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「ねえ、本当に、本気なのかしら? 騙されているんじゃない?」

「さすがにそれは……いくらなんでも……」

「でも絶対おかしいわよ。この国はこんなに栄えているのよ? 王宮だって、あんなに立派なのに!」


 ロザーリエ――ローズは車窓から外を覗き、小高い丘の上にそびえる王宮を見て悲痛な声を上げた。

 向かいに座る侍女のマリタが居心地悪そうにもぞもぞと動く。

 もう十日以上も馬車の旅を続けていればお尻も背中も頭も痛い。

 その旅の終着点がようやく見えて来たのだが、ローズの心は沈んでいくばかりだった。


「まさか、お城に着いた途端、牢に入れられたりしないわよね? いきなり後ろから切りつけられて殺されたりとか……」

「おやめ下さい、ローズ様。そのようなこと、あるはずがありません。そもそも、そのようなことをして、ブライトン側に何の益があるというのですか?」

「まあ、それもそうよね……」


 悲観的な考えばかり浮かんでくるローズを、マリタが厳しくたしなめた。が、その顔は真っ青だ。

 マリタ自身も今回のブライトン側からの申し込みの意図が読めず、不安で仕方ないのだ。

 それでも自分達を救ってくれたローズを、命を張ってでも守り抜こうとの強い決意は揺るがなかった。


「でも、やっぱり無理よ。こんなの上手くいくわけないわ。絶対にばれてしまうもの!」

「ですが、ここまで来てしまっては、今さら戻るわけにも参りませんよ」

「……そう、そうよね。何もせず戻ったとしたら、やっぱり役立たずだと言われてしまうものね」

「ローズ様……」


 マリタの言葉に冷静さを取り戻したローズはふうっと大きく息を吐き出し、再び窓の外を見た。

 どんどん大きく迫って来る王宮を目にすると、泣きだしてしまいそうになる。

 だが、この八方塞がりの状況から逃げ出すこともできない。

 ローズは今、ブライトン国王の二番目の妃候補として、王宮に向かっているのだ。

 賑やかな街中を通っているために馬車の速度を落とさなければならず、それがまるで処刑台へゆっくり引き立てられているようで怖くて仕方なかった。



 事の始まりは一カ月前。

 離宮と呼ぶにはおこがましいほどの小さな城で暮らしていたローズの許に、叔父からの呼び出し状が届いたのだ。

 いったい何事かと、侍女のマリタと急ぎ王城に戻ったローズは、そこで信じられないことを命じられた。


「ロザーリエ、そなたにはこの国の――エスクームの王女として、ブライトンに行ってもらう」

「叔父様――いえ、陛下。それは……」

「六日前、ブライトンより使者が訪れたのだ。ブライトン国王から王女へ、王宮への招待状を持ってな」


 叔父と呼んだことで不機嫌な顔になったエスクーム国王を、ローズは慌てて呼び直した。

 だが、国王は不機嫌なまま。

 そして、その口から語られた内容は驚くべきもので、なぜ自分が身分を偽ってブライトンへ行かなければならないかのかをローズは理解した。


「……要するに、あの男は図々しくも、わしの娘を二番目の妃として差し出せと言ってきたのだ。それも正式にではない、候補としてだ!」


 怒りに顔を赤くして、国王は玉座のひじ掛けをどんと叩いた。

 叔父の怒りもわかるが、だからといってローズに課せられた役割はあまりに無茶なことではないのか。

 ローズは目を合わせないよう顔を伏せ、ぐっと唇を噛みしめた。


 ブライトンは長年の間、ある土地を巡って争ってきた因縁の国だった。

 それが五年前、エスクームがモンテルオ王国に戦を仕掛け争っている間に、突如としてブライトン王国がエスクームへ侵攻してきたのだ。

 結果、エスクームはブライトンに敗れたばかりか、モンテルオからも撤退を余儀なくされ、甚大な損害を被ってしまった。

 その侵攻の指揮を執っていたのが当時王太子だった、現ブライトン国王のルバートである。

 ローズにしてみれば、自業自得としか言いようのない状況だと思うのだが、叔父達のブライトンへの恨みは凄まじい。

 だが逆らえないのも事実で、こうして叔父はローズに無理難題を押し付けているのだ。


「あの血塗られた男の許に、わしの可愛い娘達をやるわけにはいかん。無垢なあの娘達に汚れたあの男が触れるのかと思うと虫唾が走る。だからロザーリエ、お前が身代わりとなってブライトンへ行くのだ」

「……ですが、ブライトン側が王女を望まれているのでしたら――」

「別にお前で不足はないだろう。エスクーム王家の血は流れておるのだから。ずっと離宮に住んでいた妾腹の姫ということにしておく。王妃もそれでかまわないと言っておるしの」


 国王はいつの間にか機嫌を直し、楽しそうにくくっと笑った。


「念のために今日からそなたはローズと名乗るのだ。年は二十と伝えておる。二十九のあの男とはちょうど良いだろう。出発は十日後だ」

「わたしは今年で二十五になります。二十歳などと――」

「二十五で未婚などと、何か問題があるのではないかと思われてしまうではないか」

「問題どころか、わたしは――」

「黙れ! この役立たずが!」


 ローズの懸命な抗議は罵声じみた厳しい叱責に遮られてしまった。

 頭を下げ、体を小刻みに震わせるローズに、国王はさらに容赦ない言葉を浴びせる。


「五年前、そなたがもっと上手く事を運んでおれば、今このような屈辱に甘んじなくても済んだのだ。この国の貧しさはそなたのせいでもある。ブライトンへ行き、あの男に媚でも何でも売って、この国への援助を取り付けるのだ。よいな?」



 あの時の無情な叔父の言葉を思い出し、ローズは込み上げてきた感情を抑えるために、ぐっと歯を食いしばった。

 今までどんなにつらいことでも耐えてきたのだから、今度も頑張れる。

 ローズはそう思いたかったが、叔父の真意が違うことも知っていた。


 ロザーリエという名前を捨てることは別にかまわない。親しみを込めて呼んでくれる人はもういないのだから。

 ただ叔父の本当の狙いは、ローズが死ぬことなのだ。

 正確には、ルバート国王の手によってローズが殺されること。

 それを理由に、叔父はブライトンから多額の賠償金を得ようと考えているのだろう。

 でなければ、ローズをこうしてブライトンへ送り出すわけがない。

 ルバート国王は自分の父親に手をかけて王位を簒奪し、義父である宰相さえも殺し、妃を流罪にして遠くの地へと追いやり死に至らしめた残虐な人物だと恐れられているのだから。


(でも……本当に?)


 車窓から見える街の人々の表情はとても明るい。

 道中の村々でも同様だった。エスクームから国境を越えた瞬間――と言ってもいいほどに、雰囲気が変わったのだ。

 それほどに残虐な人物が治める国がこんなに明るいものなのだろうか。

 そう考えると、ローズの心は少しだけ浮上した。


(それに、ひょっとすると……)


 ローズは自分を見下ろし、久しぶりに笑みらしき表情を浮かべた。

 膨らみの乏しい胸に、張りのない腰。

 髪の毛も瞳の色も平凡な茶色。

 何より、日に焼けた肌にはそばかすが散り、美人とはとてもではないが言えない顔。

 ブライトン国王は、ローズを一目見た瞬間、追い返すかもしれない。

 そうなれば、笑われはするだろうが、堂々と国へ――北の城に帰れる。


(そう悲観することはないないわ。ちょっと笑われるだけですむかもしれないんだもの)


 高慢だと有名だったブライトンのレイチェル王女は女神と崇められるほどに美しかったそうだし、ルバート国王の最初の妃だった元宰相の娘はとても可愛らしい人だったそうだ。

 そして当のルバートは、妹と同じ銀の髪に藍色の瞳の美丈夫だと聞いている。

 そんな中、自分のような人物が妃候補として王宮に現れれば、大声で笑われたって仕方ないだろう。


(そうよ。マリタ達を巻きこまないですむのなら、いくらだって恥をかいてみせるわ)


 殺されるよりは笑われるほうがよっぽどいい。

 その上、慰謝料代わりに少しでも支援の約束が得られれば国のためにもなる。

 かなり強引に前向きになったローズは、壮麗な王宮の門をくぐり抜けた時も怯むことなく、しっかり顔を上げていられた。




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