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 ルバートがローズの部屋へと駆けつけると、室内には異様な静けさが漂っていた。

 その中で、別室から聞こえてくる赤子の泣き声だけが、ブライトン王国の王位継承者誕生を主張している。

 だがその声には見向きもせずにローズの寝室へと向かったルバートは、何かを恐れるようにゆっくりと扉を開けた。

 そして足を踏み入れ、そこではっと息をのむ。

 エムとジェンは身を寄せ合い、声を殺して泣いており、マリタはベッドの足元で床に膝をつき、祈るように両手を組んで顔を伏せている。

 ルバートは急ぎベッドへと視線を巡らせ、かすかな吐息を洩らした。

 ローズの顔色は酷く悪く呼吸も荒いが、それでも生きている。

 それだけで今は十分だった。


「陛下……」


 枕元近くに座っていたセシリアがルバートの存在に気付いて立ち上がった。

 その声に、ようやく皆も顔を上げる。

 礼をとろうとする者達を手だけで制し、ルバートはローズの許へと歩み寄り、枕元に膝をついた。

 そして汗の滲むローズの額から髪を払い、頬をそっと撫でる。

 しかし、何も反応はない。


「ロザーリエ……よく頑張ってくれた。だが、まだだ」


 つらそうにローズを見つめていたルバートはそれでも労い励ますと、立ち上がってジェネルバと共に窓辺へと進んだ。


「容態は?」

「正直に申しまして、かなり深刻な状態でいらっしゃいます。殿下をお産みになってから後の出血があまりに多すぎました。今はどうにか落ち着いていらっしゃいますが、この二日間で相当の体力を消耗されておりますし、回復なされるのは難しいかと……」

「……難しい?」

「残念ながら、私には手の施しようがございません。あとは奇跡を願って神に祈るくらいしか……」

「神など……馬鹿馬鹿しい。確かに、ロザーリエの顔色は悪いが、まだしっかりと……」


 小声で話すジェネルバの言葉に納得できず、ルバートは低くかすれた声で訴えた。

 今から十七年前、母が病に倒れた時に神にはどれほど祈ったか。

 しかし、その願いは聞き届けられず、母は亡くなり妹のレイチェルは声を失った。

 その後に知った事実――母は病ではなく毒殺されたのだと判明してからも、その首謀者である宰相におもねらなければならない自分の無力さに打ちのめされながらずっと生きてきたのだ。

 この世に神などいない。自分の力のみが生きる術なのだ。

 そう信じてきたルバートにとって、何もできずにただ見守るしかないこの状況は耐えがたかった。


「本当に何もできないのか? 少しでも彼女を楽にできる薬か何か、探せばあるだろう?」


 ジェネルバが沈痛な面持ちで首を横に振った時、扉が開いて赤子を抱いたドリーが部屋へと入って来た。


「陛下、王子殿下でございます」


 ルバートの許に歩み寄ったドリーは腕の中の赤子を見せた。

 瞬間、ルバートはぎゅっと唇を引き結び苦しげに目を閉じる。

 だがすぐに目を開けると表情を緩め、赤子へ穏やかな眼差しを向けた。


「抱いてもいいか?」

「もちろんでございますとも」


 恐る恐る手を伸ばしたルバートへ、ドリーがそっと赤子を渡す。


「陛下、殿下のお首をしっかり支えて差し上げて下さいませ。ええ、そのように」


 ドリーに教えられながら、どうにか赤子――息子を抱き取ったルバートは、じっくりその小さな姿を見つめ、そしてローズの枕元に再び膝をついた。


「ロザーリエ、あなたと私の子だ。先ほどは元気良く泣いていたが、今は行儀良く眠っている。とても良い子だ。髪の色はあなたに似て茶色だな。鼻は私に似ている気がするが……瞳は何色になるのだろうな? 本当にとても良い子だ。ロザーリエ、ありがとう」


 息子を見せながら静かに語りかけるルバートの声に今度は反応して、ローズの閉じられたまぶたがかすかに震えた。

 そして唇がわずかに動いて微笑んだように見えたが、すぐにまた荒い呼吸に戻る。

 ルバートはどうしようもない無力感に苛まれながらも息子をドリーへ託すと、またローズへ向き直った。


「陛下……お願いがございます」


 重たい空気が室内を覆う中、マリタが切迫した様子で声を上げた。

 ルバートは訝しげに眉を寄せたが、マリタは怯むことなく泣き腫らした目を真っ直ぐに向ける。


「何だ?」

「はい。あの、早馬をお出しして頂けないでしょうか? エスクームへ――北の城へ一番速い馬をお願いしたいのです」

「北の城へ?」

「さようでございます。北の城にはずっとローズ様が頼っていらっしゃった薬師がおります。その者は今までに何人もの母親を救ったことがあるのです」

「その薬師を呼び寄せるというのか?」

「いえ……せめて、ローズ様の症状を伝えて、薬を調合してもらえればと……。も、もちろん、お医者様やドリーさんを侮っているわけではなく……」


 懸命に訴えていたマリタは、ジェネルバやドリーの物言いたげな視線に気付いて慌てて付け加えた。

 だが二人は気を悪くしたわけではない。ただ、ローズにどれほどの時間が残されているのか考えるとつらかったのだ。

 早馬で北の城まで走らせ、戻って来たとして、丸六日はかかるだろう。


「六日……」


 ルバートは呟いて、ちらりとジェネルバをうかがった。

 しかし、ジェネルバは残念そうに首を振るだけ。

 その明白な答えに、ルバートは歯を食いしばると考え込むように俯き、そして窓辺へと目を向けた。

 窓の外ではまるで室内の緊張を感じ取ったかのように、いつもは賑やかな鳥達も今は静かにしている。


「――マリタ殿、今から急ぎその薬師に状況を伝える文を書いてくれ。できるだけ簡潔に、通常の用紙の半分に収まる程度にだ」

「は、はい」


 突如立ち上がったルバートはマリタに命じると、最後にローズの様子をうかがい、驚く皆を残して足音を立てずに寝室から出ていった。

 そして居間に控えていたエリオットに歩み寄る。


「陛下、王妃様は……」

「エリオット、文を飛ばすぞ。今から私の言う文面を用意してくれ」


 決然としたルバートの様子にエリオットは目を見開いたが、何も言わず頷いた。

 淡々と必要事項を伝えたルバートは、廊下を回って自室に入る。

 そこで人払いをして一人になると、窓を開けすっと息を吸い込んだ。

 今まで決して認めなかったこと。自分に許していなかったこと。


「頼む、お前達の力を貸してくれ」


 誰へともなしにルバートが外に向かって声をかけた。

 すると、一瞬の静寂の後、あちらこちらの木々から一斉に鳥達が鳴き始める。

 それから数羽の鳥が飛び立ち、ルバートの許へとやって来た。


「すまないが、エスクームの北の城まで急ぎ飛べるものに、文を託したい。無茶な願いなのは承知しているが、できるだけ速く、そしてまたすぐに戻って来てほしいんだ。頼めるだろうか?」


 まるで人に対するようにルバートが話しかけると、鳥達は応えて鳴いた。

 そしてその場を離れる。

 ルバートも窓から離れて机に向かい、書いた短い文面に合わせてペーパーナイフで用紙を小さく切った。

 そこに、ノックの音が響く。


「陛下、準備が整いました。こちらにマリタが書いたものを入れておりますが、どの鳥に――」


 鳥用の文筒を持って現れたエリオットは、窓辺にとまった鳥を見て口を閉ざした。

 ルバートは礼を言うように頷いて文筒を受け取ると、先ほど書いた文を足し入れ、窓辺へと向かう。


「これをエスクームの北の城まで届けてくれ。できるだけ速く。そこにいる体格の良い男の一人に渡せば話は通じるはずだ。頼む」


 隼の足に文筒をしっかり固定しながらルバートが頼むと、隼は応えるかのように甲高く鳴いた。

 その様子を鳥達は遠巻きに見ている。

 ひゅうっと隼が飛び出し、あっという間に姿が見えなくなると、そこでやっと鳥達はおしゃべりを再開した。


「隼を呼んでくれて、感謝する。あとはもう少し近場だが、飛んでくれるものはいるだろうか?」


 そう問いかけて、ルバートは名乗りを上げた鳥達にエリオットから受け取った文筒を託していく。

 その間、エリオットは無言で従い、飛び立つ鳥達には励ましの言葉をかけた。

 そして最後の鳥を見送ると、エリオットは振り返ってにっこり微笑んだ。


「レイチェル様はモンテルオ王の危機に鷹を遣わされましたが、陛下は隼ですか。今まで一度も鳥に――動物達とお心を通わせていらっしゃるお姿を拝見したことはございませんでしたが、どういったご心境の変化です?」


 二人の母方の血筋では力の差はあれど、動物達と心を通わせることができる能力を持つ者がいる。

 ルバートが幼い頃、あまりにも鳥達のおしゃべりがうるさいと母に訴えた時、教えられたことだ。

 同時に、一族以外の人間には知られてはいけないとも教えられた。

 人は自分とは違う者を忌み嫌う。逆に利用しようとする者もいると。

 だから母が亡くなってからは、決して人に悟られるような行動はしなかった。

 宰相の手の者に常に見張られていることを知っていたからだ。


 レイチェルがルバート以上に強い力を持っていると気付いた時には心配もした。

 しかし、叔母やエリオットがそばにいるのだから大丈夫だろうと、自分が近づくと却って宰相の目を引いてしまうかもしれないと、できるだけ関わりを避けていたのだ。

 ルバート自身は、鳥達のおしゃべりから有益な情報を得るだけで十分だったから。

 

「陛下が望まれていたお世継ぎは無事にお生まれになりました。ですから、もうよろしいのではないでしょうか?」


 何も応えず出て行こうとするルバートに、エリオットはさらに問いかけた。

 するとルバートは足を止めて振り向く。

 その表情を見て、エリオットは再びにっこり微笑んだ。


「もっと御子を望まれるのでしたら、新しいお妃さまを娶られればよろしいかと。王妃様程度の女性なら、他にもいらっしゃるのですから」




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