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「できたわ!」


 糸切り鋏をテーブルに置いたローズは、誇らしげに両手を掲げた。

 すると、両手で持った白い小さな産着がふわりと揺れる。


「まあ、ようございましたねえ。これで御子様がいつお生まれになっても安心ですよ」


 マリタの言葉に、お茶を運んできたエムがくすくす笑う。

 どうにかアジサイが咲くまでに刺繍を完成させることが出来たローズが、次に挑戦すると言い出したのが赤ん坊の産着だった。

 だが裁縫が苦手なローズはかなり四苦八苦してしまったのだ。


「どう? 大丈夫かしら?」

「はい。全く問題ございません。むしろ素晴らしい出来でございますよ。あとは一度水に通して天日に干せば完璧ですね」


 仕上がった産着のチェックをしてくれているマリタにローズが問いかけると、満面の笑みが返ってきた。

 アジサイの刺繍は人に見せられるものではないので、自己満足のために枕元にこっそり置いているのだが、産着はちゃんと使えそうだ。

 ローズはすっかり大きくなったお腹を撫でながらお茶を飲み、ふうっと息を吐いた。


 もう赤ん坊はいつ生まれてきてもおかしくない時期に入っている。

 それなのに産着が完成しないので、セシリアやドリーに出産までに間に合わないのではないかとからかわれたりもした。

 赤ん坊の健やかな成長を願って一針一針刺しているうちに時間がかかってしまったのだ。

 しかし、こうして間に合ったのだから、あとは無事に生まれてきてくれることを祈るだけと、ローズはカップを置いてゆっくり立ち上がった。

 ずっと座っていたせいか腰が痛い。


 ふうっとまた深く息を吐きながら窓辺へと歩む。

 離宮での夢のような時間はあっという間に過ぎてしまったが、王宮に戻ってからもルバートは出来る限り会いにきてくれていた。

 しかも先日は離宮で絵師に描かせた肖像画を持って訪れてくれたのだ。

 それは椅子に腰かけたローズにルバートが寄り添って立つ家族の肖像画だった。


 離宮で絵師を紹介された時には、ローズは本当に驚いた。

 さらに二人一緒に描いてもらってはどうかとルバートに提案された時には、喜びと緊張でどうにかなりそうだった。

 ルバートよりも見劣りする姿なのは諦め、絵師が多少の手心を加えてくれることを祈りつつ、二人で何時間も絵師の前で過ごしたのだ。

 離宮での日々は、どこかぎこちないものになっていた二人の距離をぐっと縮めてくれた。


(それに昨日は……)


 昨日のことを思い出して、ローズは左頬に手を触れた。

 午後のお茶を一緒に楽しんだルバートは、去り際にローズの頬へキスを落としていったのだ。

 とっさのことですぐには反応できなかったものの、後になってじわじわと喜びがわいてきて一人にやにやとしてしまい、マリタに気味悪がられてしまうほどだった。


(この子が生まれたらきっと……)


 もっと近づける。わかりあえる。

 そんな期待ばかりがふくらんでいくが、今のもどかしい状態から抜け出すためにもきちんと話をしようとローズは決めていた。

 自分の気持ちを全て打ち明けられなくても、せめてこれからの二人の関係について。

 そして、お腹の子の成長にもしっかり関わりたいと。

 今の幸せを壊したくなくて、つい後回しにしてしまったけれど、この先の幸せのために勇気を出さなければいけないのだ。


 ローズはお腹を優しく撫でながら、眼下に広がる庭園の鮮やかな色彩に目を向けた。

 今の季節は緑がまぶしく、花々が色とりどりに咲き誇っている。

 少し前には芽吹いたばかりのアジサイの葉の美しさに感動もした。

 ルバートに教えてもらった通り、緑のバラのようだったのだ。

 そのアジサイももうすぐ花開くだろう。

 お腹に手を添えたまま、ローズが片手で痛む腰をさすっていた時、庭園にルバートの姿を見つけた。

 途端に、ローズの顔がほころぶ。


(わたしに気付いてくれるかしら?)


 いっそのこと手を振ってみようか。

 そう思ったのもつかの間、ルバートが一人ではないことに気付き、上げかけた手を下ろす。


(……誰?)


 ルバートから数歩遅れていた女性が小走りに彼へと歩み寄り、隣に立つ。

 ローズは思わずきゅっと唇を噛んだ。

 そうでもしないと、言葉が勝手に飛び出しそうだったのだ。

 ――彼に近づかないで! と。

 いつの間にか肥大していた醜い嫉妬と独占欲に自分自身で慄いてしまう。


 ローズより少し年上らしいその女性に今まで会ったことはないが、遠目でもとても綺麗な人だということはわかった。

 むしろ妖艶と言った方がぴったりかもしれない。

 ルバートは花を見つめているのか、ローズに背を向けたままでその表情はわからなかったが、女性が楽しそうに話しかけているのを見るのはつらかった。

 きっとルバートも笑っているのだろう。

 何を話しているのか、女性は艶やかな笑い声を上げ、ルバートの腕にそっと手を触れた。

 親しげなその仕草に、ローズははっと息をのんだ。


「ローズ様、いかがなされました?」


 ローズのただならぬ気配にマリタが心配げに声をかける。

 窓からわずかに後ずさったローズは振り返ると、どうにか笑みを浮かべてみせた。


「いいえ、何でもない――あっ!」

「ローズ様!?」


 急にお腹を締め付けるような痛みに襲われ、ローズは思わず屈みこんだ。

 マリタが顔色を変えて駆けつけ、その声にエムやジェンまでもが居間へと急ぎやって来る。

 それから周囲は慌ただしくなり、ローズは前もって教えられた通りの痛みを逃す呼吸法を繰り返すことに集中することになった。



 * * *



「そのように心配なさるのなら、さっさと王妃様の許へいらっしゃって、励まして差し上げればよろしいのに」


 執務室の中を行ったり来たりと繰り返すルバートに、エリオットが呑気に声をかけた。

 が、それも右から左に、ルバートは立ち止ることなくうろうろしている。

 ローズのお産が始まったと知らされてから、もう丸二日が経っていた。

 慣例では、王は王妃の、または愛妾の出産が終わるまで会うことはない。

 王はどっしりと構えて、報告を待つものなのだ。

 しかし、あまりに時間がかかり過ぎている。

 ルバートはレイチェルが生まれた時のことを覚えていたが、それも半日ほどだったはずだ。


「いくら初産は時間がかかるとはいえ、長すぎないか?」


 ようやく足を止めたルバートが、なじるようにエリオットに問いかけた。

 半ば八つ当たりのようなものだが、エリオットは平静に受け止めて頷く。


「そうですね。レイチェル様の時もマリベルの時も、お産が始まったとの知らせから一日も開かず、無事に生まれたとの知らせが届きましたから。少し長いでしょうか?」

「少しか?」

「お産は千差万別だと聞きますし、ジェネルバ医師からもドリーからも特に差し迫った報告はないのですから、待つしかないでしょう。ですが、それほどに心配なさるのなら、先ほども申しましたように、王妃様のお傍にいらっしゃればよろしいのに」


 苛立った様子のルバートにあくまでもエリオットは冷静に応える。

 するとルバートは少し落ち着いたのか、わずかに顔をしかめ、執務椅子に腰を下ろした。


「王妃の気を散らしたくない」


 本格的にお産が始まる前に、慣例を破ってルバートはローズに会いに行った。

 その時の目を合わせようとしないローズの態度がどうしても気にかかっていたのだ。

 また、何もできずのうのうとしている自分に罪悪感を覚えてもいた。


「ですが、こうも時間がかかっては王妃様も陛下に――」


 言いかけたエリオットの言葉は、駆けて来る足音が聞こえたために途切れた。

 この足音は侍従のものだ。

 迎えに立ち上がりたいのを我慢するルバートの代わりに、エリオットが扉を開け侍従を迎え入れた。


「王子殿下でございます! 王子殿下、ご誕生でございます!」


 挨拶もなく息を切らした侍従の報告に、エリオットや扉外に控えていた騎士達が喜びの声を上げた。

 だが、ルバートは侍従の顔色の悪さに眉を寄せ問い詰める。


「どうした? 何かあったのか?」

「は、はい。王子殿下は大変お元気でいらっしゃるそうなのですが、その……」

「申せ!」


 エリオットも騎士達も二人の切迫したやり取りに状況を察し、すぐに真顔に戻って侍従の言葉を待った。

 途端に執務室はしんと静まり返る。

 その中で、侍従は滲んできた涙を押し戻すように目を閉じ、震える声で告げた。


「……王妃陛下、ご危篤でございます」




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