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第三章 ・・・ 1

 瑞穂はあたしのなかでは大人しいタイプの女性だった。

 外で遊んでいるあたしたちに近づこうともせず、ただ一人、部屋にこもって読書をしているような少女時代。何度かその部屋に強引に押し入ったことがあったけど、その頃から難しい本を読んでいた。

 強引に誘っても一緒に遊ばないし、姉弟(きょうだい)ともそこまで仲良くないから、彼女はほとんど独りでいた。

 あたしだけでなく、誰とも関わりを持とうとしていなかったのだ。

 だからあたしはすごく驚いている。

 このタイミングで、このように振り乱した彼女が現れたことを。

 念のため、武器とよべるものを所持してないかあたしがチェックしたところ、最初に振りかざしてたという小さいナイフだけだった。

 その後瑞穂をソファに座らせた頃には、彼女も何とか落ち着きを取り戻していた。

 だからなのかもしれないけれど、彼女から発せられる言葉は何も無い。ずっと俯いて膝の上で掌をきつく握り締めている。

「あたしに用があったのよね?」

 仕方なくあたしから促したら、ビクリと肩を震わせて……泣き出してしまった。

 座らず遠巻きに傍観していた久保田さんが、目で合図をしてきた。なに泣かせてんだよ、早く本筋に入れ、と言いたいみたいだ。

 強引にこういう形をとってまだ怒っているのだろうか。

「瑞穂。あなたがここに来たのは幸祐のこと?」

 身を乗り出して確認する。

 すると瑞穂はポケットからハンカチを取り出して涙を拭った。それから暫くして、頷く。

 それまでの時間、三分くらい。

 あたしはようやく、はーと長い息を吐いた。息が詰まるかと思った。

 こういう女性は扱いに困る。京香みたいにガンガン来てくれたら、こちらも手加減なしでいけるのだけれど。

「まさか瑞穂が幸祐と付き合ってたとわね」

 あたしと同じで義理の従姉弟(いとこ)になるわけだから、まだ許される範囲か。

 そして瑞穂は頷いたきり、また黙り込んだ。

「もしかして瑞穂もあたしが幸祐を殺したと思ってるの?それで許せなくてここへ来たってこと?」

 ひとつの仮説のもと、またあたしから促す。もしそれならば瑞穂は犯人ではないということになるけれど。

「わ、わたし……もう、どうしたらいいかわからなくて……」

 消え入りそうな声で瑞穂はそう呟いた。肯定でも否定でもない。

 あたしはソファから移動して瑞穂の足元にしゃがんだ。覗き込むように下から彼女を見る。

「どうしたの?一から話してくれる?」

「幸ちゃんが、わたし以外の人と付き合っているのは、知ってたの。わたしが遊びのほうだっていうこともちゃんと。……でも幸ちゃんはわたしといるときが一番落ち着くって言ってくれて……」

「…………」

 ええと。この部分は聞かないといけないところなんだろうか。

「だからわたし許せなくて……幸ちゃんを奪った犯人が」

「そうなの……」

 ちゃんと悲しんでくれている人、いるじゃない。

 無慈悲な大勢に隠れた端の方にでも、ちゃんといるのよね。幸祐にも哀悼する人が。

「でもあたしは犯人じゃないわ」

「そう、よね。うん、わかってるつもりだったんだけど……」

 自認するように瑞穂は頷いた。

杏里(あんり)が言うの。わたしのところに来る前に玲華をなんとかするべきだって」

「杏里?」

 意外な名前が出てあたしは反問した。

 全部で二十家ある分家の中のひとつ。松倉(まつくら)家の長女で二十歳。今は親とこの洋館に住んでいるはずだ。

「わたしは杏里が怪しいと思うの。幸ちゃんは杏里とちょっとだけ遊んでやったら、それから凄くつきまとわれるようになって困ってるって。わたしに話してくれたことがあったから」

「ちょ、ちょっと待って。幸祐は杏里とも関係があったの」

 杏里はどちらかといえば勝気な女だ。

(タイプが両極端)

 いや、ああいう人にタイプとか聞くのは愚問なのだろうか。

 しかしあまりに見境がないというか……呆れる。

「杏里の部屋に何度も話を聞きに行ったわ。一番最近まで付き合いがあったのはわたしと杏里だから。わたしじゃないなら杏里しかいないって……」

「それで杏里はなんて?」

 静かに瑞穂は首を横に振った。

「否定してる。それからあたしに聞くぐらいなら玲華をなんとかしなさいって。玲華が幸ちゃんを殺したのよって……。それでわたし、最初はそんなはずないって思ってたけど、ずっと言われているうちにそうかもしれないって思うようになって……。杏里がなんにも言わないなら玲華からって」

 また、瑞穂は泣き出した。

 何度もごめんなさいと繰り返している。

「もう違うって思ってくれてるってこと?」

 その態度からあたしはそう受け取った。瑞穂からは嫌悪の情が感じなかったのだ。いままでの人たちから感じ取った負の感情は。

 それならばあたしもそういうものを抱いたりしない。

「家系図、見たから……」

 ああそっか、とあたしは思った。

 今はソファの隣に退けているけれど、あたしたちが広げていた家系図には、いろいろ書き込みがしてあったのだ。幸祐の名前に赤丸印と、該当しないだろうという人にはバツ印が。

 そういうのを見て、あたしたちが何を話し合っていたのか、彼女は読み取ったのだろう。

 賢い女性だと思う。伊達に難しい本を読んでいるわけではないのだ。

「だったら別に杏里が怪しい行動をしてたとか、そういうのは見てないのよね?」

 念を押してあたしは確認する。

「当日は見てないけど、ただ……すごく大喧嘩してたから」

「いつ?」

「幸ちゃんが玲華の部屋を訪れた前の日よ。わたしの部屋に幸ちゃんが来てたときに、杏里が乗り込んできて……。そこで杏里が、幸ちゃんを殺してあたしも死んでやるって」

 修羅場だ。恐ろしい。

 本当にあるのね、そういう話。

 つい、自分に置き換えてしまった。

 あの写真。京香に対して何の嫉妬もないかと聞かれれば、それは否定は出来ないから。怒鳴り込むようなことはしないでおこうと、固く心に誓った。

「わたしはオロオロしていただけだったんだけど、何とか幸ちゃんが(なだ)めて一応その場は収まったの」

「そうだったの」

 本当に、瑞穂には悪いけどとんでもない男だ。でもそういう人を選んだのは瑞穂で、そこは当人にも前程として責任はある。

「しょうがないわね、こればっかりは」

 理屈でなんとかなるくらいなら初めから恋愛なんてしない。

 あたしが感慨深く思っていたら、瑞穂はジッとあたしを見つめて言った。

「わたしも、牢屋に閉じ込められるの?」

 何か誤解をされているのかもしれない。あたしは思わずため息が出た。

「あのね、あたしが地下に送っていた人って、二つのことに該当する場合なのよ。ひとつは財産絡みの奇襲であること。これは瑞穂には該当しないでしょう?それからもうひとつは、そのまま返したら再度襲ってくる可能性がある場合よ。これはあなたはどうかしら?」

 なるべく解りやすく優しく尋ねた。すると再び瑞穂は首を横に振る。

「そうでしょ?」

「変わらないのね、玲華は……」

 目を伏せながら瑞穂が言う。

「昔から、お父様にあなたたちとは遊ぶなときつく言われていたの。いつも憧れながらあなたたちを見ていたわ。ずっと玲華が羨ましかった。だから……見てたから、わたしは知ってる。今も玲華はあの頃とちっとも変わってないって」

「知らなかったわ。だから独りでいたのね」

 少し茫然とあたしは呟いた。

 そんな事情があったのか。まったく思いもよらないことだった。

 法律に定められた生粋の血筋の家族と、元が内縁から発生したここにいる家族と、そこには見えない壁がしっかりと存在する。

 扶佐子様から産まれたこちら側の人間は、どこか内縁出身者を見下しているところがあった。そして逆に内縁からの人たちは、こちら側に媚を売るか攻撃的な態度を取る。不安定な立場にあるのだ。

 くだらない、とあたしなんかは思うけど、きっとあたしがそんなことを言ったって、あちら側の人には嫉妬の対象でしかないんだ。

 清志郎伯父様があたしに言いたいこともきっとそれで。京香もそれであたしを憎んでる。

 瑞穂は純粋に憧れていてくれたのだ。まだ好意的だ。

「ありがとう瑞穂」

「えっ?」

 だからお礼を言いたくなって、素直に口にしたけど、瑞穂はなぜお礼を言われたのか解らない顔をした。

「じゃあ、大変だったわね。幸祐と付き合うのも」

 幸祐もこちら側の人間だから。

 清志郎伯父様にばれたら大変なことになっただろう。

「隠していたから……。幸ちゃんはほんとうに酷い人だったけど、わたしの存在を認めてくれた初めての人だった。だからこの関係は守りたかった」

 そう言うと、また瑞穂は泣いた。

 賢いけれど、感情の面では不器用なのかもしれない、と思った。

 不器用で、純粋な人。

 あたしはそういう人に弱いのかもしれない。やっぱり幸祐は許せないけど、絶対に犯人は見つけなければいけないと思った。


   * * *


 杏里に話を聞きたい。

 当然のようにあたしがそう言ったら、当然のように久保田さんは反対した。

「どうしてよ!女性同士の会話よ!あたしが適任だと思うわ」

「だからな、おまえ突っ込みすぎなんだよ。最初はオレに任せてただろうが、どうしたんだよ」

 どうした?

 確かにあたしはおかしいのかもしれない。

 もしかしたら無意識に、自分を見失っているのかも知れない。

(焦ってる?)

 多分それは悠汰の侵入を目撃してから。彼が怪我をしたのを見てからだ。

 早く終わらせて帰らなければならないから。

「杏里の話を聞き出せたのはあたしがいたからよ。だからあたしが聞きに行く」

「おまえ……」

 なぜか久保田さんは詰まった。もしかしたらとうとう呆れられたのかもしれない。

 それでも、本来のあたしは自分でやらなきゃ気がすまないところがある。

 麻痺、してる。

 ずっと同じ状態が続いていて、危機感が麻痺しているのかもしれない。

「杏里様にもお付きの方が数名いらっしゃいます。我々も皆で訪問すれば良いのではないですか?」

 また、千石さんが仲介した。

 それはそうなんだけどさ……。警戒されたら終わりなのよ。

「あまり大所帯で行っても仕方ないだろう」

 ここだけは久保田さんと一致して、あたしは結局久保田さんと二人で行くことにした。

 まだ納得できないのか、ブツクサ隣でぼやいてるけど。

 無視してあたしはさっさと直行した。誰がどこの部屋にいるかは久保田さんが調査済みだ。

 勝手に空室に移ったりしてなければ……だけど。

「はい」

 ノックをするとちゃんとそこに杏里はいた。

 まずは杏里の使用人が出てきて、あたしが会わせてほしいと伝えると、なんとすんなり通してくれた。

 しかし中に入ると、不機嫌丸出しで、何しに来たのかしらって顔を向けている。

 ずっと黙ってあたしの話と聞いていたけど、瑞穂が来たというと、ようやく会話をする気になったようだった。

「へえ、本当に行ったんだ。瑞穂」

「そうなんです。で、あなたの名前が出たので事情を窺いに参りました」

 一応、適度に猫は被っておくことにした。別段仲良くないし、歳が離れているせいか一度も遊んだことはない。

 人を無意識に見下して見る癖があるみたいなので、敵に回すと厄介な相手かもしれないと判断したのだ。

 それが功を奏したのか、面白くもなさそうに、それでも杏里は話してくれた。

「事情もなにも、あの子の思い込みよ。こっちも迷惑してたの。毎回来られてさあ。あの子ほら、空想癖なところあるでしょ」

「空想癖、ですか?」

「そうよ。本の読みすぎじゃないかしら?瑞穂の話しは殆ど間違い。信じない方がいいわよ」

 茶色く染めてゆるく巻いてある髪をかきあげながら杏里は言う。

 大人の女性を醸し出していて、同姓のあたしから見ても色気を持ち合わせているタイプだ。

「では幸祐兄様とはそういう関係ではない、と?」

「まあ、それはさ、色々あるじゃない?もうお互い義務教育を終えたくらいにはいい歳だし。野暮っていうものよ」

 どこか決まり悪そうな表情で杏里はアイスティを口にした。

 ええと、つまり関係はあったってことで良いのよね?

「幸祐兄様のことで瑞穂の部屋に行ったっていう話しは?」

「あれは違うのよ。普通に用事があっただけよ。こっちだって遊びのつもりだったし。いまさら嫉妬なんかしないわ。虚言癖もあるのよ、あの子。ほんといい迷惑!」

 これは一体……。

 ほんの一瞬、あたしと久保田さんは目を合わせた。彼はあきらかに迷惑そうな顔をしている。面倒なことになった、とか思っていそうだ。

「えーと……じゃあ瑞穂よりは本気じゃなかった?」

「知らないわ。瑞穂の気持ちなんてどうでも良いもの。だいたいあたしがあんなガキに本気になると思う?」

「…………」

 あたしに聞かれても困るわと、つい言いそうになった。

 あたしにとっては、あの男は遊びでも御免被りたい。

「用事ってなんだったんですか?」

「別れ話よ。いい加減飽きてたし、すっきりしたかったの」

「じゃっ、犯人は誰だと思いますかっ?」

「あんたじゃないの?」

 とっても自然な流れで、サラリと杏里は言った。あまりの返しに挫けそうになったけど、寸でのところで思いとどまった。

「あたしだったら犯人探しなんてしていません」

「ふーん。ま、あたしはさ。ほらみんなが言うから、そうなのかな?って思っただけよ」

 愛想良くもなければ、かといって機嫌が悪そうでもない。

 笑顔がないから、無愛想に見えてしまうタイプなんだろうけど、あたしは困ってしまった。

 こう淡々と言われてしまうと、どれくらいの力量で否定をして良いのか考えてしまう。

「えっと、他に怪しい人とか心当たりある人いない?」

「さあ……。外には腐るほどいると思うけど、この家の中では、あたし、あんたか瑞穂だと思ってたからさ。葉子(ようこ)もそれで言ったらあり得るかもしれないけど、さすがにないかなって」

 光線寺(こうせんじ)葉子。こちらも分家の一人だ。

「葉子……って、まだ中学生じゃない!」

 信じられない。範囲外だと思っていた。バツ印も悩んだ上でだけど書いていた。

 この流れで出るということは彼女も関わりのあるひとりということだ。

「あいつ女なら誰でもいいみたいなところあったし。深雪の件を知ってる、マトモな(ひと)はもう相手にしてなかったでしょ。中学生ならまだ騙せるとでも思ったんじゃない?葉子はわりと早熟してたしさ」

「…………」

 もうコメントしたくもありませんって感じだ。

 だけど聞かなくてはならない。事件解決のために。

「深雪さんの件というのは……?」

「ああ、あんた知らないか…………。幸祐、深雪の結婚が決まったときに、相手の男のところに乗り込んで行ったらしいわよ」

 ようやく杏里に笑みが出たけれど、噂好きそうな厭らしい笑い方だった。

「暴力まで奮ったって。これは深雪から聞いたから間違いないと思うわ。泣いてたもの、あの子」

「げっ」

 ここにも修羅場が。

 なんか幸祐の短命は実は寿命だったんじゃないかと錯覚しそうな壮絶さだ。

「そのこと葉子に教えたら怒り出しちゃって。瑞穂はまだ遊ばれてる自覚持ってたみたいだけど、やっぱり中学生はダメね。本気になっちゃってさ。過去のことでも気になっちゃうのよね」

 瑞穂よりも本気だったということか。

「葉子はじゃあ……いまは泣いてるのかしら」

「さあ……。あいつが死んでから葉子帰っちゃったから知らないわ」

 一種冷たいと思わせるように杏里は吐き捨てた。

「帰ったの?」

「そう、父親は残ってるけど、母親と一緒に帰って行ったわよ。落ち込みが半端なかったんじゃない?」

「そうなるように、教えたんじゃないの?幸祐と深雪さんのこと」

 じっと杏里の目を見据えながらあたしは確信を読んだ。

「違うわよ、忠告しただけ」

 杏里は口ではそう答えたけれど、僅かに気まずそうな顔をした。

 この人、遊びだって言ったけど、まんざらでもなかったのかもしれない。割りきってるなら、わざわざ葉子にそんな話はしないし、幸祐ではなく瑞穂の部屋に行ったっていうのも、どこか違和感が残る。

「ほら、うちのパパと葉子のパパ仲良いでしょ?だからよ」

 あたしがまだ見つめていると、取って付けたように呟いた。

「そうなんですか?」

「え?」

「お父様同士が仲良いって……」

「ああ……」

 あきらかにしまった、という顔をした。言う予定ではなかったのかもしれない。

「仲良いというか、たまに会うことがあるみたいね。好意を持ってるかどうかは知らないわ」

 あたしはそんな事実さえ知らなかった。それぞれ個人主義だと思っていたけれど、もしかしたらこの家にもあるのだ。

 ――派閥が。

(それはそうよね……)

 しかしそれは巧妙に隠されていて、数日間戻ってきただけのあたしにはわからない。お祖父様にも聞かなかった。聞いたところで自分で情報を集めろと言うだろうけど。

「因みに……他には誰かいました?噂だけでも上がった人」

 恐る恐る聞いたら、不機嫌になって睨まれた。

「知らないわよ。なによ、あんた。幸祐は関係があった女に殺されたと思っているわけ?」

「いいえ。そんなことは……。ただ、男性があまり出てこないので。稔叔父様以外には」

「貧相な収集能力ね」

 鼻を鳴らして杏里は馬鹿にした。

「では、あなたは誰が犯人だと思う?」

「だからあんたか瑞穂でしょ!」

「矛盾していませんか?」

 ニヤリとあたしは笑った。そう、揺さぶりをかけたのだ。この流れに。

 口数の多い人は、結局本心を隠しきれない。

 杏里はなにかを知っている。犯人とまでは言えないかもしれないけれど、あたしたちが欲しい情報を持っているとみえた。それが端々に出てくるのだ。

 案の定、杏里は言葉を詰まらせた。

「あたしか瑞穂が本当に犯人だと思っているなら、あなたも女性絡みだと思っていないとおかしいわ。誰かいるのね。別の人が」

「……知らないわ!なにを勝手に突っ走ってるのよ!」

 輪をかけて不機嫌になった。まるで動揺しているふうに見える。

「不愉快だわ。出ていって」

 いくら宥めようとしても、腕組みをしてそっぽを向いたままだ。これ以上聞いても仕方ないと思って、あたしたちはお礼だけ言って立ち去った。

「おまえ、端々で地が出てたぞ」

 嫌味なくらいなっがい廊下を歩きながら、久保田さんが先に口を開いた。どうでもいい内容を。

 とりあえず今は、そんなこと気に留めておけない。

「ねえ、どう思った?杏里の話」

「おまえの睨んだとおり、なにか隠している気はしたな。しかしもし杏里の話がすべて真実なら瑞穂が言うことがズレているのも頷ける。筋は通っていたな」

「空想癖に虚言癖か…………。本当かしら?」

「まあ納得できると言えばできてしまうが」

「久保田さん、顔で判断してない?」

「ぶっとばすぞ、おまえ」

 足早に歩きながらも感じたまま言ったら、すごく心外そうに返された。

 だってさー……。

「じゃあおまえは?」

「わからないわ。ただ…………」

 ただ、杏里は嘘をついている感じではなかった。

 それならば瑞穂が嘘?

 なんだかそれも信じられない。だって……。

「ただ?」

 途中で詰まったあたしに久保田さんが促した。

「ただあの涙は本当だと思ったの。瑞穂が真実なのか、それが空想癖による思い込みのものか……それは分からないけど」

 嘘だと、思いたくないだけなのかもしれない。

 本音を語ってくれたと、思いたいのかもしれない。

 なんとも言えない悶々とした感情をあたしは抱いていた。


  * * *


 二人の彼女の話があったのは昨日のことだ。それからこちらでも少し慌ただしくなった。

 ようやくやるべきことがはっきりしてきたのだ。久保田さんは張り切って、瑞穂に突っ込んだ話を聞きに行く、と言ってまたここにはいない。

 本当は自分から動きたいけれど、久保田さんは来るなと相変わらずの主張をする。

 一理あるとは思えるのだ。動く範囲が広がるほどあたしは危険に晒されるのだ。だから我慢していた。

 それでも、出来ることはある。 あたしはずっとパソコンをいじっていた。本格的に。

「玲華様、アールグレイです」

 亜衣ちゃんがあたしのリクエストした紅茶を持ってきてくれた。

「ありがと」

「休憩を挟まれてはいかがですか?何時間もディスプレイを見つめられて、目に悪いです」

 千石さんも気遣ってくれる。

 そうね、とあたしは答えた。

 扉の前には二人の護衛。また、同じ状態が続いてる。あたしの周囲では。

 だけど、それを認識するたびに不安になる。いつまで続くのかと。

 それは破綻する前程の想いだ。

 この状態は続かない。

 なぜかそのような考えがこびりついて離れない。

 内部犯がいるのは確かだ。このまま出てこない訳がない。それなのに、未だ現れない。

 一応目はつけてるけれど、信じたくない想いは常にあった。このまま最後まで何事もなく終わって欲しいと。

(最後?)

 それはいつなんだろう。

 期限なんて関係ない。財産がはっきりあたしに決まったとしたら、警戒は恐らく続けなければならないだろう。様々な手を使ってでもあの人たちは諦めない。奥の手を探し出すのだから。

 久保田さんの聴取は停滞していた。

 昨夜と今日の午前中に行ったときには、瑞穂は話せないと泣き崩れるばかりで、杏里はもういい加減にしてよと怒り出したらしい。

 その頑なさにあたしは予感していた。誰かが(かん)(こう)(れい)を出したのだと。

 そういうところからも感じる内部犯の可能性。情報が漏れている。

 だから一層焦る。

 やるべきことを早く終わらせないといけない。

 まずは幸祐を殺害した犯人なのだ。

 こんな状態を利用して最も醜悪な過ちを犯した人を野放しにすることは許されないから。

「お嬢」

 あたしがぼーと休憩していたら、久保田さんが帰ってきていた。

「どうだった?」

「これまでと変わりない」

「そう……」

「だからまた加藤に聴いてきた」

「あなた、好きねえ加藤さん」

 意外だ。余程ウマが合ったんだろうか。

 でも加藤さんも黙秘続けてるのよね、確か。久保田さんの片思いだわ。

「そういう返しは違うだろ?」

「わかったから、早く、報告」

 複雑そうにぼやく久保田さんをあたしは催促した。

 逸る気持ちがあることは否定できない。

「あー……」

 だけど久保田さんはまた微妙な返しをする。

 そうか。

 キッチンの方とはいえ、今は亜衣ちゃんと麻衣ちゃんがいるからだ。

 これまでは千石さんを含めた三人のときにしか、この手の会話をしていない。

 いまはちょうど夕食の準備をしているから、人払いするのは不自然だし迷惑だろう。

 でも。

「大丈夫よ。言って」

 あの二人ももう大丈夫だと判断した。どうせ忙しそうで、聞いてないし。

 盗聴器の有無は常に確認している。いまは間違いなく聴かれてる心配はない。

「加藤を必死に説得した結果、とんでもないことを話してくれた」

 あたしは出されたばかりの紅茶を持って、机から応接スペースに移った。その前に久保田さんもドカッと座る。

「最近、幸祐は金に困っていたそうだ」

「……ウソでしょ…………?」

 よりによってここの人間が?あり得ない。

「あくまで自分が自由に使えるお金だ。どうやら金遣いが荒かったのか、何かの戒めかは知らないが、毅氏から口座から引き出せないようにされていたようだ」

「ああ」

 それなら納得できる。

 ――俺をいつまでも認めないから俺にだって出来るってところを見せたいだけだ。

 前にそう言っていたのは、こういうことも関係しているのかもしれない。

「それでひどく揉めていたらしい、あの親子は」

「どうしてそれを加藤さんが知っているのかしら」

「そこは言わなかった。……が、恐らくやはり毅氏に影で仕えていたのかもしれないな」

「なら、久保田さんが前に言ったことが引っ掛かるわ。どうして加藤さんが野放しになっているか」

「そうなんだよな……」

 久保田さんも同じ思いだったようで、眉をしかめて唸った。

「たいした情報じゃないということかしら。それとも別の人にそう言えと命じられたのか……」

 小出しに情報を発するやり方に釈然としないものを感じた。

「さーな……。ただ嘘ついてるふうじゃなかった。オレの拷問にオチたのかもな」

「拷問したの?」

「いーや。拷問並みのしつこさを出しただけだ。なにせ奴には逃げ場がないからな」

 ウケケ、と久保田さんは笑った。

 しまった。ちょっと加藤さんに同情しそうになったわ。

「じゃあ、信じるしかないわね」

 信じるわ。久保田さんの人のみる目を。

「あとな、こっからが重要だが。それで金が必要な彼は女に貢がせてたらしい」

「女?瑞穂かしら」

「たぶんな。それと瑞穂嬢だけとは限らないだろう」

「そうね」

 内にも外にも協力する女性はいたかもしれない。

 お金が目当てで幸祐に近づいた女性がいたとしても、中には瑞穂みたいに尽くすタイプもいただろうし。もしくは、恩を売っておけば後々大きくなって返ってくると複線を敷いた人だっていないとも限らない……。

「それでかなり豪遊していたようだな。酒の臭いをきつくさせて、朝方帰ってくることがしばしばあったようだ。ハイテンションでな」

「げっ」

「それでさらに毅氏は怒るっていう流れだ。止めてくれるやつっていなかったのかね」

「稔叔父様はどこで関わっていたのかしら」

「あいつはどちらかと言うと甘やかしていたみたいだな。金の援助は稔氏からもあったと考えていいだろう」

「はあー。なにやってんのかしら」

 すこし哀れだわ。

 でもだから、稔叔父様はあんな表情をしていたのかしら。

 まるで――後悔しているみたいな……。

「あっ。そうだったわ」

 ふとひとつの考えに至って、あたしはパソコンの位置まで戻った。

 久保田さんもついてくる。

「お得意のハッキングで、なにかわかったか?」

「だから!嫌な言い方しないでって!」

 ひと睨みして指を動かす。

 すでに保存済みの情報の中から、ひとつ選んで表示させた。

 そして。

「これよ」

 映し出された。幸祐名義の口座。

「おかしいと思ってたの。ここ半年でかなりの額のお金が動いてる。でもそれなら筋が通るわね」

「ネットバンクか。毅氏が押さえた口座以外にも独自で作ってたんだな」

「そのようね。開設は半年前だったわ」

 その流れの不審さは先ほど見つけた。

 出入りを繰り返し徐々に減っていく残高。

「誰だ?このヤマダ。同じ奴に定期的にお金を入れてるな」

 それも一回につき何百万という単位だ。

「ヤマダさんね、ありがちな名前よね……」

「偽名くさいな」

「まあキレイなお金じゃなさそうだしね」

「これプリントアウトしてくれるか?」

 険しい顔で覗き込みながら久保田さんは言った。

「どうするの?」

「これを元に話を聞き出す」

「余計に警戒されそうね」

 そう言いながらもあたしは動いた。まずはプリンターを接続しないといけない。

「私がやります」

 よく気の利く千石さんが、すかさず部屋に取りに行ってくれた。あたしの寝室じゃない、その隣の部屋に。

 そこは書斎として使っている。パソコンが新しくなってからは、そちらに機器を置くようにしていた。

 これで、新たなことがわかればいいんだけど、揚げ足とられて告発なんてされたら元も子もない。

「これがあれば稔叔父様もなにか話してくれるかしら」

 あと一歩の押しで、打ち明けてくれそうな気配がしていたように思う。あれ以来、また会わなくなって話してはいないけれど。

「駄目だ」

「なにがよ」

 やばいわ。

 なんだかまた押し問答になりそうな空気。

「オレが訊いたところで間違いなく稔氏は言わないだろう。で、たぶんおまえが行ったら教えるだろうな。だから駄目だ」

 もしかして。

 あまりに瑞穂たちに相手にされてないもんだから拗ねてるのかしら。それであたしが活躍したら沽券に関わるとか思ってるのかも……。

 男の面子(めんつ)ってやつで。とりあえず、仕方なくだけど一旦は引くことにした。

「じゃあ頼りにしてるわよ、久保田さん」

「うっせ」

 皮肉に聞こえたようで、もっと拗ねられた。難しい人だ。

 その間にも着々と千石さんはセッティングしていく。手際がいい。

「できました」

「ありがと」

 あたしは再びチェアに座り、証拠になりそうなところをピックアップして印刷した。

「でも、ま。最後の手段にしとこうぜ。それは」

 ウィーンとプリンタ音がしてから、久保田さんがつまらなさそうに言った。

 ちょっと、意外だった。

 あれだけ目くじら立てていたのに。

 もしかしたら、先が見え出しているのかもしれない。それはあきらかにならないで、このまま終わる予感を、感じているのかもしれない。

(確かに流れは良くないけれど)

 それでも前に進んでいる。着実に向かっているのに。

「じゃあ行ってくる」

 プリンターから排出された紙を掴むと、すぐさま久保田さんは出て行こうとした。

 休みなく動く。それなのに付き纏う焦燥感。

 あまり無理しないでと、あたしは言えない。ここまで巻き込んでおいて、そんな中途半端なことは言えなかった。

「待って。せめて瑞穂たちのところへは一緒に行かせて」

「おまえな……」

「稔叔父様は諦めるわ。でも彼女たちの雰囲気でも知りたいの。一度だけでいいから」

 あたしは真剣に懇願した。

 絶対に引きたくなかった。危険だとわかっていても、進みたいから。

「……一回だけだぞ」

 悩みまくったうえに、超絶に不機嫌そうだったけれど、とりあえず久保田さんは頷いてくれた。

 ほっとしながら、千石さんに待っていてと指示した。

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