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 ルバートの口から彼女のことは聞きたくない。

 でも聞かなければならない。

 胸をぎゅっと掴まれたような苦しみを懸命に堪え、ローズは気丈に微笑んでみせた。

 しかし、自分でもぎこちない笑みになっているのがわかる。

 そんなローズを目にして、ルバートは表情を曇らせた。


「ロザーリエ、やはり体調が悪いのなら、無理をせずに宮へ戻ろう」

「いいえ、本当に大丈夫ですから。陛下は……過保護が過ぎます」


 どうにか軽い調子で告げたローズの言葉に、ルバートはわざとらしく顔をしかめた。

 その表情にローズは小さく噴きだす。

 まさかこの場で笑えるとは思ってもいなかった。

 ローズが明るい笑顔になると、ルバートもまた微笑んだ。


(どうして……)


 どうして彼はこんなにも優しいのだろう。

 いっそのこと冷たくしてくれたら。

 条件をひとまず満たしたのだからと、もっと無関心でいてくれたら。

 そうすれば、これほどに彼を好きになることもなかった。

 日々募る想いに苦しむこともなかったのに。


 出発前に抱いていた希望は儚いものであったけれど、それでもローズは十分に幸せなのだ。

 そうでないわけがない。

 ローズは急に込み上げてきた涙を必死に押し戻し、明るい笑顔を保ったまま、ルバートの言葉を待った。


「……メルヴィナは、流刑の地で三年前に亡くなった。――と、世間では思われているが、実のところは、名を変えて今も彼の地で暮らしている」


 やがて口を開いたルバートの言葉には、何の誤魔化しもなかった。

 淡々と事実を告げただけだ。

 そのことに驚き息をのんだローズを、ルバートが心配したようにうかがう。


「すまない。もう少し上手い言い方が出来れば良かったんだが……」


 ローズにショックを与えたことを後悔して謝罪するルバートに、ローズは小さく首を振って大丈夫だと伝えた。

 やはりメルヴィナは生きていたのだ。

 その事実はたくさんの疑問に埋め尽くされていく。


「メルヴィナ様は……今は……」

「彼女は今、幼い頃から心を寄せていた相手と共に、新しい人生を歩んでいる」

「新しい、人生……?」


 ルバートの声に苦いものを感じて、ローズは彼の表情を探った。

 しかし、ルバートはふと顔を逸らし、きらきらと輝く湖面を眩しそうに見つめる。


「――八年前、メルヴィナと結婚した時、私は二十一歳だった。王位継承者としては遅い結婚だが、それは自分の娘を宛てがうつもりだった前宰相が手を回していたからだ。私は前宰相に従いながらも、ずっと彼を討つつもりでいた。だから彼女が十六歳になって嫁いで来た時も、駒の一つくらいにしか思っていなかった。娘を妃にすれば、ひとまず宰相は満足し、油断するだろうと。子が出来ぬように気をつけなければならないが、出来た時には子供だけ後に引き取れば良いと。傲慢で愚かな考えだな」


 やがて話し始めたルバートの声は低くかすれている。

 ローズは彼の横顔を見つめながら、今聞いた話を理解しようと必死に頭を働かせた。

 二人は深く愛し合い結婚に至ったわけではなかったのだ。

 とすれば、以前ローズが考えたような愛に満ちたプロポーズもなかったのだろう。

 それどころか、ルバートは初めからメルヴィナを追放するつもりだったらしい。

 それはローズの知る彼からは想像もできないほど残酷な話だった。


(子供が出来たとしても……)


 思わずローズは守るようにお腹に両手を当てた。

 この子と引き離されたらと思うだけで、とてもつらく苦しい。

 ローズは女として、もうすぐ母になる身として、メルヴィナに同情を覚えた。

 だが同時に、どこか心の奥深くでほっとしてもいる自分にも気付き、ぞっとする。

 嫉妬している醜い自分を知られたくなくて、ローズはちらりとルバートをうかがった。

 しかし、ルバートは当時を思い出しているかのように、目を細めて湖面を見つめたまま。

 ローズは安堵しながらも、悲しくもあった。

 今、ルバートの心の中にローズはいない。きっとメルヴィナとの思い出に占められている。


「メルヴィナとはそれまでに何度か顔を合わせたことはあったが、まともに話をしたことはなかった。そして婚礼の日もほとんど口をきかなかった。だが夜になって初めて、彼女は私に向かって言葉をぶつけたんだ。〝触らないで″と」


 自嘲ぎみに語るルバートの言葉に、ローズは目を見開いた

 王太子を――夫を相手にそんなことが許されるわけがない。

 ローズ自身、初めての結婚で拒絶の言葉をどれほど飲み込み耐えていたか。

 あの時の恐怖と苦痛は今も忘れられなかった。


「彼女は式の間も宴の間も、ずっと他の男を見ていた。その男に心を寄せているのはあきらかで、私は大して驚くとこもなく彼女の言葉を真剣に受け取ることもなかった。どうせ甘やかされて育った娘の我が儘だろうと。しかし、腹が立ったのも事実だ。それで私は彼女に小刀を与え、自分の命か、男の命か、どちらかを選べと迫った」


 そこで言葉を切ったルバートは、ようやくローズと視線を合わせた。

 ローズは何も言えず、ただ呆然と見返した。

 ルバートの藍色の瞳には後悔と、何か別の感情が宿っている。


「彼女は迷いなく自分の胸を突こうとした。私が急ぎ止めなければ間違いなく命を落としていただろう」


 八年あれば人は変わる。

 だが、今目の前に座るルバートとはあまりに違い過ぎて、ローズは信じられない思いで彼を見つめていた。


「彼女は大切な者を守るためなら自分の身を犠牲にするのも厭わなかった。恐らく私を拒んだのもとっさのことで、本当はそのつもりなどなかったのだろう。そこで私は彼女に取り引きを申し出た。私は彼女に触れない。代わりに人前では仲睦まじいふりをする。三年間、私達は見せかけだけの夫婦だったんだ」

「三年もの間、一度も……?」

「それが約束だからな」

「ですが噂では……」


 言いかけて、ローズははっとして口をつぐんだ。

 余計なことを言ってしまった。噂に惑わされる愚かな人間だと宣言してしまったようなものだ。

 ローズは恐る恐るルバートをうかがったが、彼は呆れたようでも怒っているようでもなかった。

 ただ困ったように微笑んでいる。


「私達の努力は報われたわけだな」


 ため息混じりに呟いたルバートから、今度はローズが視線を逸らした。

 久しぶりに胸のあたりがもやもやする。

 今の優しいルバートは、メルヴィナとの三年間があったからこそなのだ。

 過去に嫉妬してもどうしようもないことはわかっているのに、どうしても止めることができない。

 それでも何か言わなければとローズは口を開いた。


「……メルヴィナ様は、とても素晴らしい方だったのですね」


 ありきたりのことしか言えない自分が情けない。

 もっと気の利いた言葉をかけることができれば、ルバートの苦しみを少しは軽くできるかもしれないのに。


「ああ、そうだな。王太子妃として、彼女には三年間はつらいものだっただろう。だがメルヴィナはよく耐えてくれた。それなのに私は彼女の父親を討ち、何の罪もない彼女を処罰した。それも初めからの計画通りに。当時の私は大義を抱いているつもりでひどく身勝手だった。もっと他に方法があったのだろうが傲慢な私は計画を変更することなく、彼女の時間を、人生を無駄にしてしまった」

「陛下は……」


 ――メルヴィナ様を愛していらしたのですか? 今でも想っていらっしゃるのですか?


 言葉にできない問いかけを、ローズは心の奥に押し込めた。

 愚かな問いはルバートを困らせるだけ。自分の心をさらしてしまうのだから。

 必要なのは恋でも愛でもない。条件に見合った妻なのだ。


「陛下は、後悔なさっていらっしゃるのですか? この国を変えられたことを?」

「――いや、それはない」


 一瞬の沈黙の後、きっぱりと否定したルバートに、ローズは頷いた。


「わたしはこの国にやって来た時、多くの民が、――王都から遠く離れた辺境の民までもが、幸せそうに暮らしている姿を目にして、とても驚きました。そして、とても羨ましく思ったものです。この離宮への旅途中でも多くの笑顔に出会いました。それは、陛下がなさっていらしたことが、決して無駄ではなかったからではないでしょうか?」


 ありったけの意志の力で伝えたローズの本音を、ルバートは真剣な表情で聞いていた。

 彼がどう思ったかがわからず、体が震える。

 それを隠すようにきゅっと唇を結び、口角を上げた。

 どうか微笑みに見えますように、と。


「ありがとう、ロザーリエ。確かに、私は後悔はしていない。もっと上手い方法があったとは思うが、それでも彼女は今では子にも恵まれ、幸せに暮らしている。これで良かったのだろう」


 微笑んで応えたルバートに、ローズは再び頷いた。

 そして、込み上げてくるものを飲み込む。


 ――陛下は幸せですか? 私で良かったと思っていらっしゃいますか?


 訊いてしまえば、もう後戻りはできない。

 それが怖くて、言葉にできない。

 ローズは、今のままで十分幸せなのだ。

 だからそれ以上を望んではいけない。


「陛下、このように大切なお話を教えて下さり、ありがとうございました。噂に惑わされるなど愚かなことだとはわかっていはいるのですが……。お気遣い頂き、本当に嬉しく思います」


 ローズが座ったまま深く頭を下げると、ルバートはかすかに眉を寄せて何か言いかけた。

 だが顔を上げたローズの穏やかな笑みを目にして、結局は何も言うことはなかった。




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