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第二章 ・・・ 7

 電話の内容をしつこく千石さんに聞かれ、仕方なく話したら案の定、千石さんには止められた。

 危険すぎる、と。

 そんなことは百も承知だ。

「あの人は貴女を守ることが仕事です。それで貴女が自ら危険を冒してどうするんですか?」

「解ってるわ。だからといって無視はできないでしょう?」

「だったら私も行きます!」

「一人でと言われたのよ。助かるものも助からないかもしれないじゃない」

「駄目だ!これで貴女に、玲華様に万が一のことがあれば私は源蔵様に顔向けができない!」

 千石さんにしては、かなり熱い想いをぶつけられた。

 痛いほど、よくわかる。

 だけどあたしだって同じような想いはあるのだ。

 無視はできない想い。

 警棒を握り締めながら意地でも行くと言ったら、せめて途中までは一緒に行かせてくださいと言われた。

 だから、ついてきてもらったんだけど……その“途中”の段階でまた衝突した。

「これ以上来たらバレるじゃないの」

「構いません。どうせ廊下に私がいたとしても、あの人はやりたいようにやるだけでしょう」

 だから淡々と怖いことを言わないでほしい。

 意外に千石さんは頑固だった。それだけ熱心なのは有難いけど。

 稔叔父様から話がいっているようで、途中にいるガードマンに制止されたりはしなかった。

 それは千石さんもだったので、結局稔叔父様の部屋の前まで来てしまった。仕方がないと諦めて、ドアをノックするときには隠れてもらう。

「やあ。やっぱり来てくれたね、玲華」

 憎らしいほど爽やかな笑顔を振り撒いて、稔叔父様はあたしを招き入れた。

「うちの護衛がご迷惑おかけしましたわ。これ以上はおかけしたくありませんので、お返し願えます?」

「まあ待ってよ。そう焦るなって。ソファにでも座ってよ、話をしようね」

 さっさと返せ、バカ!ってちゃんと顔には出していたハズなのに、まったく通じず悠長なことを言ってくる。

 とはいえ、稔叔父様に主導権があるのだ。逆らえるはずがない。

「どなたもいらっしゃらないのね」

 座りながら部屋を見渡したけれど、久保田さんどころか使用人の姿さえなかった。

 その部屋は全体的にシックだった。モダンなインテリアで埋め尽くされているこの空間には、あたしの部屋とはまた一味違った絢爛さがある。

 おまけに間接照明が好きなようだ。(ほの)暗くてなんか怪しい。

 稔叔父様自らがコーヒーを持ってきて、窓際にある黒いソファに促された。

「まあね。邪魔者はちゃんと排除しといたから」

「うちの久保田はここに来たのですか?」

「ああ、あの人、久保田さんって言うの?そうだよ。幸祐のことを聞きたがっていたから、おれが招待したんだ」

 それで敵の手の内に墜ちたというわけか。意外とどんくさい。

「それで今は?」

「うん。実はこいつをさ、向けたんだ」

 不意に稔氏は身を乗り出した。

 それから、すごく自然な流れてポケットから何やら取り出し、またソファに沈むように深く座った。

 イタリア製の小型拳銃。

「――――」

 前言撤回だ。こんなものがあれば、どんくさくなくても太刀打ちはできない。

 あたしは鋭く稔叔父様を睨みつけた。

「卑怯ね。幸祐様が持っていたものは毅叔父様ではなく貴方の庇護だったわけね」

「同じような反応をするんだね」

 それはそうだ。こんな物を出されたら深刻になるし出所だって気になる。

「確かに幸祐にあげたのはおれだよ。でも兄も持っているよ、これくらい」

 なんでもないことのように言いながら、稔叔父様は指でクルクル拳銃を回した。腹立たしいほどの余裕ぶりだ。あまりに慣れたようにその銃を無造作に扱う。

 こういうものが当然として近くにあるのだから、この家は本当に油断ならない。

「それをあの人に撃ったの?」

「いいや。彼が立ち上がったから、何をするつもりだろうと思って様子を見てたんだ。そしたらさ、なんと、この窓から飛び降りてさ。あれにはさすがにおれも呆れたね」

「飛び降り、た……?」

 ここは四階だ。なんて無茶をするんだろう。五体満足でいられるはずがない。

 馬鹿だ。

 悠汰のこと言えない。充分にあの人も馬鹿だ。

「大丈夫だよ、玲華。彼は噴水に落ちた。いや、落ちるように狙ったんだろうね。それでもかなり勇敢だとは思うよ。まあ、だからとりあえずは無事。でもウチの浜本(はまもと)が出てくるところを捕まえてね、今は別の部屋に閉じ込めてあるっていうわけ」

「…………」

 素早く立ち上がり窓の下を一瞥した。

 その下は例の無駄にでかい噴水。狙えば確かに飛び込める距離にある。それでもかなりの勇気がいるだろう。

 あたしが立っても稔叔父様はそれにあわせて銃口を上げただけで、止めはしなかった。この人は掴み所のない雰囲気を醸し出していた。どこまでが真実なのか嘘なのか読めない言い方をする。

 それでも久保田さんが帰ってないのは事実で、ならば今は稔叔父様の言う“無事”を信じたい。

「それで貴方は彼の身と引き換えに署名をしろと、そういうことね」

「相変わらず話が早いね。まあそうだよ」

 それはできない。

 久保田さんには申し訳ないけれど、まだ署名をするわけにはいかなかった。

 まだ無事ならば、きっと他に助ける方法がある。すべてを挑戦しないうちから折れたくない。

 それに久保田さんの性格上、あたしがここで署名をしたら怒るだろうと勝手な決意をした。

「そういうことでしたら、交渉は決裂ですわね。彼は必ず取り返しに参りますので、それまでしばらくお世話になりますわ」

 彼を傷つけたら許さない。あたしは強引にそういう意味を含めた。

 この部屋に久保田さんが居ないなら、ここにもう用はない。すべての部屋の中に入ってでも見つけてやるわ。

「そういう強気なところ嫌いじゃないよ、玲華」

 稔叔父様も立ち上がった気配を後ろから感じた。その瞬間、背中に別の体温が押し当てられていた。

 背後から抱き締められたのだ、と気づいたらゾクリとした。

 咄嗟に警棒を伸ばし身構えようとする。

 けれど振り向いた時点で彼は銃口を向けていた。

 思わず体が固まった。

「コレがあるのを忘れたら駄目じゃない?」

 忘れていたわけじゃない。撃たれそうな気が不思議としなかったのだ。稔叔父様からは殺気が感じられない。

 それでも、金縛りにあったように下がれない。目の前にあるだけで、それは脅威になる。

「ああ、そうだ。じゃあきみに選んで貰おうかな。おれとしてはきみが死んで、即分け前分が入るのもいいし、もちろんきみが署名するのでもいい。それから三つ目」

 わざわざ指を折りながら稔叔父様は付け足した。

「おれたちが一緒にこの家を支配するってどう?きみがそんなに父の後継者になりたいなら、おれが手を貸すよ。パートナーとしてね」

 この提案には驚きよりも呆れた。思いきり冷ややかな目になる。

「叔父様、ご存知だとは思いますが、叔父と姪は婚姻は結べませんわよ」

「ああ、そう?でもそんなのどうにでもなるよね。戸籍イジるのって容易いよ」

 まったく気にも留めていないように、稔叔父様はさらりと言い退けた。

(げっ。こいつマジだ)

 呆れすぎて少しだけ緊張がほどけた。あたしはすぐ後退する。

 だけど稔叔父様はそれを許さず、拳銃を持ってない左手であたしの右腕を掴んだ。警棒を持っている腕を。

「おれとしては三つ目がおススメなんだけど」

 耳元に口を近づけて、悪魔の囁きのように低い声を出してきた。

 嫌悪感しかない。

「幸祐ではきみは手に余っただろうね。だけどおれは失敗しない」

「そんなに目を掛けていたのに、どうして彼が亡くなったときにあの場にいなかったのですか?」

 ずっと不思議だった。

 幸祐が稔叔父様に懐いていたのは知っていた。そしてそんな幸祐を稔叔父様も拒絶せずに世話を焼いていたのだ。本当の親子以上に仲が良いのは間違いないのに。

「ああ、おれは生きている人間にしか興味はないんだ。それに幸祐は死んで良かったと思うよ」

「よかった?」

 聞き捨てならない発言だ。

 どういうつもりで言っていようと、死んで良いことなんてあるはずがない。

「きみも久保田ってやつと同じ目をするね。幸祐は好き勝手に生きすぎた。その報いがこれからくるってときに死ねたんだ。一番幸せなタイミングだったよ」

 稔叔父様の表情に初めて(かげ)りが含まれた気がした。

 この人は本当は哀しんでいるのではないだろうか。あたしの知らない何かを知っていて、彼なりに(いた)んでいる。そう思えた。

「報いってなに?」

 どうしても訊かずにはおれなかった。猫を被っている場合じゃないと思った。知らなければ後悔する気がしてしまったのだ。地下室に送ったあたしが聞くべきだと。

「ここから先は言えないんだ。ごめんね。おれも全てを把握してるわけじゃないし」

「まさか、貴方知ってるの?犯人が誰か……知ってるんじゃないの?」

 どうしてそう思ったのかわからない。直感だった。彼の目が別の誰かを見ている気がしたんだ。

 どこか哀しそうに。

 あたしがずっと目を逸らせないでいたら、稔叔父様は被せるように抱き寄せてきた。

「勘違いしないで。きみはおれの支配下にある。きみは選ばなければならないよ。さっきの三つをね」

 あたしの右腕は自由だ。彼の銃口もきっと今は下に向いている。

 抵抗するなら今しかない。

 それは解っていた。だけどもう、先ほどの嫌な感じがしない。それよりももっと……。

(傷ついてるの?)

 この家は複雑すぎる。様々な糸が絡み合って、すでにほどくのが容易ではなくなっているんだ。

 その一本の糸であるあたしも、きっと今は絡みかけていて、今抜け出さなければそのうち本格的に結び目ができてしまう。固く。

「あたしは……どれも……」

 それでもあたしは揺らいでいてはいけない。当初の目的を見失わずに成し遂げることだけが、今のあたしを支えているんだ。

 だからどれも選ばないとちゃんと言わなければいけなかった。

「玲華」

 稔叔父様がそっと離れた。

 哀しげな表情を向けて見つめてきた。あたしも目が離せない。頭が真っ白にならないように、それだけ意識して次の行動を瞬時に巡らせていた。

 そしてそのまま顔が近づいてくる。

 あたしは迷うことなく警棒を持ち上げた。そして叔父様の(のど)(もと)へ強く押し当てる。手加減せずに。

「それはダメよ」

 予測してなかったのか、稔叔父様はあたしから離れて激しく咳き込んだ。

「きみね……」

 それから眉を寄せて項垂れた。

「ほんとに、幸祐が失敗したのがよく分かる」

 その次の笑顔が本当に優しくて、あたしはこの人は嫌いじゃないと思った。

 ただ女にだらしないだけの人かと思っていたけど、そうじゃないんだって思った。

「叔父様はあたしを殺せない。だから三つの内の一つはないわね」

「そうかもね。でもおれは女は殺せなくても男なら殺せる。だからおれを信じたら駄目だよ」

「久保田さんを殺せなかったのに?」

「彼は人質だから殺さなかったんだ。あ、きみの四つ目の選択肢があったね。あの男を見捨てて代わりにおれをそばに置く」

 人差し指を一本立てて稔叔父様は真面目に言った。

 それは三つ目とどう違うのだろうか。気が抜けそうになったのを何とか絶える。

「それは有り得ないわ」

 この人があたしの味方になることはない。それは解っていた。いくら本当は優しい人でも、この人は本家側の人間であたしに試される方にある。

「署名なら、考えてあげてもいいわ。まだ出来ないけどね」

 謎を含んだ言い方をあたしは選んだ。稔叔父様がすべてを語れないように、あたしにもまだ言えないことがある。

「玲華、きみは……」

 叔父様が何かを言いかけたときだった。

 勢いよくこの部屋の扉が開かれた。

「お嬢!」

 あたしは思わず目を瞠った。

 久保田さんが焦っているような顔と、物凄く怖い顔を足したような顔をしてそこにいた。

 それとなぜか全身がびしょ濡れだった。

「生きていたのか……」

 同じように稔叔父様も瞠目していた。

「え?」

 どういうことだろう。

 確か久保田さんは噴水に飛び込んで、稔叔父様がその身を引き上げ、捕らえていたのではなかったのだろうか。

「生きていた?」

 なんだか凄く騙された感じがする。それだけは直感的にする。

 稔叔父様に問い詰めないと、と反射的に思ったときだった。

 ズカズカと部屋の中までおかまいなしに入ってきて、久保田さんはあたしの腕を掴んだ。物凄く素早い動き。

(痛っ)

 かなり力強い。本当に怒っているんだとわかる。

「生きてて悪いな。彼女は返してもらう」

 凄く低い声で久保田さんは一言だけ言った。そのまま引きずられるように部屋から連れ出される。

 抵抗する暇がなかった。

 稔叔父様も何も言わなかったし追ってこなかった。

 だけどあたしには振り返る余裕が無いくらい、意味がわからない。

「ちょっと!どういうことよ!痛いじゃない!」

 なにがなんだかわからなくて、あたしはどうしていいか解らなかった。

 部屋の外には千石さんがいて、やっぱり訳が解らないといった顔をしていた。

「話しは後だ。こんなところで怒鳴り合って周りに聞かれたいのか?」

 そんな状態なのに、こちらも見ずに拒絶だけする。

 それってここじゃなければ自分も怒鳴ってるってことじゃないの!

 そう思ったけど、とりあえずあたしに怒っているのは確かみたいなので、大人しくついて歩くことにした。

 痛いと告げてから、掴んでいる手の力は緩めてくれたみたいだ。もう痛くない。

 それでも空気が張り詰めたままで、部屋までの道のりがすごく長く感じた。

 千石さんも後ろから何も言わずに歩いているだけで、執り成すとか、仲介するとかそういう気の使い方はしない人だった。そんなんは知ってたけどさ……。

「おまえ!なんであいつの部屋にいる?」

 あたしの部屋について扉が閉められた瞬間、あたしたちに説明することを後回しにして久保田さんが訊いてきた。いや、怒鳴っていた。

「なによっ!怒られるようなことしてないわよ!あたしは!」

「どうせオレを盾に呼び出されたんだろう!それでなんでノコノコ出向いてるんだ!てめえは!」

 なるほどね。

 つまり千石さんが言ったことと同じところで怒っているのだ。護衛される側がその護衛の身を案じ敵の元へ出向くなどもってのほかだと。

「自分の失敗を棚に上げて言うことじゃないわね!実際ここに顔出さなかったんだから、心配になったんじゃない!」

 そこで従順になれないところがあたしの欠点だったりする。

「おまえはなんでも一人で決めて確かに偉いと思うけどな!こういうときぐらい任せろよ!信用されてないと思うだろ!なんのためにオレが噴水に飛び込んだのかわかってんのか!」

「わかるわけ無いじゃない!バッカじゃないの!そんな情報無いんだから!だけど、悪いけど信用なんてしてるわよ!それでもあんたになんかあったら悠汰が悲しむじゃない!それが嫌なの!あたしの判断基準なんてそれでできてるのよ!」

「おまえっ……!」

 いきなり久保田さんの言葉が詰まった。途切れたと思ったら、ずるずる膝からしゃがみこんで。

「結局そこかよ」

 次に聞こえた声は弱々しいものになっていた。

 千石さんがタオルをどうぞって言って渡したら、ちょっと戸惑い気味に久保田さんは受け取っていた。おぉ…とか言いながら。

 あたしはその光景を微笑ましく思ったけれど、とくにコメントは挟まなかった。

 まだ話しは終わってない。

 久保田さんはタオル越しに上目使いでこちらを睨みつけた。

「それって、おまえにも言えることだろ?あんまりでしゃばるな」

「あら、それならあたしにはもうひとり、顔向けできない人がいるわ。祥子さんよ。だからあたしの勝ちね」

「勝ち負けじゃないだろ。それを言ったらおまえの方が悲しむ奴が多いだろうが……」

 最後の方は彼のぼやきだった。

 だからあたしは敢えて聞かないフリをしておいた。

 確かにこんなことで言い争っていても何も進展しない。何人悲しむ人が多かったからどうだとか、そんな比較は何の意味もなさない。

「で、あなたはどこにいたの?こんな時間まで水泳してたわけ?」

「…………いろいろあったんだよ……」

 色々で片付けようとしてるわね、こいつ。

 久保田さんは時々変なところで秘密主義になる。でもここは聞かないといけないところだと思った。

「おまえはあいつと何の話をしたんだ?」

 だけど久保田さんの切り替えの方が早かった。

「あんたが言ったら教えてあげるわよ」

 お互いしばし睨み合う。

 あたしたちが頑固に火花を散らしていると、ようやく千石さんが一人冷静に口を挟んできた。

「どちらの情報も今後必要になりそうですね。とりあえず落ち着いて話しませんか」

 千石さんが間に入ったのは実はこれが初めてだった。よっぽど放っておけないと思われたのか、それともようやく打ち解けてきたのか……。

 なんにしてもあたしたちは、今の彼に言われて無視できるほどの神経は持ち合わせていなかった。


   * * *


 加藤のところに行っていたんだ、と久保田さんは切り出した。

 報告を聞くと毎日行っているので、それはとくには驚かない。

 ただ、今回は別の展開になったんだそうだ。

「幸祐を恨んでるやつとか心当たりを聞いていたんだ。なんの変化なのか加藤が情報をくれそうになったとき、稔氏が現れた」

「タイミングよく?」

「そうだ。いつの間に仲良くなってるの、とか言いながらな。気配を消されていたから話しかけられるまで気づかなかった。あれは会話の内容を聞かれていたと思ったほうがいい」

 パッタリ見なくなっていた人だから、まだいたのか、というのが久保田さんの感想だったらしい。

 元々ここに住んでいるのだから、それはおかしな感想なのだが、それぐらい唐突な現れ方だったようだ。

 警戒すべきかどうかに、迷いがでたそうだ。

「加藤が稔氏に緊張していた。軽々しくウチのことを他人に話したら駄目じゃない?って冷たい笑いを浮かべていたからな。一応まだなにも聞いてないと庇っておいたが、代わりに稔氏が話をしてあげると言われて……」

「それでラッキーってついていったの?無用心ね」

「仕方ないだろう、稔氏がここじゃ何だから部屋で話そうつったんだ。あちら側の領域に行けるとなると、この件の核となる部分に近づける。初めての重要人物との接触だぞ。これを断れば恐らく二度と真実には近づけないだろうと思ったんだ」

 顔をしかめて硬い声を出す。

 久保田さんも焦燥感を感じていたのかもしれない。まったく犯人に近づけないから。

「情報交換をしようと言われた。稔氏も聞きたいことがあるから丁度いいと」

「で?なにか聞けたの?」

「殺すぐらいなのかは知らないけど、あいつ女にはいい加減なところあったから、それ関係の女には憎まれてたんじゃないって……」

「具体的には?」

「たくさんいすぎて、さすがに全員は知らないだと」

 肘をつき、深く座りなおして久保田さんは面白くもなさそうに言った。

 それってなにも進展してないってことじゃない。

「幸祐と稔氏って同類っぽいだろ?幸祐は稔氏に近づき、彼の真似をしようとするところがあったんだと」

「それは知ってるわ。確かに子供の頃から尊敬してる感じが伝わってきてたもの」

 だからきっと、稔叔父様にとっては辛いことだったんだろう。今回の件は。

「女を落とす技とか伝授してたけど、結局幸祐は半人前のままだった。やるだけやってフォローが出来ていない。そこが大事だと思うけどとか、聞いてもねえのにベラベラ喋っていた」

 不愉快そうに久保田さんがため息を吐く。

 しょうがなく会話をしたというのを隠してなかった。

(合わなさそう……)

 まるで悠汰と綾小路先輩くらい正反対なタイプだと思う。

「じゃあ二股かけて恨まれていた線が濃厚ね」

「……二股どころじゃなかったうえに、そういった女性が親戚筋にもいたらしいぜ」

「それって誰よ」

 そこが一番重要なところだ。

 よそ者はこの際関係ない。あの日あの時間この洋館にいた人物、もしくはそういう人物を操れる誰かが怪しいのだ。

「ちょっと前は美雪っていうお嬢だと。しかしちゃんと別れて結婚しただろ、彼女は」

「うわーうわー」

 つい最近の話だ。七月に行われた結婚式。まさにその彼女ではないか。

(あんなに清楚そうだったのに……)

 まさか幸祐の毒牙にかかっていたとは。

 あたしは思わず両手で自分の頬を挟んだ。まったく想像もできない。

 しかしその女性は結婚後すでにこの家からいないのだ。相手と一緒に暮らしている。だから彼女ではない。

「他には?」

「はぐらかされた」

「………………」

 やっぱり進展しないか。

 まあ、それを知っていたら、久保田さんだってそこから話すだろうと思った。

「そこで銃の登場だ。初めから会話なんていらなかったんだ。あそこにオレを呼び出すことだけが、あいつの作戦だったらしい」

 一生の不覚、と久保田さんは呟いた。

 よほどプライドに障ったとみえる。

(だから防弾チョッキ着ろって言ったのに)

 確かに頭を狙われればそれまでだが、もう少しましな選択ができたのではないだろうか。

「それで飛び降りたのね。無茶したわね」

「無茶じゃない。計算どおりだ。あいつはオレを人質におまえを呼び出す算段だった。だから撃つ気は最初からなかったんだろう」

「そう……」

 やっぱり、口だけだったのだ、あの人は。

「おまえが、オレの危機に飛んでくるってことが、どうも腑に落ちなかった。そんなことは荒唐無稽の話だと……」

「久保田さん」

「それでも、あの場所に居続けることが良くないことだけは、はっきりしていたんだ。もしも稔氏の言う通りになったら……。そんなことになったら、何より自分が許せない。死ぬことより有ってはならないような気がした」

 こちらも見ないで、淡々と語っていた。

「それなのに、あたしは飛んで行っていたってわけね」

「そうだ。部屋に何とか戻ってきたってのに、もぬけの殻で前田も行き先は知らないとか言うし。まさかとは思ったらまさにで」

「なるほどね。でもね、謝らないわよあたしは。それからもう一度同じようなことがあったとしても、あたしは飛んで行くから」

「おまえ!オレの話きいていたのか!」

 勢いよくあたしを見ながら、かなり真剣に怒鳴りつけられた。

 だけどあたしだってそこは譲れない。

「あたしだって後悔する人生は歩みたくないのよ」

 罪悪感なんて抱えて生きていきたくはない。これ以上、一ミリでもこの家の風習に馴染みたくないのだ。

 そう、あたしはお父様とともにこの家を捨てたと言っても過言じゃない。

 久保田さんが舌打ちをして顔を背けた。

「やっぱり生意気だな、おまえ」

 本来あたしは護られるタイプじゃないのだ。自分からなんでもやりたい。だけど今回だけは人の手が必要だった。

「それで?結局どうやってあの噴水のなかで持ちこたえたの?」

 このまま討論をしていても仕方がない。もう千石さんも間に入ろうとしないし。

 ならば話を変えるほうが得策だった。

 久保田さんもそう思ったようで、一度座りなおしてから説明をしだした。

 その後の足跡を――。


   * * *


 あたしが久保田さんと情報を共有して二日が経った。

 萩原くんから待ち望んだメールがきたのも今日だった。もう悠汰の怪我は大丈夫だって、ちゃんと報告をくれた。

 だけど心の傷はどうか分からない。久保田さんに殴られたという事実は変わらないから。

 久保田さんにも教えたけれど、“とりあえずは安心”っていうところの域から出ない、という複雑な顔をしていた。あたしたちは、こういうところでは気持ちも共有していたと思う。

 それでもここにいる以上、あたしたちが出来ることは限られている。

 話し合いの結果、いまは幸祐が付き合っていた女性を探そうということで落ち着いた。

 もちろん警戒は怠らないでいくのに変わりない。今日も扉の前の護衛の人が、必死でやってくる人を蹴散らせている。 

「思ったより危なくなってないのは、やっぱりあいつらが強いからだよなー」

 首をゴキゴキ左右に鳴らしながら、唐突に久保田さんが言った。

 目の前の応接スペースのテーブルには、あたしがまとめた家系図が置かれている。可能性のある人たちを家系図から洗い出していたのだ。

 お昼の四時半。もちろんここに余計な人は入れていない。久保田さんと千石さんとあたしの三人だ。

「なによ、いきなり」

「いーや……べっつにー」

 頬杖をつきながら再び下に目線を移す。

 あれだけ本人たちの前では失礼なことを言っていたのに、あれは意図的に言ったことだったのだろうか。

 確かにそうだと思った。

 いまはあの二人もとうに復活してくれている。それでも、交代制とはいえ二十四時間扉の前にいてもらうのに、いつか限界が来ないとも限らない。

 穴が出来る。

 そうなったときにこの室内がどういう状態に陥るか、想像しただけで恐ろしい。

 本来、この家のなかにいる全員で襲撃に来られたら、太刀打ちはできないのだ。多勢に無勢で四面楚歌で悲劇的結末にとっくになってる。

 いまそうなっていないのは、あくまで個人主義の集まりで(まと)まりがないから。どうしても協力し合う人たちじゃないのよね。

 本当にそこだけは今回助かっている。

 しかしあれから深影慎が大人しいのは気がかりだ。やはり期限が延びたことで様子を見ることにしたのだろうか。

 慎がというよりは、命令を下す側の人間が。

「それより……ここに住んでるはずの千石が、全くその系統の噂を知らないってのは問題じゃないか?」

 話しが戻されていった。

 幸祐のやりたい放題加減を、まったく千石さんは知らなかったというのだ。

 まあ、お祖父様にずっとついているんだから、それどころじゃないのも解るけど。久保田さんはそれでも他の使用人との会話とかで伝わるものだろ、と言いたいみたいだった。

「興味も有りません」

 あくまで真面目に、千石さんは傍らに立ったまま意にも介さない。

「加藤さんはなんて?」

「さあな、だってさ」

 噴水ドボン事件――あたしはあの日からこう呼んで久保田さんに牽制をかけていた――から、また加藤さんのところにお邪魔したみたいだけど、もう何の情報も持ち帰ってない。

「そもそもあの人、結局誰のために動いたのかしら」

「毅氏か稔氏か、だろうな」

 久保田さんのなかでは、毅叔父様の可能性が高かったらしいけど、噴水ドボン事件――皮肉にこう呼ぶことで、久保田さんはなぜか大人しくなる――から稔叔父様も視野に入れ始めたみたいだ。

「それは言わないのよね」

「もっ、すっごい黙秘。完璧っ」

 投げやりに久保田さんはふざけた言い方をする。

 この人もなんだかんだ言って限界に近いのかもしれない。一応ずっと神経を外に向けて過ごしているのだから。なんか輪をかけてボロが出ている感じだ。

「せめて、()()その人のために動いたのか、それを言ってくれればいいんだけど」

「なぜ?」

「本当に忠義を尽くしたのか、それとも何かで脅されているかよ」

 忠義を尽くしたのであればまだ良い方だ。脅されているのだとしたら、同じように弱みを握られている人が他にもいないとも限らなくなる。

「あー……。それも言わねえんだよな……」

 久保田さんはぼやきながら天を仰いだ。

 完全に行き詰っているみたいだ。

 確かに誰にも話しを聞けないとなると、ヒントを得る場所がない。

 あたしがもう一度稔叔父様にあたる、なんて言い出したらまた激怒されそうだ。……でも、それしかもう道はないんじゃないかしら。

「ねえ、久保田さん……」

「それは駄目だ」

「ちょっ!まだ何も言ってないじゃないのよ!」

「言わなくても解る。お嬢の考えてることぐらい」

 かなり冷ややかに久保田さんは威圧してきた。

 もうー。真面目なときとふざけてるときのギャップ、なんとかしなさいよ!

「めんどくさい男!」

 なんでこんな男が良いのかしら、祥子さんは!余計なお世話だと言われるだろうけどね!

 いや、言わないか祥子さんは……。ただにっこり微笑んで、お互い様とか言われそうだ。

「おまえなあ、一言で切り捨てるなよ」

「だったら他に良い方法あるの?あるなら言ってみなさいよ。聞いてあげるから!」

「そんなこと言って、本音はちょっとあの稔氏のことが気に入っただけじゃないのか?」

「さいってー!なんてこと言うのよ。このバカ!」

 この男はああああ。ほんっと時々すっごく無神経なんだからっ。

 昔は傍若無人だったって祥子さんが言ってたけど、こういうところでまだ垣間見える。

「あのなー、あっちには拳銃あるってこと忘れてるんじゃないか?おまえ」

「忘れるわけないじゃない!」

 ほんとに。あれ――噴水ドボン事件――からこの手の話題になるとささくれ立った雰囲気になる。

 お互いの主張がぶつかって、どちらも折れないから先に進まない。

「つまんねえ女」

 仕返しとばかりに久保田さんが呟く。ったくもー。

「じゃあ加藤さんに聞いてくるわ。あたしから聞けば教えてくれるかもしれないしね」

「はあ?おまえぜんっぜん解ってねえな!そういう勝手な行動が危険を招くんだよ!護衛する方の迷惑ぐらい考えろ」

 偉そうに。なんで悠汰もこの男を兄事してるのかしら。

「千石さん!あたしが加藤さんのもとに行くのは迷惑かしら」

「いえ、まったく……」

 いきなり話しを振られてたじろいでいたけど、千石さんはさすがプロフェッショナルでそう即答した。

「おっまえ、そいつに聞くなよ。ズルイだろ」

 久保田さんの声が弱くなる。千石さんはあの時きりで、そうそう頑固な一面はみせてこなくなっていた。どこかでまだ自分を抑えているのかもしれない。 

「ってゆーか二日もかけて何をしてるのかしら、あたしたち」

 いくら行動範囲が限られているからって、あまりにも流れが遅い。ぐずぐずしてたら期限に到達してしまう。それまでには犯人を捕まえたいのに。

「焦るな。それまでには見つけるから」

 見透かして久保田さんはそう断言する。頼もしい言葉だとは思うけれど、その足がかりがなにもなしでは安心なんて出来るはずがない。

 可能性のある女性だけで十人以上いるし、絞って消去法で選んだとしても消去した根拠があまりにも薄い。つまり多分タイプじゃないだろうとか、この歳の女性まではわざわざ手を出さないだろう、とか。想像の域を出ないのだ。

 それに幸祐がちゃんとした範囲の女性を相手にしていたかわからない。つまり人妻だとか近親者にまで手を出していたら数は格段に増える。禁断の愛に燃える人も確かにいるわけだし。

「そこまできたら愛じゃないわね」

「愛なんて人それぞれだろう」

「らしくない人がらしくないことを……」

「あのなあ、じゃなくて!この家の奴らは普通じゃないだろう?特に色恋沙汰は源蔵氏の血を引いてるってだけで怪しいもんだ」

「それって……あたしもそうだと言いたいわけ?」

 いま確実に聞き捨てならないことを聞いた気がした。

 一瞬は男目線で擁護してんのかと思ったけど、結局そういうことなわけね。でも否定しきれないところが悔しい。

「おまえは普通に見えるから心配するな。少なくともいまは」

 冷ややかな目線を送ったけれど、久保田さんは飄然と言った。

 ふーん、そう。

 まったくフォローされてる気にならないけれどね、最後の一言で。

 あたしたちがこんな言い争いをしている間に、遠くから騒がしい怒鳴り声が聞こえてきた。

 防音完備なこの部屋にまで聞こえる音。

 扉のすぐ前で騒ぎが起こっているのだと気づいた。

 久保田さんの顔色がすぐさま変わり立ち上がって扉に近づく。あたしも立ち上がったけれど、前に庇うように千石さんに立たれた。

 久保田さんが扉を開ける。

「ちょっと離してよ!いや!触らないで!」

「落ち着きなさい!その手に持っているのを渡しなさい!」

 今までにもあったようなやり取り。護衛の前田さんが襲撃に来た誰かを抑えているのだとこのやり取りで判断した。

 しかしこれまでと違うところがある。その奇襲をかけてきた者が女性だったということだ。

 久保田さんも、応戦しに出て行った。

 あたしは相手が誰だか気になった。声しか聞こえなくて見えなかったけれど、若い女性。

 本能が告げた。幸祐絡みの誰かではないのかと。

 こういう話をしていた最中の出来事だから、そう思ったのかもしれない。

「千石さん。部屋に入れてあげて」

「玲華様!危険です」

「だからあなたたちがいるんでしょう?ボディチェックはあたしがするわ」

 言い捨ててあたしは扉に近づいた。

 慌てながら千石さんが制止をかけて、まずは私がと声をかけられた。それであたしの提案は呑んでくれたんだと解釈する。

 だからまずは大人しく千石さんに任せた。

「触らないでよ!玲華!いるんでしょ!玲華に会わせて!」

 扉が開くとクリアに聞こえる。やっぱりあたしに会いにきたようだ。

 男たちの背中しか見えないけれど、聞き覚えのある声であたしは瞬時に思い当たる人を探した。

 その間に千石さんが一歩前に出る。

「玲華様がお話を伺うと。中に」

 指示すると久保田さんが信じられないという顔でこちらを見た。また少し怒ってる。

 あー嫌だわ。また衝突するのかしら。

 内心でそう思っているうちに、取り押さえられた状態で部屋の中に女性が姿を現した。

 その人は。

「瑞穂……」

 清志郎伯父様の三番目の子供、次女の瑞穂だった。

 背中まである長い黒髪は振り乱されて顔面が半分隠れている。余程興奮しているようで、肩で息をしながらもあたしをしっかり見据えていた。

 そしてテーブルの上にある家系図に視線を移して、一言あっと呟いた。

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