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第四章 ・・・ 2

 どうしても、俺は芝居が出来ない。

 わかっていることだった。だって兄貴に寝たふりもばれてたわけだし。

 そのうえあんな大勢の前で命乞いみたいな真似……。

(正直、マジで死にたくなったかも)

 でも玲華が必要なことだって言うから……。

 それで成功したんだろうか。俺はこの使命のことしか聞いていないから、そこがわからない。

 人を集めて、その隙に助けたい人がいるって言っていた。俺より優先してごめんって。

 そんなのはまったく問題じゃない。玲華が望むことなら、俺なんか後でいい。

 だけど久保田さんの姿が見えた。

(ついでに綾小路も見てしまった……)

 それで一体誰が助けに行ったんだろう。

(あ……、まだだ)

 もう一人いる。俺を病院に送り届けた人。

 地味めで暗い人って拓真が言っていたっけ。その人の存在を忘れていた。多分まだ俺は会ってないけれど、玲華が気を許した人なら、きっとまだ玲華のために動いてる人だ。

「ずいぶん大人しくなったな」

 玲華の叔父、毅さんが入ってきた。

 ここは謁見の間の隣にある個室らしい。控え室のようなものだと説明された。

 ここでやっても充分じゃないか、というほど広いけど。

 とくに縛られもせず、俺はソファに座らされている。だけど見張りはいた。あの牢屋にいた四人がそのまま俺を連れてきたのだ。

 もう騒ぐ必要はなくなった。それだけだ。

「やはりあれは演技か。聞こえていたがあれで騙せると思ってるなら改めた方がいい」

「う……」

 やっぱり恥ずかしい。わざわざ蒸し返さないでくれ。

 俺は体温が上昇するのを感じた。

 二度とやらない、あんなこと。

 そう固く心に誓っていると、毅さんはそれに、と続けた。

「おまえはどうやら、本当に苦しいときは黙って堪える性分のようだしな。そこにも違和感があった」

 少し、意外だった。

 俺を捕らえたときは、本当に虫けらを見るような目をしていたのに、こんなことを言われるなんて。

 相変わらず怖い顔をしてるけれど。

「玲華が署名をしたら、どうなるんだ?」

 この人がこの家のトップになる。それはわかる。

 だけど玲華がどうなるのかが気になった。

「もう誰も彼女は襲わないだろう。そんな必要はなくなるからな」

「そう、だよな」

「だが笹宮はどうかわからない」

 まだ比路は玲華を狙ってる。そういえば比路はどうしたんだろう。

「比路は……」

「笹宮を捕らえろと命じてあるが、まだ見つかっていない。やつ如きが逃げ切れるとは思えん。おそらく協力者がいるな。だが安心しろ、必ず捕らえて消す」

「消すって……殺すってことか?」

 なんでここの奴らは、すんなりそういうことを言えるんだ。

 ムカつくなんてもんじゃない。激しい嫌悪感がする。

「なぜ怒る?玲華にとってもその方が良いだろう」

「そんなの当たり前だろ!それしか解決がないみたいじゃないか!だったら比路は一生憎しみに囚われたままで終わってしまう。そんなのは嫌だ!」

「ならばどうする?大口を叩いたところで他の解決策など見出せてない。それが実情ではないのか?」

 まったく届かず跳ね返された。そんな空虚なものを感じた。

 確かに比路の想いは深い。ちょっとやそっとの説得で晴らせる恨みではないだろう。

「それに忘れてないか?小僧。おまえは人の心配をしている場合ではないぞ」

 ふと、毅さんの声音が低くなった。

 これ以上は戯言を聞いてやらない。そんな意志が感じ取れた。

 自分の中にある威圧感を最大限に相手に与えるような、そんな空気が出ていた。

「おまえは不法侵入した。その罰はこれからだ。玲華が署名をしたからといって、俺は許す気はない」

「わかってる」

 俺のことは……自分が犯した失態で、その報いがくるのなら、それは仕方のないことだ。

 侵入することが普通より許されないってちゃんと聞いていたんだ。比路が教えてくれていたから。それから理事長にも、抹消されるって。

 知った上で来たんだから、いまさら後悔なんてしない。きっと過去に時間が遡ることができても、俺はこの家にきていたと思う。ただ、やり方は変えられたかもしれないけど……。

「準備が整いました」

 そのときもう一人この部屋に入ってきた。

(あ、この人)

 玲華のことを裏切った人だ。前田さんと呼んでいたっけ。

 この人じゃないよな、拓真が言った人は。

 もしそうなら最悪な状況なのではないだろうか。

 なんにしても、どれほど玲華が信用していたのか知らないけれど、彼女を裏切ったことは許せない。自然と睨むように見てしまう。

「そうか、集客率はどうだ?」

「まだ半分ほどでしょうか。それでも続々と集まっております」

「いよいよだな」

 待ち構えるように毅さんは不敵な笑みをみせる。

 本当に、これで良かったんだろうか。

 玲華が署名して、それで玲華にとって望ましい結果になるんだろうか。

 ちゃんとすべてを聞いていないから、俺にはそこが不安だった。これまで署名しなかったのには目的があってのことだって、予測はしていたんだけど。

(玲華……)

 もう一度、ちゃんと玲華と話したい。そんな気分に陥った。


   * * *


 そこは全体の七割ぐらいが金色で出来ていた。窓とか絨毯以外の装飾品がすべてゴールドで統一されている。テーブルも椅子もゴールド。

 ライトがなくても眩しいんじゃないだろうか。これは……。

 絨毯はグレー系だけど、中央に赤い絨毯で通り道が作られている。バージンロードとかレッドカーペットみたいだ。

 俺は世羅んちのパーティ会場しか行ったことないけれど、そこよりも広かった。

 謁見の間って行ってたけれど、誰と誰が謁見するんだ。こんなに広いところで。

「まさかこの場で、このような形で継承できるとはな」

 壇上に上がったとき、毅さんがそう言っていた。

 これまでのことを知らないけれど、その言葉には並々ならない重みがあるみたいだった。

 壇上の中央には玲華が署名するための台が置かれている。もちろん金色だ。

 その後ろ側に俺は立たされていた。先ほどの見張りの男たちに後ろ手を捕まれていて動かせない。それは力ずくで、腕力で対抗しても勝てないことがわかるほどだ。

 だいたい四人ともガタイがすでにデカイから試すまでもない。

 俺とは反対側に初めて見る人がいた。

 この人が椿原さんというらしい。毅さんがそう呼んでいた。

 フロアにはすでにたくさんの人がいた。みんなパーティでもないのにキッチリとした格好をしている。

 そして玲華が扉を開いてやってくるまで、そう時間はかからなかった。

 皆に注目されながら中央に敷かれたカーペットを歩く。

 一人だった。

 久保田さんはと思って探したら、大勢の中の一人に紛れていた。綾小路も同様だ。

 近くに行くことを許されていないんだろうか。

 だけど、いくら探しても比路も京香もいなかった。

 玲華は一度だけ俺を見た。

 すごく申し訳なさそうな顔をする。そんなのは見たくない。玲華のせいじゃないって言ってるのに。

 だけど玲華はすぐに凛、とした空気に戻った。堂々と胸を張って壇上に上がってくる。

「よく逃げずに来たな」

「あたりまえよ。馬鹿にしないで」

「もう君子ぶるのは辞めたのか?」

「必要ないわ」

 短いやり取りが目の前で繰り広げられる。玲華がちょっと機嫌が悪そうだった。

 それから毅さんが持っていた用紙が台の上に置かれた。

「遺産分割協議書?」

 玲華がその内容を怪訝な顔で読み上げる。

「いまとなっては、誓約書なんかよりこちらが確実だ。最終的には相続人である者には一人残さずサインさせ、完成させる。本来はおまえは未成年だから特別代理人を要するが、今回は特例だ。少し順序が違うが問題はない」

「用意周到ね。こうすれば独り占めできるってことね。でもみんな納得するかしら。特に清志郎様は」

「あいつのことはすでに手を打ってある。父がいない今、俺にたて突く奴はいない。おまえ以外にはな」

「そしてそのあたしには悠汰という弱みがある」

「そうだ。これでおまえも幕切れだ。あとはすんなり進むと思うとさすがに気持ちが躍るな」

「躍るついでに悠汰も手放してもらえると有り難いわね」

「安心しろ。()()最悪な状況にはさせん。俺としても情状酌量の余地くらい考えている。ただ何も無しでは示しがつかないからな」

「初耳だわ」

 なんか……。二人の間に火花が見えるのは気のせいだろうか。

 玲華に遠慮がなくなっているからかもしれない。

 俺はなす術がなかった。こんな形で玲華が動かされるのは納得できない。だけどここで暴れるのも彼女の足を引っ張ることになりそうで、どうしていいのかわからない。思考が霧の中にいるみたいだった。

「椿原。この書式でも父の遺言に対して有効、ということで間違いないな」

「はい。問題ございません」

 椿原さんはその内容を見ることなく頭を下げた。すでに確認させていたんだろう。

 すると毅さんはマイクを通し、皆に呼びかけた。

「これから正式な継承式を執り行う。遺産分割協議書の内容は、いま玲華が持っている財産と権力のすべてを私に移すというものだ。つまり私が全権をもつ。私が父の跡を継ぐことに異を唱えるものは、今のうちに出てくるが良い」

 玲華のものとは比べ物にならないほど強い声が、ビリッと会場に響き渡った。

 静寂に包まれ、僅かでも声を発するものはいない。

 思わず俺も息が止まった。息することすら許されない空気だったのだ。

「よろしい。皆承諾したものとみなす。以後不服を申し立てても通らぬものと思え。玲華、あとはおまえだ」

「はい」

 玲華が一歩前に出て台により近づいた。

 あらかじめ用意されていた金色のペンを持つ。

 ここにいる全員が玲華の動きを見つめていた。混沌としていた期間が終わるその瞬間を。

 だけど玲華の手が止まった。

 迷いがあるのだろうか。なかなか署名をしようとしない。

「早くしろ、玲華」

 小声で毅さんが急かす。

 わかってるわ、と玲華は小さく呟いた。

 そしてゆっくり記入し始める。

 西龍院玲華って一文字一文字しっかりと、噛み締めるように書いているように見えた。

 だけど。

 その途中。俺からは見えなくて、どの文字まで書いたかなんて知らない。

 パンっ、という乾いた音がこの会場に響いた。

 俺は目を瞠る。

 玲華が。

 皆に背を向けて書いていた玲華から血が噴出した。背中を、撃たれた。

 一度仰け反って、玲華はそのまま崩れ落ちた。

(え――)

 なんなんだ、これは。何が起こったんだ。

 すぐには把握できない。

 俺は撃ったやつを見た。レッドカーペットの始まりのところ。扉の前に一人の男が拳銃を真っ直ぐにこちらに向けていたままだった。

「加藤っ!貴様っ、また裏切る気か!」

 久保田さんの怒鳴り声が静寂を破った。

 そして、久保田さんの手にも拳銃が握り締められていて、それをその男に向かって発砲した。

 なんで久保田さんがそんなもの持ってるんだろう。

 加藤って誰?

 いや、そんなことよりも……。

「その男を出すな!取り押さえろ!」

 毅さんがマイクを通して叫ぶ。

 それから遅れてあちらこちらから悲鳴が上がった。悲鳴と、何発かの発砲の音。

 護衛たちがみんな拳銃を出していたのだ。

 加藤という男はテーブルを立てかけ、その身を隠しながら発砲する。

 もう誰がどれだけ撃ってるのかわからなくなった。一気に戦場と化していた。

 他の人は地に伏して、逃げ惑っている。

(なんだよ、これ……)

 この目の前で広げられている光景がすべて、映画を見ているようだった。現実から遠くて、よく、頭が働かない。

「ちっ。これでは助からんな」

 毅さんが玲華を見ながら吐き捨てた。近づこうとしたところに一発打ち込まれて、彼は護衛に護られた。

 なんだって?なんと言った、いま……。

 台が、邪魔で、よく見えない。

 いや見たくない。見たくない現実があるようだ。

 きっと見たら俺はどうなるかわからない。

(まさか、ほんとうに……?)

 ――あたしになにがあっても復讐しない?

 そう語り合ったのは昨夜のことだ。こんなにもはやく、その答えが表れるのか。

 気づいたときには、俺の後ろにいた男たちは皆、毅さんについていた。盾となり護りながら壇上から降りる姿を目にした。

 俺は自由になっていたんだ。もう制限されていない。

 弾丸が飛ぼうが関係ない。周りがどんなことになろうとどうでも良かった。

 俺は玲華に近づいた。

 足元に跪く。

「うそだろ……こんなの……」

 白系のワンピースが赤い血に染まっている。顔は青ざめている。

 これは本当に玲華なんだろうか……。

 俺は確かめるように、玲華を抱き上げた。まだ温かい。

 これが冷たくなっていくのか?信じられない。

 顔に触れてもピクリとも動かなかった。

 一気に衝撃が全身を駆け巡った。それに反して上手く動かない体。指一本動かすのに、すごく時間が要った。

 少しでも体温を取り込むように、全身で上から玲華を抱き締める。

「悠汰……」

 そのとき、耳元に小さく呟く声が聞こえた。

「れっ」

「黙って、悠汰。そのまま、姿勢を変えないで」

 玲華の声だ。

 小さいけれどしっかりと聞こえる。幻聴……ではないよな……。

 確認したいのに、抱き締めたままで動くなと言われてしまって、為す術がない。

「黙って聞いてね。実はね、これも計画なのよ」

(なんだって?)

 俺は一瞬怒りが込みあがった。だけど、怒鳴るとバレるっていうことが頭を掠めて、何とか抑制した。

 そしたら、代わりに。

 涙が溢れてきた。

 ほっとしたせいだと思う。あんなに泣きたくなっても耐えていたのに、あっさりと俺は安堵感から泣いてしまった。

「なんだよ、それ……」

 どうせ銃撃戦で声なんて聞こえてない。俺は玲華の耳元に顔を埋めて隠しながら、こっそり弱音を吐いた。

「俺……おまえといると、もたない」

「泣いてるの?悠汰」

「うるせえ」

 何度心臓が止まりそうになったか分からない。玲華との関係だって、もう駄目だと、何度諦めそうになったか……。

 いつになったら、安息が来るんだろう。もっと安心して付き合いたいのに。

「ごめんね。こんな助け方しか出来なくて」

「……おまえ、今回謝りすぎ」

 俺は噛み締めるように玲華の体を抱き締めた。

 もう離したくない。離さないと思った。

 それでも気になることは山ほどあった。鼻水をすすって、深呼吸をしてから口を開く。

「加藤って誰だよ」

「加藤さんね、幸祐に手を貸して一時期に地下に閉じ込めていた人なの。会わなかった?同じ階にいたはずだけど」

「俺、目隠しされてたから」

 誰もいないんだと思ってた。

 じゃあ、あそこでのやり取りは全部聞かれてたってことか。なんか恥ずかしいじゃないか。

「そうなんだ。でね、久保田さんが惚れたみたいでね。ずっとアプローチしてて、ようやくさっき口説き落としたみたい」

「なんだよ、その言い方。気持ち(わり)い」

「それより血のりで汚れちゃうわよ」

「関係ねえよ。どうせ俺、二日風呂に入ってないし……」

「げっ。そうだった……。ちょっと離れなさいよ」

 突然玲華の態度が変わって、腕で背中を叩かれ、その足はバタついていた。

 ばれるぞ、こら。

「おまえ時々すげえ失礼だよ」

 しょうがねえだろ。別に好きで俺も不潔にしているわけじゃない。

 でも俺は意地でも離してやらない。

 離せなかった。

 すると玲華も力を抜いた。声の調子を落として言う。

「ね、悠汰。本当はいつまでもこうしてられないの。こっそり。不自然にならないように周り見て」

 また簡単に難しいことを……。

 あんな寸劇して落ち込んでる後で、不自然にならないようにとかわざわざ付けるか?余計に意識するじゃないか。

 不満はあったけど、確かにいま本物の弾丸に当たっては元も子もない。

 だから俺はそっと首だけ持ち上げた。

 出入り口の扉がひとつだけ開かれて、そこから人々が逃げながら退出していた。

 加藤さんは隠れているみたいですぐには見つからないけれど、久保田さんは派手に撃っている。多分加藤さんはあの先にいるんだろう。大きなテーブルの先に。

 だけどよくよく見ていると、久保田さんの撃つ場所は定まってなかった。なるほど、混乱させる為だけの作戦か。

 毅さんは怒鳴り声を上げて指示している。

「どう?誰かこっちに注意払ってる?」

「全然。それどころじゃないみたいだ」

 護衛たちは加藤さんに近づこうとするんだけど、そんなときに限って久保田さんの銃が逸れてその道を阻んでいた。

 いや、よく見るともう一人、久保田さんと同じような行動をしている人がいる。

 存在感が影みたいに薄くて、地味めな感じの。

「あ……」

 あの人が拓真が病院で会ったっていう人?

「どうしたの?」

「なあ、おまえの命令で俺を病院に連れて行ってくれた人って」

「ああ。千石さん?」

 千石というのか。じゃあ、前田じゃないんだ。ということはやっぱりあの人?

 なんだそっか。やっぱり久保田さん以外にもちゃんと護ってくれる人はいたんだ。

「そういうことでしたか……」

 不意に俺の後ろの方向から声が降ってきた。

 一瞬マジでゾッとした。全く気配を感じなかったからだ。

「前田さん」

 玲華が呟く。

 確かに前田がそこに立っていた。無表情さに変化がない。

「てめえ!」

「お静かに。そういうことでしたらお早めに去られた方が適切でしょう。いつ毅様がこちらに注意を払われるかわからない」

「どういうこと?」

 玲華が驚いていた。

 それを無視して前田は俺の前にまわり込む。

「私が連れて行きましょう。控え室でよろしいですか?」

「おい」

 何も答えてないのに、強引に前田は玲華を抱え上げた。いとも簡単に、軽々と。

「離せよ!」

「悠汰、しっ」

 止めようとした俺になぜか玲華が人差し指を唇にあてていた。本人は抵抗することなく、そのまま上手(かみて)の方に連れて行かれた。

 慌てて俺もついて行く。

 チラリとフロアを見たけど、まだ誰もこちらを見てなかった。ここで騒ぐことが一番の問題だって解るけど、それでもなんであんなに冷静なんだよ、あいつは。

 フロアから完全に隠れた先の控え室で、前田さんは玲華を降ろす。

 見た目血みどろなのに、しっかりと玲華は立った。

 良かった。本当に怪我はひとつもないみたいだ。

「どういうことか説明してくれるかしら?前田さん」

「その時間は無いかと思われます。私ももう行かねば怪しまれる。ただ、私はひとつの駒に過ぎないということです。今の貴女でしたら、その意味がお解かりになられるかと……」

「解ったわ」

 えっ……解ったのか?今の説明で?

 俺には正直まったくわからないけど。

「貴女は千石は信用したけれど、我々は信じなかった。しかしそれでいい。それで正解だったんです」

 前田さんは本当に玲華を隠しただけで、それだけ言うともう一度あのフロアに戻っていった。

「玲華、俺には何がなんだか……」

「逃げながら話すわ。悠汰、スイッチを探して」

「スイッチ?」

「このどこかに隠し通路を開くスイッチがあるはずなの」

「はあ?」

 なんだその怪しげなものは。

 玲華は言いながらも壁を触りだした。ってこのどこかって、この広い部屋中のどこかか?どれだけの広範囲だ。

 ゲッソリしながらも俺はとりあえず床を触ってみる。

「なあ、このままあのドアから出たら駄目なのかよ」

「逃げてきた親戚たちと会いたいの?いまなら完全に捕まるわね」

「おまえどこまでも冷静だな。だから玲華っていうのか?」

 冷静と玲華……。似てるかもしんない。

 どっちも令って入ってるし、名は体を現すって本当だったんだ。

「なにくだらないこと言ってんのよ!いっとくけど、まだ全然安全じゃないんだからね」

「そうだよな」

 玲華が壇上から消えたことが解れば、まず真っ先に探しに来られるのはここだと思う。

 ああああっ、そう考えたら焦りが出てきた。

 俺は目を皿のようにしてスイッチとやらを探し回る。

 しかしこの絨毯。変な模様。ペルシャ絨毯っていうのか?

 なんか端の方に黒い丸の模様が。

(まる……?)

 一部だけ浮いている丸があった。何十個もあるうちのひとつ。

 俺は絨毯を剥がしてみた。

 すると、フローリングに自然に反した四角い線があった。指が一本はいる穴があって、そこに突っ込むとすぐ開いた。

 中にはボタン。

「これじゃねえのか?」

「そうよ!それよ!あたしに押させて!」

 なんか玲華が振り向いてすごく感動していた。

「いいけどさ……」

 別にボタンなんかに興味はないし。

 玲華が跳ねるように近づいて、ボタンを押すと花瓶が置いてあった台が勝手に動く。

 そして壁紙が自然と左にずれると、そこに扉が開かれた。

「おおっ」

「すごいわ!なんか興奮しちゃう!」

 ええっ……。確かにすごいけど、興奮するほどか?

 呆れながらも俺はボタンがあった蓋を閉じ、絨毯を元のように戻した。

「いままで驚くことが多かったし、そんな状況じゃなかったから楽しむ暇がなくて、実はウズウズしてたの」

「いまも充分危険な状況なんだろ?」

「さっ、行きましょ!」

「……ああ」

 まったく話を聞いてない、大はしゃぎな玲華に押されながら、俺はその道を先に入った。中にもボタンがあって、玲華がそれを押すと細い扉が閉まった。

 よく出来てんな。

 感心してると外の方から大声が聞こえた。

「玲華を探せ!そんなに遠くには行ってないはずだ!玲華以外は殺しても構わん!」

 毅さんの声。

 俺たちは思わず顔を見合わせる。

「ばれたわね」

「そうだな」

「とりあえず進みましょっか」

「そうだな……」

 玲華も沈静されたみたいに落ち着いた。

 ほんと危機一髪だったんだな。今頃わかる。

 俺は玲華を先頭に細い石畳の道を走り出した。

「それで?聞きたいことが山ほどあるんだけど……」

「もうちょっと待てないの?」

「逃げながら話してくれるんだろ」

「じゃあ何から聞きたい?」

「とりあえずこの展開の説明頼む」

「ちっめんどくさいわね」

 いま舌打ちしたか?おい。

「でもここで内緒にしたら久保田さんと同じね。いいわ、話してあげる。っつっても、あたしたちにも予測を超えた展開の早さだったのよ。計画が狂って困っちゃったわ」

「そうかよ」

 なんだよその言いようは。なんだか脱力する。

「でも人が集まる時間とかあったから助かったわ。その間に打ち合わせしといたの。ちょっと早くなっただけで血のりとか拳銃って用意してあったからさ」

「マジ?」

「そうなの。久保田さんが外出したときに調達してきてたのよ。ここの連中がそういう危ないもの持ってるって知った段階でだって。でもあたしにもずっと内緒にしてたんだから信じられないわ!」

 玲華はなんだか怒りだした。

 俺も全く同じ仕打ちをされたはずなんだけど……。

「そうそう、悠汰にお願いした“あれ”のときに助け出した二人もね、ここにつれてくるようにお願いしてあったの」

 玲華が失速した。

 一人分ほどしか通れないその通路で、俺も自然と止まる。

 変だ、と気づいたからその先を垣間見た。

「玲華様」

 同じ顔、同じスタイルの二人の少女がそこに立っていた。この二人が、俺の小芝居の間に助け出された子たちということか。

 玲華は小走りに駆け寄って、ひっしと一人を抱き締めた。

「良かった。無事だったのね、亜衣ちゃん」

「はい。千石さまに助けていただきました」

「玲華様もご無事で」

「ええ。良かったわ。あなたたちが離れ離れにならなくて」

「麻衣からすべて聞きました。有り難う御座いました玲華様」

「本当に感謝してもしたりません」

「いいのよ。本当に良かった」

 玲華は公平にハグしていた。感動のご対面のようだけど、なにも知らない俺は少し離れて見ているしかない。

 その後、思い出したように玲華は二人を紹介してくれた。

「亜衣ちゃんで、麻衣ちゃん。見分けつく?」

「玲華様……」

 なぜか嬉々として言ってくる玲華に、亜衣と呼ばれた方が脱力していた。

「まあ……なんとなく……」

「ほんとっ?立ち位置入れ替えてテストしてみる?」

「玲華様!そんなお時間ないのではっ?」

 今度は麻衣と呼ばれた方が怒り出していた。この流れの意味が、まったく解らない。

「それもそうね。このままこの敷地から出なくちゃいけないのよ、悠汰」

「そうなのかよ」

 確かにこんなにメチャクチャな状況になったいま、解決策は脱出ということになるのだろう。脱出先を確保しているからこそ、強引にこういう方向に持っていけたというわけだ。

 俺たちはまた先へ急ぐことにした。玲華、俺、麻衣、亜衣の順番だ。

 走ると同時に、玲華は説明の続きをしてくれる。

「で?どこから逃げるって?」

「こういうふうに隠された道がたくさんあるのよ。その中のひとつが外に続いてるの。場所はついてからのお楽しみ」

「あんまり良い展開が期待できないんだけど!」

 最後の一言で悪寒が走る。

 そう言われてついて行って、良かった試しがない。

「いいから先を急ぐ」

 駄目だ。言う気はないようだ。俺は悪寒の正体をすぐ後ろの二人に聞いた。

「おまえら知ってる?」

 すると麻衣は強張った表情を向け、亜衣は少し遅れて必死についてきているところだった。

「あ、あの……」

「なに脅してんのよ」

「どこがだよ。普通に聞いただけだろ」

「この二人、妙にあたしに気を遣ってるのよ。とくに麻衣ちゃん。あたしを差し置いて話してはいけないとか考えてるから、聞いても無駄よ」

「なんだ?それ……」

「わたくしたちはただの使用人ですので」

 澄ました顔でそう返されてしまった。

「使用人でも言っていいと思うけど……」

 俺はぼやきを止められなくて、つい口に出した。

 そのとき視線を上の方に向けていたため、突然立ち止まった玲華に前方不注意でぶつかりかけた。

「あっぶねえ……」

 なんとか体を斜めにして横に立つ。

 文句を言おうと玲華を見ると、彼女は厳しい顔を前に向けていた。

 視線を追うと、その先にT字路のように分かれ道があって、そこに京香が立っていた。

 まだ生気が失われたような表情をしている。

 そしてその隣に、比絽がいた。

 視線を外さないまま玲華が口を開く。

「あのね、久保田さんは加藤さんが誰に操られていたのか言い当てたのよ。それでずっと頑なだった加藤さんは素直に協力してくれたの。京香も捕まってたけどその時に開放したのよ」

 さすが久保田さんだと思う。やることに抜かりがない。

「それで、比絽はどうしてここにいるのかしら?」

 ここに比絽がいるはずない、ということだろうか。

 比絽はなにも言わずに拳銃を取り出した。

 こいつも、持っているのか。

 俺は舌打ちをしながら強引に玲華の前に出た。絶対に玲華を狙わせたりしない。

「その拳銃って、もしかして」

 後ろから玲華が声を発する。

「知ってるの?玲華。そう、稔さんのだよ。ぼくにくれたんだ。それとここの通路も稔さんから聞いた」

「それは、嘘ね」

「ふん。徹底的にぼくのことは信じられないみたいだね。まあ、どうでもいいけど」

 憎々しく比絽は吐き捨てた。

 その手にあるもののせいで、俺たちはその先に進むことが出来ない。

「京香は、どうしたんだ?」

「ああ。こいつ?なんかさっきその辺で拾ったんだよ。ぼくを見るとすごく怯えた顔をするんだ。なんだか面白い玩具(おもちゃ)みたいでさ」

「やめろよ。もうやめてやれよ」

 彼女をこれ以上傷つけなくてもいいだろう。

 京香は比絽のことを好きだったのに。好きだったって俺に言ったのに。

「そう言うなら、きみが助けてあげればいいよ。そうだ、今度は本当にキスしてあげなよ。それで満足して治るんじゃない?こいつアバズレみたいだからさ」

「比絽!」

 感覚が鈍っているからといって、この会話が聞こえてないわけではないはずだ。

 どんなに酷い言葉かってことぐらい、俺にもわかる。

「ほんと、に……?」

 ボソリと玲華が呟いた。

 そういえば、玲華にもあの写真見られてるんだった。そしてこの反応はやっぱり誤解されてるみたいだ。

 だけど俺は後ろを振り向く余裕はなかった。

 まずはあの拳銃をなんとかしないといけない。

「どきなよ、悠汰くん。ぼくの狙いは玲華だ。このままだときみも死ぬよ」

「そんな脅しに屈するかよ」

 いまさら、俺が自分の命を玲華より優先することはあり得ない。捕らえられたとき、すぐに死んでもおかしくなかったんだ。それがなくてもあり得なかった。

「どいて悠汰」

 だけど玲華もそんなことを言う。いつも俺たちは譲り合ってばかりだ。玲華がもっと弱くて、助けてって毎度言ってくるタイプなら良かったのに。

「いやだ」

 比絽を睨みつけたまま、俺は断る。

 だけど、きっとこんな玲華だから俺は好きになったんだ。

 それなのに。

 いきなり膝がガクンと折れた。玲華が俺の膝関節の裏を、自分の膝でしゃがむようにして押したんだと後からわかった。

(てめえ……)

 その隙に玲華が俺より前に出る。

「玲華!」

「あたしを撃てばいいわ!」

 制止する俺の声と、玲華がそう言って両手を広げるのが同時になった。

「美しい愛情劇だね。反吐が出るよ!」

 俺がまた玲華の前に出ないと、って思った瞬間。

 先ほどフロアでも聞いた乾いた音が、この狭い空間に反響した。

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