第5話 聖女としての第一歩
翌日、いつも通り早朝に目を覚ましたセリーナは丁寧に服を畳み、化粧台に向かった。
無造作に並べられた化粧道具はどれもがマリアベルと同じ物で、セリーナが持っている私物の中で唯一の高級品だ。
セリーナは無意識のうちにいつも通りマリアベル・ヴィンストンの顔を作ろうとしていた。
「あっ、そうか。もうこのメイクじゃなくていいんだ」
では、どんなメイクをすればいいのか。
手が止まってしまい、鏡と睨めっこを続けること数十分。
諦めたセリーナは素顔のままで部屋を出た。
静まり返った廊下が懐かしい。
昨日は音を聞き過ぎた。
馬車の進む音、森のざわめきや川のせせらぎ、そしてサチュナ王国民の歓声。
どれも不愉快なものではなかったが、狭い部屋の無音に慣れているセリーナにとっては雑音と呼べるものだった。
「セリーナ様!? こんなに朝早くどちらへ!?」
そんな静寂の時間が終わった。
当然のようにメイドに止められたセリーナは嫌な顔をすることなく、正直に答えた。
「昨日、国王陛下がこの国の実情は追って聞いてもらうとおっしゃっていたので、司教のサンダル様にお聞きしようかと思って」
呆気に取られたメイドから待っているように告げられたセリーナは執事長が来るまでの間、屋敷の玄関に飾られている絵画を眺めていた。
「セリーナ様、まだサンダル殿も起きておられないかと。よろしければ、朝食を召し上がってください」
「それでは、コックさんたちを起こしてしまうのではありませんか?」
「彼らはすでに朝食の仕込みを始めています。お気になさらずに食堂へ参りましょう」
ここで駄々をこねても仕方がないと納得したセリーナは食堂のテーブルに並べられた料理を見て、異国へ来たのだと改めて実感した。
ジャマガン王国とは調理方法が異なる料理ばかり。
昨日のパーティーではお腹は空いているのに次々と挨拶に来る貴族たちの対応でまともに食事ができなかった。
暖かい湯気と食欲をそそる香りを前にして、やっと自分が空腹で出かけようとしていたことを思い出した。
「どうぞ、お召し上がりください」
「いただきます」
手を合わせてから勧められたスープを一口すする。
野菜の甘さが溶け込んだ一杯に体の中が温まり、更に食欲を刺激した。
「美味しいです」
そこから先、セリーナの手が止まることはなかった。
テーブルに置かれている皿を空っぽにしていく速度は一仕事を終えた男並みだ。
それなのに、所作に乱れがないことに屋敷の使用人たちは驚きを隠せなかった。
(ジャマガン王国の聖女は公爵令嬢と同程度の振る舞いを要求されるのか!?)
特に執事長は驚嘆した。
聖女と認められれば国に保護され、大切に扱われ、貴族や王族からの求婚が殺到する。
そして聖女を輩出した一族は貴族の仲間入りを果たし、娘が聖女であり続ける限り、爵位を与えられ続ける。
だからこそ聖女にその他は求めない。周囲に認められ、聖女であること以外を求められないからこそ驕り高ぶる。
そうなったとしても娘には死ぬ間際まで聖女であってくれと願うのがジャマガン王国の常識だと聞いていた。
しかし、ジャマガン王国からやってきた聖女セリーナに傲慢な様子はなかった。
上位貴族令嬢にも見劣りしないほどの所作を無意識下で行っているにも関わらず、自尊心が低い。
今まで見てきた中で最も歪な人物に思えた。
気づけば最後の一皿。
食事のペースが遅くなることはなく、綺麗に食べ終えたセリーナは気恥ずかしそうにナプキンで口を拭いた。
「ご馳走様でした。ごめんなさい。あまりにも美味しくて」
「料理人にとって最高のお言葉です。美味しそうに召し上がってくださり、ありがとうございました。昼食もご期待ください」
全ての料理と果物を平らげ、食後の紅茶まで飲み干したセリーナがお腹をさする。
(美味しくご飯を食べたのはいつぶりだろう。毎日、こんなに美味しい料理ばかりだと太っちゃうかも)
「……我慢しないと。今日は特別」
そんなつぶやきを聞こえないふりした執事長の合図で、メイドがセリーナを連れ出した。
「司教様の元へご案内しますので、もっと動きやすいお洋服にお召し替えさせていただきます」
「はい。お願いします」
セリーナはズボンスタイルの服に純白のローブという清廉潔白な女性を絵に描いたような装いで屋敷を出た。
「おはようございます、セリーナ様! まさに聖女そのものですね!」
昨日、会ったばかりのサンダルはセリーナの姿を見て瞳を輝かせた。
(サチュナ王国の人にとって聖女はこういうイメージなんだ)
聖女マリアベル・ヴィンストンに扮する時は必ずローブを着ていた。
一番の理由はシルエットを隠すためだ。セリーナとマリアベルの顔と背格好が似ていても正面と背面から見た身体的特徴は真逆だった。
振りまくオーラを含めてグラマラスな容姿のマリアベルに比べて、セリーナはひ弱かつスレンダー。
だからこそ、化粧で自信満々さを演出し、ローブで体型を隠してマリアベルとしてお役目を果たしていた。
こほん、と咳払いしたセリーナが本題に入る。
「早速ですが、サチュナ王国の状況を教えてください。わたしがこの国でできることを探します」
「本当に早速ですね。昨日、いらっしゃったばかりなのに」
「何かしていないと落ち着かなくて」
「セリーナ様は仕事熱心なお方なのですね」
仕事熱心という言葉にもピンとこなかった。
これまで朝早くから夜遅くまで与えられた仕事をこなすのがセリーナの日課だった。
天候を操ったりする簡単な依頼は異界の聖女セリーナとして影から国を支え、屋外に出なくては行えない依頼は聖女マリアベルとして期待に応えてきた。
熱心に、ひたむきに取り組んでいる意識はなく、それが当たり前だった。
「そういえば、先ほど"探す"とおっしゃいましたか?」
「はい。あ、もちろん、依頼を断るなんてことはしません。ただ、わたしにしかできないことを探したいんです」
これまで聖女マリアベルの代役として、言われたことだけをしてきたセリーナだが、正しくは言われたこと以外をさせて貰えなかった。
――こうすれば、もっと効率が良いのに。こっちのやり方だと結果が良くなるのに。わたしならこうするのに。
そんな意見は全て却下され、成長すると共にセリーナは聖女のお役目に関して自分の意見を言えなくなってしまった。
(こっちの国でも誰かの言いなりになっているだけじゃダメだ。もっと自分で考えないと。マリアベルの代わりのままで終わるもんか)
昨日の歓迎パーティーで、自分の好きなことを即答できなかったことにショックを受けたからこその心境の変化だった。
「では参りましょうか」
「どちらへ? 教会の中以外にも机があるのですか?」
「机ですか? えーと、実際に王国を見て回っていただくつもりでした」
「え、それはちょっとまだ早いです。まずは机上でのご教示を希望します」
「えぇ!?」
そんなことを言われるとは思っておらず、心底驚いたサンダルは言われた通りにセリーナを聖堂の中にある書庫室へと案内した。




