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第三章 ・・・ 2

 久保田さんと一緒に、南東の塔に入った。

 稔叔父様の部屋に行ってから、なぜかこの界隈にも来ることを拒まれなくなっているんだ、と久保田さんは言った。しかし最上階の毅叔父様たちがいる部屋にだけは、まださすがに通してくれないんだとか。

 あたしたちは瑞穂のいる三階で廊下に出た。

 確かにずっとガードマンがあたしたちの行く先を見守っている。

「無言ではいるが、最上階まで登ると制止をかけてくるんだぜ」

 こっそり教えてくれる。きっと体験済みなんだろう。

「どれだけ陰湿なんだここは。きらびやかな外装と反比例してやがる」

 ウンザリ感たっぷりで久保田さんは皮肉った。

 同感といえてしまうところが悲しい。あたしだってここに住んでいたのに、そのあたしの目の前でも言うってところが久保田さんらしいけれど。

 あたしたちは瑞穂の部屋の前までいくと、久保田さんが扉をノックした。

 しばらくして暗い表情の彼女が出てきた。瑞穂一人に与えられた部屋だ。清志郎伯父様とはいまは別々にいる。

「またアナタですか。言ったはずです。もうわたしに話すことはないと……」

 聞こえ辛いボソボソとした声で拒絶する。

「いえそれがですね。今度は別のことを伺おうと思いまして。オマケもついてきてるんですが」

 誰がオマケよ!と思うまえに、妙に愛想のよい久保田さんに唖然とした。こういう対応も出来るんだ。

(それはそうよね……)

 依頼主全員にあの偉そうな態度じゃ、誰も寄り付かなくなる。

 一応コミュニケーションはとれるわけだ。

 まあ瑞穂みたいな人には冗談とか通じないから注意が必要なのだろう。

「なんのこと?……あ、玲華」

 実は死角に隠れていたあたしは、ひょっこり扉越しに顔を出した。

 やほーと手を振る横で、さっさと久保田さんは進行する。

「幸祐くんがお金に困っていたと伺いまして」

「!」

 はっきりと、瑞穂嬢の顔が驚愕の色を滲ませた。それをあたしは見逃さない。

 やはりか、と思った。少なくても彼女はその事実を知っている。

「どうぞお入りください」

 またぼそぼそと彼女は呟いた。こもっていて変化がわかり辛い。だけどあの咄嗟の表情が答えだ。

 あたしたちは初めて室内に入らさせてもらった。

 意外とシンプルだった。だけど節々にピンク色のカーテンだったりテーブルクロスだったりが目立つ。女性特有の部屋。中には誰もいない。使用人がいなかった。

「あなたにはいないんですね。付き人みたいな人」

「わたしは、独りが好きだから……」

 久保田さんの率直な疑問に、一言だけで説明した。

 実は使用人の数は権威の象徴だけではない。あくまで使用者の都合がついてまわる。

「どうしたの?玲華までわざわざ来て」

 彼女は俯いたまま震えていた。今にも泣き出しそうだ。

 あたしたちはここにくる間、ちょっとした打合せをしていた。久保田さんが主に進め、あたしはついてくるだけだと。

「うん。あたしも瑞穂に会いたかったから」

 だからなるべく軽く答える。

「まずはこれを見ていただけますか?」

 久保田さんは先ほどプリントアウトした、A4の用紙をテーブルの上に置いた。

 また、彼女は目を瞠った。それが何か瞬時に気づいたようだった。

「彼はかなりの回数で、このヤマダさんにお金を渡していたようですね。貴女は何かご存知ですか?」

 彼女は逡巡させるように視線を動かすだけで、すぐには答えない。

「わ、わたしからは……」

 彼女は躊躇っていた。これはやはり口止めをされているんだろうと感じた。

「心配無用です。もちろんあなたから聞いたことは言いませんので」

 久保田さんはじっと彼女の次の言葉を待った。急かしたり促したりしない。

 やがて瑞穂は顔を上げた。

「わかりました……。お話しします」

 あたしは彼女の決断に一瞬胸が高鳴る。ひとつ、先に進める。

「確かに幸ちゃんは毅様に怒られて、お金を取り上げられていました。でももちろんバイトなんて出来ないって言ったので、少しわたしもお金を貸してました」

 隣で久保田さんが僅かに嫌な顔をした。

 しろよ、バイトくらいとか思っていそうだ。あたしからしたら、幸祐が地道に働く姿は想像できない。

「失礼ですが、おいくらぐらいですか?」

「一千万円くらいです。お父様に習い事したいとか嘘ついて……」

「……」

 額を聞いて久保田さんが不自然に黙った。

 あたしにはどこで引っ掛かったのかわからない。

「では、この日にこの口座に振り込まれてるのがあなたから?」

 開設して一番最初に振り込まれてる額が一千万円だったのだ。

 彼女は無言で頷いた。ハンカチを手にし、時折鼻をすすっている。

 幸祐の話だけで泣けてしまうのだろうか。

「そのあとの、この三百万円もわたしです」

「そうですか。彼はギャンブルとかに興味があったんでしょうか?この減り方は普通ではないと思うんですが」

「ギャンブルは一時期遊んでいたみたいだけど、飽きっぽいから、のめり込むまではいかなくて……。実は、そのお金は…………」

 また、ここで一旦黙る。ものすごく言いにくそうに顔を歪めた。

「大丈夫ですよ。誰にも言いません」

 瑞穂はなにか言いたそうな顔をあたしに向けた。それに安心感を与えるようにあたしも微笑む。

 何に使われたのかは、はっきりさせないといかない。

「……はい。……あの、薬物です」

 元々小さめな声がさらに聞き取りにくくなる。だけどその一言で充分だった。

「まさか、それを知って口座を凍結させたのか……彼の父親は」

「そう、だと思います。毅様にばれたと言っていましたから……」

 彼女は顔面蒼白にして言った。

「止めようと……したんです。いけないことだってわかるから。でも彼は飽きっぽいから、こんなのいつでもやめられるって……」

「やめれてなかったじゃないですか。実際君に借金までして!」

 つい、という感じで久保田さんは感情をぶつけた。あたしは突然変異したその態度に驚く。

 瑞穂もビクリと震えた。それからハンカチで目元を押さえながら、そうですね、と呟いた。

 亡くなってしまった人にいくら嘆いても、責めても、すべてはなににもならない。無だ。

 ――すべての報いがこれからくるってときに幸祐は死ねた。

 稔叔父様はあたしにそう語った。

 それがこのことに該当するなら、稔叔父様も知っていたことになる。

「稔さんも幸祐くんにお金を渡していましたね?」

「はい。稔様は薄々感づいていたんじゃないかと思います」

「ということは、とくに幸祐くんから言ったわけではないということですか?」

「はい。幸ちゃんはわたしにだけに話してくれたと思うので……」

 あたしは杏里の言葉を思い出していた。この目の前の女性には妄想癖があると。

「実は杏里さんにお話を伺ったときに、彼女があなたの部屋に行ったのは、別れ話をするためだとおっしゃいました。どちらが本当ですか?」

 久保田さんもあたしと同じ想いのようだ。追求したいところが先ほどから被る。

 ここもはっきりさせないといけないところだった。妄想ですべて虚言であった場合、この証言も怪しくなる。

「杏里が、そんなことを?」

 また瑞穂は震えた。今度は小刻みだった。

 それから考え込むように黙りこくる。

 あたしはひとつとして、仕種や表情を見落とさないようにただ見つめた。

「杏里はわたしを嵌めようとしているのよ」

「なぜ?」

「わたしが邪魔だから。自分から疑惑の目を逸らすためよ!恐ろしい女なのよっ」

 とうとう声を上げて泣き出してしまった。

(うーん……)

 これが演技ならアカデミー賞をとれそうな勢いだ。ただ、もしも妄想で思い込んでいる場合、彼女にとってはそれが真実となる。

 結果、わからないという結論に至った。

「実際にはどういう会話をしてたの?」

 あたしは我慢の限界がきて口を挟んだ。

「会話なんて……。早口で怒鳴り込んできたから、殆ど聞こえなかったけど。……確か、そう。こんな関係のまま終わりになんてさせないって言ってたわ。幸ちゃんが決断しないなら殺してあたしも死ぬって」

 人は嘘をつくとき、無意識に右上を見る。そして過去のことを思い出そうとするときには、左上を見ると聞いたことがある。疑似科学で根拠は明確ではないらしいのだが。

 瑞穂はまさにこのとき、一瞬ではあったが左上に眼球を動かした。

(本当かもしれないわ……)

 瑞穂は嘘は言っていない。

 しかし。

「もしかして彼女にも借金してたのかしら?だから返して貰えないと終われないっていう意味だったのかも……」

 それなら一見相違をみせた二人の証言も辻褄が合ってくる。杏里自身、お金が返ってこないとピンチな状況だったのかもしれない。

「可能性はあるな」

 久保田さんも頷いた。

「まさか……幸ちゃんがわたしに嘘を?」

「そうと決まったわけじゃないわ。事情を話さずに、お金だけ借りたのかもしれないでしょ?」

 なんとか言い繕ったけれど、瑞穂だけに薬物のことを打ち明けたとは思えなかった。杏里の性格ならうやむやなままで貸したりしなさそうだし。

 なにより幸祐は関わりのある人が多いし、ストイックに黙っているタイプじゃない。

(あくまであたしのイメージだけどね)

 昔から自慢話が多かった。そんなに人は変われないだろう。

「ところで、なぜずっと黙秘をされていたのに、いまは教えていただけたんでしょうか?」

 まだ愛想よくしている久保田さんが話を戻した。

 っていうか、この人笑っているけれどピリピリしたものが、ヒシヒシと伝わってくる。

(うわっ気にしていたのか……)

 宣言通り、あたしがきてから瑞穂の態度が変わったから。

 それが瑞穂にも感知されたのか、またも言いよどんだ。

「あの……それは……」

「誰かに口止めされたのでしょう?」

「いえ、あの」

「それは誰です?」

「……怖かったから」

「はい?」

「あなたが恐かったんです!」

 どんどん前のめりになる久保田さんに対して、じりじり避けるように体を反っていた瑞穂がとうとう叫んだ。叫ぶと言っても、それが普通の人ぐらいの声量ではあったのだが。

 答えを聞いて久保田さんが固まった。

(はああああ)

 それが理由か。ちょっと大袈裟に考えすぎていたみたいだ。

 確かに久保田さんって高圧的なところあるし。

 あたしが慰める意味を込めて肩をポンと叩いたら、思い切り睨まれた。

 だからそれがいけないんだっていうのに……。


   * * *


 その後、とくになんの収穫もないまま瑞穂の部屋を出た。

「オレのどこか怖いんだよ……。あんなに愛想よくしてたのに」

 まだ久保田さんにダメージは残されているようだ。

 普段ならともかく、気遣いをしまくった相手に、そんな思われ方をしたら落ち込む気持ちもわからなくもない。

「まあまあ、瑞穂は知らない男性と二人きりで話すというだけで怖いのよ。久保田さんが悪いんじゃないわ」

 もっとしっかり瑞穂の性格を考慮しておくべきだった。しかしこれでなんの策略も絡んでいなかったことがわかったのだから、良しとしたい。

 いくらあたしが宥めても、久保田さんの気持ちは晴れないらしい。納得いかない顔をしていた。

 だから歩く間そっとしておいた。そのまま杏里の部屋を訪れる。

 久保田さんはこのルートは三度目だと言った。

 過去二回、会う前に使用人にシャットアウトされて終わっているらしい。

 杏里は瑞穂のような性質は持ち合わせていない。だから別の理由があるはずだ。

 また久保田さんがノックする。

 すると三十代くらいの男性が出てきた。久保田さんの顔を見て、無表情なものが迷惑そうに歪んだ。

「またあなたですか?」

「ええ。またです」

 無駄に、どちらかといえば自棄になってるくらいの笑みを久保田さんは作っていた。

「何度来られてもお嬢様はお会いになりません」

 淀みなくスラスラ話す。厭味なほど。

「今度は別のことが聞きたいんですけど。これです」

 シャットアウトされる前に、とでも思っているのか、急ぎ目に同じ用紙を掲げた。

 隠すことなくウンザリして、使用人はお待ちくださいと言って中に入る。数十秒待たされて、再び顔を出した。

「やはりお会いできません。お帰りください」

「はあっ?ちょっ!」

 言うや否や扉は閉められた。遠慮なく。思いっきり抵抗感なしで。

「久保田さん……」

 あたしも少し呆然としてしまう。

(まずいわ)

 見られるだけ見られて拒絶とは。一番心配していた事態になってしまった。

 これではますます警戒されてしまう畏れがある。

 ノックを繰り返す久保田さんの横で、あたしも声を上げた。

 せめて話だけでも聞いてもらわないと。

「少しでいいの!お願いします!話を聞いて」

 すると、三度(みたび)使用人が出てきた。

 期待した顔を向けたけれど、そのまま後ろ手に扉を閉めてあたしたちの前に立ちはだかる。

「これ以上騒ぐと人を呼びますよ」

 そう言われてしまっては、引くしかなかった。いまは目立つ行動がなにより危険だから。いつどこで誰に聞かれているのかわからない。

 久保田さんも同じ考えだったようだ。軽く頷いて離れた。

「あれは相当なものね」

「おまえがいても駄目だったか……」

 久保田さんは深い息を吐き出した。

 確かにこれでは立つ瀬がない。

「これは怪しいわね。誰かに口止めされているか、もしくは杏里自身に疚しいことがあるか」

「なんにせよ、強行的に行けないのは辛いな」

 渋い表情のままだスタスタ歩き階段を降りていく。この客室の多い界隈からあたしの部屋に行くのなら、このまま廊下を歩くか、階段を登らなければならない。

 方向が違う。

「どこ行くの?」

「加藤のところだ。いい機会だからおまえの意見も聞きたい」

 あたしは思わず片手で口元を覆った。

(珍しいわ……)

 そんなことを久保田さんが言うなんて。

 本当に、どういった気持ちの変化だろうか。あたしの身の安全を通り越し、よもや意見まで受け付けてくれるとは。

「ようやくわかった?あたしの力量」

 ちょっと嬉しくなって、開きかけた久保田さんとの距離分、跳ぶように走って行く。

「うるせえ」

 ぼやきの続きのように久保田さんは呟く。それでもからかうような、媚を売るようなものは一切感じない。

「まあ、でも。おまえがすげえ精神力で切り抜けていて偉いってことはわかった」

「どうしたの?悠汰の熱が移ったの?」

「あ、もう一生褒めてやらん」

 前面的に意外だという反応を示すと、久保田さんはとうとう怒ってしまった。

(だってさー……)

 充分意外だったのだ。高評価をくれることが滅多にないから。

 この人も偏見の目で見ない人だ。悠汰のようにわかりやすくないし、呼び方がお嬢とかだからすぐには気づかなかった。

 あたしたちは一階まで降り、ホールの横を突っ切り地下室の方まできた。

 それでもずっと廊下を歩いていると、暗くごちゃごちゃした模様の壁に覆われていく。

 知らずに通れば見逃してしまいそうな細い曲がり角。

 すべての部屋から遠ざかったそこを曲がると、地下への細い階段が見えてくる。壁と同じ模様。

 僅かに螺旋を描いて降りていく。

 そこは先ほどのホールと反比例するぐらい光が届いてなかった。わざと暗い照明にしてあるのだろう。数あるうちのひとつの部屋に彼はいた。鉄格子の向かい側で目を閉じて瞑想をしているみたいだった。

「また来たのか」

「おまえの挨拶はそれしかないのか」

 あたしたちの足音で気配を感じ、久保田さんを見るなり加藤さんは呆れた表情を浮かべた。そして隣にいたあたしの姿を見て一瞬止まる。

「驚いた……。まさか貴女がこのようなところまで来られるとは……」

「あたしも驚いたわ。ずいぶん久保田さんと打ち解けていたのね」

 護衛として近くにいたときには、こんなに表情の変化を目にすることはなかった。前田さんたちのように自分というものを、奥に潜めていたんだと思う。

 千石さんの場合は元からあんな性格っぽいけど。

「いえ、この者が毎日のように来るもので。私は逃げ場もないので仕方なく……」

「おまえな、そういう言い方ないだろう」

「本当のことだ。言っておくがもう話すことは何もないぞ」

 なるほど。久保田さんに聞いていた通りの人だ。

 こんなところに閉じ込められているというのに、まったく心が弱まってない。少しぐらい鬱積するものがあってもいいと思うのだが。

 久保田さんは鉄格子の前に座り込んだ。あたしもその隣に、スカートが地につかないようにしゃがむ。

 ここは暖房がきていない。薄い部屋着ほどのワンピースだけでは寒かった。

「いいからこれ見てくれ」

 前例通り、久保田さんは幸祐の口座を見せる。しかし加藤さんの反応に変化はない。

「これは?」

「幸祐の隠し口座だ。ここ半年で動きが凄まじいだろ」

「幸祐様が……」

 そして眉をしかめる。

 これは知らないとみて間違いないだろうと直感で思った。

「信じられないって顔だな。何に引っ掛かってる?」

 久保田さんが真面目に尋ねると、加藤さんも真面目に答えた。

「幸祐様が毅様の陰に隠れてこんなに大胆になれるものかと……」

「正直者だな、おまえ。まあ、そこは同感だ。だからオレは稔氏が力を貸したんじゃないかと思ってる」

「あり得る話ではあるが……」

 喋りながら久保田さんは周囲を見渡した。それにあわせて加藤さんも黙る。

 警戒してるような素振りだった。おそらくそれは、以前のように稔叔父様に突然登場されることがあっては大変だからだろう。

 あのあと久保田さんはあたしに教えてくれたことがあった。

 確認したところ、この付近にも盗聴器があったんだそうだ。タイミングよく現れた稔叔父様は聴いていたと思われる。設置した本人かどうかは置いとくとしても。

 そして他にも無いかと思い、発見器を持って館内をうろうろしていたら、廊下にある監視カメラ並みに等間隔に見つかったと言っていた。

 なんと、久保田さんはすべてを取り外したそうだ。聴かれて都合悪いところだけ外せば良かったのに、というと、誰が取り除いたのかが明確になるだろうがと、偉そうに言っていた。

「ところで加藤。面白い話を聞いたんだが……」

「なんだ?いちいちもったいぶるな」

「幸祐はクスリに手を出していた、という噂を聞いた。知っているか?」

「…………」

 じっと射るように久保田さんを見てから、ゆっくり息を吐き出した。何かを知っている仕種だと判断した。

「知っているんだな?」

「とうとう、そこにたどり着いたか……」

経緯(いきさつ)を話してもらえるか」

「悪いが俺は詳しくは知らない。ただこの相続の話が出る少し前に、幸祐様がひどく震えておられたことがある。そのお姿をみてもしやと、勘ぐっていただけだ」

「禁断症状か……」

「ああ。昔知り合いが同じような過ちを犯してな。そのときの症状に酷似していた」

 最後の方は入金が少なくなっていた。女性から貢がせたお金は、クスリのため以外にもあったようだ。金銭感覚なんてないに等しい。

 それでもう、借りる当てがなくなっていったのかもしれない。

「どうして毅叔父様は、気づいていて止めなかったのかしら?」

 あたしはそこが知りたくて、加藤さんに聞いてみた。

 口座を凍結させるようなやり方ではなくて、もっと本質的に。

「……毅様は、止めたくても止められなかったのかもしれません」

 加藤さんも深刻に考え込むように呟いた。それに久保田さんが反応する。

「なぜそう思う?」

「不器用なお方なのだ」

 どこか控え目に、加藤さんは一言だけで答えた。

 不器用かどうかはともかく、人として冷めているのは確かだろう。今回の件では怒っていることが多いが、普段の姿は淡白だ。主観的な感情によって、己が左右されるような人じゃない。

「それはあなたが感じたイメージ?それとも、感情移入した果ての言葉?」

「……見ていて、感じたことです」

 加藤さんは気まずそうに目を伏せた。

 関わりがなければ不器用な人なんて出てこない。一歩先に入ってようやく毅叔父様のことが理解できるというものだ。

 あたしが尋ねた後者部分が該当するなら、やはり加藤さんは毅叔父様に付いていたと判断できたのだ。

 直感で思っただけなら、人を見る目があるということで終われたのだけれど……。

 この態度と回答には、どちらとして受け取るべきか迷われた。

(もしかしたら)

 あたしたちに、少しずつではあるが協力的になろうとしてくれているのかもしれない。しかし最終的なところをあかさないのは、この人が忠実に主人に尽くす人だからだ。ただ、人伝で聞いただけの判断ではないと思われた。

 久保田さんが手こずった意味がよくわかった。


   * * *


 あたしたちは加藤さんと別れて、一階上の一室に来ていた。

 そう殺害現場だ。

 こちらは下と違ってトイレだけでなくシャワーも付いている。それ以外は死角がないようたった一部屋だ。十一畳くらいあり、ベッド以外にもソファなどあり、暖房器具、照明、どれをとっても普通に暮らす分には不便なところはない。ただ出られないということと、プライバシーが護られないということだけだ。

(それが一番嫌だわ)

 しかしだからこそ、誰でもここに来れば殺害できたということになる。

 幸祐は背中を鉄格子に預けて死んでいた。後ろから絞められたと思うのが妥当だろう。少なくとも幸祐が柵越しにでも近づいていく人物。警戒している相手なら不可能だったということだ。

 鍵はひとつきりで、あたしたちが持っている。死体が発見された後は開いたままだ。

「なにか怪しいものとか、手がかりになるようなもの落ちてなかったの?」

 久保田さんに尋ねながらも、あたしは中に入り目を皿にして床を見渡した。

 あればとっくに久保田さんが見つけてるだろうとは思うのだが、自分でも見なければ気がすまない。

 といってもあれから何日も経っているのだから、なにかあっても証拠隠滅の時間はたっぷりあった。

「ない。発見直後から遺体回収までは、毅氏と椿原氏が中心となってこの場を仕切っていたからな。それまでに調べられたら良かったんだが」

 そう。あたしたちはあまり近づかせてもらえなかった。ここの鍵を中立である椿原さんに預け、開けたらすぐに返してもらった。ただ、それだけだった。

 第一発見者は給仕役の使用人だ。朝食を持ってきたときに悲鳴を上げていて、その声に皆が駆けつけたのだ。あたしたちが来るころには、十人以上がすでにいた。

 不審な流れはまったくない。

 この数日で知れた事実がそのときにあれば、あたしは瑞穂や杏里、そして葉子といった女性人の表情をまず注視したと思う。

(思い出せないわ……)

 大人たちの迷惑そうな顔しか、出てこない。

「なあ、加藤だが……どう思った?」

 まだ中を観察していたあたしに、柵にもたれかかったままの久保田さんが尋ねた。

 これは、本気で意見を聞きたいようだ。

「なにをあたしに期待してるの?」

 うすうす気づいていた。久保田さんがなにを言わせたいのか。

「いや……あいつ、危険な奴だと思うか?」

「言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ」

 あたしが鋭く言い放つと、久保田さんはため息をついた。

「おまえ言っただろう。ここへ入れる条件は再犯の可能性のある者と、財産を狙う者。後者は加藤は該当しない。本来そこに狙いを置いていないわけだからな」

「解放してほしいっていうこと?」

「さっき、ここから出してやろうかって言ってみたんだ。いま自由の身になったら再びおまえのことを裏切るのかと……」

 余程、味方に引き込みたいと思っているようだ。もしくは助けたいのか。

「それで加藤さんはなんて?」

「いきなりどうした?と目を丸くされた。それから、また裏切ったらどうする気だと、妙な気を起こすのはやめておけと言われた。オレは不思議でならない。ただ忠実に動く、単なる護衛には見えないんだ。しっかり自分を持っているから。それなのにこうまで納まってしまうのはなぜだと思う?」

 久保田さんはソファまで移動して勝手に座った。

 あまりここがどういうところか気にしていないようだ。あたしからしてみればただの牢屋で殺害現場だ。長居する気も起きなければ、そこの家具を使用するなんて考えられない。

「ここから出たくないのかと聞いたが、ここにいるのが似合いだと返された。自分は自由になどなってはいけないと言っているように感じた。どこか翳った表情をみせるあいつに、話をきいてやりたいと思ったんだ」

 そういう衝動が湧いてくるのは、ただのおせっかいか、それとも職業病なのか……。

 あたしはまだ話してなかった事実を告げた。

「彼らはここがスポンサーとして出資しているスポーツ団体から、引き抜いてこられたのよ。でも怪我かなにかで、その競技では使いものにならなくなった者たちだと、前田さんが言っていたわ。その中で身体能力がもともと高かった者をお祖父様が選び、護衛として育てたんだって。だから元々は仕えるタイプじゃない人がいてもおかしくはないわ」

「そうか……」

 加藤さんが危険な人だとは、あたしも思えない。だが再犯しないかどうかは別問題だ。同じ人物に命令されてしまえばそれまでだろうから。

「久保田さんの判断に任せるわ」

 あたしよりもずいぶん仲良くなったみたいだし。洞察力は信じられる。

「その言葉、忘れんなよ」

「やっぱ偉そう……」

 ここだけは治らないわね。でもこういう態度に出られて、ホッとなっている自分がいた。

 いつも通りの久保田さんだから。

 彼は立ち上がり、あたしたちはこの場から出て行くことにした。

 階段を上がるときに、ふと久保田さんがあたしに近づきこっそり耳元で囁いた。

「誰かつけてきている」

「えっ……」

「振り返るな」

 まさに後方を確認しようとしたあたしは、その言葉でなんとか耐えた。

 このタイミングでつけられるなんて。

(盗聴器は全部、取り除いたんじゃなかったの?)

 監視カメラを見てということだろうか。それならば中立と銘打っていた監視システムチームも怪しくなる。

 中立だからこそ、久保田さんがこれまで何回行っても、殺害時のカメラを見せてはくれなかった。もちろん交渉には行ったのだけれど「映っていませんでした」とだけ言われたそうだ。本当かどうかはともかく。

「いいか。階段を上がりきって角を曲がったら走るぞ」

 緊迫した声のまま、そう指導する。目だけであたしは了承した。

 そしてその通り角を曲がり二人揃って走り出す。長い廊下に出たときに、隣で久保田さんが後ろを向いた。

 後から聞いたのだけれど、黒いフードを被った男が見えたそうだ。顔までは見えなくて、久保田さんに見られたその男は追うのをやめたと言っていた。

「おまえを怖がらせるのが目的だったのかもしれないな」

 それぐらい危険なものは感じなかったそうだ。

 ただ不気味ではある。常に見張られている感じがする。あたしが動けば気づく者がいるのだ。

 あたしたちは部屋に戻った後、念入りに隠しカメラや盗聴器がないか調べたけれど、今回は見つからなかった。

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