EP17「エモい(2)」
教会までのメイン通りは、昼間とはまったく違う景色になっていた。
広場には灯りが並び、屋台も柔らかく光る。
昼は屋台巡りで歩き回る人が多かったが、今はテーブルに座って談笑する姿が目につく。
何かを待っているような雰囲気だった。
建国祭の夜を楽しむ人々で、教会前の広場もにぎわっていた。
楽器の音。
軽快な手拍子。
どこかで誰かが踊っている。
ミーナは人の波を潜り抜け、教会へと入る。
「昼と全然ちがうね……」
ミーナが呟くと、シャルルが尻尾を揺らした。
「もうすぐフィナーレだからね。」
二人は教会の中へと進む。
入口から祭壇へ続く通路の両脇には、小さなキャンドルがいくつも灯されていた。
炎は揺れながら、石の床の上に淡い光をこぼしている。
天井を見上げると、高さの分、影が深い。
その深さの中で、北側のステンドグラスがひときわ強く目を引いた。
濃紺。
以前見たときよりも、ずっと深く、ずっと静かだ。
キャンドルの光を受けて、色がゆっくり揺れている。
まるで建物全体が、静かな深い水の底に沈んでいるみたいだった。
その中に、人の気配がある。
祭壇の前で静かに祈る人。
ステンドグラスに小さく感嘆の声を漏らす観光客。
教会前広場のフィナーレを待ちながら、控えめな声で雑談する人たち。
いろんな声が混じっていた。
でも不思議と、うるさくはない。
笑い声も、ささやきも、祈りの言葉も、全部がこの深い青の中に吸い込まれていくようだった。
二人もステンドグラスを見上げてしばらく佇む。
すると、奥から声がかかった。
「おや。」
以前、魔力量を測ってくれた男性だった。
ミーナの顔を見ると、笑顔で近寄ってくる。
「こんばんは。
建国祭の礼拝ですか?」
「礼拝ではなくて…あの…」
言い淀むミーナを見て、男性は周囲を一度見回す。
祭り見物の人がちらほらいる。
それから静かに言った。
「こちらへ。」
奥の扉を開き、ミーナを中へ案内する。
そこは小さな部屋だった。
机と椅子。
壁には本棚。
教会の応接室のような場所だった。
男性が椅子を勧める。
「どうぞ。」
ミーナは座った。
シャルルは机の上に飛び乗る。
男性は向かいに腰を下ろした。
そして改めて言う。
「まだ自己紹介をしていませんでしたね。」
小さく微笑む。
「私はこの教会の神官、ルシアンといいます。」
「私はミーナです。」
「猫のお友だちのお名前は?」
「シャルルです。」
ルシアンはシャルルに対しても笑顔を向けた。
シャルルも応えるように「にゃお」と鳴いて、机の上で丸くなる。
「それで…どうしました?」
ミーナは息を吸った。
「聞きたいことがあるんです。」
ルシアンはニコリと笑って頷く。
「どうぞ。」
ミーナはどう聞いていいか分からなくて、結果、単刀直入に聞いた。
「テオ・オルダイス…って何ですか?」
その瞬間、ルシアンの表情が変わった。
「……」
ミーナの目をまっすぐにみる。
「その名前をどこで聞いたのです?」
ミーナは正直に答えた。
「さっき、祭りの通りで……」
そして路地で起きたことを話す。
女性に助けを求められたこと。
路地裏で見た黒いローブの男。
呪文魔法で攻撃されたこと。
ルシアンは途中で口を挟まなかった。
すべて聞き終えると、静かに息を吐いた。
「そうですか。」
少しだけ考える。
「それはオルダイスの信者ですね。」
「信者?」
「ええ。」
ルシアンは手を組んだ。
「テオ・オルダイスは、遠い昔、言の座に存在した神の名です。」
ミーナは身を乗り出す。
「いたんですか?」
「はい。」
ルシアンは頷いた。
「しかし今はいません。
追放された神です。」
ミーナの胸がざわつく。
「追放?
どうして…?」
ルシアンは少し考えてから、はっきりと言った。
「言の座は彼の言葉を受け入れなかったからです。」
「受け入れなかった?」
「はい。」
ルシアンは静かな声で続ける。
「そもそも、オルダイスの存在を知っているものは教会でも多くはありません。
それほど遠い昔のことです。」
ルシアンの声が低くなる。
「そして、オルダイスは“命令の神”でした。」
「命令?」
「そうです。
オルダイスは言いました。
言葉は、短く、強く、確実に人を動かすものであるべきだと。」
ミーナは路地の男を思い出した。
“短く、強く、世界を動かす言葉”
「それがオルダイスの考えでした。」
ミーナは小さく言う。
「……同じだ。」
「同じ?」
「さっきの人たちが言ってました。」
ルシアンは頷いて続ける。
「そうでしょう。
しかし言の座の神々は違いました。」
少し間を置く。
「言葉とは表現であり、伝達であり、記録であり、思考である。」
ミーナはステンドグラスを思い出す。
エスピラ。
テリオン。
クロネル。
ノエシス。
「一方、オルダイスの言葉は表現を削り、簡略化して伝えました。
その結果、人々の行動はとても単純なものとして記録され、
そこに思考は残らなかった。
……だから追放されたのです。」
ミーナはしばらく言葉を探した。
「それって……神の追放って…大丈夫なんですか?」
「大丈夫かどうかの判断は私たちのするところではありません。
オルダイスは追放されました。
そして今の世界は、その上に成り立っています。」
「……。」
「ミーナ、あなたはどう思いましたか?
オルダイスの話を聞いて。
そしてオルダイスの信者と対峙して。」
「……分かりません。」
正直に言う。
「でも、あの人たちの使う呪文は怖かった。
神官さんの見せてくれた水の魔法は、とても楽しかったんです。
見ていて明るい気持ちになりました。
でも、あの人たちの魔法は……
人を攻撃する魔法でした。
もしそれが、オルダイスの信者であるからなら…
私は苦手かもしれません…」
ルシアンは頷いた。
「そうですか。」
「でも…学びたいと思いました!
呪文魔法を学んで、私は、誰かを護るために使いたいって思いました。
神官さんの魔法みたいに、人を笑顔にできる魔法を使ってみたいと思いました!」
「そうですか…あなたは呪文魔法を学びたいのですね。」
「はい。」
即答だった。
「魔法を使えるようになりたいです。」
今度は迷わない。
「今日、怖かったんです。
なんとかなったけど……全然分かってなくて。」
杖をぎゅっと握る。
「それに、知りたいんです。
この国のことも。
言葉のことも。
魔法のことも。」
ルシアンは静かに聞いていた。
「それに。」
ミーナは笑った。
「魔法、ちょっと楽しいんです。」
ルシアンもくすりと笑った。
「それは大事ですね。」
それから、少しだけ口元をやわらげた。
「それなら、王立魔導学園がいいでしょう。」
「王立……魔導学園?」
「ええ。」
ルシアンはうなずく。
「この国で魔法を学ぶための学校です。」
ミーナは目を瞬かせた。
そして少し考えた。
「……私でも入れますか?」
「試験は単純です。」
ルシアンは言う。
「入学試験で見られるのは、基本的には魔力量だけです。」
「えっ、それだけ?」
「はい。」
ミーナは拍子抜けした顔になる。
ルシアンは少しだけ笑った。
「ただし。」
その一言で、ミーナは姿勢を正す。
「入ることより、入ってからの方がずっと大変です。」
「授業についていけるかどうか。
そこで苦労する者が多い。」
ミーナの顔が曇る。
「うっ……」
ルシアンは続けた。
「魔力量が高いからといって、学ぶ力まで保証されるわけではありません。
言葉、理論、制御、応用。
どれも必要です。」
それまで大人しくしていたシャルルが、尻尾でミーナを小突いた。
「私も心配になったから、言わないで!」
ミーナが思わず大声で言い返すと、シャルルは呆れたように「なぁお」とだけ鳴いた。
ルシアンはそのやりとりに声を出して笑った。
「でも。」
彼は言った。
「学ぶ場所としては、もっとも良いでしょう。
あなたが呪文魔法を、自分の言葉としてきちんと扱いたいなら。」
ミーナは黙った。
王立魔導学園。
知らない場所。
知らない人たち。
難しい授業。
でも。
路地で感じた怖さ。
海辺で思ったこと。
エモいを言葉にしたときの、あの手応え。
全部が胸の中で一つにつながる。
「……行ってみたいです。」
小さく言う。
「まだ分からないことばっかりだけど。」
ルシアンはうなずいた。
「それでいいのです。」
そのとき。
鐘が一つ鳴った。
外から歓声が聞こえた。
ルシアンが立ち上がる。
「そろそろ広場に戻りましょう。」
ミーナも立つ。
「何か始まるんですか?」
ルシアンが微笑む。
「建国祭のフィナーレです。
外の広場に行きましょう。」




