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エピローグ

 信じられない。

 本当に寝た。

 ボソボソと呟きながら、そのまま寝息に移行された。

 しばらくあたしは、どうしてやろうかと悠汰を見つめる。

(かわいい寝顔しちゃって)

 爆睡(ばくすい)って言うんだわ、これって。掛け布団もそっちのけで寝るとはよほど疲れていたようだ。

 お泊りは実は初めてだったりするのだけど、悠汰の寝顔にはよく遭遇する。思えば最初の――一方的な――出合いもこの顔だった。熟睡すればするほど年齢相応……いや、それより下の子みたいにかわいくなる。

(結局、解ってくれてないし)

 あたしだって悠汰に嫌われるのは普通に怖い。

 けれど彼の一種逃げ腰ともとれる自己規制は異常にあたる。

 お祖父様にもビビらないし、あの家の皆にも堂々としていたのに、あたしといるときはとくに弱くなるのだ。知り合ってから、それがひどくなってきているような気さえする。

(そこが可愛い……なんて思っちゃうあたしはやっぱりSかしら)

 でもこのままでは日常生活にまで支障をきたす。友人(萩原くん)にまで顕れているのがいい証拠だ。だからなんとか直せたらと思ったのだが。

(これは長期化するわね)

 おそらくいままでの環境のせいなのだろう。この人格形成の結果は。

 ならば気長にほぐしていくしかない。

 聞く前に好きだと言葉にしてくれた。それだけで今回は大幅な進歩だといえる。

 ジッと見つめたまま、どう襲ってやろうか一瞬本気で考える。

 しかし鼻をつまんでみても、頬を引っ張ってみても起きる気配がない。規則正しい寝息。

 あたしって女性としての魅力がないのかしら。

 それとも、焦らしすぎたせいなのだろうか。

(やめた)

 せっかく襲っても憶えてないんじゃあ面白くない。

 あたしはベッドから降り、窓際まで歩くと、先ほど花瓶の横に置いたものを手に取った。

 盗聴内容を受信したものだ。それだけでなく録音機能も内蔵されている。

 あのあと、悠汰が部屋に帰ったあと、流れでとんでもないものを録音してしまった。

 決して多くはない、途切れ途切れなお祖父様と千石さんの会話。

 もう一度聴きたくなり、該当する部分まで早送りした。

『玲華と数日共にして、どう感じた?』

 前触れなく、お祖父様が千石さんに話しかけだしたところからだった。

『やはり不思議な方としか……』

 どこか言いにくそうな感じが、千石さんの声からしたのだが気のせいではないだろう。

 お祖父様はそうか、としか返さない。

 もとより使用人の話に価値を見出されない人だ。

『千石、紅茶をいれてくれるか』

『はい』

 料理は駄目だったけれど、お祖父様の好きな紅茶ならば千石さんは完璧にいれることが出来る。完璧な時間、温度、手順の知識があり、慣れもあるから。

 お祖父様の好みはジョルジだ。打ち合わせするときも飲んでいたから、いまもそれなんだろう。

 そして、カタンとティカップがテーブルに置かれる音がしたときだった。

『おまえは何もしなかったな』

 タイミングを計ったようにお祖父様は言う。

『それが答えだと、受け取って良いのか?』

『ご存知、だったのですか?』

 千石さんの声は僅かに震えていた。あの、千石さんが。

『ああ。おまえはワシの最後の子供だ。母親とよく似ておる。比絽同様、何か仕掛けるかと思うたがな』

 あたしはその言葉で、なぜお祖父様が千石さんを近くに置くようにしたのか、そして千石さんのお祖父様への従順な姿勢を理解した。

 他の人に比べ千石さんだけが今回特別だった。前田さんたちのように指示を与えるわけでもなく、ただあたしの傍らにいるだけで、あとは野放しにしていたのだ。

(千石さんが一番したたかなのかもしれない)

 あれだけ素知らぬ顔してたのに、実際には自分も参加者の一員だったわけだ。

 しかし千石さんは推定二十六歳。お祖父様は七十二歳。四十六歳ぐらいのときの子供。

(やるわね、お祖父様……)

 これで一途なら言うことなしなのだが。

『私の母は、西龍院家に関わることを良しとしませんでした。比絽様とは違います』

『そうであろう。あの者は自ら出て行った。この家に馴染まなかったのだ』

 馴染めない者の方が一般的ではある気がする。お金や権力を念頭においている者ならばともかく、一般家庭出身のものでは、ついていくことは容易ではない。

『しかしワシが認知することさえもあの者は断った。ならばもう、関わることはないと思っておったのだが……。なぜお主は西龍院系列の企業に入社した?』

 千石さんから近づいたことが解った。

『私にも、わかりません。貴方に少しでも近づきたかったのかもしれませんし、他にしたいことが無かったというのが正しいかもしれません。気づいたときには面接を受けていたんです』

『奇特なやつだな』

『ですが、比絽様のようには憎む心は無かったように思います。母は一度も貴方を悪く言わなかった。その違いかもしれません』

 一番純粋にお祖父様に仕えていたのだと感じた。

 でなければ外から来た人が、五年もあの我が儘なお祖父様のお傍にはつけないだろう。

『貴方に子供として見て欲しいと願ったことは一度もありません。ここにきて、解ってしまったんです。一般的な親子とどれほどかけ離れているのか、そういう情に意味が無いことを理解してしまったんです。だから、名乗らなかっただけなのです』

『ではお主も継ぐ気はないと?』

『私なんてとても……』

『ワシの好む相手は皆、ワシの期待を裏切りおる』

 僅かに、本当にわずかだったが、残念そうな声音が混じっていた。

 その筆頭がお父様で、その中にはあたしも入っている。そして千石さんのことも、期待していたのだ。

『あり得ません。私はどうあっても仕える側の人間。そこに意志は存在しないのです。玲華様に仕掛けるどころか、この秘密さえも明かすつもりは無かった。このままの関係でいさせて頂くのが……なにより、望むことです』

『このまま、か……』

 千石さんの言葉を繰り返してはいるが、別の意識がそこに介在していることが読み取れた。それが何かを知る術はない。

 ただ、少なくとも否定でないことはわかる。

『ワシの次に立つものにもお主は同じように仕えることが可能かな』

『もう、お心は決まっているのですか?』

『誰が最も玲華を追い詰めることが出来たか、だ』

 あくまで、今回のことでお祖父様は決定したということのようだ。

 そしてそれは。

(比絽だわ)

 唯一悠汰に目を付け、実際に接触した人。

 やはり最終的にはお父様の子供を選んだようだ。

『すこし子供過ぎるが、これからいくらでも育てて行けばいい。それぐらいの時間はまだワシにも残されておる』

 素質はあると判断したんだろう。

 本来であればこういうやり方は許せない。でももう発言の場はないのだ。

 控え室で、お祖父様は悠汰の不法侵入のことを言ってきた。無罪放免にする変わりに隣に立てと。

 もちろんただで頷いたわけではない。

 二度とあの家の人たちが、あたしたちを狙うことのないように約束させた。

 そう、関わらせないように。そこで完全にあたしはこの件から離れたことになったのだ。かわりに、こちらからも関わることはできない。

 悠汰に言えば、必ず気にするだろう。だから言わない。

 これで最後にする。悠汰へのこういう気遣いは。

『お主……、ずっと聴いていたが玲華に感化されつつあったのう。あれは聴いていて面白かったぞ』

 千石さんが――おそらく困惑して――押し黙り、二人の会話はここで途切れた。

 あたしもスイッチを切る。

 きっとこの千石さんの秘密は、一生誰にも知らされることはないだろう。あたしは知ってはならないことをたくさん知ってしまった。もちろん後悔なんてしていない。

 ただ、あたしはまた迷うかもしれない。告発するか否かのこの分かれ道で選んだ方を。良かったのかなって。

(でもそんな暇はないのよね)

 あたしには普通の高校生活だけで忙しいのだ。もうすぐ体育祭だってある。

 なにより悠汰のことも、まだまだ導いていかなければならない。そう幸せへと続く道へ。

 花瓶の中の白い造花の下に、この器械を隠すように入れた。

 きちんと封印してしまいたいのだが……いまはあたしだって疲れている。 

(あたしも寝ようかな)

 悠汰の隣の空いているスペースに注目した。

(えーと……)

 夕食の準備が終わると葛城さんが呼びに来るだろう。しかし悠汰は中から鍵を掛けたと言った。すると葛城さんは……。

(合鍵を使うだけよね)

 悠汰ったら、そういうことも気にしないでって思う。知らないんだから仕方ないのかもしれないが、少しは応用を利かせてほしいものだ。

 問題はそのことではない。

 例えばあたしが悠汰の隣で一緒に寝ていると、目撃した葛城さんはお父様に伝えてしまうはずだ。主の指示を仰がなくてはならない。

 もちろんお父様は飛んで来るだろう。

(たの)しいかもしれないわ)

 ささやかな仕返しとまではいかないけれど、少しくらい困ってもらった方がいい。

 いつもは服を着替えなければベッドには寝転ぶことさえしない。

 だけど今日は、敢えてそのまま悠汰の隣に寝転がり、足元にきちんとたたんで置いてあった掛け布団をかぶった。

 ちゃんと悠汰の肩にもかかるように添える。

 顔の横に左の手の平が見えるようにそこにある。あたしはその上から自分の左手を重ね、ぎゅっと握り締めた。

 お父様の卒倒する顔が思い浮かぶ。

 でもきっとついてきたお母様が冷静に対応してくれるはずだ。邪魔しちゃ駄目よ、なんてまた暢気なことを言いながら。

 今回のことでそれぞれの心に傷が残った。

 それだけは紛れもない事実。あたしたちだけじゃない、恐らくあの家の人たち全員と、それから久保田さんにも。

 だけどそれを傷のままで無駄に終わらせるか、乗り越えて力にしていくのかは、これからの生き方にかかっている。

 なるべく沢山の人が後者になるように祈りながら、あたしは目を閉じた。



 朝になって花瓶の中を見ると、そこにはなにもなかった。

 久保田さんだと思う。あんなもの見つけ出しただけでなく、持って行く人なんて他にはいないから。

 あのあと予測どおりお父様たちが気づき駆けつけたと葛城さんから聞いた。そのときに、あの人もそこにいたんだって。

 持っていても仕方ないだろうって、思ったのかもしれない。

 あたしが公にする気がないことを悟り、ならばこんなもの、持っていても重いだけだと判断したのかもしれない。心変わりしたらいつでも返してやるとか思って、そしていまは預かってくれているんだと確信した。

 あの人はそういう優しさを出す人だ。

 解りにくいけれど、必然性のある思いやり。

 こういう情報の取り扱いは確かに適任なんだろう。だからあたしは、自分からそのことについて触れることはしなかった。

 だからそれは、完全に闇に葬られていった。

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