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 結婚から二ヶ月余り。

 ローズの王妃としての振る舞いも徐々に様になり、初めは渋々だった貴族達も最近では自然と敬意を表してくれるようになっていた。

 ローズは幼い頃の記憶にある母とセシリアを手本に必死なのだが、どうやら上手くいっているらしい。

 数か月前のおどおどしていた様子が嘘のようだった。


「初めてお会いした頃より、ずっとお美しくなられたわ」


 セシリアの言葉に、ローズは微笑んだ。

 この二ヶ月で体重も少し増え、顔色もよくなり、度胸もついた。

 そして屈託のない笑顔も今では馴染んできている。

 弱気な自分は心の奥に押し込めていればいいのだ。

 ルバートもエリオットもセシリアも、皆がローズを気遣い助けてくれる。

 ローズは今までになく幸せだった。

 だから、これ以上を望んではいけない。

 ルバートの愛情が少しでも欲しいなんて、せめて一度でいいから朝まで一緒に過ごしたいなんて。

 知らず、ローズの口からため息が洩れていた。


「まあ、どうかなさったの?」

「あ、いいえ。あの……自分の不器用さにがっかりしてしまって……」


 ため息を聞いて心配するセシリアに、ローズは慌てて誤魔化しの説明をした。

 とはいえ、本音でもある。

 母が亡くなってから無縁だった刺繍をセシリアの指導のもと挑戦しているのだが、なかなか上達しない。

 二ヶ月前にはレイチェルの見事な刺繍の腕を目にして、自分もと奮起したのだが甘くなかった。

 手元の自作を見下ろすと、またため息がこぼれる。

 清楚な花を咲かせたアジサイの姿を刺繍で残そうとしたのだが、何が何だかわからない。

 また来年に花を咲かせるまでの慰めにとの思いも挫折しそうだった。


「すぐに結果を出すのは難しいわ。でも一針一針心を込めて丁寧に続けていれば、少しずつでも前進しているものなのよ」


 温かな言葉はローズを勇気づけた。

 セシリアは刺繍について励ましてくれたが、本当は王妃として正しくあろうとするローズの苦悩に気付いているのだ。

 顔を上げたローズは、微笑むセシリアを真っ直ぐに見つめ、力強く頷いた。



 * * *



「陛下、あの、申し訳ございません。今日からしばらくはまた……」

「ああ、そうか……」


 気まずい報告をするのもこれで三度目だ。

 本来なら昼間のうちに事付けるべきなのかもしれないが、それはそれで恥ずかしいうえに、訪問する気もないのに知らされても困るだろうかと悩み、結局はいつも夜になってしまっている。

 これまでの報告では、ルバートは了承して頷くと、二言三言の言葉を交わして自室へと戻っていた。

 しかし、今夜は探るようにローズを見つめている。


「……本当に申し訳ございません」


 沈黙を持て余してローズが再び謝罪の言葉を口にすると、ルバートははっと我に返ったようだった。

 だがすぐに数歩でローズとの距離を詰め、その両手をそっと握った。


「ロザーリエ、謝らないでくれ。あなたが気に病む必要はないんだ。私達は――私は色々とあなたを急かしてしまった。だから少し、ゆっくりいこう」

「ですが、わたしは――」

「あなたは本当によくやってくれている。私が望んでいた以上に。だが、そろそろ疲れが出ているのではないか? 押し付けておいて何だが、王妃という立場は息苦しいだろう?」


 申し訳なさそうにルバートは微笑んで、ローズの両手を持ち上げ軽く口づけた。

 そして柔らかな唇にキスをする。


「よければ話をしよう。二人きりの時間は夜だけなのに、今まで無駄にしてきてしまった。どうも私は……いや、とにかく座ろう」

「……はい」


 何かを言いかけて思い直したルバートは、ローズを長椅子へ座らせると、彼女を制して二人分の酒を自ら用意した。

 それから二人はお酒を飲みながらたくさんの他愛もない話をして過ごした。

 この短くもゆっくりとした時間はローズのルバートへの愛をさらに深いものに変えていく。


 だけど、この気持ちは口にはできない。

 それは何度も熱く肌を重ね合わせても、ローズからルバートに触れないのと同じ理由。

 ルバートを興ざめさせてしまうかもしれない。

 また拒まれてしまうかもしれない。

 ただそれだけが怖かった。

 そして数カ月過ぎた頃――。


「おめでとうございます、ローズ様」

「……え?」


 満面の笑みを浮かべる産婆のドリーに、ローズはぽかんと口を開けて問い返した。

 今、間違いなく間抜けな顔をしている。

 そう自覚しながらも、ローズはドリーの言葉の意味がよくわからなかった。


「ローズ様、おめでたでございます。ご懐妊なさっていらっしゃるのですよ」


 飲み込みの悪いローズがしっかり理解できるように、ドリーはゆっくりと言葉を発した。

 ローズはしばらくドリーを見つめ、はっとして口を開き、また閉じ、そしてまた開く。


「でも……わたしは、ただ気分が悪くて……」


 ここ最近、朝起きると気分が悪かったのだがすぐに治まっていたので、あまり気にとめていなかった。

 それが今日は昼になっても回復せず、マリタに相談したのだ。

 するとマリタは待ち構えていたように行動に移した。

 てっきりジェネルバ医師が呼ばれるものだと思っていたが、現れたのはドリーだったのだ。


「ええ、それは〝つわり″の症状ですねえ。妊娠初期の頃にはよくある症状です。これからしばらくはこのつわりに苦しめられることになるかもしれませんが、ご心配なさる必要はございませんよ。ご無理をなさらず、ご気分が悪くなられたら十分に休息なさって下さい。もちろん、あまり酷いようでしたら、すぐにおっしゃって下さいね。まれにつわりが重い方もいらっしゃいますから」

「……本当に……本当に、わたしに赤ちゃんが?」

「ええ、本当でございますとも」


 まだ信じられないでいるローズに、ドリーは力強く頷いた。

 ふわふわした夢のような言葉が、ようやく頭に浸透する。

 途端にローズは顔を輝かせた。

 嬉しさのあまり声が出ない。

 ドリーはそんなローズの気持ちを察して、にこにこしながら静かに見守っていた。

 やがて寝室に呼び入れられたマリタもまた涙を流して喜んだ。エムとジェンも歓喜し、興奮している。

 そして一つ一つ注意事項を上げていくドリーの言葉に、皆が真剣に耳を傾けた。


「まだ誰にも言わないでほしいの。わたしから陛下にお伝えしたいから」

「はい、もちろん承知しておりますとも」


 弾んだ声でローズがお願いすると、マリタ達は顔をほころばせて頷いた。

 気分の悪さも喜びのためにすっかり消えている。

 だが念のためにと、午後は予定を全てキャンセルすることにしてゆっくり過ごすことになった。

 それからしばらくして寝室で一人、長椅子に座って本を読んでいたローズは、ガタンッと聞こえた大きな音に驚いた。


(今のは……陛下のお部屋?)


 昼間は誰もいないはずのルバートの寝室から聞こえた物音に、ローズは訝しんだ。

 ひょっとして掃除をしている侍従かもしれない。


(でも、もし陛下だったら……?)


 そう考えたローズは、きっと浮かれ過ぎて正常な判断力を失くしていたのだろう。

 どきどきしながら二人の部屋を繋ぐ扉に手を掛ける。

 すると扉には鍵も掛けられておらず、すんなりと開いた。

 そっと顔だけ覗かして室内を見回したが、誰もいない。

 ローズは落胆と安堵の両方を感じながらも、初めて見るルバートの寝室にわくわくしてもいた。


 ルバートの寝室は必要最低限の家具以外大した装飾品もなく、落ち着いているというよりも殺風景な部屋だった。

 大きなベッドについ視線が吸い寄せられ、慌てて逸らす。

 それからローズの視界の端に動くものが入り、そちらへ目を向けるとカーテンがひらひらと揺れていた。

 どうやら窓が開いているらしい。

 と、強い風が吹き、カーテンが大きくはためいた。

 その窓の下に倒れている額縁を見つけ、ローズは恐る恐る寝室へと足を踏み入れた。


(今みたいな風で、立て掛けていたものが倒れたのね……)


 ローズは先ほど聞こえた物音の正体に気付いて、額縁を起こそうとした。

 勝手ではあるが、窓を先に閉める。

 そして、額縁を覆っているらしい厚手の布地と共に持ち上げた。

 背の高い額縁は重く、えいやっと勢いよく起こす。

 ふうっと息を吐きながら腰板に立て掛け覆い布を直そうとして、ローズははっと動きを止めた。


「そんな……」


 思わず声が洩れ出る。

 ローズは急に気分が悪くなり、慌てて自室へと駆け戻った。

 閉めた扉に寄りかかり、何度も深呼吸を繰り返したが、いっこうに良くならない。


 わかっていた。わかっていたのに。

 それでもまさか、ルバートがメルヴィナの肖像画を寝室に置いているとは思いもしなかったのだ。

 淡い金色の髪に碧色の瞳の彼女は、噂通りとても可憐で、愛らしい笑みを浮かべてローズを見返していた。


 とにかくベッドで横になろうと足を動かしたものの、ローズはめまいがしてよろめいた。

 近くにあったテーブルに必死に手をついた拍子に、花瓶を落としてしまったらしい。

 陶器の割れる甲高い音が耳障りに響く。

 その音を聞き付けて、マリタ達が急ぎ部屋へと入って来た。


「まあ! ローズ様、いかがなされました!?」


 エムやジェンの悲鳴染みた声とマリタのきびきびした声を遠くに聞きながら、ローズはすっと意識を手放した。




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