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第二章 ・・・ 5

 倒れている二人の状態を確認したいのに、あたしたちはまだそれが出来ずにいた。

 突然、あたしは千石さんに押された。かなり強くて、踏みとどまれずに倒れてしまう。

(なに?)

 瞬時に千石さんの方を見る。

 一人の細身で長身な男が、部屋に侵入しており、千石さんに襲いかかっていたのだ。

(誰……)

 今回の対策として、この家に残った者は皆、把握していたつもりだったけれど。

 しかしその顔は初めて見る。ここに住んでいたときでさえ、見たことがない、若い知らない男の人だった。

 その男は先端の尖った細いナイフを持っていた。

 武術で対抗しようとしている千石さんは不利だった。どちらもなにも言わずに部屋中を駆け回る。

「きゃあっ!!」

 キッチンの方で仕度をしていた亜依ちゃんが、こちらの事態に気づいて悲鳴を上げた。

 あたしは低姿勢でそちらに移動する。

「玲華様!」

 千石さんの鋭い声であたしは振り向いた。すると、長身の男があたしの方へ向かってきているところだった。

「!」

 捕まると思ったとき、常備身につけるようになった警棒を伸ばす。

 しかし同時に腕が伸びできてあたしは手元を捕まれた。

 速い。

 その男は素早かった。あっという間に警棒をもぎ取られ、代わりにナイフを突きつけられる。そのまま引きずるように扉まで歩かされた。

 踏ん張って止まろうとしても、男の力に敵うはずもなく連れて行かれる。

 そのとき、パンという重くて渇いた音がした。同時に男が止まる。

(そんな……。千石さんも持っていたなんて)

 彼の手には自動式拳銃が握られていた。硝煙が微かに上がる。弾丸はあたしたちのすぐ脇を通過していた。

 その音に亜衣ちゃんが再度小さく悲鳴を上げ、麻衣ちゃんも奥から様子を見に来た。

 出てきては駄目だと、二人に叫びたいのに声がでない。

 侵入者もナイフから拳銃に持ち替えた。俊敏な動きで、二発千石さんに向けて発泡する。

 近い場所での鋭い音に、条件反射で体がビクリとなる。その流れ弾が花瓶に当たって割れた。

 千石さんはソファの陰に隠れながら、続けて威嚇をした。

 侵入者が千石さんに集中しているすきに、あたしは身につけた護身術でつかまれている腕を関節とは逆の方へ曲げた。

 男は諦めたのか、あたしをつき放す。と、あっという間にドアに手をかけ、そして出ていく前に一度振り向いた。

 そしてなにもない空間に一発撃ち放った。

(え?)

 何事か確認するまえに、男は出て行ってしまった。

 あまりの早い展開にしばし茫然となる。

 千石さんは追わなかった。あたしの元へ駆け寄る。

「お怪我はありませんか?」

「………………」

 すぐには答えられなかった。

 千石さんがしゃがみ込んだままのあたしに手を差し伸べてくれる。

 それを頼って、あたしはなんとか立ち上がった。

「亜衣ちゃん、麻衣ちゃん大丈夫?」

 二人も言葉が出ないみたいだ。ただ頷くことしかしなかった。

 それでもそれを見て、あたしはほっとなった。

「あなた…………そんなもん持ってるなら先に言っといてよね!」

「はあ、私にとっては当たり前な物でしたので……聞かれませんでしたし」

 きつ目に主張したのに、当然とばかりに千石さんに悪びれたところはない。

 あたしは深呼吸をひとつした。

「で、誰よ。いまの」

「私も初見でしたが、おそらく……深影(みかげ)のものかと……」

「深影?」

 その名には聞き覚えがあった。

 この血族の中で、隠密的な行動を専門として引き受けていたのが、代々続く深影家であった。

 決して表には出ない、裏の仕事。汚い仕事を全面的に請け負っている分家。

 しかし深影家は誰の元にもつかず、お祖父様……代々の当主と直結していたはずだ。

「どういうこと?密かにお祖父様の指示で?」

「もしくは……何者かが手懐けたのではないでしょうか?」

 考え込みながら千石さんが答える。

「まさか。いくらなんでも……」

「深影家当主、というよりいまの方はそのご長男では?」

「なにか知ってることでもあるの?」

 深影家はいつも公の場には出てこない。あたしには何の情報もなかった。そういう存在があるという大人たちの会話を、幼少期に一度耳にしたぐらいだ。

「いえ、私も詳しくは……」

「どんな些細なことでも良いわ、教えて」

「はい。深影家のご長男、(しん)様は、その家系の中でも最も有力な後継者で、それに向いている男だと言われているようです。当主よりもその性根に迷いが無いとか。しかしそれゆえに危険なのです。人を陥れたり殺したりすることに快楽を覚えている伏しが有り、当主でさえ諸刃の剣となりかねない男だと伺ったことがあります」

 なんて人なんだろう。だけど確かに、いまの男に隙はなかった。一種不気味な空気を纏っていた。

 護衛の二人が気がかりで、あたしはもう一度扉の前に立つ。

 恐怖からすぐに開けないでいると、後ろから千石さんがドアのレバーを握った。

「私が」

 いいえ、と突っぱねるつもりだったけれど、有無をいわさず後ろに追いやられた。

「ちょっと、あたしの役目よ!」

「まだあの者が潜んでいないとも限りませんので」

 淡々と進め、あっさり扉を開け、倒れたままの二人の横に跪いた。

 再びちょっとっと思って焦る。それが理由ならもう少し慎重に開けるべきではないのか。

 だけどどこにもあの男はいなかった。

「おかしいですね」

「なにがよ?」

 全体を見渡しながらあたしは尋ねる。

「まだ息があります」

 それのなにがおかしいのよ、と言いかけてはっと気づいた。

 そうだ。あの男が千石さんの言うとおりの深影慎ならば、息の根を止めないわけがないのだ。

 二人とも気を失っているだけのようだ。外傷が見つけられないから鳩尾にでも入れられたのかもしれない。

「これでわかりましたね。深影は何者かに命令されて動いてます」

「…………」

 命令されている?一体誰に?

 お祖父様はなにか言い残してからいなくなったのだろうか。

 それともこの家の誰かに唆されたのだろうか。

 しかしそれでは辻褄が合わなくなる。ただ気絶で止めろと言われて大人しく従うとは思えないからだ。だとしたら千石さん……いや、あたしには本気で向かってきていたのかもしれない。

(それともこれは警告で、次回は……)

 先ほどの異様な目つきを思い出して、背筋が冷えた。

「久保田さんと前田さんを呼びましょう」

 今回は誰の命も奪われなかったけれど、次はないかもしれない。期限が後三日で終わる。だから焦って実力行使に出つつあるのかもしれないのだ。

 ここが踏ん張りどころだと思った。

 あたしは連絡をするために携帯を置いてあるテーブルに移動した。

(!)

 携帯電話の横、ノートパソコンを見て固まった。

 液晶部分を弾丸に撃ち抜かれていたのだ。

 あたしの唯一の情報源である端末が、使えなくなっていた。



「簡単な話だろ」

 六人掛けの応接スペースに、ダイニングの椅子とアームチェアなども総動員し、全ての人を集めた。

 倒れた二人は暫くして気づいたので、いまはそれぞれの部屋で休んでもらっている。

 なので護衛の四人と麻衣ちゃんに亜衣ちゃん、千石さんと久保田さんとあたし、九人で顔をそろえた。

 そのなかで、久保田さんだけが悠々とダイニングの椅子に態度悪く座ってる。

「なんなのよ、その余裕は」

 あたしは冷ややかな視線を送った。自分があれほど恐ろしい目にあったというのに、このくつろぎ加減が腹立たしい。

 ただのやっかみだと解っているので、表立っては出さないけれど。

「要は、こいつらがその深影ってやつより強ければいいんだろ」

 そのうえこんな身も蓋もない言い方をするものだから、前田さんたちからピリっとした空気が発せられた。

(どうしてこの人はっ!)

 こんなんだから敵を作りやすいんだって、気づいてないのかしら。

 仲間割れをしてる場合じゃないのに。

「たとえば監視カメラ等で予め深影が来ることを予見できたとする。しかし結果やられるんじゃ意味がないとは思わないか?」

「それにつきましては、油断としか言えません。しかし我々はすでに深影家について認識しました。同じ過ちは繰り返しません」

 毅然とした態度で前田さんが答える。

「ならいいけどな……」

「じゃあカメラだけでも設置しましょ」

「我々が信用できないと?」

「違うわ。ここ防音になってるでしょう?だから中からまったくわからないのよ。それが困るの」

 ちなみに防弾能力もあるが、侵入されればそれで終わりだ。

 先ほど千石さんが最初に扉を開けたとき、深影慎は天井と壁の角に張り付いていたらしく、上から登場したんだそうだ。ヤモリのような男だ。

「しかしあのPCどうするんだ?」

 久保田さんが話を変えた。

 いままでセキュリティシステムをあれで把握していたのだ。あの状態ではカメラなんて設置しても使い物にならない。ダミーと同等になってしまう。

「実家に戻ればもっと性能のいいものがあるのに……」

 歯痒さから唇を噛みしめた。

 といってもデスクトップでは持って来るのに目立ちすぎる。

「まあそれはオレがなんとかしてやるとして。どうする?カメラ増やしていままで通りか?」 

 なんかあっさりと凄いことを前置きにされた気がする。

 しかしそれには触れないでおいた。

「どうかしら?前田さん」

 リーダーの意見を聴く。

「私に決定させて良いのですか?」

「あなたたちの領域でしょう?僅かでも危険を感じるのであれば、別の案をあたしから提示させていただくわ」

 四人は顔を見合わせた。そして軽く頷き合い前田さんが代表して言った。

「先ほども申しましたとおり、同じ失敗は繰り返しません。ただあの二人はもう少し休養が必要です。無論残りの者でカバーしますので、それだけ許していただければ」

「もちろん結構よ。それとこれまで防弾チョッキを着てなかったのなら、これからは着用していただけるかしら?」

 皆が集まる前、千石さんから護衛の職に付くものには(あらかじ)め拳銃とともに防弾チョッキも支給されていることを聞いた。

 どこの国の話よ、と思ったが、この国でも銃絡みによる事件は皆無ではない。ならばやはり必要なんだろう。

「かしこまりました」

 軽く前田さんは頷く。

「久保田さんも着てくれる?」

「オレはいい。あれだって完璧じゃないんだ。頭とかを狙われたら終わる。あんなもん重いだけでオレには合わない」

 話を彼に振ると、同じ調子のままで断ってきた。

 どこからくるんだろう。ここまでの思い切りの良さは……。

 ちょっと呆れたけれど、そこでこの場は一旦解散となった。

 メイドの二人も片付けを終えて立ち去ると、ようやく久保田さんと深い話をする。

「で、今日の報告は?」

「相変わらずだ。収穫なし。ただ、面白い会話を盗み聞きしてきた」

 勿体ぶって久保田さんは一度立ち上がり、キッチンへ向かった。

 これまでの習性を鑑みるに、コーヒーを入れに行くんだろう。

 そう予測を立てると、相違があった。発見器を持ち出し何度目になるかの盗聴器チェックを開始する。

 すると、一際甲高い音が角の方でしていた。

「また?」

 嫌なくらい聞いた音だ。

「またみたいだな」

 素っ気なく返すと、オフにして片付けていた。回収したものはすべて纏めて同じ引き出しに閉まってある。

 すでに慣れてしまっている空気が悲しい。

 それから久保田さんはやはりコーヒーを入れ出した。毎日平均三杯以上飲んでいる。絶対胃を悪くするとあたしは予測をたてている。

「現場に行ったら、ちょうど毅氏と椿原氏に遭遇したんだ」

 入れたてのコーヒーとともに、どっかりとソファに座り直す。

「毅叔父様?」

 襲撃のあった同時期に毅叔父様も動いていた。

 もちろんその事実のみではシロという判断はできないけれど、あたしは頭に一情報として書き込む。

 こんな昼間に、彼がこのなかにいるのは、かなり珍しいことではないだろうか。

 幸祐が閉じ込められてから、地下室へは誰も近寄ろうとはしていなかった。しかし警備などもつけてなかったし、入ろうと思えば誰でも入れる。

「青筋を立て毅氏が詰め寄っていた。わたしはあれの父親だ。なぜその亡骸と対面できないとな」

「……」

「この件が片付くまでは誰も近づかせられないと丁重に椿原氏は断っていた」

「亡骸って浩佑のことよね」

 すでに幸祐の遺体はあの場にはない。椿原さんがお祖父様と同じところに冷凍保存しておくと言った。

 現場を荒らすような真似をしていいのだろうか。と、思ったのだけど、確かに警察に公に出来ないと皆が決定したのであれば、ずっと放置しておくわけにもいかない。

 この家はそういう公的機関にもあっさり抵抗できてしまう。久保田さんは、真面目に生活してる自分が馬鹿馬鹿しく感じる……と嘆いていた。

「だろうな。この件とこのことは関係ない。()()()()()が死ぬことも予見して、期限内は誰とも対面させるなとでも遺言に書いたのか、と凄い剣幕だった」

 あたしのなかで僅かな違和感が生まれた。久保田さんがニヤリと笑う。

「おかしいと思わないか?」

「ええ」

 幸祐の遺体の前に皆が集合したとき、真っ先にこのこともお祖父様の件同様、ふせるべきだと言い出したのが誰でもない毅お祖父様だった。

 全く悲しみや苦しみなどの類を見せず、それどころか見下したような眼で遺体を見ながら言ったのだ。あのときの顔と、その言動は結びつかない。

 一般的な家族という認識はここの人は成立してないケースが多い。おそらく損得勘定ぐらいにしか引っ掛かりがないのだろう。

(父親があの人で、子どもはあれ……だもの)

 それでも亡骸を見たい、とここまで激昂するほど主張するさまは、違和感以外のなにものでもなかった。

 これはなにかある、と思ったほうがいい。

 きっと久保田さんも同じ感覚に陥ったのだろう。

 一口で半分くらい飲み込み、そして続けた。

「椿原氏が言うには、浩佑側には源蔵氏がいる。だから本音ではどちらに会いたいのか、わたくしは判断致しかねます、だってさ」

「そう……」

 つまり毅叔父様は、子どもに会うフリをして、本当はお祖父様に近づこうとしていると椿原さんは思っているんだ。実はどこにお祖父様が眠っているのか、誰にもあかされないでいた。

 なぜだろう。

 その真意はわからない。だけど椿原さんは叔父様の目的が読めているのかもしれない。

「やっぱり、油断のならない人ね……」

 それがあたしの結論だった。大人しく真っ向勝負で来てくれる人ではない、ということだけひしひしと伝わってくる。

「加藤さんは、まだ?」

「変わりなしだ」

 顔をしかめながら久保田さんが答えた。

 ずっと久保田さんが加藤さんに事情を聴きに言っていた。それでも加藤さんは黙秘を続けているのだ。

 久保田さんの話では、なにを言ってもどんな脅しをしても、生真面目で毅然とした態度を崩さないらしい。

 すでに腹をくくっているのか、簡易なベッドの上に胡座をかいて堂々たる姿勢で座ってるそうだ。

 使用人と血族者の境が、地下牢にも設けられている。

 幸祐のいた地下一階は本当に普通の部屋に、出られないように鉄格子がしてあるだけのもの。しかし加藤さんがいる地下二階は質素でしかも狭い。コンクリむき出しの昔ながらのものではないが、必要最小限のものしかないのだ。

 だから殺害時にもなにも聞こえず、加藤さんは事件にも気づかなかったと供述している。大雨も手伝っていたから、それは本当かもしれない。

 黙秘しているのは、誰の命令で幸祐の手助けをしたかという箇所のみだ。もっともそこが一番知りたいことだったりするのだけれど。

「なあ、あの拷問の道具はなんだ?」

 不意に久保田さんが興味津々というふうに聴いてきた。

 実は地下二階の奥にそういうものが置いてあるのだ。

「お祖父様の趣味よ。昔実際に使われたものをヨーロッパやなんかで収集して帰ってくるの。あたしはやめといた方がいいって、以前から一応忠告はしてきたんだけどね」

「以前って……小学生だろ、おまえがここ出たの。……昔から言うことマセてたんだな」

「どこがよ!」

 むかっときて睨んだら、久保田さんはそっぽ向いて、べっつにと呟いた。

「まさか、久保田さん拷問して喋らそうとしてない?」

 加藤さんに、拷問する気なのかしら。

 この人ならやってても絵になりそうで凄く怖い。

 だけど久保田さんは心外って顔をした。

「そんなことするか。見ているだけで痛々しいだろう、とくにあの棘付きの椅子。他にも使い勝手の不明なものまでありやがる。オレ、あんなのやって絶命させない自信がない」

「どういうところで力不足を感じてるのよ」

 しかも自信がないという人の態度ではないし。

「っつってもなー、いまは加藤しか聞けそうな奴もいないんだよな」

 やや本気のぼやきを、ため息交じりで言った。

 実はそのあとに奇襲かけてきて、閉じ込めている人たちはどこか病んでいて話しにならないんだそうだ。

 イカれちまってる、と久保田さんは表現していた。どこか妄想しながら喋るか、(おび)えながら黙っているかのどちらかだという。

 次は自分が()られるという勘違いをしているのかもしれない。

 ということで、いままともに久保田さんと会話をしてくれのが加藤さん一人だけなのだ。それはあたし側ではない人としてだけれど。

「あなたがそのつもりなら、好きにしていいわよ」

「だからやらないって。それにあいつやっても喋らないと思うぜ。それくらいしぶとい」

 珍しいことだけど、久保田さんは加藤さんを高評価しているようだ。話しているうちに、情が生まれたようだ。

 仕事中に情を入れたケースとしては悠汰がいる。ただ高評価する人はあたしとしては初めて会った。加藤さんのほうが二十五歳で歳下だと言っていたのに。

(つまり加藤さんが大人なのね)

 精神的な話で。

 それならば毅叔父様か、清志郎伯父様か……。いずれにしても下っ端のものに動かされるタマではないということになる。だからこそ、幸祐にただ手を貸したということが考えられないのだ。

 その証拠が出れば、その人も地下室へ放り込める。あたしも少しは安心できるというものなのだけれど。


   * * *


 次の日の夜だった。始めて椿原さんの方から動きがあった。

 正式に遺された遺言書を発表すると宣言したのだ。

 そこでまたここに残っている全員が広場(ホール)へと集まったのは、夕食時間をすべての人が終わらせた十時だった。

 椿原さんの隣には顧問弁護士の人もついていた。だから皆、表向きはおとなしく聴いている。

 内容はほとんど前回と同じもののようだったようだ。

 ただ、たった一言追加があった。あたしも知らなかった、聞いていなかった一言。 

 しかしその一言が最も醜悪で最も厄介だった。

 つまり、それは期限のことだ。二十日は二十日で変わりはないのだけれど……。

「え?お祖父様が死んでから二十日?」

 加筆されていた。その部分のみが。

「やっぱりなに考えてんだあのジジイ……」

 あたしの隣で久保田さんも舌打ちをしている。

 お祖父様が亡くなったのが先週の金曜日の朝だ。今は木曜日だからつまりあと二週間この状態が続くというわけだ。それはあたしに署名をして認めてもらえる期間だ。

「これが助けになるか、それとももっと危険が増すか……」

 倒れ込みたくなった。フルマラソンのゴール寸前で、もう十キロ追加で走ろと命じられたときのような衝撃。

 確実にあたしが遺贈を受け取る直前と、まだなんとかなると相手側に思わせることが出来るこの状況と、どちらが危険なのか見極めが難しい。

 正直このまま本来の期限二十日を迎えるのは恐ろしいものがあった。深影慎を筆頭に、危険な輩がまだこの敷地内を自由に徘徊しているのだ。

「やるしかないだろうな」

 久保田さんの仕事も延びる。だけど最早逃げるという選択は初めから無いみたいだ。

 それはとても有り難いことだと思う。

 あたしより前の方で毅叔父様は、他の誰よりもその書面を手にして確認したいと主張した。

 それを椿原さんは断る。

「少なくとも、期限を終えるまではどなた様にも手を触れさせてはならない。これも源蔵様の命令でございますので」

「すべてそれで済ませられると思いやがって!」

 あたしはこの言葉で、ふと思い出した。昨日のこの二人の会話。

 毅叔父様は遺言状を求めている。

 遺言状をこっそり破棄すれば、今なら証拠隠滅は可能だから。

 後からいくら騒がれても物的証拠がなければ強引に持っていけると彼は見ているのだろう。確かにそれを通せるだけの権力(ちから)がある。

 しかしその在処もずっとあかされないでいた。

 この敷地内を探し回り、それでも見つからないとなると、後はお祖父様と共に眠っていると毅叔父様は考えたのかもしれない。

(あれ……?)

「おい、もう部屋に戻るぞ」

 ふとなにかが頭を掠めたけれど、久保田さんに強制的にそう言われて刹那、消え去ってしまった。

 皆が動く一歩手前で、あたしは帰らねばならない。人で混雑したなかで、慎のようなものに襲われたらひとたまりもないからだ。

 久保田さんと千石さんに挟まれて、あたしはその会場を後にした。


   * * *


 次の日の午前中。ようやくあたしのもとにパソコンがやってきた。

 久保田さんがなんとかしてやるって言ったのは、外に出て調達してくるだけだったようだ。

(また大袈裟に隠してぇ)

 格好つけたかったのだろうか。朝一番に出たようで、あたしが目を覚ます頃にはデスクスペースにすでに置かれていた。

「好きなだけお得意のハッキングをしてくれ」

「嫌な言い方しないで」

 ハイスペックのデスクトップパソコンだ。

 これなら思うとおりのことができる。

「また聞き込みしてくる」

 本当にパソコンだけ置くとそそくさと久保田さんは出て行った。

 まあ他にすることもないわけだから、調査に身を入れているんだろう。護衛なら千石さんがいるし。

 これで重要な情報でももってきてくれれば言うことはない。

「せめて本気で付き合ってる人がわかればなあ」

「その女性が犯人ですか?」

 珍しく千石さんがあたしの独り言に反応した。

「そんな単純じゃないだろうけどね。そもそもあの時この家にいる人じゃないと無理だから。でもそういう人がいれば情報が得られて先に進めるわ」

 チェアに座り左右に回転させながら、どうしたものかと思案する。

 ちょっとぐらい関わりある人ぐらいしか、ここではわからないのだ。

 LAN経由で人間関係以外の情報を得ようとしたときだった。

 あたしの携帯が鳴った。

(世羅?)

 こんなお昼になることはまず珍しい。あたしはつい日時と時間を確認してしまった。

 金曜日の十一時すぎ。まだ三時限目の最中だ。

 怪訝に思いながらも電話に出た。

「どうしたのよ?」

『いきなりそれが挨拶か?……元気そうだな』

 変わらない世羅の語調。

 あの電話のあとから四日も経っていることに気づいた。連絡がないということは、事態に変化がないんだろうと思って、あたしからはとくになんのアクションもしてこなかった。

 そのあとがこれでは……。

「悠汰になにかあったの?」

 鋭くあたしは尋ねた。

 すると電波に乗って微かに笑う声が聞こえた。

『とくにはなにもないよ。まだね』

「まだってどういうことよ」

『いや、今日ようやく玲華の言うとおりフォローしようとしたんだ』

「遅くない?」

 責めたくはないが、悠汰のことを考えれば気を揉まずにはいられない。

 月曜日に話をして報告が金曜日とは。思い立ったら即行動の世羅らしくない経過だと思った。

『仕方ないだろう。やつが授業に出ないから、会う機会がなかったんだ』

「どういうこと?休んでいたの?」

 あたしは自分の耳を疑った。

 謹慎はあったけど、それ以外は一度だって休んでいなかったのに。

『いや、学校には来てたみたいだな。姿はちょくちょく見ていたのだが授業はさぼっていたんだ』

 どうして、と言いかけて、あたしはやめた。

 もしかしなくてもあたしのせいだ。今回のことが関係しているとしか考えられない。

『仕方ないから、今日は私も二時間ほど授業をさぼらせてもらった。週を持ち越したくはなかったからな』

 どこかわざと恩着せがましい色を含めて言う。

 あたしは気持ちが逸って、それは聞き流すことにした。

「それで?結果は?」

『残念だよ。ご褒美を逃してしまった』

 まったく残念がってないようで、世羅の言い方には変わりがない。だけどそれがすべての答えだった。

「今度はどんなふうに失敗したの?」

『私の知っていることは話してやるとまで言ったのに、いらないと答えてきた』

 そこで世羅の声が硬いものになった。些細な変化だったけれど、あたしは聞き逃さない。

『玲華。神崎はすでに比絽とかなり深い間柄になっているようだ』

「え?」

『これは私の勘だが……、やつは比絽に感化されている。操られてると言っても過言ではないかもしれない。気をつけろ、玲華。なにを仕掛けてくるかわからんぞ』

「そんな……」

 あたしの知らないうちに、またこの家に近づいてきている。

 それは駄目だと思った。

 やはり逃れることは出来なかった――。

 久保田さんにした“お願い”。それが近づいてくるかもしれないと、あたしはこのとき覚悟をし始めていた。



 そして午後。

 綾小路先輩からも電話が入った。この日初めて悠汰と接触したことをまず最初にあかしてきた。

 この人も時々連絡をくれるけれど、それはすべて今日もこの家に入ることを失敗したという報告のみだった。

「悠汰を避けてたの?あなた……」

『そんなことするはずがないじゃないか。ただ会っても話すことはないと思っただけだよ。神崎の安心のために僕は利用されてはやらないとね』

「あんたね」

 どこまでも悠汰を目の敵にしている。京香が以前あたしたちの噂が学校にまで流れていると行ってきた。だからこの人が説明してくれればすべて丸く治まったはずなのだ。もちろんあたしは、この人がそんなことをするはずないと思って、わざわざ世羅にまでお願いした。実際世羅の話を聞く限りそれは予測できたことではある。

『噂を流した人物がわかったよ。美山が比絽に言われて京香とともに流したと白状した』

 美山先輩ね、とあたしはため息をつきたくなった。

 あの人と直接関わりはないけれど、良い噂はひとつも聞かない。悠汰のこともあって、あまり関わるつもりもなかった。

「美山先輩はどうして手を貸したの?」

『ただ面白いからとだけ言っていたな。比絽に言われた通りにすれば、神崎が元に戻ると思ったようだ』

「元?」

『最近のあいつは、見ていてヤバイ目つきになっているってさ。僕は今日初めて接触したからわからなかったけど、確かに不安定な精神を感じたよ。彼の目は焦点がどこか合っていないように見えた。気迫が感じられないのに、どこか必死でさ。必死だと思えたのは、この僕を捕まえるぐらいには本気で走っていたからね』

 これは……。

 あたしが思っている以上に、悠汰に負担をかけさせているのかもしれない。

 綾小路先輩は、あくまで噂だけど、百メートル走で十秒台をたたきだしたこともあると聞いたことがある。

 いまもまだ体育でどこか制限をしながら運動をしている悠汰が、本気を出して走ったんだ。

『告げ口みたいになるけど、言わせてもらう。神崎は、もう噂のことはどうでもいいって言っていた』

「え?」

『玲華。やつがわざわざ言い直した“もう”で僕は察知した。おそらく最初はその事が聞きたくて二年の教室にまで訪れていただろうけど、神崎の中でその中身は変わったんだと思ったよ。だから比絽からかなりの情報をつかんでると言える』

 これは世羅から聞いていた情報と繋がる。世羅だけの、ただの勘ではない可能性が高くなった。

 あたしは目の前が遠くなりそうな感覚に陥りそうになり、なんとか押し止めた。

「比絽は、どうしてそんなこと……」

『さあね。それは美山も言わなかった。ただ僕は今日帰るときに比絽の姿を見たんだ。学校のすぐ近くで』

「比絽が?」

『そう。それで僕は確信した。神崎を操っているのは比絽だって。比絽の手によって神崎はそこに忍び込む気だと。神崎がした質問、まさにそちらの家の中のことだったからね』

「うそ……」

 綾小路先輩からもでた。操っているという言葉。

(それから、なに?)

 比絽が、忍び込ませる?

(それが狙い)

 あたしには比絽の狙いが徐々に読めてきた。必ずそれは親切心からしているわけではない。比絽は失敗させるつもりだ。

「どうして、教えてくれるの?」

 ふと、疑問に思った。これまで完全に悠汰の話は無視していたのに。

『きみが不利になることぐらい、僕にだってわかるよ。やっぱり馬鹿だね、あいつ。僕でもこんなにすぐ想像がつくのに。玲華にとって最悪の状況になることがさ』

 やはりあたしのため、か。

 嬉しさよりも申し訳なさのほうが勝ってしまった。あたしはどうあっても、それには応えられないのだから。

『どうだろう?先手を打てるような情報だったかな?』

「ええ。とっても助かったわ。ありがとう」

 間単にお礼を言ってあたしは通話を終わらせた。

 なんとかしなきゃ、と思って焦る。こんなまわりくどいやり方ではなく、もっと本質的に手助けしたいのにそれがままならない。

(まずは目先のことね)

 どうやって侵入するつもりなのか知らなければ、追い返すことは出来ない。

 あたしは再びパソコンに向かった。

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