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 ひそひそと交わされる言葉と突き刺さる視線は、あきらかに蔑みを帯びている。

 気後れするほどに絢爛な王宮の謁見の間では貴族高官達が集まり、国王の登場を待っていた。

 王妃候補として招かれたはずのローズがこうして立ったまま待たされているのは、はっきりとお互いの立場を知らしめるためだろう。

 ローズは伏せたくなる顔を必死に前へ向け、背筋を伸ばして立っていた。


(それにしても、この申し出の意図がわからないわ……)


 これほど豊かな国であるブライトンが、敗戦国であるエスクームと縁戚関係を築いて、いったい何の利があるのだろう。

 やはり叔父の言う通り、エスクームの支配を企んでいるのだろうか?

 だが、衰退の一途を辿るエスクームを手に入れても、足手まといにしかならないはずだ。

 しかも、こんな回りくどいことをしなくても、今ならばちょっと戦を仕掛けるだけで、簡単に落ちるだろう。


 ローズがあれこれ考えていると、玉座の近くにある扉が何の前触れもなく開いた。

 途端に室内が緊張と期待に満ちたが、現れたのは燃えるように赤い髪の青年。

 思わず見惚れてしまいそうなほど甘い顔立ちの彼は、優しげな笑みを浮かべてローズへと近づいて来た。


「王女殿下でいらっしゃいますね? 私はサイクス候エリオット・マクミランと申します。長の旅でお疲れのところ、お部屋にご案内もせず、このような場にお連れしてしまいましたこと、お詫び申し上げます。当方で少々……行き違いがあったようでございます」


 サイクス候と名乗った青年はローズに対して深く頭を下げると、立ち並ぶ貴族高官達の方へちらりと視線をやった。

 幾人かがはっと息をのむ声が聞こえる。


「さて、殿下。このまま謝罪を続けたい気持ちではありますが、やはり殿下にはまずお部屋にてくつろいで頂くことが先決でしょう。私がご案内させて頂きますので、どうぞこちらへ」


 そう言って差し出された腕を取ることを、ローズはためらった。

 サイクス候といえば、ブライトン王家に連なる名門貴族であり、ルバート国王の右腕と称される人物だ。

 若いがかなり頭も切れ、剣の腕も確かで、女性からの人気も高い。

 三番目に関しては、彼が登場した時にかすかに上がった黄色い声や、先ほどとは違う背中に突き刺さる視線からもよくわかる。

 その彼にわざわざ案内させても良いのだろうかと、なおもためらうローズの手を半ば強引に取り、サイクス候は扉へと向かった。

 背後では貴族達のざわめきが聞こえたが、ローズは従うしかなかった。



「本当に、失礼な者達ばかりで申し訳ない」

「はい?」

「長旅でお疲れでしょうに、到着後休む間もなくすぐに謁見の間に連れて行かれるなど驚いたでしょう? 陛下も私もそのことを先ほど知らされたばかりで、本当に申し訳なく思っております」

「いいえ、わたしは大丈夫ですので……」


 回廊を進みながら改めて謝罪するサイクス候に、ローズは気の利いた言葉を返せなかった。

 こんなに極上の笑みを向けられてどうすればいいのかわからない。

 顔を赤くして頼りなく視線を泳がせるローズを目にして、サイクス候はくすりと笑った。


「一応、歴史もありますし、貴重な彫刻や天井画もありますが……悪趣味でしょう?」

「え?」

「この王宮ですよ。先の時代に馬鹿馬鹿しいほどの予算をかけて改修しましてね。もしお金に困ることがあれば、その辺りの金細工を剥がして換金すればいいでしょう。まあ、この五年でどうにか穀物庫の蓄えもできましたし、嫁いでいらっしゃっても王女殿下にご不自由を強いるようなことはありませんから、安心なさって下さい」

「いえ、わたしは……」


 にこやかなサイクス候の言葉に、ローズは戸惑った。

 からかわれているのだろうかと思ったが、どちらにしろ応えることなどできないのだ。

 静かに微笑むしかないローズの姿はどこか悲しげに見えた。


「……早急に結論は出さないで下さい。陛下はかなりわかりにくいですが、とてもお優しい方ですから。ただ……っと、これ以上はご本人にお会いしてご判断下さい。今回、候補とさせて頂いたのも、殿下のご意思を無視してしまうことを避けたかったのです。決して、エスクームや王女殿下を侮っているわけではないのですよ。本当に、わかりにくいですけどね」


 そこまで言って、サイクス候は足を止めた。


「ここは、レイ……いえ、陛下の妹君がご結婚前までお使いになっていらしたお部屋です。五年前にモンテルオに嫁がれ、今は御子にも恵まれて幸せに暮らしていらっしゃるので、もう戻ってくることはないだろうと……陛下が少し前に客間として改装するように命じられたのです。おそらく、この王宮で一番趣味の良い客間だと思いますよ」


 無垢材で出来た両開きの扉を開け、サイクス候は中へと進みながら説明を始めた。

 そのくせ彼自身も確認するように室内の様子をうかがっていたので、ローズの顔色が悪くなったことには気付かない。

 そこへ、話し声を聞きつけて、控えの部屋らしき場所からマリタが顔を覗かせた。


「ローズ様……?」


 ローズを心配してやきもきしながら待っていたマリタは、明らかに身分の高い青年を見て怯んだ。

 そんなマリタへサイクス候は魅力的に微笑みかけ、ローズへと向き直る。


「では、私はこれで失礼いたします。陛下とは明日お会いして頂きますので、このあとはどうぞゆっくりなさって下さい。また、お食事などは部屋付きのメイドにお申し付け下さい」

「あの……サイクス侯爵、色々とお気遣い頂き、ありがとうございます」

「いいえ、どうかお気になさらず。それと、私のことはエリオットとお呼び下さい。爵位など堅苦しいだけですからね」


 いたずらっぽい笑みを浮かべたサイクス候――エリオットは、驚くローズの返事を待たずに、そのまま退室してしまった。

 残されたローズは改めて室内を見回し、その品の良さに納得のため息をもらす。


(それにしても、あんなによく笑うなんて……変わった方だわ)


 今までローズの周りにいた男性とは全然違う。

 彼ほど身分の高い男性が、いくら他国の王女とはいえ女性に対してこれほどに心を配り、侍女にまで微笑みかけるなど思いもよらなかった。

 明日からのことを考えれば不安でいっぱいだったが、それでもほんの少しだけ、ローズの気持ちは軽くなっていた。



 * * *



「ずいぶん可愛らしい方でしたよ」


 王の執務室に入ってすぐに、エリオットは笑顔で報告した。

 国王ルバートは書類から顔を上げると筆を置き、小さく首を傾げる。

 それ以上の報告を促しているのだ。

 応えて、エリオットは続けた。


「ローズなどと言う、降って湧いたような王女の存在はあやしいものですが、彼女自身は先のエスクーム王妃に似ているように思います。何らかの血縁関係があるのでしょうかね。ただ……」


 言いかけて思い直したのか、エリオットは途中で口を閉ざした。

 だが、ルバートは容赦しない。


「話せ、エリオット」

「……その、王女殿下の御年は二十歳と聞いておりましたが、もう少し……落ち着いて見えたな、と」

「……」


 ルバートの無言の非難に、エリオットは顔をしかめた。

 だから言いたくなかったのに、といった様子だ。

 しかし、ルバートは気にせず立ち上がると、窓辺へと歩み寄った。

 窓の外では茜色に染まる大木に戻った鳥達が、就寝前のおしゃべりを楽しんでいる。


「……なるほど」


 一人納得して呟いたルバートはエリオットへと向き直り、にやりとした笑みを浮かべた。


「明日が楽しみだな」


 それはルバートの心からの言葉で、エリオットはどこか諦めた様子で大きくため息を吐いた。




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