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第二章 ・・・ 4

 人一人がこの世からいなくなったというのに、ここまで誰も悲しまない状況というのも滅多にないことだろう。それは一種異常なものに見える。

 久保田さんと猛ダッシュしてたどり着いた塔には阻むものがいなかった。それどころではない状況なのが、こういうところから伝わってくる。

 そしてお祖父様の部屋にもすんなり入れさせてもらえた。中には第一秘書の椿原さんと、専属の主治医である小谷(こたに)さんと、それから千石さんがいた。

 布が邪魔をして、お祖父様が見えない。

 近寄ろうとしたとき、椿原さんに止められてしまった。

 すぐにどこから聞きつけたのか、中心にいる親戚筋が後に続いてきている。どこから情報を聞きつけたのだろう。

 先頭はあたしと久保田さんだった。

 久保田さんは千石さんに聞いて、だったのに。それ以外で知る方法とは……。

(まさか)

 あたしのなかにひとつの予測が立つ。でもそれが、どういうことを意味するのかまでは確信が持てない。

 ある程度集まったところで、小谷さんが周りに視線を流しながら、重々しく言葉を発した。

「皆様。四時三十二分ご臨終です」

 半信半疑で駆けつけた者たちの顔色が変化した。ざわめきが起こる。

 久保田さんは隣で驚愕していたのが気配でわかった。 

「どういうことだ?十日前はまだ動いていたじゃないか」

 毅叔父様が青ざめている。

 それに応えるように椿原さんは降りている紐を引っ張った。

 するとするすると布が上がっていく。

 そこには横たえた一人のご老体が横たわっていた。

 一目見て判る。すでにこの世と切り離されてしまった者の顔だ。

(お祖父様!)

 駆け寄りたくなるのを必死で抑える。ここで理性を切り離し錯乱状態に陥ることができたなら、まだ楽だったのかもしれない。

 だけど様々なことが頭を巡り、唯一できることはただこの事態を見守ることだけだったのだ。

「源蔵様のご意思でどなたもそれ以上近づくことを許しません。すべてはわたくしが取り仕切りたいと思います」

 何人かが駆け寄ろうとしたとき、椿原さんが拒否を許さない厳しい声でそう伝えてきた。

 こんなときまで、対面できるのはお祖父様が気を許した使用人のみだなんて……。

「なんだと?なにを仕切る気だ」

「すべてのことです。葬儀全般のことから遺言状の発表までです」

 遺言状、と聞いて周囲の空気があきらかに変化した。椿原さんを下に見ていた連中が怯んだのだ。

「そうだ、あれはどうなるんだ」

「まさか本当に玲華さんの手に?」

「しかしまだ二十日たってないじゃないか」

 囁きあう声はすべて耳に届いてきていた。

 まさに胸騒ぎがしているあたしの胸中を、代弁してくれているみたいだった。

「遺言は本当に残されているのです。ですからまだ有効です。それまでこのことは他言無用に願います。このようにこの一族が揺らいでいることを、外部に知られるわけにはいけません。落ち着くまで葬儀は行いませんので」

「他言無用って……」

 椿原さんの申し出にまた周囲がざわついた。

「葬儀をしないだって?ばかげている」

()()はどうする気なんだ!」

「ご遺体は冷凍保存いたします。これもわたくしめに課せられた命令です。つまり源蔵様のご意思。そういう内容の遺言もございますので、皆様方あまり不用意な行動を起こされなきよう心得てくださいませ」

 不満を持ちながらも逆らうものはいなかった。あくまで表面上では、だが。

 この展開が吉と出るのか凶と出るのか……。

 あたしには後ろ盾がひとつ無くなった。お祖父様という最も大きな効力が。

「れいかおねえちゃん」

 不意に袖を引っ張られた。

 それではっと気づく。いつのまにか大半がぞろぞろと大人しく帰っていっているときだった。

 声を掛けてきた張本人は、あたしの脇にいて見上げている。可愛らしいボンボンの髪飾りを高い位置に結んでいる七歳の少女。名は……。

「なあに?真帆(まほ)ちゃん」

 あたしは同じ目線になるようにしゃがんだ。無垢な笑顔で真帆ちゃんはあたしの左手を取る。

 子どもが苦手だといっていた久保田さんは、とくに関わろうとせず遠巻きに眺めていた。

「おねえちゃんがおじいちゃんをころしたの?」

 そうだ、この子もお祖父様の孫だ。間違いなく。

 笑顔が歪んでいる。

「――――」

 こんな幼い子供にも、しっかりこの家の風習は絡めついて纏わりついている。間違いなくこの血族の一員だった。

 先に前にいた大人達が振り向く。あたしたちに、確かに注目していた。

「違うわ」

 子供にも、子供相手だからこそ、全力できっぱりあたしは否定した。

 眼光が鋭くなっているのに、遅れて気づく。

「そうなんだ。くるしくなって、おいつめられて、さっさと財産がほしくなったのかとおもっちゃった」

「真帆」

 一人若い女性が、(すく)い上げるように真帆ちゃんを抱き上げた。母親の(あかね)様だ。

 連れて行く前にしっかりとあたしを睨みつけていた。

 真帆ちゃんの考えは突飛でそこには何の根拠もない。現に病死しているお祖父様を前にして殺されているとは誰も思わない。明確な事実。

 それでも、この少女がしっかりと財産という、世間並みの子供には縁遠い単語を淀みなく発したのは間違いなくて。

 そのことが、いかに両親の間で繰り広げられている通常語になっているのか、窺い知ることが出来た。

 

 

「あたしもう対面方式で皆に会うのはやめるわ」

 自分の部屋に入ってまず、あたしは久保田さんにそう告げた。

 千石さんはお祖父様の件を隠滅させるのに一役かっていて忙しいようだ。まだここには戻ってきてない。

 前田さんたちには、誰が来ても通してはならないと言ってある。扉の前で引き続き守ってもらっている。

「防戦一本でいくのか?」

 戻ってそうそうソファにくつろいでいる久保田さんは、なにか言いたそうな顔でいた。

「だいたい誰がどんな人か見極めたから、もう必要ないのよ」

 あたしの本来の役目は、皆の挑戦に立ち向かうことではない。

 律儀に面会する必要はないのだ。これからは少しでも自分の身を守らなくちゃならない。 

 というわけで。

 その日から部屋で食事をとることにした。もともと夕食以外はここで食べていたのだが、食事だけでなく部屋に篭ることに決めたのだ。

 で。

「なんでオレが毒見なんか…」

 まず久保田さんにお願いしたのがそれだった。

 いままでは千石さんにやってもらっていたのだけど、いないんだからしょうがない。

 久保田さんはいままで、別の使用人たちと食事をしていたから知らなかったようだ。目を丸くしてぼやいていた。

「食事に毒、なんて初歩的なことで命を落としたくないわ」

「毒見役はいいのかっ」

「大衆の面前で、大袈裟に毒見をしてもらってたのよ。確実にあたしを仕留められないのに、誰がわざわざやるのよ。自分の立場が危うくなって終わりじゃない」

「本当に、最近おまえはどんどん殺伐としてきているな……」

 ダイニングキッチンに移動してきた久保田さんは、それでも拒否はしなかった。

 ぶつくさ呟きながらも席に着いた。

 食事は、麻衣ちゃんと亜衣ちゃんが作ってくれている。この二人は本当に家事のスペシャリストだ。作れないものないんじゃないだろうか?あたしが注文したもので断られた物がない。

 他にも掃除や洗濯物をクリーニングに出してくれたり、千石さんたちでは補えない、女性特有のお願いも彼女たちがこなしてくれる。

 一通り毒見をしてもらってから、ようやくあたしは食べだした。

 今日は和食だ。お味噌汁から口にした。

「亜衣ちゃん。どんどん料理上手くなってるわね」

 やっぱりあたしってば日本人だわ。改めて痛感する。

 といっても、洋食も大好きなんだけど。いまは和食ブームなのだ。

「麻衣ですよ。お嬢様」

 まったく気にしてなさそうにニッコリ麻衣ちゃんは微笑む。亜衣ちゃんは無表情で久保田さんのコーヒーを注ぎ足していた。

(また、か……)

 内心だけで、冷や汗をかいた。

 この展開はどういうことなんだろう。あたしが気がつかないうちに、精神に負担がかかっているのだろうか。

「そう。でも美味しいわ」

 心の内側を隠してあたしは受け流した。

 一連の流れを、なにも言わずに久保田さんは見届けていた。なにかを考えていそうなのに、なにも言わない。

 しかし妙な空気が漂う前に、久保田さんが口を開く。

「で、話を元に戻すがな、おまえにはこれからどうする予定だ?」

「敵を(おび)きだすことにするのよ」

「はあ?」

 いかにも呆れたという声を出す。

 そんなに突拍子も無い発言だとは思わなかったけれど、仕方なく説明を続けた。

「お祖父様がいないいま、彼らには脅かされているものが殆どなくなっているのよ。幸祐のバカは何も考えず先陣を切ったけど。ああいう輩が増えてくると読んでいるのよ、あたしは」

「だから?なんでわざわざ」

「だからよ。四方八方から来られるより、分かりやすい方向から来てもらった方がガードもしやすいでしょ。久保田さんも」

「んなこといって爆弾でもぶっこまれたらどうする気だよ」

「それは素早く解体してもらわないとね。久保田さんに」

「おい。出来るか、そんな神業」

 久保田さんの目がつりあがった。

 おかしいなあ、久保田さんならたとえ出来なくても、任せとけとか言うと思ったんだけど。

 根拠の無い法螺(ほら)は吹かないようだ。

「でもソレ、あり得るわね……。いまあたしが死ねば、とりあえず法律的に分与されるものね」

「おまえ、ちょっと自棄になってねえか?」

 真剣に考えてるのに久保田さんが茶々を入れる。

 しかしその言葉とは裏腹に、目は真面目だった。あたしの本心を見極めようとしている。

 だからあたしも、それを見つめ返して真面目に言った。

「いいえ。何一つ諦めてないわ」

 そう、やるなら徹底的にだ。

 期限がきたときに、後に持ち越したりなんてしない。すべてをやり切って戻るんだ。悠汰のもとに。


   * * *


 この家にある監視システムは完璧だ。

 警戒用にとりつけられている器械(アイテム)は最先端の物が使われている。昔のヨーロッパを見立ててるのに矛盾してるとあたしなんかは思うのだけど、理想と現実は違うということらしい。

 そのコンピュータールームはお祖父様が雇った警備人が管理している。お祖父様からみて公平にはなっているのだ。しかしいまは加藤さんという寝返る者がいるように安心は出来ない。中立ではないことをわきまえておかなければならなかった。

 セキュリティは外からの侵入者から守る為だけのものではない。隠しカメラは内側にもついていた。廊下の各場所に。

 そこであたしはパソコンから侵入し、自分で把握していた。どこにカメラやセンサーがついているのかを。

 しかしそれだけではない。

 あたしは千石さんにあらかじめ要求していた。こちら側の警備の強化を。

 久保田さんが目を輝かせて、それらを見ていたのが印象的だった。やはりあの人は、隠しているけれど絶対にメカオタクだ。

 そしてその内の一つが超小型センサー。

 あたしの部屋の向きになる外に、それは取り付けられている。対象は庭と塀の外。半径百五十メートル。

 窓からの攻撃に備える為だった。

 ここは正面からは奥まった位置にあたる。この辺り一帯は見渡す限り西龍院の敷地だ。だからその道を通るものは皆関係者。

 だいたい通るのは黒塗りのベンツだったり、白いフェラーリだったり……要は車での走行。

 センサーは、高速二十キロ以内に動いたものに反応するようになっている。

 いちいち行き交う車にまで感知していたら、本当に警戒すべきものが埋もれていくからだ。

 この広い敷地で徒歩で、しかも裏門からどこかへ出かけるという人物はまずいない。何かの目的がない限り……。

 そのうえで、そういう機器を選んだのだ。

 それを取り付けて初めてギンゴンと感知の合図があったのは、お祖父様が死去して次の日だった。

 まだ太陽が傾きかける前。

「あ、悠汰」

 窓に寄りかかり、あたしは発見した。

 久保田さんがそれに反応して隣に並ぶ。千石さんがまだ不在で、一応久保田さんは出歩かずに身近で護る役目になってくれていた。

「なんで比絽と……」

 呟きながらも、京香のことを思い出した。もしかしたら、とうとう比絽がなにか仕掛けようとしているのかもしれないと。

 比絽はこの家では目立った行動をしていない。

 それでもなにか仕出かすとは予測できたはずだった。京香の話から。

 あたしに嫌な予感が襲う。

 悠汰は背中をこちらに向けていて表情は見えないが、比絽はどこか穏やかに笑っていた。

「あれ、悠汰の好きそうなタイプだなー」

 こちらの心情なんてなにも知らない久保田さんはどこか暢気だ。

「嫌な言い方しないでよ」

 つい本気で非難してしまった。でも確かに苛立っているのを感じた。

「でも当たってるだろ?ああいうしっかりした優しい兄さんタイプ」

「自分もそうだと言いたいの?まったく、図々しいわね」

「あのな……」

 容赦なく突っ込むと、久保田さんの言葉が詰まった。

 どういうわけか、悠汰は久保田さんのことを尊敬していた。というより、懐いているという単語がぴったり当てはまるかもしれない。そのうえ、当人もまんざらでもないというふうなのは、見ていて嫌というほど解っている。

「人が足りないわ。悠汰を護ってくれる人が……」

 深刻な問題だ。比絽や京香と接触させないようにしたい。

 二人だけじゃない。この家に関する者は誰一人として近づかないでもらいたいのだ。

「オレがちょっと行って忠告してきてやろうか?」

「あんたじゃ無理よ」

「てめっ」

「だってあんた、一方的な物言いするでしょ?で、怒鳴り合いして終わるのがオチよね。最悪もっとひどい状況になるわ」

「…………」

 なぜか久保田さんが詰まっていた。あたしの言ったことに自覚しているんだろう。

(このままじゃ……いけないわ……)

 最悪な状況になることは目に見えている。

 ここまで二人の行動を制限できなかった自分を責めた。

 せめて、ここからは少しでもなんとかしないといけない。この中からでも出来ることを。

「ねえ、久保田さん。お願いがあるの」

 そしてあたしが頼るのは、結局久保田さんだった。

 窓の外を向いたままのあたしに、久保田さんは何かを感じ取ったようでこちらを見た。

「お願い、ね……」

「そう、命令でもなく依頼でもなく“お願い”よ」

「まわりくどいな……」

 嘆息して促すように黙った。

 あたしらしくない言い方だったのかもしれない。確かにまわりくどい。

 だって、すごく頼みにくいんだ。

 それでもあたしは、頼まなくちゃいけない。あたしは顔を上げた。

「悠汰がもし、ここへ来ることになったら、久保田さんが追い返してほしいの。もう二度と来ようという気を起こさせないほど、凄惨なやり方で」

 久保田さんの目が見開かれた。すごく驚いている。

(そうよね。そんなこと、したくないわよね)

 ここまで築き上げた二人の関係を、これで壊してしまう可能性だってあるのだから。どちらがより心の傷を負うのか知らない。それでも……。

「あたしの名前を出しても構わないわ。あたしにやるように命令されたって。それでもいいから、来させないで。ここには」

 久保田さんはそれでも視線を逸らさなかった。

 あたしの本心を探るような目は変わらない。

「それがおまえの望みか」

「そうよ」

 あたしも真っ直ぐ久保田さんを見つめた。すると久保田さんは負けた、というような表情をする。

「わかった。おまえの意思を引き受けよう」

 もしかするとこの人は、すべてではなくてもなにか見抜いているのかもしれない。

 そう思わせるような、覚悟をした男の顔をしていた。

 

   * * *


「だからさー言ってんじゃん。あんたしか頼める人がいないのよっ」

 そしてその夜。

 さらにあたしは手を入れる。可能な限り予防線を張っておく。

 いきなり携帯から電話をしても、相手の世羅はなにも聞かずに対応してくれた。いつも通りに。

『私の話を奴が聞くとは思えないが』

 本当に、いつも通りで素っ気ない。

「そんなことないわよ。最近世羅、ちょっと優しいときあるでしょ。悠汰に対してさ。あたしが気づいてないとでも思った?」

 そう、あたしは知っている。何年の付き合いだと思ってるのだろうか。

『それは初耳だな』

 しかし世羅は認めようとしない。

 悠汰は最近、どこか世羅に腫れ物に触るように見ているときがある。それは過剰すぎると思うときもあった。きっと世羅自身も気づいているのに、わざわざ伝えていない。そんな世羅も問題だとあたしは思っていた。

 まあ……世羅が苛めすぎたせいってこともあるけど……。

「本当はこんなこと頼むべき立場じゃないことはわかってるのよ。でも相手はあの比絽だから……」

『比絽、ね』

 世羅も比絽のことは知っている。

 幼馴染みの一人だから。といっても、昔から何を考えているのか読めない少年で、あたしたちに近づこうともしなかった。

 あたしたちが遊んでいても、比絽だけはいつも遠巻きに見ているだけだったのだ。

 そこに京香が興味を示し、ついて歩く。それが当たり前の光景になったのはいつからかだっただろうか。

 けれど、その中で一度だけ比絽が大声を張り上げたことがあった。

『あの時の怒りようは激しかったな』

 思い出したように世羅も言う。

 あまり関わってなかったので原因は不明だけど、幸祐が何かを言ったみたいだった。それに怒って首を絞めたのだ。大人たちが制裁に入らなければ、幸祐はあのときにこの世を去っていたかもしれない。それぐらい凄まじかった。

「そうよ。何を考えているのか分からないやつが悠汰に近づいているのよ。よりによってこのタイミングで」

『だがそのタイミングとやらを、私に教える気はないんだな』

 世羅の言葉に、あたしはぐっと言葉が詰まった。

「…………でも聞かなかったのは世羅も同じよ」

 訊かなくても信用してくれている。それだけは肌で感じることができた。

 同じような世界で生まれた世羅なら、まだこちらの事情が理解できるだろう。

 だけど悠汰は違うのだ。

 家で判断されたくないし、したくもないと思う。それでも、こういう状況に陥ると、嫌でもそれを自覚しなくてはならない。

 あたしは語調を改めて会話を続けた。

「とにかくさー。比絽が用心すべきな人だとか、ここに来るなとか言えってんじゃないのよ。ちゃんとあいつは上手くやってるから、おまえも信じて待ってろって、それだけ後押ししてくれたら良いんだって」

『そこに行ったのか、奴は』

「昨日ね。だから比絽と絡んでるところ見ちゃったんだってばー」

『全く教えてやらなかったのに、情報をつかんだのか。称賛に値してやってもいいかもしれんな。愚直な行動に呆れはするが』

「あんたね……」

 なんかその光景が目に浮かぶようだ。

 そういう態度をするから、いつまでも悠汰が過剰な気遣いを止めないのではないだろうか。

『綾小路様も絡んでるのだろう?会っているのか?』

「会ってないわよ。あまり言えないけど……。だいたいあいつに頼んだところで、全うしてくれるとは限らないわ」

 綾小路先輩は毅叔父様に制止をかけられている。あの人がこの状況で関わらなくなるのは有り得ない。

 いまはあの手この手でここに入る算段を取り付けようとしている、という連絡は逐一きていた。

 婚約は認めるが、認めるからこそ正式なものになるまで貞操は守れ、とか何とか言われているそうだ。

「もちろん大切に扱っている、会うだけなら良いでしょう、などと応戦はしているんだけどね。やり取りをしていくうちに、それを叔父の貴方から言われる筋合いはないだろうという結論に達して、しまいには平安時代の通い婚のこととか言っちゃったりして……。墓穴を掘ったよ……」

 というのが直近の情報だった。なにをやってるんだか……。

 こんなことなら学校なんて無視して、僕もあの家から離れなければ良かった、とぼやいていた。

 それでもいまの段階で、毅叔父様が綾小路先輩を適当にあしらえないというところは事実としてある。だからこそ毅叔父様本人が対応してくれているわけだし、その間は彼はあたしに手を出す暇がないということだ。

 綾小路先輩もそれをわかっていて、部活も休んで毎日交渉に来てくれている。そこは素直に感謝できた。

『確かに。彼は君の為になることに関しては完璧にこなすだろうが、奴には為にならないことを完璧に全うしそうだ』

「だからあんたね!冷静に本当のこと言わないでよ!」

 まったく……世羅も頭が良いから誤魔化しがきかない。

 今回は綾小路先輩発信で、悠汰になにかするとは思えないんだけど……。なにせ前科があるからな。

『信じろ、とは一度神崎に言ったよ』

 半オクターブ上がった意外な言葉を耳にした。

「え?マジで?世羅が?」

『玲華……』

 素直な反応をすると、今度は世羅が絶句した。それから拗ねたような空気が伝わってくる。

『しかしそれも無用の長物だったようだな』

「そ、そんなことないわよ。たまたま届かなかっただけよ。ほらっ悠汰は波があるからさ。様子見て落ちてるなーってときに言ってみてくれる?」

『妬けるな……』

「ちょっと世羅……」

『わかっているさ』

 本当にあたしは無神経なのかもしれない。世羅の気持ちを知っていて、こんなこと頼むのだから。

 しかしいつも通りの態度を取ることが、あたしの出した回答だった。あたしが離れることを何より恐がった世羅に。

 わかった。一度言ってみよう。そう言って世羅は通話を切った。


   * * *


 お祖父様がその生涯を終えて三日が経った。

 いまだに椿原さんからはなんの発表もない。千石さんはこちらに戻ってきたが、何も語らないしあたしもとくには問い詰めたりはしなかった。

 久保田さんは疑問を感じてはいるかもしれないけれど、とくに口を挟むことはしていない。

 そしてあたしへの攻撃も目立つものになりつつあった。

 直接的に奇襲をかけてきたものの、千石さんや前田さんはじめ、護衛隊に取り押さえられるというのが三件。窓に向かって爆弾……とまではいかなかったが、催涙弾を投げかけてくるものがいて、だけど例のチャイムで事前に発見できたものが一件あった。

 それらはすべて現行犯を地下に送っている。そういう才のない者は主要な人物ではない。

「ただの残党ね」

 もとより遺産をもらえない立場の者が、駄目で元々、当たって砕けろ精神でやってきた感じだ。

 そして久保田さんは、今朝も盗聴器を発見していた。それと隠しカメラもひとつ。

 盗聴器はひとつでもあれば、受信機との周波数さえ合えば誰にでも聴くことが出来る。便乗受信というやつだ。

 だからひとつとして残してはならなかった。

 そして、この部屋には空室だった時間は一秒だってない。

(ということは内部犯)

 あたしと久保田さん以外の誰かが、一口噛んでいるのは確かなようだ。

 大々的にぶちまけられなくて、ストレスが溜まる。気味が悪いったらない。

「えー!ちょっと何やってんのよ!何よその流れは!それじゃあ逆効果じゃんーもー」

 夜九時。ソファに寝そべり足をひじ掛けに投げて、携帯電話を持ちつつ、これ以上ないくらいくつろいでいた。

 いまはなにも聞かれてないという、確信があるからできることだ。こういうトークでストレス発散できるから女子は気軽でいいのよね。

 久保田さんがまだ残っていて、こちらを気にしてるのがわかったけど、無視した。あの人にいまさら猫を被っても仕方がない。

 千石さんにはもう帰ってもらってる。久保田さんにも帰っていいって伝えたはずなんだけど。またなにか、訴えたいことがあるようだ。

「それじゃあ、あたしとあんただけ結託してて、悠汰をのけ者にしてるみたいになってんじゃん!絶対誤解してるわよ、悠汰」

 土日を挟んだ月曜日、世羅が結果報告をしてきたのだ。すべてを聞いて判断できた。

 あまりの流れに久保田さんなんて気にしていられない。

『やつが出ていったあと、秀和にも叱られたよ。言葉を選べとな。私としては解り易く端的に言ったつもりなのだが』

「端的すぎるのよ」

『ああ。秀和とまったくの同意見だな、玲華。どうやら私は誤解を与えたと理解しても、それを解こうとはしない性質らしい。それではこの結果も無理のないことだろう』

「……ってあのねえ、そこで諦められたら困るのよ!ヒデの言うとおりだと思うわ」

『諦めとは違う。納得したと言いたかったんだ』

「ああそうなの?それでもねえ、困るわよ社会出てから」

 なんだか頭が痛くなる。

 秀和も秀和だと思う。その場にいたのなら、もう少しマシなフォローは出来ないものだろうか。

『君が望むなら、もう一度だけ挑戦してみよう。……見返りに、成功したらご褒美をくれないか?』

「はあ?」

『そうだな。キスなんてどうだろうか』

「ええ?ちょっと世羅!なにそれ?どういうことよ!」

「…………」

 奥の方で久保田さんが、いきなり変化したあたしの調子に、ピクリと反応していた。

『私には何の得もないから、失敗したのかもしれないと考えたんだ。やる気というものは、どんなものに対しても必要だろう?』

 含み笑いをしながら、とんでもないことを言ってきた。

 この笑い方は半分は冗談で半分本気だ。あたしは頭を抱えながら、色々なことを思い巡らせた。

 このままでは逆効果で終わるということが、一番強く脳内に残る。

「あーもー……。わかったわ。その交換条件のむわよ。そのかわり、あたしが見ても分かるくらい成功したらね!それと欧米並のスキンシップな意味合いよ!」

 あたしは世羅なら嫌じゃない。

 でも世羅からしてみればあたしとは気持ちが違うわけで……。

 一応、念入りに、思いっきり布石を打っておく。

『条件が多くないか?…………まあ仕方無い。いまの言葉、忘れないで。有耶無耶(うやむや)にしたら一生呪うから』

 世羅の言うことは、冗談か本気か判断に困るからいけない。しかし長年の付き合いで、冗談が三割くらい含まれてると感じた。本当に呪う気なら、言わずにさっさとするタイプなのだ。

 あたしが頷いたものだから、本気な部分が増えたようだ。

「はいはい、とにかくよろしくね!このままで終わりにしないでよ」

 あたしも適当に対応して通話を終わらせた。

 失敗だったかしら……と一瞬自責の念に駆られそうになったけれど、悠汰の心が静まるのならこれでいい。

 あとは。

 携帯をテーブルに投げ置いてから、久保田さんにガンを飛ばす。

「なによ?」

 絶対なにか言いたげなのだ。先にこちらから促しておく。

 自分で入れたコーヒーを持ったまま、僅かに戸惑っていた。

「ちょっと世羅嬢が可哀想みたいだけど?」

 久保田さんも世羅と面識があった。

「あーいいのよ。あの子(サド)に見えがちだけど実は(マゾ)だから」

「……おまえ、本当にお嬢様か?」

「違うわよ。だからあなたも“お嬢”とか呼ばなくていいわ」

 最初に玲華嬢と呼ばれたときは嫌味かと思った。しかし功男様は功男氏だし、呼び方に妙なこだわりがあるようだ。

「……慣れた今頃言われてもな」

 この人、実は呼び方を迷ってたのかしら。やっぱり変な人だわ。

「それより交換条件ってなんだ?」

「プライベートよ。聞かないで」

 あっそうと、久保田さんはコーヒーを飲み干した。

「世羅嬢に任せないで自分で電話でもすればいいだろう」

「それこそ余計なお世話よっ!放っといて!」

 感情的に怒鳴ってしまった。これでは足元をすくわれる。

 あたしの態度に、久保田さんから柔らかい雰囲気がふっつと消え去った。そうなれば彼には厳しさだけが残る。

「おまえそろそろ教えろよ。もう聞かれてる可能性もないんだろう」

 とうとうきたか、とあたしは思った。きっと初めからこの話をしたくて、電話が終わるのをまっていたんだ。

 本来の目的。

 時間が必要だとあたしが言ってから、ちょうど二週間が経っている。

 これでも、もったほうなのかも知れない。

「もうちょっと待てないの?」

 苦し紛れなことを言ってしまう。

 出来れば聞かないでほしかった。このまま言わずに期限を迎えられたら良かった。

 それは久保田さんだから言いたくないとか、そういう単純なものではない。むしろ久保田さんなら、聞いてもらった方が先に繋がる可能性だってある。

(あたしの気持ちの問題なんだ)

 話したくないだけなんだ、自分が。

 まだ、それは気持ちが切り替えられないでいるという証。あたしにしては引きずっている。

「本来オレは、仕事をしていく上で依頼人の目的は必ずあきらかにしていたんだ。今回は例外中の例外だ。オレとしてはこれ以上の譲歩はない」

 久保田さんは許さない。なし崩しに終わらせたりしない人だ。

 ならば言うしかない。

(ううん。本当はずっと誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない)

 悠汰にも、世羅にも言えなくて、苦しかったのかもしれないと、そう思った。

 きっと冷静にはまだ語れなくても、こんなふうに強引にでも聞いてくれる久保田さんに、少しだけ感謝をしたくなった。

「それはそうよね。あなたが仕事に対して誠実なのは感じていたわ」

 あたしは一呼吸おいてから、その身を起こした。諦めた感覚が滲む。

 容赦なく久保田さんは応接スペースへ移動してきた。

(この人が、もう少しでもいい加減な人なら……)

 そう思いかけて、やめた。誠実でけじめのある人だからこそ、あたしは依頼したんだし、悠汰も慕っているのだ。

 あたしは語ることに決めた。


   * * *


 そしてその次の日の早朝。

 雨が降っていた。

 ここに閉じこもっていたから、まったく実感湧かなかったけど、台風がきていたんだそうだ。

 だからこの洋館の中で、もうひとつの死体が作られることとなってしまったのにも、誰も気づかなかったのだ。早朝の激しい雨の音で異変はかき消された。

 ……何者かの手によって。

 そう他殺だ。

 あきらかにそうと分かるように残虐に。

 あたしも久保田さんも、とうとうきたか、という結論に至っていた。

 誰かがこの混沌とした状況に乗じて、普段の鬱積をこっそり始末したのだ。いや、もしかしたらこれすらも財産絡みの遺恨のひとつかもしれない。

 久保田さんは、とにかく警戒を強化することだけが最善の策略だと言った。

「これ以上どう強化するのよ。それより案を出しなさいよ。頭を使うのよ」

 あたしは追い詰められた気分になっていた。

 微かに、だけれど確かにこびりついて取れない罪の意識。

「お嬢が考え抜いて出した結論が一番早道じゃないか……。急がば回れっつーしなー」

「結局それ?目的を話して損したわ!返して!」

「あのな……」

 久保田さんに当たってもなにも解決はしてくれない。

 ――殺された人物の名は西龍院幸祐。

 そう、あたしを力づくでモノにしようとした男。そして、この家の中の誰かが犯人だ。間違いなく。

 場所は地下室。

 直接死に至った起因は頚動脈を締め付けられた窒息死。見開かれた瞳は無念さが広がっていた。

 その鍵は開かれていない。つまり柵の外から幸祐の首を絞めたのだ。

 絞められた白い紐はそのまま遺体とともにそこにあった。

 あたしが唯一ひとりきりになる時間帯に起こった悲劇でもあり、ほとんどのものが、あたしを疑っていたのだ。そこに根拠など無い。流れとしても辻褄が合わないだろうに、ただの私情だけで疑惑の目を向けてくる。

 それは、お祖父様が亡くなったときに、一人の少女があたしに言ってきたものと、まったく同様な意味合いだった。

 もしあたしが犯人なら、鍵を持ってるんだから死体をそのままにはしない。

 そう、証拠が無いから表向きにはそこで話は途絶えた。そして皆、この件をいまは伏せようという結論に至った。

 言葉巧みに言い訳をしていたけれど、警察やマスコミにこんな大事なときに関わらせたりはしない、とあきらかにそう言っている。

 誰もが一人の男の死を迷惑としか捉えていなかった。実の父、毅叔父様でさえも。

 やはり一般の常識とかけ離れたところだ。

 あたしは久保田さんに指示をした。従来得意としていた調査に乗り出すことを――。



 千石さんには部屋に残ってもらい、久保田さんがひとりで昨日から聴き込みに行っている。

 しかし当然ながら久保田さんはあたし側の人間ということが知れ渡っていたわけで、協力的な人は多くなかったそうだ。

「非協力だけならまだいい。あきらかな敵意的な態度はどうしたものかと……」

「否定的な人間に協力させるのがあなたの仕事でしょう?それとも何?実はココロ折れてんの?」

 こんな状況で泣き言などやめてもらいたいものだ。あたしは久保田さんに発破をかける。

 どうやら、礼儀正しくノックして訪れているのに、顔を見るや否や、そこにある物をガンガン投げてくる者もいるんだとか……。

 ここまであからさまだと、怪しいというよりその人間性を疑う。

 礼儀を示している相手に礼儀で返すということを、遠慮のひと欠片もなく捨てているのだろう。

 あたしもじっとしていられなくて、久保田さんについて行くと主張した。

「おまえがいると余計に拒絶されんだろ」

 なぜかきっぱり断られた。

 確かにその通りなのだけど、久保田さんには言いにくいがあたしには言えるって人がいないとも限らない。

「それにおまえ、出歩くと危険が増すだろう?」

 不機嫌さ丸だしで言われた言葉だとしても、それは確信をついていて強引に持っていけない。

 うずく気持ちを抑えて久保田さんを見送った。

 しかしただ待っているだけでは能がない。あたしはあたしの出来ることをしなくては。

 自室からパソコンを持ち出した。

「私に言ってくださいと申し上げてるではないですか」

 千石さんは毎回気遣ってくれる。

「いいのよ、箸より重いものを持ったことがないわけじゃあるまいし……」

 正直なところ、あまり部屋には入れたくないのだ。千石さんとどうこうなるとかは考えにくいが、そこだけは最後の砦としたかった。

 あたしがパソコンを使用して見たい情報はもちろん幸祐についてだ。

 携帯電話を見せてもらえれば一発なのだが、毅叔父様が個人情報を握り締めていて明け渡してくれそうにない。

 しかたなく、あたしは追い込まれたときにだけする悪行を開始していた。

 もちろん罪悪感は残る。仕方ないと言っても、悪いことだって自覚はある。

 それでもどうしても犯人を見つけたかったから。

(あたしが地下室なんて送らなければ、もしかしたら……)

 闇に陥りそうな意識をなんとか踏みとどめ、指を動かす。 

 昨夜は幸祐がブログをしていたことまで掴んだ。そこからネットワークを駆使して、人間関係を洗っている。

 ブログの内容からはかなり女性関係にだらしなかったのがわかった。

 あたしもその内の一人のフリをして、接触をはかっていく。しかしこういうところで繋がっている者は、その殆どが遊びのようだ。付き合っていた時期が重なりまくっているのだ。

(見たまんまの姿じゃないの!)

 なんという為体(ていたらく)だろうか。大学でも勉強は疎かになっていたらしい。

 しかしここでやめるわけにはいかないと、更に手を加えようとしたときだった。

「!」

 傍らに佇むことが仕事と化してしまっていた千石さんが、不意に動いた。

「どうし……」

「静かに」

 声をかけようとしたけれど、緊迫な声で短く遮られる。

 千石さんの目線はドアの方にあった。

 この部屋は防音加工がなされていたせいか、あたしに変化があったようには感じなかった。それでも千石さんにはなにかを感じ取ったらしい。

 扉の前まで素早く近寄り、そっと扉を開く。

 あたしは距離をとりつつも、その後ろについていった。

 千石さんは一度下を向き、それから左右を確認した。あたしからは千石さんの背中しか見えない。再び声をかけたくなるのを、我慢してあたしは待った。

 すると千石さんがようやく振り向く。

「玲華様。やられました」

 ぽつりとそれだけ呟いた。表情は、変わらない。それでもあたしは、なにか良からぬことがその先に待っていると、感じ取っていた。

 千石さんはすっと扉を大きく開き、そして言った。

「奇襲を受けたようです」

「!」

 あたしの目に、そのとき護衛していた富士沢さんと岩野さんが、倒れ込んでいたのが映った。

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