EP1「ヤバい!(1)」
「ヤバいヤバいヤバい!!」
陽月 澪音子は家を飛び出した。
「入学式で寝坊ってなに!? ほんとに最悪なんだけど!!」
制服は完璧。
昨晩きっちりアイロンをかけた。
カバンの中身もチェック済み。
準備は完璧だった。
目覚まし以外は。
「これで遅刻とか、最高にお笑いじゃん!
ヤバすぎ!!」
駅まで全力疾走。
信号が赤。
「うわぁ、マジかぁ……!」
息を切らしながら、小さく呟く。
「turn green, turn green, turn green……」
中学の英語の先生の真似から始まった癖。
おまじないみたいに、英語でお願いする。
信号が青に変わる。
「え、ウソ。So lucky!」
走る。
改札前、人混み。
「ムリムリムリ!」
小声で。
「go away, go away, go away……」
なぜか自分の前の改札だけ、人が流れるようにいなくなる。
「は? なにこれ、ヤバっ!
I'm the luckiest girl!」
ホームへの階段を駆け降りる。
目の前で、電車の扉が閉まりかけている。
「ちょ、待って――!」
思わず叫んだ。
"STOP!!!!」"
その言葉は命令だった。
発車の音楽が途切れた。
扉は閉まるきる寸前で凍りついた。
電車だけじゃない…
世界が止まった。
音が消えた。
人々は彫像のように静止している。
風だけが、ミーナの髪を揺らす。
「……え?」
その静寂の中で、声が聞こえた。
―ミーナ・アカヅキ、こっちへおいで―
足元に、光が走る。
英語の文字が、円を描いて浮かび上がる。
“Come to the other end.”
「え……?」
光が弾けた。
足場が消える。
落ちる。
空も、音も、時間も、すべてが反転する。
「ヤバいって……!」
その言葉を最後に、ミーナの世界は途切れた。
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――どさっ。
「いっった……!」
固い地面に投げ出され、ミーナは顔を上げる。
ホームへの階段から落ちたと思っていた。
でも目の前には電車がない。
そのかわり、空が、青い。
でも、知らない青だ。
見たことのない形の雲。
見たことのないレンガ造りの建物。
「……なにここ。」
胸の奥が、ひやりと冷える。
「え、ちょっと待って。
さっきまで駅だったよね?
入学式だよね? これ夢?
いやでも痛いし…」
とりあえず立つ。
動く。
動かないとどうにもならない。
それがミーナの性格だった。
そのとき、背後から、落ち着いた声がした。
“Are you injured?”
ミーナが振り返る。
広場の石畳の上。
ミーナの前に、ふわりと影が落ちる。
クリーム色の長い毛並み。
ふわふわの尻尾。
アクアブルーの瞳。
「……猫?」
毛並みの美しい猫が、優雅に座っていた。
そして、口を開く。
“Did you hit your head?
Are you all right?”
「え?…しゃべる猫?」
不思議なことはいっぱいある。
とにかく目の前のことから始めるしかなかった。
「よかったあー! 英語分かる!」
なんとか聞き取れたことに安心して、にっこり笑う。
「I'm fine!
I think… maybe.
Um, where am I?”」
アクアブルーの瞳が、わずかに細くなる。
そして、流れるような発音で話し始める。
“You have been summoned to the realm governed by the Word.
This is not your original world.
Please remain calm and follow my instructions.
There are multiple risks including—”
「……待って待って待って!!!」
ミーナは両手をブンブン振った。
「さすがに早いって!!!
えーと……えーと……slower please!」
猫は黙る。
数秒。
「……」
そして、尻尾がゆらり。
(念話)
『ねぇ、エスピラ様。この子であってる?』
言の座。
エスピラが固まる。
「……は?」
その顔が青ざめる。
「え、ええ……?」
エスピラ、絶叫。
「ええーー?! 英語喋らない感じーー?!!」
エスピラの絶叫を聞きながら、猫は目の前の少女を見る。
異世界の広場で、ミーナはまだ必死だった。
“Okay, okay… one more time!
Slowly! Very slowly!”
猫はだんまり。
ミーナは猫に向かって必死。
“Very slow!
Like… kindergarten level slow! ”
シャルルはため息をひとつ。
“...This might take a while.”
ミーナはにやっと笑う。
「だいじょーぶ! なんとかなるでしょ!」
シャルはもう一つため息をついて、天を見上げる。
言の座のエスピラはさらに遠くを見つめた。
「えっ……ヤバい感じ?」




