第四章 ・・・ 3
玲華が撃たれた。
自分が電撃を食らうよりも、それは衝撃的だった。
だけど。
(え……)
玲華は立ったままだった。少しよろけたけれど、その程度だ。広げた両腕も下がらない。俺の前から居なくならない。いや、居なくなられたら困るんだけど。
「なんだと?」
比路も驚いていた。そうだよな。俺だってびっくりした。
「どこを狙ってるのかしら?当たったのは脇腹ね。ここじゃ死なないわよ、比路」
自信たっぷりに、いつもの強気な口調で玲華は言う。
「防弾チョッキ?どこまでもふざけてるね、きみは」
比路が言う言葉で、ようやく俺もこの事態が飲み込めた。
はあ。
本当にびっくりした。
また、心臓が止まるかと思った。
(そうならそうと……!)
それでまた、俺は怒りたい気分になった。どこまでこいつは俺を驚かせれば気が済むんだろう。
「玲華。もう引っ込んでろ」
俺は玲華の肩を掴んだ。
そのまま前に出て比路に近づく。
「ちょっと!」
不満そうな玲華を目で制する。
防弾チョッキだって衝撃はくる。それに今度は頭を狙われるかもしれない。実際には致命傷になるところを比絽が撃てなくても、流れ弾で当たる可能性だってある。そんなことになったら終わりだ。
「なに来てるの?悠汰くん。誰が来て良いって言った?」
「比絽、おまえに人は殺せない。そうだろ?」
だけど、なぜかそう確信していた。
きっとそれを言うと玲華とか久保田さんには、ただの思い込みだと一喝されそうだけど。
比絽は口だけだ。良くも悪くも……。
本気を出していたなら、とっくに俺はどうにかなっていなければおかしい。
いまだってこんなに近づいていってるのに、比路は撃たない。表情こそ毅然としているけれど、その手は止まったままだ。
「うるさいんだよ。きみはそんなに死にたいんだ?」
「……おまえが言ったんだろ。京香は俺が助ければいいって」
「へえ……。じゃあ本気でキスするんだ?彼女の前で?そっか。意外と神経図太いもんね、簡単だよねえ」
「黙ってろ!」
口数が多いのは誤魔化したいからだ。
会ったときは、俺にも分かりやすく理屈を並べてくれていると思っていた。確かに分かりやすくて、すんなり入り込んできたけど。
ではなぜいまは何も届いてこない?
それは、いまブレてるのが比絽の方だからだ。一定の感情を保てていないんだ。
俺は京香の前に立った。比絽まではあと二歩分。
「なんで俺がここまで来るのを許してんだよ」
「なに?」
恫喝することさえやらないで、ただ突っ立ってるだけだった。隙だらけで。
京香を俺の後ろに押しやり、さらに右手を伸ばして比絽をぶん殴った。
比絽は咄嗟のことに驚いて発砲した。だけど、倒れるときでそれは石の天井に当たる。
簡単だった。
いままで拘ってたのが嘘のように体が動いた。怒り以外で誰かを殴るのは初めてだった。
目を覚ますための一発。
こんな殴り方もあるんだって瞬時に思った。
そのまま俺は馬乗りになって、比絽を押さえつける。
「おまえ、喧嘩すらしたことないだろ」
いつも本当の自分を笑って隠して。それで切り抜けてきたように見える。
「なに、偉そうに!暴力振るう奴がそんなに偉いかよ!」
「偉くない。絶対偉くない!……でも普段抑えて、その陰で自分より弱い人間に当たるのは、もっと質が悪い!」
まるで、自分自身に言っているような気分になった。
俺も苛ついて、玲華に手を挙げようとした。自分の欲望ばかりを押し通そうとした。
最低なのは俺も同じだ。人のことを言えた義理ではない。
でもだからこそ、解るからこそ、比絽に伝えたかったんだ。比絽にも解ってほしかった。
「いつからぼくより上にいるんだよ!きみなんか、ぼくがいなきゃここまで出来なかった!それを認めて感謝してるって言ったじゃないか!」
「初めから、比絽は許してくれていた!俺がタメ口きいても怒らなかった!でも、どうしても比絽は友達には思えなかったんだ……」
繰り返し、問いかけた。
比絽は俺にとってなんだろう?って。
比絽にとって、俺はなに?
それは。
ただの玲華の弱点だ。だからだ。片方がそう思ってるんじゃあ、友達とはいえない。
それでも比絽も京香も憎めないのは。
(同じなんだ……)
憧れて憧れて、ときに許せない人がいる。立場が変われたらと、何度思ったかわからない。
俺も同じなんだ。嫉妬してたんだ。
だから俺にとって比絽は、同類。決して届かない星を追う側なんだ。
「当たり前だ!きみと友達なんてぞっとするよ!」
「そうかよ!俺は同じ穴のムジナだと思うけどな!」
「ふざけたことを!きみはぼくよりずっと下等な生き物だ。ぼくが操る側できみは操られる側なんだよ!」
「比絽は、逃げている!いろいろ理由をつけて逃げるだけだろ!最初は俺を殺せなくて、玲華に逃げた。だけどその玲華だって結局殺せないんだ!」
「うるさい!どけよ!」
比絽は力だけは強かった。俺を押し退け、再び拳銃に飛びかかろうとする。
俺は咄嗟に地を蹴り、その上に覆い被さった。そして比絽をもう一度押さえ込む。
必死だった。絶対にこれを比絽に渡してはいけないと思った。
これは本人にその気がなくても、人を死に至らしめてしまうな残酷な物だから。間違っても比絽を殺人者にはしない。
その想いのせいかもしれない。比絽の力に俺は勝った。いくら振り払おうとされても、比絽の胸ぐらと肩を押さえつけて、テコでも動かなかった。
「なんだよ!きみは泣き言だけ言って怯えていればいいんだよ!だれが逃げてるって?きみと一緒にしないでくれるっ!?」
「泣き言を言うのも逃げるのも、もう飽きたんだよ……。比絽、おまえも飽きないか?疲れないか?そんなふうに憎しみを糧に生きるのは」
なぜか、心が静かになった。
怒りとか苛立ちとかも消えていて、ただ哀しさだけが残った。
どうすれば比絽にわかってもらえるんだろうってことより、どうすれは比絽は心安らぐんだろうって……そういうことが気になって。
「なんか俺にはよくわからないけど……。比絽を見てると、その先には幸せはない気がするんだよ。どうしても見えないんだよ、その先が!このまま堕ちる姿を俺が見たくないんだ!」
「余計なお世話、なんだよ……」
目を見開きながらも、比絽は呟く。あきらかに勢いが収まっていた。抵抗してくる力が弱いものに変わった。
「京香。大丈夫よ。もう大丈夫だからね」
ふと途切れた不協和音の隙間から、玲華の声が耳に届いてきた。
彼女は京香を抱きしめていた。小さな子どもを慰めるように、何度も何度も背中をさすっている。
その京香の後姿は、必死に耳を塞ぎ、小刻みに震えて小さくなっていた。
「馬鹿な男たち!ちょっとはこっちのことも考えなさいよね」
なぜかひと括りにされて叱られた。
「怯えなくてもいいわ、京香。怖がらなくていいの。みんな必死に生きているだけなのよ。だからたまには怒鳴っちゃうし、行き過ぎると酷いことを言っちゃったり暴力的なことをしちゃったりするの」
玲華はさすりながら、京香に囁いていた。慈悲深げに笑みまで乗せて。
後ろなんか無視して怒鳴り合っていたから、恐怖感を与えてしまったんだと気づく。これには反省するしかない。
それで俺は比絽を離した。比絽ももう暴れなくて、その隙に拳銃を取りに行く。
「それが正しいなんて言わないわ。実際それであなたはすごく傷ついたものね。でもね、だからこそあなたも必死で生きればいいんだわ。比絽なんて見返してやればいいのよ。酷いことを言わせないように、思いとどまらせるくらい魅力的な女になって、後悔させてやればいいのよ」
座ったままなにも言わないで、比絽は複雑そうな顔を背けた。
俺も、言わなかった。玲華が京香を慰める様を見ていたいと思った。
それは一番俺が好きな玲華の姿だから――。
「わたしは玲華が嫌い……。憎い……」
京香から声が漏れる。でもそれは口癖を言うみたいに、脳で考えないで出た言葉だと思った。まだ、朦朧とした様子が伝わってきたから。
「いいわ。いくらでも憎めばいいわ。あたしは構わない。受けて立つんだから。そうやって小さい頃からライバルでいたじゃない?今更そんなこと言われても、知ってるわとしか答えられないのよ。ただ、本当にそれで京香が幸せになれるなら、だけどね。どうせなら、ちゃんとしたライバル関係になればいいじゃない。本当のライバルって知ってる?理解を共に出来たりもするのよ」
「ライ、バル……」
「そう。あたしたちはこんな家に縛られているという共通点があるわ。ねえ、一緒にそんなもの捨てない?きっと軽くなって、いままで出来なかったことも出来ちゃったりするわよ。そしたらあたしも負けちゃうかもしれないわね」
玲華はちゃんと解ってる。京香が嫉妬して目の敵にしてたこと、わかっていたんだ。そのうえで、ちゃんと見捨てないで……。
(自分も危険なのに、人のことばっかりで)
だから、俺も放っておけないんだ。
もしかしたら一人で頑張りすぎるんじゃないかと思って、助けたくなるんだ。
「玲華に、勝てる……。なにで?」
「京香?」
少しだけ自分より低い身長の京香を、玲華は覗き込んで見ていた。
「何を持って勝ったことになるんだろう……。成績?運動?それとも……」
少し語り、彼女はまた黙り込んでしまった。
消してしまった感情の奥底で、断続的に思考は続いているようだ。
(まだ、壊れきっていない)
希望はある。この世のすべてを否定するまでには至ってない。
(寂しいからな……)
なにも見ないことは傷つかなくて済むけれど、結局一人だ。
自分もそうだった。余計なものは排除した。何度も。
そういった世界から、いろんな人のおかげで脱け出したんだ。ときに訴えられ、ときに優しく諭され、ときには叱られながら。
出るときが一番きつかった気がする。いまも完全には抜けきっていない気もする。
(それでも)
今の方が良い。
だから京香も、逃げないでほしいって思った。それから、あと一押しがあればもっと彼女もこちらに意識を向けるんじゃないかと思った。
だけど、もう玲華はなにも言わない。
京香の言いかけたその先。それはおそらく。
(さまざまな、愛)
愛されるということ。
質の高い愛が玲華には与えられていると彼女は思っている。俺にもそのようなことを言った。
――どうして玲華にはいつもそういう人ばかり集まるの?
そう言って悔しがって……たぶん泣いていた。
(話半分にしか聞いてやらなかったな……)
あのとき。
俺にも余裕がなかったなんて、ただの言い訳にしかならない。
しばし重い沈黙が続いた中で、比絽が上半身起こして、俺に向かって片手を伸ばした。
「返しなよ、それ。そんなもの持っていても仕方ないよね」
俺はずっと隙だらけだったのに、強引に奪う真似もしなくてどこか落ち着いていた。
「ぼくたちは追われてる。まだ必要なんだ」
比絽は、無表情だった。いや、少し睨んでるけれど、あきらかにその目には力がない。
どんな本音を隠しているのか、俺は読めなかった。
京香越しに玲華がこちらを窺うように見ていたけれど、やはりなにも口を挟まない。
それはたぶん。
比絽がぼくたちと言ったからだ。きっと、そこには京香が含まれている。変化があった。
ちょっと嬉しくなる。でもそんな状況じゃないから、俺は笑みをかみ殺した。
「ああ。確かに俺には邪魔だ。でも比絽にも必要ないだろ」
「勝手に決めないでくれる?殺さなくたって防衛するためには必要なんだよ」
「俺たちと一緒に逃げようぜ、比絽。そうすればこんなもの使わなくてもいい」
どんな作戦か、まだ俺は全部を知らない。
それでも久保田さんの作戦だし、玲華だって持ってないってことは、こちらの道はまだ安全なんじゃないかと思った。
比絽は虚につかれたようで、今度は言葉を失っていた。
「この家にいる必要なんてもう無いだろ。玲華も俺もいなくなるんだ」
「やっぱり、きみは馬鹿だ。殺す側の人間と一緒に逃げるなんて」
「だから比絽は殺さないって」
いくら馬鹿と言われても、これだけ確信してるんだ。だからしょうがないだろ。
なぜなんて俺にも分からない。理由を聞かれたって、そんなに頭は良くないんだ。説明できる自信はない。
だけどふと、独断で進めすぎたことに気づいた。
しまった。玲華の意志を聞いてなかった。
「玲華、良いよな?」
「別にあたしは構わないわよ。馬鹿がもう二人増えたところで補ってやるわよ」
ふんと鼻で息を鳴らしたけど、玲華は傲然と笑った。よくする、強気な笑みだ。
二人のなかに京香が含まれている。
それが俺と同じ気持ちなんだと感じて、すごく嬉しくなった。馬鹿には俺も含まれているだろうけど、そんなことは気にならない。
「なるほどね。なかなか面白い展開になってるね」
比絽が立ち上がったとき、ここにもう一人別の男の声が入り込んできた。右の細道から、初めて見る顔が近づいてくる。
「誰だ?」
「きみとは初めまして、だね。玲華の父親の弟だよ」
「え?」
「稔さん」
あまり歓迎しているとは言い難い顔で、比絽がその人を見て呟いた。
稔さんと呼ばれた男がこちらに近づき、中央に出てくると、玲華も反応した。
「稔叔父様。いままでどこにいたの?」
玲華から特に緊迫したものは感じない。それでも怪訝な表情をしていたから、俺は判断を決めかねていた。警戒すべき人物なんだろうか?
「ちょっとね。比絽くんがおれのものを持ち出しちゃったからね。返してもらえるかな?それはおれのだ」
後半は、俺に向かって言われた。それで拳銃のことだって解った。
「待てよ。弟って、叔父って……えっと……」
「ああ。言っとくけど義理じゃないよ。正式な兄弟だ」
「ええっ!」
つまり理事長と毅さんと兄弟?
全然違うじゃねえか!ここには何人も義理の兄弟姉妹がいるって聞いてるけど、父親も母親も同じで、なんでこんなに違うんだ?
「驚いてるね。みんな初めは驚くんだよね。なんでだろう?」
「それは当然だわ。共通点といえば個性が強すぎるところだけよ」
なんつー見も蓋もない言い方……。
とりあえず俺はそこにはこれ以上触れないようにしようと思った。
「で?これって返して大丈夫なのか?」
「悠汰はどう思う?」
京香を抱き締めたまま、鋭い目で言う。
(俺に聞くなよ……)
どうするんだよ、これ。俺だって出来ればこんなの持っていたくないんだけど。
ちらりと稔さんを見てみた。
穏やかな笑みのままだ。だけどこういう笑顔に騙されてはいけないことを、俺は学んだばかりであって結果迷う。
「これ取り返してどうするんですか?」
「普通聞く?そんなこと。面白いね、きみ。玲華が選んだ理由がわかるよ」
クっと咽喉を鳴らして稔さんは笑った。
「まったく正反対なことを言われる方が多いんですけど……」
「いまだけじゃない。ずっと聴いていたよ。きみの言動は」
「は?」
言ってることがまったくわからない。
玲華が口を挟んだ。
「除き趣味なの、その人。いやらしいことに盗聴器であっちこっちの会話を聴いてるのよ」
「げっ」
久保田さんでさえ発信器で止めていたのに。
そんなものあったのか、ここには。
「もしかして玲華、気づいていた?」
「って言うってことは、当たりなのね。……昨日、もしかしたらと思ったのよ」
「おれはカマをかけられたて見事にはまっちゃったわけか」
「たまたまよ。久保田さんはどうかわからないけどね」
俺にはわからない話を二人はしていた。
玲華が厳しい表情のままだ。
(なんなんだろう、この人)
掴みどころのない人だ。
比絽もそういうところがあるけれど、彼よりも一枚上手な感じがする。それは比絽がどこか用心してるから。先ほどから何も喋ってないから感じたことだ。
「それで、あんたは味方なのか?それとも敵?」
なんかはっきりしなくて苛々した。
きっとこんなことしてる時間はないはずなんだ。それなのに玲華でさえ読めない行動をしているんだから。明確にさせたい。
「さあね。味方じゃないし敵でもないんだな、これが」
「じゃあこれは渡せない」
「それも困るんだけど」
「知らねえよ。嫌なら目的をはっきりさせろよ。なにに使うんだ?」
鋭く切り込んだら稔さんは仕方なさそうに息だけで笑った。
「きみたちと一緒に連れていってもらおうと思ってね。この先には兄がいる。おれも力になるよ」
「騙されたら駄目だよ。この人、ずっとこの家のことを調べてたみたいだ。建物だけじゃない、人間関係もね。これを拳銃と一緒に見つけたんだよ」
比絽が手帳サイズの一冊のノートを出してきた。
その中から一ページ選んで開き、俺につきつける。
「なんだこれ……」
「ここの家系図じゃない」
京香ごとよたよたと近寄ってきて、玲華も覗き込む。離してやれよ、と言いたくなったのはなぜだろう……。
麻衣と亜衣も集まった。控え目で、なにも意見を挟まないけれど。
「それだけじゃない。誰と誰が裏で手を組んでるとか、実は嫌い合ってるとか、どこに盗聴器が取り付けられているとか全部書いてあるよ」
「なるほどね……。あたしたちがノドから手が出るほど知りたかった情報がびっしりね」
「ここ見てよ。浩祐くんと関係があった杏里さんは、稔さんと元々付き合ってたんだ。浩祐くんは稔さんから女を奪ってたんだよね」
「嫌な言い方をするね、きみは」
暴かれたというのに、稔さんの表情には変化がない。言葉だけが迷惑そうだった。
「あっ。わたくしたちは清志郎様と繋がってることになってます」
「ひどい!取り消してください!」
一緒に見ていた亜衣と麻衣が真剣に稔さんに訴えた。
「ひどいって事実じゃないの」
「違います。改心しました」
冷ややかな目線を玲華が向けると、麻衣は涙目になって訂正していた。
「清志郎……って、あいつか」
俺の中に最初に息巻いていた男の顔が浮かぶ。あいつと、この双子が共犯だった?
(また玲華は……)
お人好しなのか公平に物事を捉えているのか不明だ。
でも俺も人のこと言えない。比絽を助けたいって思うのだから。
「そういうことだったの。稔叔父様はやっぱり嘘をついていたのね」
「浩祐を殺した理由が女性絡みだったって?」
「違うわ。あなたは杏里をも庇ってるんじゃないの?」
ちょっと待て……。なんだ、この展開は。なんの話だ?
途中からここにいる俺にとっては、わからないことが多すぎる。まず杏里って誰?この人が幸祐という男を殺した犯人?
「それは違う。杏里とはそこまで深い仲ではなかった。そういう勘違いのされかたは心外だな」
「あなた、あたしのところに来る前に、杏里の部屋から出てくるところを久保田さんに目撃されてるのよ」
「そうなの?それは困ったな……」
どこか悠長に聞こえる口調で、だけど稔さんは険しい表情になった。
「さっさと白状しなさいよ。杏里と何を話していたの?久保田さんには話すなって釘を刺したのもあなたね?」
「まったく。きみたちの話を聴かなければよかったな……」
腕を腰に当てて、本当に参っているように呟いた。
否定も肯定もしていない。
俺は話の内容はわからないけれど、この人がどういう人か見抜こうとして、ただ黙ってじっと見ていた。
「聴いてしまうときみの気持ちまで知ってしまって、思うように動けないからね」
「そんなことは無用よ。あたしはとっくに捨てているわ」
「そうだね。胸中の奥底まではわからないけど、きみは立派に捨てていたね、おれたちへの情けを。知ったときはおれは感動さえ覚えたよ。おれには到底出来ない」
「わざと遠まわしに話してない?」
比絽がとうとう口を挟んだ。どこか不満そうだ。
確かに傍から聞いていただけでは、なんのことだか全くわからない。
それに答えたのは稔さんの方だった。
「いずれわかるよ。このまま一緒に行けばね」
「そこには、あたしが知りたいことも含まれているのかしら?」
「あまりおれを苛めないでくれる?きみに尋問されると、つい話してしまいたくなるから不思議だね」
「だったら話して。宙ぶらりんな状態なのよ、いまは。そういうのが一番気になるのよ」
「言ったところできみは信じないだろう?」
「あたしは取り繕った話が聞きたいわけじゃないのよ」
玲華が鋭く切り込む。それにも稔さんは困った笑い方をした。
言いたくても言えないんだ。きっと。
軽口そうに聞こえるのに、本質は語らない。
だからかもしれない。仕方ないわね、と玲華は語調を変えた。諦めるようにため息を吐きながら。
「とにかく時間がないの。言い合ってる場合じゃないわね。ねえ、悠汰。どう?彼は信用できると思う?」
また俺かよ、と思いつつ、時間がないらしいので思ったままに言う。
「そんなんは知らないけど、いいんじゃねえの?一緒に行きたいっていうなら。ヤバい感じはしないし。でもこれはちょっと預かっとくってことで」
「それはないんじゃない?ちょっとってどれくらい?」
稔さんが肩をすくめた。
先ほどのやり取りを見ていたせいだろうか。そこまで困ってるようには見えない。
「状況による」
なにせ俺自体がそれをよく呑み込めてないんだから。玲華も強引に同意した。
「そうよね。じゃあ行きましょう、この先まで走るのよ。京香、走れる?」
いつの間にか京香はしっかりと立っていた。だけど何も言わずに頷く。
どういう状態か、俺にはわからないけど、玲華が大丈夫と判断したのなら大丈夫なんだろう。
「あーあ。いつの間にか手懐けちゃってる」
複雑な顔で比絽が言った。
「いつの間にってねえ、あんたたちが馬鹿な言い合いをしてる間よ」
またそんな言い方を……。
しかも手懐けたって否定しないし。
俺が比絽と向かい合ってるときから、玲華は京香に語りかけていたんだろう。
そしてなぜか稔さんを先頭に俺たちは走った。
まるでルートを知っているかのように稔さんは先を行く。
(って……、盗聴器で作戦を聞いていたわけだし、ここの住人なんだから迷うわけないよな)
最初は玲華と二人だけだったのに、すでに大所帯だ。
後ろの方で玲華は京香を注意深く見ながら走っている。
玲華からは京香に対して、敵意を抱いているわけではないようだ。こういうところは見習いたいと思う。
人数が増えただけ足音も増える。
俺はどこをどう走っているのか把握できないまま、出口に到着した。
* * *
仕掛けのボタンを再び押して、駆け抜けた先は中庭に通じていた。
出口は閉めるとぴったりと同化し、ただの壁になった。
ただっ広くてちゃんと整備されている洋風の庭。
車一台分は余裕に通れるほどのレンガ敷きの道ができている。その脇には、侵入するときにも見かけた大木が、人工的に植えられて並んでいた。それ以外はまた厚みのある芝生。詳しくないけど質のいい草とかなんじゃないだろうか。
しかしその大木は銃弾を避ける盾としての機能をいまはさせられている。芝生もかなり踏み荒らせれており、見るも無惨な箇所があった。
そう、中庭ではまさに戦場の中心地となっていたのだ。
「なに、ここ……」
玲華が呟く言葉で、これは計画外の事態だと知った。どうすべきか迷い、俺たちは立ち止まる。
木々に身を潜めているのだろう。人の姿はあまり見えないが、怒号と銃声がうるさい。
「そんなところにいたのかっ!玲華!」
遠くの方から、遠くても怒鳴り声だとわかる声が聞こえてきた。
清志郎さんだ。
右側の十メートルほど先の樹から、顔を出している。よく通る、野太い声。普段から怒鳴り散らして鍛えられているようだ。
「あの人馬鹿?わざわざ他の人にも教えてあげてどうすんのかしら」
またそういう言い方をする。
俺が頭を抱えたくなったときに、やっぱりそこにいた全員がこちらを向いた。毅さんもこの空間にいる。なにやら近くの人に指示を与えていた。やっぱり玲華を捕まえろとか、玲華以外は殺せとかそういうことなんだろうな。
(あ、久保田さん)
幸いなことにこちらから最も近い陣地にいたのは、久保田さんだった。近くに加藤さんと、千石さん(おそらく)がいる。
「おまえらなにぼっと突っ立ってんだ!とりあえず隠れろ!」
血管ぶちきれそうな迫力で久保田さんに叱られた。
「危ない!悠汰!」
ぐんっと俺は玲華に引っ張られてしゃがんだ。さきほどまで俺の顔があったところに弾丸が通過する。
「うわっ。超こえええ」
「怖えじゃないわよ馬鹿。ちょっと久保田さん!なんなのよこれは!共犯だってばれたの?」
姿勢を低くしたまま、玲華は久保田さんのところまで小走りで行った。それを俺たちも続く。草木に隠れて気づかなかったけれど、だいたい二メートル先にいた。
さり気に馬鹿をつけないでほしい。
「おうよ!さすがにオレも、この状態でここに来るつもりはなかったんだが、追い込まれた!」
「なに威張ってんのよ!」
「申し訳ございません。玲華様。このようになるはずではなかったのですが……」
「別々に逃げるべきだと思うと、私は言いましたよ。しかしこの男が駄目だと言い張って聞かないのです」
まったく表情を動かさない千石さんと、すっごく迷惑そうな顔をしている加藤さんがそれぞれ玲華に言い訳をしていた。どこか暢気に聞こえる口調で。
この人たちは何者なのだろう。絶対ピンチだと思っていないと思う。
「いちいちチクるな!仕方ねえだろ。見よう見真似でやってるオレに比べて、こいつらはレベルが違う。悪いけどな、あっちの人数考えるとこの方が都合が良かったんだ、よ!」
最後の、よっで久保田さんは前を向いて発砲する。そこには、毅さんの指示でいつの間にか近づいて来ていた護衛がいた。手にあたり、持っていた拳銃を落とす。そのままその人は慌てて引き戻して行った。
充分レベル高いじゃないか。
(だからそういうこと、あっさり出来ちゃうってのが、信じられねえんだって……)
久保田さんはメカ好きと豪語していたし、なんでも器用そうだし……ズルイよなあと思う。
その十分の一でもいいから分けてほしいものだ。
「どうでもいいけど。おまえらなんでいるんだ?」
久保田さんが比絽と稔さんを見て険しい顔をした。それで、久保田さんはこの二人のこと信用してないんだって気づいた。
「悠汰が一緒に逃げようって!ねえ?」
なぜか嬉しそうに玲華が俺に言う。もしかしてこいつすべて俺のせいにしようとしてないか?
嫌な予感がしていると、久保田さんは俺を一瞥した。
「あっそ」
それしか言わない。
「なんだよ?言いたいことあるなら言えよな」
「おまえがそう判断したならいい。それより一旦戻って別の道から行け」
さらっと話を変えられた気がする。
「別の道なんてどこにあるのよ」
「自分で探せ」
視線を前方に向けたままでいる久保田さんに、玲華は少し息を吐いた。
「やっぱりそうなるのね。……で、あなたたちはどうするの?」
「適当に足止めして後から行く」
軽く適当になんて言ってるけど、そんな簡単な話しではないだろう。相手は四方八方わんさかいるし、本気で殺すつもりできている。
「一緒に逃げればいいだろ。ちゃんと用意してあるんだよな、逃げ道」
こういう場面で別れてはいけない気が、本能的にする。だいたい映画でもなんでも、こんなところが後悔するポイントになるんだ。
「おまえらを確実に助けることがオレの仕事だ。固まって逃げるのと、どちらが安全性が高いか考えろ。戻れと言うためだけに、こちら側に陣取ったんだよ。それを無駄にするな」
久保田さんたちと合流できたのは、ただのラッキーではなかったのか。
「行きましょ、悠汰」
まだ納得できない俺に玲華も促す。
一人で抵抗して手遅れになったら、それはすべてが無駄になるんだ。
「納得できないけどわかった」
「なんだ、その言い方は」
「久保田さん。あたしが言ったこと憶えてるわよね」
「……ああ」
仏頂面で俺に答えて、そのままの顔で玲華に頷いた。
「よし!みんな、そういうわけだから戻るわよ」
玲華はやっぱり切り替えが早かった。それに皆も頷く。
なんだか久保田さんとわかり合っているみたいで面白くなかった。しかしそんな場合ではないので、押し込めた。
「待て。カウントする。合図を出したら走れ。おまえらもタイミングを合わせて総攻撃をかけるぞ」
「玲華様のためになるならやりましょう」
「それしかないようだしな」
久保田さんの指示に千石さんと加藤さんは従う意思を表明した。
「行くぞ」
「あ、待って!綾小路先輩ってどこにいるの?」
カウントダウンを遮って玲華が訊いた。
そういえばあいつもいたはずなのに、どこにもいない。
鬱陶しそうに久保田さんは舌打ちをする。
「知らねえよ。千石、なにか聞いてるか?」
「先に向かうと仰いました。出口で玲華様をお出迎えしたいようでしたので、そのままお願いしましたが」
「いねえじゃねえか……」
「後のことは存じ上げません」
パンパン合間に打ちながらも、千石さんの動作に隙がない。この人もできる人だ。
「まあいいわ。じゃあそろそろ……」
「なあ。そんなに撃ってて弾切れになんないの?」
ひとり撃ち続けている加藤さんに俺は聞いた。なんか遠慮とかないし、心配になったのだ。
だけど加藤さんは戸惑いを表した。
「は?」
「それを見越して大量に用意してある!いいからもう行けよ、おまえら!」
とうとう久保田さんがキレた。
せっかちな性分って損するぞ。いや、本当に急いだ方がいい状態なのかもしれない。
「悠汰はやく」
「おう」
仕方なく走る体勢を整える。
「ホントに行くぞ。三、二、行け!」
久保田さんのカウントは心なしか速い。一秒が半分くらいだ。
それでも皆で揃って動いたら、ザッて地を蹴る音がした。
「おい!逃げるぞ!追え!」
後ろの方で清志郎さんの叫び声と銃声を聞きながら、俺たちは後ろを向かずに走った。
一番前はやはり稔さんで、彼は仕掛けを熟知していたらしく、俺がたどり着く頃には開いていた。
俺は一度だけ振り向いた。
たくさん上がる硝煙。
すでに久保田さんたちの隠れ場所が見えない。
死ぬなよ、と思いながら俺はこの場を後にした。




