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 次の日、レイチェルから二人だけでお会いしたいと申し込まれた時には驚いた。

 だがローズはすぐに気を取り直して了承し、こちらはいつでもかまわないと伝えた。

 そして午後のお茶をローズの部屋でと約束し、もうすぐ訪れるであろうレイチェルを待っているのだが落ち着かない。

 緊張したローズはそわそわと部屋の中を歩き回っていた。


(ここも元はレイチェル様のお部屋だったのよね。なのに、わたしが主人然としてお迎えしていいものなのかしら? ご気分を害されたりするんじゃ……)


 そう思い至ったローズは足を止め、不安そうに室内を見回した。

 もうひと月以上この部屋で過ごしているが、初めて足を踏み入れた時から何も変えていないつもりだ。

 飾り棚の鉢植えを除いてだが。

 そもそもこの部屋は最近になって客間用に改装されたという。

 とすれば、どうしようもないと今さらながら気付いて、ローズは大きく息を吐き出した。

 とにかく落ち着かなければ。

 何度か深呼吸を繰り返し、ようやく心臓もいつもの動きに戻ったところで、レイチェルの到着を知らされ、また鼓動が跳ね上がった。


「よ、ようこそ、いらっしゃいました」


 舌をもつれさせながらローズが挨拶すると、レイチェルはゆっくり頷き、遠慮がちに室内をうかがった。

 やはり部屋の変化に興味があるのだろう。


「こちらはずっとレイチェル様の私室だったと伺いましたが、やはりずいぶん変わってしまっているのでしょうか?」


 会話のきっかけにと思い、ローズはどうにか親しげな笑みを浮かべて問いかけた。

 しかし、レイチェルは困ったように微笑んだだけで何も言わない。

 代わりに付き添っていた年配の女性が答えた。


「家具もカーテンも新しいものになっているだけでなく、壁の色も変わっておりますので、まるで別の部屋のように思います。ただ、窓からの景色は変わりなく……懐かしいですねえ」


 レイチェルは同意して大きく頷くと、女性に向けて何か手ぶりしてみせた。

 一方、お茶の用意をしていたマリタは、それまでのやり取りに腹を立てている。

 直接言葉を交わさないなど、まるでローズを見下しているような態度に思えるのだろう。

 だが、ローズにはそうとも思えず、成り行きに任せようとひとまずソファを勧めた。

 レイチェルはお礼を言うかのように、柔らかく微笑んで腰を下ろす。

 すると、お付きの女性がマリタへと声をかけた。


「レイチェル様はロザーリエ様とお二人でお話なさりたいそうです」

「ですが――」

「マリタ、ありがとう。あとは、わたしがやるから大丈夫よ」


 暗に席を外せと言う女性の言葉に、マリタは抗議しようとしたが、ローズは心配ないと笑ってみせた。

 マリタはしぶしぶ女性と控えの間に下がる。

 部屋に二人きりになると、ローズは緊張しながらお茶を注いだ。

 レイチェルは再び感謝の笑みを浮かべ、カップを口へと運ぶ。

 しばらくは二人とも黙ってお茶を飲んでいたが、やがてレイチェルはカップを置くと、持っていた小さな鞄の中から封書を取り出した。


「わたしに……ですか?」


 目の前に差し出された封書に、ローズは戸惑いの視線を向けた。

 レイチェルは頷いて応え、今読んで欲しいとばかりに手ぶりで示す。

 その表情は何かを恐れているかのように強張っている。

 ローズは封書を受け取ると、かすかに震える手で封を開けた。

 いったい何が書かれているのだろうと不安が募る。

 そして――。


「……声が出せない?」


 読み進めていたローズは驚いて顔を上げた。

 今までレイチェルに関してそのような話はまったく聞いたことがない。

 しかし、レイチェルははっきりと頷いた。

 ローズは何を言えばいいかわからないまま、頭の中に浮かんでくるたくさんの疑問を押しやり、また手紙に視線を落とした。


 手紙には、レイチェルに関しての事情が淡々と書かれていたのだ。

 七歳の時に流行り病に罹り、声を失くしたこと。

 看病してくれた母――前王妃を同じ病で亡くし、それから成人までの七年間、自室から出ることを禁じられていたこと。

 声を失くしたことは父王の厳命で秘されていたこと。

 そして五年前、同盟を強固にする名目でモンテルオに嫁いだこと。

 全ては現在に至る状況を説明するものであり、それらは最後に綴られた言葉のためのものだった。


 ――人は誰しも運命に従って生きています。特に女性は、翻弄され、苦しく悲しい思いをすることも多くあるでしょう。

 自らの力で運命を切り開く強さを持つ男性を羨ましいとさえ思うこともあります。

 ですが、女性は運命を受け入れる強さを持っているのではないでしょうか?

 私達は様々な苦難を乗り越えて、今を生きているのですから。

 五年前、私達の間には大きな隔たりがありました。

 それが今、手と手を繋ぎ、助け合うことができる距離にいる、そのことを私は嬉しく思います。

 ロザーリエ様のこの先に続く未来が幸せに満ちたものでありますように、私達夫婦は心から願っております。


 読み終えたローズはしばらく声を出すことができなかった。

 心も体も震え、目には涙が溢れてくる。

 目の前に座る女性は、噂のように甘やかされた我が儘な王女様などではなかった。

 たくさんの苦しみと悲しみの中を生きてきたのに、ローズは何も知らずただ目に見えたものだけ、聞いたことだけを信じて羨んでいたのだ。


「わたしは……わたしは、このような温かいお言葉を頂けるような人間ではないんです。いつも流されてばかりで……」


 ローズがようやく口にできた言葉は弱々しいものだった。

 だがレイチェルは小さく首を傾げただけで、続く言葉を待っている。

 その仕草はルバートによく似ており、ローズははっとした。

 これからは強く生きようと決意したばかりなのだ。ここで弱音を吐くべきではない。

 そう思い直したローズは一度大きく息を吸い、レイチェルをまっすぐに見つめた。


「レイチェル様、ありがとうございます。今までのわたしは流されるばかりで、何もできませんでした。ですが今回、ルバート陛下より婚約の――いえ、結婚のお話を頂いた時、お受けしようと決めたのはわたし自身です。わたしにもできることがあると、自分を信じて。ですから、わたしはこの先、故国であるエスクームとブライトンのために、そしてモンテルオにとっても、お役に立てるよう努力していくつもりです」


 決意に満ちたローズの顔はとても輝いている。

 レイチェルは柔らかく目を細めて嬉しそうに微笑み頷くと、鞄の中から石板とろう石を取り出した。

 それから、カツカツと音を立てて何か書き付け、ローズへと石板を向ける。


『実は、この王宮に向かっている途中で、兄から手紙を頂きました』

「手紙、ですか?」


 反射的に文面を読んで応えたものの、ローズは突然の話題に戸惑った。

 レイチェルは頷いてさっと石板の文字を消し、また新たに書いていく。


『内容は婚約を知らせるものでしたが、それが兄から生まれて初めて送られた手紙だったこともあり、私は二重に驚きました』

「そうですか……」


 ローズはよくわからないままに相槌を打った。

 父と愛妾の間に産まれた子は何人かいるらしいが、会ったことはない。

 兄弟に一番近い存在の従妹達とは会えば話はしたが、手紙のやり取りまではしたことがなかった。

 そのため、兄妹間での手紙のやり取りが普通のことなのかどうなのかピンとこないのだ。


『ロザーリエ様がエスクームの王女殿下でいらっしゃることに、私達がショックを受けないように――というより、私達がロザーリエ様にショックを与えないようにと、兄は気遣っているようでした。ですから、兄はロザーリエ様をとても大切になさっているのだろうと、お会いするのを楽しみにしていたんです』

「あの……陛下はお優しい方ですから……」


 ローズは曖昧に微笑んで言葉を濁した。

 ルバートは婚約者として、常に礼儀正しく接してくれる。

 それで十分なのだ。

 先に条件を提示した婚約であり、愛や情熱を求めるのは間違っているのだから。

 そう自分に言い聞かせるローズを、レイチェルはじっと見つめてからちらりと指輪に視線をやり、また石板に向かった。


『その指輪は母の思い出の品です。ただ母が亡くなってからは、どこにいったのか私は知りませんでした。ですが、兄が持っていたのですね。そしてロザーリエ様に贈られた。すごく素敵』


 碧玉の指輪を示してにっこり微笑むレイチェルの言葉に、ローズは困惑した。

 前王妃の形見の品をローズが持っていることに腹を立てた様子はない。

 本当に懐かしそうに見ているだけだが、どうもルバートの気持ちを誤解している。

 だがそれ以上に気になることがあった。


「あの……メルヴィナ様はこの指輪を……」


 ローズはためらいがちにルバートの前妃の名を口にした。

 しかし、上手く言葉にできない。

 それでもレイチェルは察したようだ。

 少し考え、ろう石を握り直す。


『流行り病で寝込んでからは兄と接する機会もほとんどなく、メルヴィナ様とも数回顔を合わせたことがあるだけなの。だから彼女のことはよく知らなくて。でも間違いなく、メルヴィナ様は指輪をなさっていなかったし、肖像画にだって――』


 そこまで書いて、レイチェルはさっと最後の文面を消した。

 そして新たに書き加える。


『兄夫婦が仲睦まじいという噂は聞いていたけれど、人前で手を繋ぐほどの熱愛ぶりではなかったと思うわ』

「あれは……」


 真っ赤になって口ごもったローズに向けて、レイチェルは悪戯っぽく微笑んだ。

 やはりレイチェルは誤解している。

 うろたえるローズに、レイチェルは新たな文面を見せた。


『わたしはずっと兄は冷たい人だと思っていたの。でも今回久しぶりに会って思い出したわ。兄はすごく不器用だったって』

「不器用? ルバート陛下が?」

『そう。優しい人なのは確かなんだけど、少しずれているのよ。昨日のあの失礼な発言だって、私なりに考えたんだけど、きっと〝幸せそうだ″って言いたかったんだと思うの。じゃないと、許せないわよね? 女性に太ったって言うなんて!』


 最後はろう石を折ってしまいそうなほど強く握りしめて、レイチェルは訴えた。

 腹を立てるレイチェルが可愛くて、ローズは思わず噴きだした。

 つられてレイチェルも笑う。

 それから幼い頃のエピソードをいくつかレイチェルは披露し、二人はしばらく笑って過ごした。

 そしていつしか話題は現在に移る。


『人は自分の見たいようにしか、見ないものだわ。私も初めは夫に嫌われているのだと思っていたの。夫は私のことを傲慢だと思っていたそうだし』

「本当に?」


 語られたレイチェルとフェリクスのエピソードに、ローズは驚いた。

 今の夫妻からは想像もできない。


『誤解は話し合わなければ解決しないし、自分の気持ちは伝えなければ理解してもらえない。とても単純なことだけど、とても難しいことよね』


 このレイチェルの言葉は強い力でローズの心をとらえた。

 その後、そろそろ子供達がお昼寝から起きる頃だとレイチェルが別れを告げて去ってからも、ローズはずっと考え続けていた。




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