第8話 大切な幼馴染
私の幼馴染は、最近ちょっと変だと思う。
……いや、正確に言うと、いつも変ではあるのだけど。
最近は、その『変さ』の向きが私に向いている気がする。
(……気のせい、なのかな)
そう思おうとしても、放課後の教室で名前を呼ばれたときとか、やたらと距離が近いときとか、変に目が合うときとか。
胸の奥が、少しだけ落ち着かなくなる。
ひなたは、幼馴染だ。
小さい頃から一緒で、今さら意識するような相手じゃない。
──はずなのに。
(最近のひなた、なんか……おかしい)
でも、それを誰かに言うほどのことじゃない。
自分でも、理由が分からないから。
そんなことを考えているうちに、私は生徒会室へ向かう廊下を歩いていた。
昨日、放課後に提出するはずだった書類。
星宮さんに呼び止められて、そのまま流れで渡せなかったやつだ。
「朝霧さん」
後ろから、透き通った落ち着く声がした。
振り向くとそこにいたのは、生徒会──
「提出物、こちらで大丈夫ですよ」
──生徒会副会長、月城先輩。
三年生で、背が高くて、姿勢が綺麗で。
いつも丁寧で、私みたいな人には到底近寄りがたい人。
「……あ、はい。これです」
私は鞄から書類を取り出して渡す。
月城先輩は、それを受け取って、軽く目を通した。
「ありがとうございます。助かりました」
「いえ……」
それだけのやり取りで、終わるはずだった。
それなのに。
「……少し、時間ありますか」
月城先輩は、そう言って微笑んだ。
断る理由は特になかった。
提出物も無事に終わったし、話すだけならなにも問題ない。
「……はい」
私は小さく頷いた。
少し人通りの少ない廊下を歩く。
窓から差し込む光が、夕方の茜色に染まり始めている。
(……あれ?)
いま生徒会室、通り過ぎてる。
そう思った瞬間だった。
壁に押し付けられた。
ドンッと壁から低い音が鳴る。
気づいたときには、私は壁際に追い込まれていて、
月城先輩の腕が、視界の端にある。
それは──俗にいう壁ドン、というやつ。
頭が、真っ白になる。
「……つ、月城先輩……?」
距離が、近い。
さっきまでとは、まるで雰囲気が違う。
月城先輩は、さっきまでの穏やかな表情を崩してはいなかった。
むしろ、楽しそうにさえ見える。
「朝霧さん」
名前を呼ばれて、肩が跳ねる。
「前から、貴方のことを気になっていました」
「……え?」
「静かで、控えめで。でも、目が合うとちゃんとこちらを見て話すところ……」
言葉が、頭に入ってこない。
息が、苦しい。
「それは、一目惚れというやつですね」
そう言われた瞬間。
胸の奥に、違う顔が浮かんだ。
少しうるさくて。
何言ってるのか分からなくて
意味不明に頭をぶつけて。
私の前髪のことばかり気にしている人。
(……ひなた)
理由は分からない。
ただ、真っ先に思い浮かんだ。
月城先輩の声が、続く。
「私と付き合ってくれませんか? あなたなら、きっと──」
「……っ」
その瞬間、体が勝手に動いた。
腕を振り払って、一歩後ろへ下がる。
「……ごめん、なさい」
声が、震えた。
「……突然すぎて、無理です」
理由をうまく言えなかった。
本当の理由は、自分でも分からない。
でも、ここにいたくない。
それだけは、はっきりしていた。
私はそのまま、走り出した。
廊下を曲がって、階段を下りて、息が切れるまで。
立ち止まって、膝に手をつく。
(……なんで)
なんであの時私は、ひなたのことを思い出したんだろう。
幼馴染だから?
それだけ?
胸の奥が、少しだけざわつく。
「……分かんないよぉ」
私は小さく呟いた。
一方、その頃。
月城みさきは、廊下に一人残っていた。
逃げていった背中を思い出すように、ゆっくりと口元を歪める。
「なるほどね」
小さく、口元を歪ませ笑う。
「やっぱり、簡単じゃないか」
その目は、さっきまでの優しさとは違っていた。
まるで──
面白いおもちゃを見つけた人の目みたいに。
夕方の廊下に、静かに不穏な空気だけが残っていた。




