンの隙間から射しこんでいる。
ローズの起きた気配を感じたのか、枕元の椅子に腰をかけてうとうとしていたエムがはっと目を開けた。
「ローズ様!――お、おはようございます」
喜びに声を上げたエムは、慌てて落ち着いた挨拶に変えた。
昨日以上に意識のはっきりしていたローズは、その様子に笑みを浮かべる。
「ローズ様、お水を飲まれますか?」
ローズが頷くと、エムは枕を高くしてグラスを口まで運んでくれた。
「……ありがとう、エム。色々とごめんなさいね」
「何をおっしゃるのですか! わたしはこうしてローズ様にお仕えさせて頂けるだけで、とても幸せなのです。ですから、わたしの幸せのためにも、何でもお申し付け下さいませ」
かすれたローズの謝罪に、エムは小声ながらも強く否定した。
そして、にこにこしながらローズの上掛けを直す。
「まあ、お目覚めでしたか」
二人の声を聞き付けたのか、マリタが扉から顔を覗かせて嬉しそうに声を上げた。
しかし、すぐに引っ込んでしまい、しばらくして再び現れた時にはあの苦い薬湯を持っていた。
思わず顔をしかめたローズを見て、マリタは同情するようにため息を吐く。
「このお薬はとっても苦いそうですね。でもこれをちゃんとお飲みになったら、スープを持って来ますからね。お腹がすいていらっしゃるでしょう?」
そう聞いた途端、ローズのお腹が鳴った。
だが、お腹はすいているのに、食欲がない。
それでも食べなければと、我慢して飲んだ薬湯のあとに運ばれてきたスープを口にした。
温かなスープは優しくお腹に沁み渡る。
それなのに半分も飲まないうちにローズは力尽きてしまった。
「もう無理だわ……。とても美味しいのに」
枕に頭を預けて残念そうに呟く。
そこにドリーとメドラルデが現れ、ぐったりしたローズを目にして眉を寄せた。
「まだ無理に食べんでもいいさ。胃がびっくりするからの」
「そうですね。焦らず、ゆっくりでいいのですよ」
メドラルデとドリーの優しい言葉に頷いて、ローズは目を閉じた。
本当は早く我が子を抱きたい。ルバートにも会いたい。
だが、その力がない。
他にも気になることはたくさんあるのに、ドリーが診察してくれている間も、ローズはただ黙ってされるがままになっていた。
「出血が多過ぎたのと産褥熱とで、一時期はかなり心配致しましたが、幸い無事に回復なさっていらっしゃるようです。あとはしっかりお休みになって、メドラルデの怪しげなお薬をちゃんとお飲みになることですね」
ほっと安堵の息を吐きながら悪戯っぽく告げたドリーの言葉にローズは弱々しく微笑んだ。
メドラルデを初めて見た時には、怪しげなまじない師のようだと思ったことを思い出す。
しかし、その薬効は確かだ。
「怪しげとは失礼だね。これは世の理に沿った、ちゃんとした薬さ」
ふんと鼻を鳴らして反論したものの、メドラルデの鈍色の瞳は笑いを含んでいる。
そしてドリーの顔にも笑みが浮かんでいる。
どうやら二人はこの数日間で仲良くなったようだ。
「ええ、ええ。そうですね。それで、その理とやらに沿って、ローズ様に御子は望めないなどとおっしゃったのですか?」
「おや、間違えないでおくれ。あたしはこの娘に子が出来ないなんて言っちゃいないよ。あの乱暴者が相手では、無駄だって言ったのさ」
メドラルデの言葉に、うとうとしていたローズは驚いた。
確かに子供が出来ないとは一度も言われたことはなかったが、そんな意味だったなど思いつきもしなかったのだ。
二人はまだ仲良く言い争っていたが、ローズは結局そのまままた眠りに落ちた。
* * *
「――暑いわ……」
無意識に呟いて、ローズは自分の発した声で目を覚ました。
一瞬わけがわからず混乱し、それから徐々に状況を思い出す。
「ローズ様、お加減はいかがですか?」
問いかけながらも、マリタはローズの枕を高くして水を飲ませてくれる。
冷たい水が喉を潤し、ほっとしたローズは窓へと目を向け、顔をしかめた。
「マリタ、窓を開けてくれないかしら?」
寝室は薬のにおいが立ち込めていて、どことなく空気もどんよりと重い。
それに、はっきり言って自分の体も髪の毛も気持ち悪い。
そんなことが気になるようになったのは、きっと体が回復してきているのだろう。
マリタが窓を開けると、爽やかな風が部屋へと舞い込み、その心地よさにローズはほっと息を吐いた。
「赤ちゃんは元気よね?」
「はい。殿下は先ほども乳母のジーンのお乳をお飲みになり、満足なされたのか今は眠っていらっしゃいます」
「……そう、良かった」
先日面談して決めた乳母のジーンなら任せても大丈夫だとわかっている。
しかも我が子には他にドリーや育児係がついているのだから、心配することはないのだ。
それでも複雑な気持ちになるのは、自分が不甲斐ないせいだろう。
だが、くよくよしていてはダメだとローズは気持ちを切り替えて、顔を上げた。
「それで……あの子の名前は? どんな名前が付けられたの?」
久しぶりに瞳を輝かせるローズを見て、マリタは困ったように笑った。
「それが……まだ発表されていないのです。ですから私共も殿下とお呼びするしか……」
「まだ?……どうしてかしら?」
何か問題でもあるのだろうかと不安になったローズに、マリタはゆっくり首を振って応えた。
「何も問題などはございません。ただ……陛下はローズ様がお目覚めになるのを、ずっとお待ちになっていらっしゃったので、おそらく……あら、ではお知らせしないと。今度こそ、目を覚まされたローズ様にお会いなさりたいでしょうから」
「――ま、待って、ダメよ」
枕元の椅子から立ち上がりかけたマリタを、ローズは慌てて止めた。
そのことにマリタは訝しむ。
「ローズ様?」
「陛下とはお会いできないわ」
「まあ、なぜです?」
「だって……と、とにかくダメなの。それよりも、お風呂に入りたいわ」
「とんでもない! お風呂など、まだ体力も戻っていらっしゃらないのに」
ルバートの心配ぶりを知っていたマリタは、ローズの言葉に厳しい顔つきで反対した。
それでもローズは力なく食い下がる。
「じゃあ、せめて髪だけでも洗いたいわ……」
自分がどんなにひどい有様なのか、鏡を見なくてもわかる。
十日の間に、何度か汗をかいた体を拭いてもらった記憶はぼんやりあるが、それだけで足りるわけがない。
自分でもこんなに不快なのだから、ルバートにはもっと不快に思われるかもしれないと、意識のはっきりした今のローズには怖かった。
「――ひとまず王様には、目が覚めたことを伝えればいいさ。だが、まだ会える準備ができないって加えてね」
いつの間にか部屋に入って来ていたメドラルデがのんびりと口を挟んだ。
そして驚くローズをじっと見てにやりと笑う。
「少し体に気も戻ったようだし、髪ぐらいは洗っておやり。綺麗にして好いた男に会いたいってのは女心だからね。まあ、それぐらいの無理はしてもいいさ」
「……ありがとう、メドラルデ」
ローズは恥ずかしそうに微笑んでお礼を言った。
心配しながらもマリタはローズの気持ちを尊重し、それではと髪を洗う準備に取りかかる。
だが残念ながら、男であるルバートにはローズの女心がわかるはずもなかった。




