第12話 失敗と成功
屋敷のキッチンにはお菓子作りに欠かせない調理器具の一式は全て揃っていた。
あとはセリーナの記憶の奥深くにあるレシピを呼び起こすだけだ。
「むー」
キッチンに立ったは良いものの、しかめ面で腕を組んで唸るセリーナは一向に動き出す気配がなかった。
「あの、セリーナ様?」
いよいよ心配になった料理長に声をかけられたセリーナは、召喚前の記憶を頼りに食材と調理器具を手に取り、お菓子作りを開始した。
それから2時間、この世界の人々が見たこともない作り方で焼かれる生地を今か今かと待ち侘びた。
いつしかキッチンのみならず屋敷の廊下にも焦げ臭い香りが漂い、呼び寄せられるように使用人たちが集まってきた。
「できた」
セリーナが手から生み出す"聖女のギフト"と比べることもおこがましい物体が出てきた。
誰よりも先に焼き上がったマフィンを手に取ったセリーナは一噛みして、うえぇ、と苦々しい表情になった。
「セリーナ様、一ついただいてもよろしくでしょうか」
「え、ダメです。とてもマズくて食べられるものではありません」
「後学のためにも是非お願いします」
頭を下げられては強く断れない。
セリーナが許可すると、興味津々のコックたちがマフィンを口に運び、セリーナと同じく無言を貫いた。
「食べたからにはアドバイスをください。何が足りないと思いますか? わたしの手から出す、あのお菓子との違いを教えてください」
「正直に申し上げますと、このお菓子と"聖女のギフト"はまるで別物です。似せられるはずがありません。アレは神の食べ物です」
「わたしの手から出るものを、わたしの手で作れないはずがありません。せめて味だけでも似せられればっ」
「正直なところ、味は悪くはないです。見た目がちょっと……あとは焼き加減ですか。最も違うのは、あの非現実的な高揚感と全能感。アレはどう足掻いても人の手が届かない食べ物です」
どうしてセリーナがそこまで必死になるのか。
傲慢とされる聖女がエプロンを着て、手を汚しながら国民のためにお菓子を作る理由が彼らには分からなかった。
「マシュガロン! あなたの力でどうにかならないの?」
突然、天井に向かって話し始めたセリーナに使用人たちは驚きを隠せず、キョロキョロと辺りを見渡す者、セリーナの心を案じて寄り添う者と様々な反応を示した。
セリーナは虚空に向かって話しかけたのではない。
使用人たちには見えていないが、セリーナにはしっかりと契約精霊――マシュガロンⅢ世の姿が見えていた。
「どうして……? あなたからは聖獣とは違った強い力を感じるわ! わたしの手から生み出せるマフィンに近づけてくれれば、それでいいの。全く同じものを作り出せるなんて傲慢なことは言わないわ」
「できないって。諦めないでよ。わたしだって、こうして新しい生き方を模索しているんだから」
声を震わせるセリーナの姿に使用人たちも心を痛めた。
隣国に買い取られ、聖女の力を使っても奇術師と疑われ、飢餓を癒す手立てを見出しても「使うな」と言われれば、自分の存在そのものを否定されているようだった。
もう、マリアベル・ヴィンストンではいられない。
聖女セリーナはサチュナ王国に益をもたらすと証明して生きていかなければいけないのに。
その焦りがセリーナを苛立たせた。
「このマフィンというお菓子を配ってみませんか?」
そんなセリーナに助け船を出したのは執事長だった。
「ダメ! わたしは失敗したの。これは皆の求める物じゃないわ」
「セリーナ様は勘違いされています。孤児院の子供をはじめ、貧しい国民が求めているのは食べ物です。決して、"聖女のギフト"ではありません。アレを欲しているのはロイハルド殿下一派だけです。わたくしめはヨハン殿下の意見に賛同いたします。セリーナ様の心身を削りながら生み出す食べ物では人々は幸せになれません」
「聖女のくせにこんな下手くそなお菓子しか作れないって思われてしまうわ」
「サチュナ王国に伝わる聖女の歴史に、お菓子を自作した方はいらっしゃいません。そもそも、作ろうとすら思われなかったでしょう。何故なら、聖女は飢餓を癒やせないというのがこの世の理だからです。セリーナ様は、その理から外れ、我らの常識を覆そうとされているのです。不躾ながらご立派だと存じます」
「立派……? わたしが?」
キッチンに集まってくれた使用人たちを見渡す。
「お配りしましょう。我らだけがセリーナ様をご立派だと思っているのではないと証明できるはずです」
「焼き加減は我々が調整いたします! やりましょう、セリーナ様」
「包装はもっと可愛らしいものにしましょうか」
執事もコックもメイドもフットマンも皆が頷いてくれた。
◇◆◇◆◇◆
「セリーナ様、もう出発の時間は過ぎていますよ。お急ぎください!」
メイドの一人に急かされてもセリーナの足取りは重かった。
ジャマガン王国では、異界の聖女セリーナは役立たずで、聖女マリアベルこそが国の宝と言われていた。いくらマリアベルの代役として尽力しても誰も評価してくれることはなかった。
サチュナ王国でも同じことになるのではないか。そう思うと重力が何倍にもなったように体が言うことを聞いてくれなくなる。
「大丈夫ですよ、セリーナ様。私たちがついています!」
胸を張るメイドのミリアーデに手を引かれ、セリーナが馬車に乗り込む。
馬車は王都郊外にある孤児院に向かって進み始めた。
馬車が停車する音を聞きつけた子供たちが我先にと孤児院から出てきて、一瞬にしてセリーナは囲まれてしまった。
(24人の孤児……)
実際に"聖女のギフト"を配り歩いたことのないセリーナは、サチュナ王国の実情を目の当たりにして手が止まってしまった。
「お姉ちゃんが聖女様なの?」
子供に純粋な瞳を向けられ、問いかけられたセリーナは意を決してしゃがみ込み、手に持ったバスケットの中から皆で作り上げたマフィンを取り出した。
「そ、そうだよ。わたしがこの国の聖女、セリーナ。よろしくね」
初めて自らを"聖女"と名乗ったセリーナ。
たったそれだけなのに、じっとりとにじむ汗が気持ち悪い。
それでも、セリーナは手を伸ばす子供たち一人一人に向き合い、丁寧にマフィンを手渡しした。
「聖女様、ありがとう」
「……どういたしまして」
直接、感謝を伝えてくれる子供たちを目の前にしたセリーナの中には見知らぬ感情が芽生えていた。
これまで、出来て当然。出来なければ叱責されてきたセリーナにとって、初めての経験だった。
いわゆる成功体験を得たセリーナは以前よりも外出に前向きになり、週に1度は町い出て人々と触れ合うようになり、国民たちの抱く印象も変わっていった。
当然、屋敷に居るよりも危険が及ぶ可能性が高くなるわけで護衛がつくようになってしまった。
その護衛というのがメイドのミリアーデだったのだ。
ピンクがかった赤髪を揺らしながら、護衛らしくない距離感で接してくれるミリアーデとの信頼関係を築き、今ではどこへ行くのも一緒になっている。
ある日、約束もせずに屋敷を訪れたロイハルド王太子はセリーナに向かって高圧的な態度をとった。
「聖女殿、あの特別な菓子は作らなくなったそうだな。我のことは信用できなくなったか?」
「お言葉ですが、毎日10個は創っています。約束がありますので、以前のように創らなくなりました」
「約束? 誰と?」
「ヨハン殿下です」
ロイハルドの頬がひくつく。
「噂では自作しているとか」
「わたしが作っていると言うよりもレシピを伝えて、コックさんに作ってもらっています」
「きみの作った菓子を食べさせてもらうことはできるのかな?」
「恐れながらそれはできません。それはもっと距離の近い者同士で行うことではないかと愚考いたします。わたしのような者では及ばないかと」
「……そうか」
セリーナにとってマフィンとは、あくまでも施しのためのものであって贈り物ではない。
だから、特定の男性にプレゼントするつもりは毛頭なかった。




