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「すまない、起こしてしまったな」


 頬に触れた温かな感触に目を開けたローズを、ルバートが心配そうに見下ろしていた。

 ローズはしばらくぼんやりとしていたが、状況を理解するとはっとして慌てて起き上がろうとした。

 それをルバートが優しく押し止める。


「起き上がらなくていい。今はとにかくゆっくり休んでくれ」


 今の動きだけでまためまいがしていたローズは、ルバートの言葉に甘えてそのまま枕に頭を預けた。

 その様子に、ルバートはさらに顔を曇らせる。


「先ほど素晴らしい知らせを聞いた。だが、それほどにあなたを弱らせてしまうなら、手放しでは喜べないな」

「い、いいえ。わたしは、大丈夫ですから……どうか喜んで下さい。そうでなければ、わたしも手放しで喜べません」


 ローズはかすれた声で必死に訴え、どうにか微笑んだ。

 ルバートは一度口を開いたが何も言わず、思い直したようにその顔に笑みを浮かべた。


「そうだな。では素直に喜びを表すことにしよう」


 そう言ってルバートが顔を近づける。

 柔らかな唇が頬へと触れ、ローズははっとした。

 そして優しいキスが口の端へと移った時、慌てて唇をきゅっと噛みしめた。

 乾いた唇が恥ずかしかったのだ。

 だが、拒絶したと思われてしまったかもしれない。


「あの……」

「――どうか無理をせず、ゆっくり休んでほしい。嬉しい知らせをありがとう。おやすみ、ロザーリエ」


 適当な言い訳もできないローズに、ルバートは低く心地よい声で囁きかけ、ベッド脇の椅子から立ち上がった。

 その顔には穏やかな笑みが浮かんでいる。

 それなのに、ローズは自室へと戻る彼を見たくなくて目を閉じた。

 そのため、ルバートが扉の前で立ち止まり、名残惜しそうに振り返ったことには気付かなかった。


 意識と無意識の間をうつらうつらとしていた昼間。

 目を覚ましたローズは、やはりルバートへは誰かに伝えてほしいとお願いしたのだ。

 一気に疲れが出たように、気力が湧かない。

 あとでジェンが、事付けを頼んだ侍従が喜びの知らせをルバートに伝える栄誉を与えられたことをとても喜んでいたと教えてくれた時も、力なく微笑むことしかできなかった。


 またゆらゆらと夢のように意識が漂う。

 立ち聞きも覗き見も、良くないことを知ってしまうと言われている通りだった。

 いくら後悔しても自分の記憶を消すことはできない。

 それでも知らないふりはできる。

 今までそうしてやり過ごしてきたのだから、これからもそうすればいい。

 ぼんやりとした意識は結論が出たことに満足して、深い無意識の中に落ちていった。



 * * *



「グレンからの手紙は肖像画のお礼ですか? メルヴィナ様の?」


 ルバートが読んでいた手紙を置くと、エリオットが興味深げに訊いた。


「ああ」


 ルバートは頷いて、大きく息を吐き出した。

 ひと月ほど前にグレンから、もしまだメルヴィナの肖像画があるならば譲って頂けないかと、内密の申し入れがあったのだ。

 王太子だったルバートの肖像画の隣に飾られていたメルヴィナの肖像画は、彼女を追放した時に外されていた。

 しかし処分するには忍びなく、人目につかないよう立ち入りが制限された区画の物置に仕舞うように指示していたルバートは、一つ返事で承諾したのだ。


 それをストウに送る前に明るい光の下で傷みなどを点検するため、一番人目につかない場所――ルバートの寝室へと持ち込んだ。

 普段はルバート以外には上級侍従一人しか立ち入ることができない場所ではあったが、特別に足を踏み入れた絵師は、肖像画に修復が必要だと不満げに告げた。

 自分の描いた絵が粗末に扱われていたのが気に入らなかったらしい。

 だがルバートには寝室に何度も絵師を出入りさせるつもりはなく、何より隣の部屋で休むローズに万が一にも画材によって悪影響を与えたくなかったため、絵師に自宅へ持ち帰って修復するよう命じたのだった。

 その時のことを思い出して、ルバートは苦笑を洩らした。

 芸術家は気難しいとの通説は本当だったようだ。


「楽しそうですね?」

「いや、それほどでもない。ただ……」

「ただ?」


 言いかけて口を閉ざしたルバートを、エリオットが促す。

 ルバートは目の前の書類をぱらぱらとめくるだけでしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。


「ひと月ほど王宮を離れようと思う」

「それは初耳ですね。いつ頃のご予定ですか?」


 かすかに驚きを見せるエリオットの問いかけに、ルバートはまだ決めていないのか、執務椅子に背を預け、目を伏せた。

 だがまたすぐに目を上げる。


「できるだけ近いうちに」

「かしこまりました。まあ、今の時期でしたら、陛下がお留守にされていてもどうにかなるでしょうが……。どちらにいらっしゃるおつもりですか?」

「ノルマハル離宮だ」


 今度は予測がついたのか、エリオットはただ頷いてルバートの次の言葉を待った。


「体調の悪い王妃を連れ出すのは心配でもあるが、場所を変えれば良い気分転換にもなるそうだ。王宮を離れれば、彼女も……」


 言いかけて、ルバートはまた大きく息を吐き出した。

 それはまるで嘆いているかのように聞こえる。


「私は身勝手だな。自分の理想を目指すあまり、周囲に犠牲を強いている」

「そうですね。陛下に振り回されているお陰で、私は婚期を逃してしまいそうです」

「それは関係ない」

「なんて冷たい。やはり冷酷だとの噂は本当ですね。ですが、それが良いのです」


 ふざけた口調で話しながらも、ルバートの表情は真剣だった。

 椅子に背を預けたまま、ルバートが訝しげに眉を上げる。


「王は冷酷でなければ、民は救えません」

「……矛盾しているな」

「そうでしょうか? 確かに五年前には多くの血が流れ、逆に陛下は血も涙もない冷酷な王だと囁かれるようになりました。ですが今では多くの民が笑って過ごせるようになったのですから、陛下は正しいことをなされたのだと確信しております。ただ陛下ご自身はどうなのでしょうか?」

「どうとは?」

「いつもの胡散臭い笑顔だけではなく、心から笑っていらっしゃいますか? 臣下として、陛下には心から笑って頂きたいのです」

「……お前の方が胡散臭いではないか」


 いやそうに顔をしかめるルバートを見て、エリオットはにやりと笑う。

 そして書類をまとめて立ち上がった。


「ノルマハル離宮の辺りはここよりずっと暖かいですからね。きっと王妃様のお加減も良くなられると思いますよ。ですが……」

「何だ?」

「余計なことかもしれません」


 まず前置きをしたエリオットは、少しの間黙り込んだ。

 それからルバートを真っ直ぐに見据えた。


「王妃様には、メルヴィナ様のことを正直に打ち明けられた方がよろしいのではないでしょうか?」

「……今さらその必要があるか?」

「今さらではございません。王妃様の耳には、常に誰かがメルヴィナ様のことを吹き込んでいるのですから」


 ぐっと寄せられた眉が、ルバートの不機嫌さを表している。

 だがエリオットは怯むことなく続けた。


「初めはメルヴィナ様がどんなに素晴らしい方だったかなどと、よく聞かされていらしたようです。それが最近では身ごもられた王妃様に対し、メルヴィナ様は三年もの間、一度もご懐妊なされなかったなどと……。おそらく、それで王妃様のご機嫌を取ろうとしているのでしょうね」


 今やルバートの瞳には激しい怒りが浮かんでいた。

 だがそれを押し止めるように目を閉じ、深く息を吐く。


「わかった。忠言には感謝する」


 ルバートが低い声で応えると、エリオットは軽く頷いて、執務室を出ていった。





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