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What is Love?

作者: Futahiro Tada

 愛って何なんだろう? 本当によくわからない。だけど俺は今、愛ってものを猛烈に知ったような気がするよ。俺はある体験をして、本当の愛についてを知ったような気がしたんだ。そして、この体験には、俺の過去が影響しているんだよね。

 過去……。

 人には、戻りたい過去があるかもしれない。俺にもそんな過去がある。戻れるのなら、その瞬間に戻ってやり直したい。そんな風に考えることもあるよね。

 だけど、時は二度と戻らない。どんな人間にも平等に時は流れていくから。善良な人間であっても……。悪人であっても。それは仕方ないよね。人は、後悔を重ねながら生きていく。それが、成長っていうものだよね。

 それでも、後悔っていうのは、結構キツイ。なんであの時こうしなかったのか? そんな思いが体中を襲っていくのである。俺には、ずっと消えない後悔がある。もしあの時、俺が全く違った言葉を放っていたら、俺はきっと、愛についてもっとよく知れたのかもしれない。

 まぁ、後悔しても仕方ないんだけど……。俺は、過去の贖罪を胸に、今も生きている。必死になって生きている。そう、生きているんだ。それなのに、猛烈に虚しい……。

 あの子が……。あの子が遠くに行ってしまったから。二度と手が届かない遠くに行ってしまったのだ。つまり、失恋ってわけ。

 どんな人間でも、一度は失恋をするかもしれないよね。もちろん、自分は失恋したことがないっていう人もいるかもしれないけれど、そんな人間は結構稀で、皆少なからず傷ついている。俺も、傷ついた。たくさん傷ついて、そして他人を傷つけた。自業自得? それはわからない……。だけど、俺の後悔は、確実に俺が悪い。

 全ては俺が蒔いた種だ。俺が悪いんだよ。だからこそ、後悔に繋がる。もしもあの時、俺があの子にあんなにことを言わなかったら、きっと、今よりもマシな生き方ができていたんじゃないだろうか?

 う~ん。何度考えても堂々巡りだ。

 人は人生を二度生きられない。だから、その時決断した道で生きていくしかない。例えば、死んだ後に何か世界が待っているかもしれないけれど、それはどこまでも曖昧で、よくわからない死後の話だ。

 そんなものに人生を賭けられないよね。やっぱり人の生き方は、一度しかない。だから、誰でも後悔なしに生きたいよね。でも、残念ながらそれは無理だ。人は確実に後悔を積み重ねる。後悔の連続で生きていると言ってもいいかもしれない。それが人ってものだろう。

 どんなに経験を積んで、よく考えて行動したとしても、どうしても後悔っていうものは発生するよね。だから、人生っていうのは厄介なんだ。それで自殺する人だっている。俺は自殺したいのだろうか? 自殺したいほど苦しい……。でも、苦しいから死んでいたら、それこそ大問題だ。何があっても人は生きないと……。傷は直ぐには癒えないけれど、時が確実に癒してくれる。それは間違いないよね。

 まぁ、俺の傷は、少なくとも直ぐには癒せない。しばらくは、何もかも手につかないだろう。それも仕方ない。既に言ってあるけれど、この原因を作ったのは俺なんだ。俺がすべて悪いんだよ。だから、誰かを恨むって言っても無理。自分を呪うしかない。

 それでも、若気の至りってあるよね? 若い時にしてしまう失敗。誰でも一度はあるんじゃないかな。俺にもそんな失敗がある。ただ、その失敗が痛烈な悪手になってしまったんだよ。

 トホホ……。何でこんなことになっているだろう。考えても考えても、答えは出ない。否、答えは既に出ている。俺は、この現実を受け入れないとならない。どんなに苦しくても、今を受け入れないと先に進めないのは確かだよね?

 そんなに簡単に受け入れられる現実でないのだけれど、俺は今もこうしてダラダラと思い悩んでいる。もう戻らない、過去の過ちを、グチグチと考え続けているんだ。それは、地獄のように苦しい……。

 本当に助けて欲しいよ。でもね、結局、人ってものは、自分で問題を解決して、生きていくしかない。もちろん、人に頼るのはありだと思うよ。だけどね、最終的に答えを出すのは自分だけなんだ。何しろ、自分の人生は自分しか生きられない。他人の人生は、どう足掻いたって歩めないから……。

 はぁ。溜息が尽きないよ。俺、これからどうなるんだろうね。本当にわからない。この先、幸せが待っているんだろうか? 幸せ……。俺にはそれがよくわからない。俺はただ、あの子のそばに居られればそれでよかった。でもそれができない。何しろ、あの子はもう俺のものじゃない。俺のものにはできないんだ……。

 そう。あの子は俺ではない男と結婚したんだ。つまり、人妻になってしまったってわけ。官能小説の中には、人妻と仲良くなって情事に勤しむシーンが多々見受けられるけれど、それは小説だからありえる話で、現実では無理だ。

 あの子は、幸せになったんだろうか? まぁ、結婚したんだから幸せになったんだろう。それに、子供もいるみたいだ。何しろ、俺たちはもう三十歳を超えている。だから、子供の一人や二人いたとしても、決して不思議ではない。

 俺だって、もしもあの子と一緒になっていれば、あの子の子供を育てていたのかもしれないのだ。もうそれは絶対にできないけれど……。

 そんなにあの子が好きなら、不倫すればいい。そう考える人間もいるだろう。だけど、俺にはそんな勇気がない。人の幸せを踏みにじってまで、幸せにはなりたくない。

 どこか、人の人生には犠牲が伴っているような気がするよ。ある人の不幸の奥に、ある人間の幸せがある。そんな運命みたいなことが鎖のようにつながっているんじゃないかな……。何となくだけど、俺はそんな風に思っているよ。

 何を言ったとしても、もうあの子は戻ってこない。それは確かなんだよね。っていうか、俺はそれを察してしまった。彼女の口から、確固たる決意を聞いてしまったから。あの時のあの子の表情……、あれは本物だったよ。あの子の世界には、既に俺がいない。まぁ、そうだろう。結婚したし、子供もいるし……。俺が立ち入る隙はない。残念だけどね。

 俺って女々しいよ。失った女の子のことを今も考えている。それだけ、愛っていうのがわからなかったんだ。俺は確かに一人の女性を愛した。否、愛したかった。だけど、色々あって、それができなかったんだよ。本当に情けない。嫌になるくらいにね……。

 さて、そろそろ俺の過去を少しだけ話そうか? そうしないと話が進まないよね。ダラダラと、後悔ばかりを述べていても仕方ない。それに、人に話せば何かこう、楽になるかもしれない。少なくとも、俺は俺の後悔を何とかしたい。人に話して、それが軽くなるのなら、俺は話したいくらいなんだ。

 もちろん、死ぬまで心の内に留めておくってのもありだよ。だけど、俺はそんなに強くない。今も潰れそうなくらい不安なんだ。途方もなく辛い。辛くて、死にたくて、本当にうんざりするよ。どうして生きているんだろう? 愛を知るため? 運命の人に出会うため? すべてはまやかしである。本来、愛っていうのは凄いパワーがあるはずなんだ。

 万年補欠だった野球部の人間が、好きな女の子が応援に来たらホームランを打つように、愛っていうのには、偉大な力がある。それは確かだよね。恋愛って凄い。愛って凄い。俺にはそれもわかっている。だけど、もっと深く愛について知りたい。愛を知れば、俺の傷も少し癒えるような気がするから……。

 はぁ、人生って本当に辛いよね。あぁ、それはわかってるよ。嫌になるくらいにね……。


          *


「健君、どこ行くの?」

 その子は俺に向かってそう言った。

 ここは俺たちが通う高校の教室。

 ありふれた日常の一ページが、こうして展開されている。

「どこだっていいだろ。お前に関係ない」

「私も付いて行っていい?」

「くんな! うざいんだよ。お前のそういうところ」

「健君。私、悲しいよ。そんなこと言われると」

「だって、お前がしつこいんだもん」

「だったらさ、明日は暇?」

「明日? 暇って言ったらどうするんだ?」

「そうしたらさ、一緒にどこか行かない?」

「だ、か、ら、何で俺がお前とどこか行かないとならないんだよ」

「だって幼馴染だよ。私たち……」

 そう。俺とこいつは幼馴染。

 幼稚園から、こうして高校まで一緒なのだ。つまり腐れ縁。だけど、俺は少しうんざりしている。何しろ、こいつは少ししつこいのだ。

 この時の俺は、まだまだ心がふにゃふにゃとして柔らかく、傷が付きやすかったんだ。人との距離を測るのが、苦手だと言えるかもしれない。

「とにかく、俺は行かないからな……」

「えぇぇぇ。行けば楽しいのになぁ」

 と、こいつは言った。

 いつまでもこいつと呼ぶのは、可哀想だから、そろそろこの子の名前を言っておこう。俺の幼馴染。彼女の名は竜宮真奈という。

 ……で、この時俺は真奈をどう思っていたのかというと、正直よくわからない。ずっと一緒だったから、好きとか嫌いとか、そういう次元の話ではなかったような気がする。呼吸をするのと同じように、真奈は俺のそばに居た。ずっとそばに居たんだ。俺はその環境に、すっかり慣れ切っていて、いつまでも勝手に続くものだと思っていたんだよね。

 それでも、何か物事っていうものは、永遠ではない。始まりがあれば、終わりも必ずあるものなんだ。

 好きだったのかな……。んんん、確かに好きだった。でも、真奈に言い寄られるのが、少し億劫にも感じていたんだよ。自惚れかもしれないけれど、俺は少々うんざりしていた。

 なんで真奈なんだろう。その当時、クラスにはもっと可愛い子がいたんだよ。そういう人間から好意をもってもらえれば、それは嬉しかったかもしれない。ただ、真奈はあまりに近すぎて、全く嬉しくなかったんだ。

 それに、俺は真奈の件で友人たちから冷やかされていた。

 夫婦……。

 そんな風に呼ばれていたのである。何しろ、真奈はことある毎に俺に話しかけてくる。一々つまらない話をしてくるから、俺も何となく対応していたんだけど、周りの人間の目には、かなり奇異に見えたらしい。まるで、倦怠期の夫婦のようだって言われたこともあったよね。

 その冷やかしが、俺は嫌だったよ。だけど、当の真奈は何にも感じていないようで、いつも俺に話しかけてきた。彼女だけは、いつも俺の味方だったような気がするよ。……今思えばね。

 俺は真奈との関係に少しうんざりしていたんだけど、少しS的な考えがあって、彼女をしょんぼりさせるのが好きだった。何というか、俺が心無い言葉を言って、しょんぼりする姿を見るのが好きだったんだ。

 Sというから、性格が悪かったのかもしれない。けれど、悲しみ彼女の顔は、どこか俺の琴線に触れて、俺を駆り立てるのであった。虐めは消えない。人は人を傷つけても、その心が痛まないから……。確かにそうだろう。虐めがあるのは事実だ。だけど、多くの人間はそれを救わない。救おうとすれば、自分に害が及ぶかもしれないからだ。もしかすると、虐めの表的が自分になってしまうかもしれない。

 そうならないために、人は自分を防衛する。なるべく虐められている人間には関わらないようにする。それでも、心が痛まないんだ。俺のクラスにも虐めを受けている人間はいた。無視されたり、靴を隠されたり……。本当に陰湿なことをする人間がいるものだよ。

 俺は決して虐めに参加したわけではないけれど、助けようとはしなかった。ただ、関わらないようにしていただけだ。俺の心は、冷徹だったのかもしれない。それでも、俺を責めないで欲しい……。俺一人の力では、決して虐めはなくせない。それがわかっているから、穏便に何もしなかっただけなんだ。

 まぁ、そんなことがあって、俺は人が傷つくのを見ても、あまり心が痛まなかった。むしろ逆に、その姿を見るのが好きになってしまったんだ。どうしようもない人間だよ。本当に……。

「健君。今日一緒に帰らない?」

 掃除の時間、真奈はそんな風に言ってきた。

 何故? 俺はお前と帰りたくない。一緒に帰れば、また冷やかされるに決まってるから。

「やだよ。一人で帰れ」

「えぇぇぇ。どうして? 家近いじゃん。それに、最近健君冷たいよ。私、傷ついてるよ」

「知らねぇよ。お前がしつこいからだろ。俺に関わるなよ。別に、俺以外の人間でもいいだろ? 帰るのなんて」

「んんと。ただ、少しお話したいと思って。ここしばらく話していないから」

「そうか? 学校に来れば、話していると思うけれど」

「学校だけだよ。昔は一緒に遊んでくれたのに……」

「昔の話だよ。俺は忙しいんだ」

「どうして? 健君、部活とか入っていないじゃん」

「まぁ、それはそうなんだけど……。俺には俺の予定があるんだよ」

 本当は予定なんかない。もちろん、一緒に帰る人間だっていないのだ。そもそも、俺は友達が多い人間ではない。学校の休み時間に一緒に話すくらいの友人はいるけれど、休みの日にどこかに行くような関係の人間はいなかった。

 つまり、俺は孤独。否、真奈がいるから、正確には孤独ってわけじゃないんだけど。俺は基本一人だった。けれど、それが寂しいわけじゃなかった。人間関係なんて、煩わしいだけだ。それ故に、今の俺の距離感は、丁度いいくらいだって感じていた。

 第一、学生時代の友達と、ずっと一緒にいるわけではない。学生を卒業して、いつか働くようになったら、今のように遊んではいられない。それは当然だろう。

 友達との関係は徐々に薄れ、仕事に励むようになる。勿論、働いても、友達と遊ぶ人間はいるかもしれないけれど、歳を重ねれば重ねるほど、そういう関係は希薄になる。……と、俺は思っていたんだ。

 それに、俺の両親は休日に昔の友達と遊んだりしない。大抵は家にいるか、どこかにフラっと出かけていくだけだ。夫婦でどこかに行く時もあるみたいだけど、まぁそれは少なくて、単独行動ばかりしている。

 俺もその血を引いたんだろう。だから、別に友達がいなくても悲しくないよ。全然ね。

「ちなみに予定って何?」

 と、興味深そうな視線を送る真奈。

 困った。大いに困った。断る理由がないよ。

「べ、別にいいだろ。何だって」

「嘘。本当は予定なんてないんでしょ? だったら私と一緒に帰ろうよ。駅前に美味しいたこ焼き屋さんができたんだよ。一緒に行ってみようよ」

「だから嫌だって。お前といると、色々冷やかされるからな……。正直うざいんだよ」

「う、うぅぅ……健君……、酷い……、私悲しい……、そんなこと言われると」

「だって事実だろ。お前だって、俺みたいな人間に構うのは止めろよ。他に友達作れよ」

 俺の目から見て、真奈は大抵一人で過ごしていた。少し天然じみたところがあり、それが影響してなかなか友達ができなかったんだよ。だからこそ、真奈は俺を頼ってきたのかもしれない。まぁ、虐められないだけ、マシだと思うけれど。

 だからさ、俺なんて放っておいて、新しく友達を作ればいんだよ。

「ねぇ、健君。一つ聞いていい?」

「何だよ?」

「健君は私が嫌いなの??」

 正直、ズキッと胸を貫かれた気がしたよ。俺は真奈をどう思っているんだろう? いつまでも曖昧にはできない。ただ、そんな気がしたんだ。

「嫌いって言ったらどうするんだ?」

「え~。酷いよ、ずっと一緒だったのに……。でもね、もしも本当に健君が私のことが嫌いなら、私はそれを受け入れるよ」

「受け入れるってどういう意味だ?」

「う~ん、例えば、もう話しかけないよ。家にも行かない。結構寂しいけど……」

「べ、別に嫌いじゃないけど……。ただ、時折うざいなって思うけど」

「嫌いじゃないのね?」

「多分だけどな……」

「なら、今日一緒に帰ろう。そしてたこ焼き屋さんに行くの。いいでしょ? 奢れとか言わないから」

 こいつはしつこい。本当に嫌になるくらいにね。ここは俺が折れるしかなさそうだ。

「わかったよ。今日だけだからな……」

 とうとう俺は同意する。

 すると、真奈は花が咲いたような笑顔になった。その笑顔は本当に天使のようで、少なからず俺を刺激してくる。

(こいつもこんな笑顔ができるんだな……)

 幼馴染の新たな一面を知ったような気がしたよ。そして、俺はあることを想ったんだ。それは、俺はあまりにも真奈を知らないってこと。いつも一緒だったけれど、俺は彼女の何を知ってるんだろう? 

 小学生の頃は、よくテレビの話とかしたから、どんなテレビ番組が好きかは大抵把握しているし、子供みたいな舌をしているから、たこ焼きとか、クレープとか、ハンバーグとか、そういうものが大好きなんだ。

 その昔、俺の家に遊びに来ては、夕食を一緒に食べていたんだよ。その時、お袋が作ったハンバーグを、「美味い、美味い」言って食べていたからね。

「じゃあホームルームが終わったら待っててね。絶対約束だからね」

「わかってるよ……。本当にしつこいな」

「だってこう言わないと健君、知らん顔するんだもん。自業自得だよぉ」

 結局、俺は真奈と一緒に帰ることになる。そして、駅前にできたたこ焼き屋に行く羽目になったってわけ……。

 はぁ、また冷やかされるかもしれないな。女子と一緒に学校の帰りに買い食いしていれば、それはいいスキャンダルになる。格好の噂になるだろう。少なからず俺と真奈は噂されているから、俺も嫌気が差していたんだよね。

 けどね、心のどこかでは、嫌ではなかったんだ。むしろ、心がほっこりするような感覚があったのは確かだよ。俺は彼女を求めていたのかもしれない。けど、あまりに心が軟弱だから……、それを認めるのが嫌だったんだ。否、怖かったのかもしれない。彼女に近づいて、もしも嫌われてしまうと思うと、心が鬱屈としてくるんだよ。

 何か変だよね。彼女を鬱陶しいと思っているのに、心の片隅では求めてる。そして、猛烈に失うのを恐れているんだから。……心っていうものは、本当によくわからないよ。本当に大切なものは、失ってからでないとわからない。風邪を引いた時、改めて健康のありがたさがわかるように、真奈という存在は、俺の中でかなり大きなウエイト占めていたんだよね。やれやれだよ、全く……。

 放課後――。

 帰り支度を済ませ、俺は真奈を待つ。ホームルームは当たり障りない連絡があり、あっという間に終わってしまう。これから、俺は久しぶりに真奈と一緒に帰る。

 思えばいつぶりだろう? 俺は、基本的に一人で帰る。そっちの方が気楽だからだ。友達と帰るっていうのは、本当にあまりないんだよね。まぁ、それで別に不便を感じているわけではないし、全く問題はなかった。

 ただ、今日は真奈が一緒にいる。何となくだけど、少し嬉しい……。そんな気がする。嫌がっているものの、俺はどこかで真奈を求めていたのかもしれない。それを、ただ気づかないふりをして、生きていただけなんだよね。

「じゃあ行こうか。健君……」

 いつの間にか、真奈が俺の前に立っていた。俺は、カバンを持ち、立ち上がる。

「あ、あぁ、わかった」

 俺たちは玄関に向かい、内履きから外履きに履き替えて外に出る。季節は秋。十一月である。すっかり日が沈むのが早くなった。学校が終わるのは午後四時くらいだけど、その時間帯になると、少しずつ薄暗くなっている。夏だと、断然まだ明るかったのに。不思議なものだよね。

 俺と真奈は、小学生の時はよく一緒に帰っていた。家が近かったし、真奈が勝手についてきたから、俺もそれに合わせて一緒に帰っていたんだよ。

 だけど、いつの間にかそういう関係は薄れていった。真奈もいつまでも俺と帰るのではなく、一人で帰るようになり、俺からは離れて行った。だけど、時折一緒に帰ろうよって誘ってきて、それは俺を困惑させたよ。

 真奈は、何を考えているんだろう? どうして、俺みたいな男と一緒に居たがるんだろうか? それが不思議でならなかった。俺は全くカッコよくないし、頭もよくない。それにプラスして、運動だって全くできないんだよ。つまり、何か真奈の琴線に触れるものがあるとは思えないんだ。

 なのに……。

 それなのに。真奈は俺を求める。それは、幼馴染という呪縛がそうさせるのだろうか? ずっと一緒だった関係。そんな絆のような関係は、ずっと続くのだろうか?

 否、ありえないな。今、俺たちは高校生だ。だから、一緒に居られる。だけど、この先は違うよね。高校を卒業した後の進路っていうものは、それこそ多岐に渡る。

 大学に進学する者もいれば、専門学校へ進学する者もいるだろう。それに、勉強は止めにして、働く人間だっているはずだよね。俺はどうするんだろう? 頭もよくない。かといって、何か専門的にやりたいモノがあるわけでもない。

 だけど、今の時代、大抵の人間は大学なり、専門学校へ進学するよね。だからきっと、俺もそれに倣ってどこかに進学するだろう。それがどんな学校なのかはわからない。だけど、多分働くっていう選択はしないはずだ。まだ、学生でいたい。……そんな気分なんだよね。

 真奈もきっと進学するだろう。昔、幼稚園の先生になりたいって言っていたから、教育系の学校に進むかもしれない。となると、俺とは違う道を進むだろう。俺はとてもではないけれど、教職なんて就けない。俺が人にものを教える? 冗談だろ。そんなのできるわけない。だからさ、俺と真奈はきっと高校でお別れになるはずなんだよ。これからは別々の道を生きる。

 そうなると、きっと真奈も俺から離れて行くだろう。新しい環境で、新しい友達を作って、そこで生きていく。もしかすると、彼氏ができるかもしれない。今のところ、彼氏はいないようだけどね。

 彼女だって、いつまでも子供ではない。自分の道を進んでいくはずなんだ。自分の道は自分で見つける。人は人生の多くで、取捨選択をしていかなければならない。そして、自分がした選択に責任を持たないとね。

「久しぶりだね……。一緒に帰るの。いつぶりだろうね、健君」

 不意に真奈がそんな風に言った。

 俺は彼女を見つめず、ただ前を見て答える。

「わからん。高校に上がってからは、あんまり一緒に帰っていないからなぁ」

「だって健君嫌がるんだもん」

「お前だって嫌だろ。俺みたいな人間と一緒に帰るの」

「全然嫌じゃないよ。むしろ、一緒に帰りたい。小学生の時はいつも一緒だったのに……」

「昔の話だよ」

「だけど、今日は一緒だね。よかったよかった」

 そこで、俺は真奈の顔を見つめる。

 彼女の顔は、ほっこりとしていて、どこまでも嬉しそうに見えた。全く不思議な奴だよ。本当にね……。

「たこ焼き、食うのか?」

「うん。美味しいんだって。健君も好きだよね?」

「まぁ、嫌いじゃないけど。特別好きってわけでもないよ」

「大丈夫。美味しいからきっと気に入ると思うよ」

「はぁ、まぁ付き合うよ……」

「エヘヘ。ありがと……」

 俺たちの通う高校から、駅まではそれほど距離があるわけではない。徒歩にして十分くらい。だからすぐに駅前に着く。

 夕暮れの駅前は結構混んでいる。大きな駅というわけではないけれど、近くには学校がそれなりにあるから、学生の姿は多い。もちろん、社会人や主婦の姿もあるよ。

 例のたこ焼き屋は駅の裏側の細道の途中にあった。真奈が言っていた通り、結構人気があるようで、少しだけ行列ができていた。俺は、行列に並んでまで、何かを食べたいとは思わない。並ぶのって疲れるじゃん? なるべくなら、空いているところがいいよね。

 俺と真奈は、行列の一番後ろに並ぶ。まずまず回転率は良いようで、直ぐに順番が回ってくる。一舟四百円。それで八個入っているようだ。俺たちは割り勘して一舟たこ焼きを購入すると、駅前の広場にあるベンチに座って食べ始めた。

「健君、熱いよ。気を付けて」

 ハフハフしながら、真奈はたこ焼きを口に運ぶ。仕上げに油で揚げてあるようで、たこ焼きはかなり熱々だった。

「大丈夫だよ。子供じゃあるまいし」

「うん。美味しい……。やっぱり並んでいるだけあるね」

 確かにたこ焼きは美味しかった。カリっとした外側の生地。ただ、中身はトロトロとしており、全体的にふんわりとしていた。たこも大きいし、味は申し分ない。なかなか美味いじゃないか。

「美味いね。確かに……」

「でしょ、並んでよかったね、本当に」

「たまに食べる分にはいいかもね。毎日じゃ飽きるけど」

「アハハ。流石に毎日たこ焼きだったら飽きるよね。いくら好きでもさ」

 暫くの間、たこ焼きを食べ続ける。

 一人四個ずつ。俺たちはきっかり半分こにして全部食べた。あぁ美味かったよ。

 何だか飲み物が飲みたくなってきたころ、不意に真奈が声をかけてきた。その声は、どこか神妙だ。

「ねぇ、健君。学校卒業したらどうする?」

 俺たちはまだ高校二年生。受験するにしろ、就職するにしろ、まだ時間がある。

「わかんないよ。お前は?」

「う~ん。私? 私は進学するよ。一応大学志望だから。健君は大学に行かないの?」

「さぁね。俺、そんなに頭もよくないし、何か勉強したいこともないしさ」

「もしかして働くの?」

「否、それはないかな。多分進学するよ。どこか身の丈にあったところにね」

 それが俺の未来。俺はきっと普通に生きて、普通に死ぬだろう。何となく、そんな風に感じたんだよね。

「真奈はどこの大学に行くんだ?」

「一応第一志望はW大かな。難しいかもしれないけれど」

 有名大学の名前が出て、俺は驚いた。真奈ってそんなに頭よかったっけ??

「すげぇじゃん。頑張れよ」

「これで健君とは離れ離れになるかもね」

「だな。俺はとてもじゃないけれど、W大なんて無理だよ」

「私だって無理だと思うよ。だけど、目標は高く! 頑張れば届くかもしれないし……」

「そっか」

「健君。あ、あのね、その変なこと聞くけどいい?」

「変なこと? なんだよ??」

「あのさ、健君って好きな子とかいるの?」

「はぁ? 好きな子? 何でだよ」

「う~ん。何となく気になって」

 好きな人か。そんな人間俺には……。

「お前はいるのか?」

 俺は質問を質問で返す。

 すると真奈は恥ずかしそうに顔を背けた。

「え? 私……。どうしようかなぁ。まぁいいか。うん、健君。私ね好きな人がいる」

 それは意外な言葉だった。だけど、年頃の少女なのである。好きな異性がいたって、何らおかしくはないよね。ただ、俺は少し焦ってしまったんだよ。一体それが誰なのか? 激しく気になってきた。

 だけど、俺はあくまでも冷静さを取り繕い、質問を飛ばす。

「そう……なんだ。それってクラスの奴?」

「うん」

「何て言えばいいのかな。俺、協力とかできないけれど、頑張れよ」

「うん」

「どうした?」

「ねぇ、誰が好きなのか、気にならないの?」

 真奈が好きな奴。

 気にならないわけではない。だけど、それを知って、俺はどうすればいいんだよ。俺は、とてもではないけれど、応援とかはできない。そういったキャラじゃないしね。それに、女の子の恋愛って、男の俺からしたら、よくわからないことだらけだし……。

「聞いたら教えてくれるのか?」

「聞きたい?」

「まぁ……な……」

「その人は、多分私が好きだって気づいていないの」

「話しかけたらどうだ?」

「よく話しかけてるよ。嫌になるくらい」

「それでも気付かないのなら、そいつは鈍感なのかもな。もっとアピールしないと」

「そうだけど。その人、私を嫌がってるように見えるし」

 相手が嫌がっている。

 これは恋愛においては大きなマイナスだろう。相手がよく思っていないのに、その恋愛を成就させようとするのは難しいよね。それでも、俺は決して恋愛の達人ってわけではないから、アドバイスとかはできなそうだけど。

「なんで嫌がられてるの?」

「わかんない。昔はそんなことなかったのに」

「昔? そいつのこと、昔から知ってるの?」

「うん」

「それってさ……」

 俺はそこまで言って口ごもる。

 真奈が昔から知っている異性。それは数えるほどしかいないだろう。俺と同じように、幼稚園から一緒って人間は多分いない。でも、小学校や中学校が一緒だった人間は多々いるんだよ。その中の人間なのか? となると、俺が知っている可能性も高いよな。

「それって俺も知ってる?」

「知ってるよ。だって……。ずっと一緒だもん」

 俺は小さい時から一緒だった学友を思い浮かべる。その中に、真奈の想い人がいるんだろう。一体誰だ? 激しく気になるけれど、答えは出ない。そんな中、真奈は続けて言った。

「その子ね、私が話しかけると怒るの」

「怒る? なんでだろうね」

「多分、それで冷やかされるのが嫌なんだと思う……」

 冷やかされる……か……。

 俺はそこまで聞いて、答えを察した。よく、ライトノベルの主人公なんかは、ヒロインの想いに気づかないケースが多い。それが定番になっている。けれどね、俺はそこまで鈍感ではないよ。

 真奈が好きな人間。それは俺だ。

 否、多分だけど。でも、そこまで察して、改めて彼女の顔を見ると、真奈は真っ赤にさせていた。茹蛸のように顔が真っ赤なのだ。これじゃまるで、告白されてるみたいだよ。

 さて、どうすればいいんだろう??

 このまま想いに応えればいいのか? そもそも、よく考えるんだ。俺は真奈をどう思っている。これで彼女の想いに応えれば、確実に冷やかされるだろう。それって結構面倒っていうか……、何か嫌だな。

 ずっと一緒だった真奈。少なからず、俺は意識している。多分、少しずつ女として彼女を見るようになっている。真奈だって、いつまでも子供ではないのだ。俺が成長するように、彼女もまた成長していくよね。

 大人の女になり始めている真奈。その姿を見て、俺は少しだけ眩しく感じたんだよ。だけど、答えが出ない。真奈が俺を好き? 冗談だろ!

「お前はどうしたいんだ?」

 と、俺は尋ねた。

 すると、真奈はキュッと握りこぶしを作りながら、その質問に答える。

「一緒に居たいよ。今よりもずっと……」

「そか……。それなら、そう言うべきじゃないのか? そいつが鈍感なら、言わないと気づかないと思うし」

 これは逃げだ。

 俺は彼女の答えを知りながら逃げた。何というか、どうしていいのかわからなかったんだよ。真奈の身体が小刻みに震え始めている。恐らく、緊張しているのだろう? その緊張が、俺に伝染して伝わってくる。

 先ほどまでの、甘いたこ焼きタイムは、あっさりと崩れ落ちていく。忽ち、緊張感のある空気が流れ、俺と真奈の間を包み込んだ。

「その人、私が告白したらOKしてくれると思う?」

「んんん……。どうだろう。多分大丈夫なんじゃないか? 嫌がってるのは、多分恥ずかしいからだと思うし」

「ホントにそう思う?」

「多分だよ……、多分」

「ねぇ、健君。私が好きなのはね……。そ、その、つまり、すぐそばに居る人なの」

「そば?」

「私のそば。一緒にたこ焼き食べてる」

「真奈。なぁ、本当にいいのか?」

「え?」

「俺は鈍感に見えるかもしれないけれど、実は気づいている。お前が好きな人間、それって俺なんじゃ?」

「うん」

 真奈は恥ずかしそうに告げる。

 うつむいたまま、目をキュッと閉じた。その姿があまりに愛らしくて、俺は蕩けそうになってしまったんだよ。

 人に必要とされる時、どういうわけか力が出てくるよね。特に愛されていると感じると、気分がよくなるというか、心の底から嬉しくなる。

 俺と真奈はずっと一緒だった。あまりに近い存在だった。だから、付き合うとか、仲良くなるとか、そういうところにいなかったんだよ。でも、改めて告白されると、俺は舞い上がってしまう。やはり、嬉しい。多分だけど、俺も真奈が好きだった……、それは間違いないよね。

「俺、お前のこと傷つけていたのに……。鬱陶しいと思って、避けていたのに。それでも俺を必要としてくれるのか?」

「うん」

 真奈の目がカッと開いた。うるうるとした瞳は、僅かに濡れている。このままだと泣いてしまうのではないかと思われた。

「真奈……、俺でいいのか? 本当に??」

「健君じゃないと嫌だよ」

「いつから? いつからなんだよ。ずっと隠してきたのか?」

「意識したのは、高校に上がってからかな。でも、ずっと好きだったと思う。私ほど、健君を知ってる女の子はいないよ」

「そうかもしれない。なぁ、俺、急には決められない。驚いているし、整理する時間が欲しいんだ」

「わかるよ。答えは今すぐに聞かない。だけど、私が好きだって気持ち、知っておいて欲しいの……」

「わかった。ちゃんと考えて、答えを出すから」

「うん」

 真奈はにっこりと笑みを浮かべる。その笑顔を見て、俺は自分の気持ちが多分嘘ではないと察したんだ。だけど、その場で答えは出さなかった。本当は、今すぐにでも好きって言いたい。抱きしめてやりたい。なのに、この時の俺には、それができなかった。変なプライドがあって、少し考えるって言ってしまったんだ。

 結局、その日はたこ焼きを食べて、そのまま別れた――。

 自宅に戻り、俺は自室のベッドの腕に寝転んだ。顔が熱い。そして、心の底から嬉しくなってくる。

 俺は今日、生まれて初めて女の子に告白された。それも幼馴染の真奈に。

 自分の中で、答えはもう出ている。俺は、彼女と付き合いたい。それはもう間違いない。明日にでも好きだって言おう。きっと、いいカップルになるような気がした。

 もちろん、大学は別々になるだろう。それでも、そんなことは大きな壁にならない。大切なのは、好きっていう気持ち。好きという意志が、距離を超える。例え離れていたって、お互いが好き合っていれば、きっとやっていける。

 俺は、そんなファンシーなことを考えていたんだ。真奈が俺の彼女になる。それだけで、心の底から嬉しくなってきたんだよ。本当に嬉しかった。叫びたいくらいにね。

 けれど、崩壊は確実に忍び寄っていた。俺は、真奈のことが好きな男に会ってしまうんだ。

 というか、真奈が俺を好きだという話は、どういうわけかクラス中に広まっていた。俺は、そんな噂の中過ごしていかなければならなかったんだ。そして、そいつは、突然に現れた。

「須藤健一。ちょっといいか?」

 遅ればせながら俺の名前を告げておこう。俺は須藤健一。高校二年生。

 俺に声をかけてきたそいつは、学校でも一二位を争うくらいのイケメンであった。スポーツもできて、尚且つ勉強までできる。どんな学校にも一人はいるくらいの、秀才ってやつさ。そいつが俺に話しかけてきたんだ。今まで会話すらしたことがなかったのにね。

「何?」

「竜宮真奈のこと。そう言えばわかるか?」

 真奈の名前が出て、俺は驚いた。

 こいつも例の噂を知っているんだろう? それで、俺を冷やかしに来たんだろうか?? 事実、俺は噂が広まって数人の男子生徒から冷やかしを受けている。かなり面倒だったよ。だからね、なるべくならそっとしておいて欲しかったんだ。それでも、そいつはあまり穏やかではないようだったってわけ。

 そいつの名は田中優人。隣のクラスの人間だ。俺とはほとんど面識がない。というか、全く話したことがないんだよ。なのに、そいつは真奈の件で話があると言っている。やれやれだよ。

 俺と優人は屋上に向かう。俺たちの高校の屋上は、普通の生徒も入れるようになっており、憩いの場所と化している。俺たちが行った時は、丁度昼休みで、屋上には結構な数の生徒が思い思いの時間を過ごしているようだった。

 落下防止用のフェンスの前まで進むと、優人は静かに溜息をつく。全く、溜息をつきたいのは俺の方だよ。どうして、真奈の件で話があるんだろうか? そんなに噂になっているのかな? 俺たち。まぁ確かに、格好の噂の種にはなるだろうけどね。

「真奈に何か用なのか?」

 優人が何も言わないから、まずは俺から言った。

 すると、優人はニヒルな笑みを浮かべて、俺に向かって答える。

「お前、真奈が好きなのか?」

「は? なんでそんなことお前に教えないとならないんだよ」

「噂になってるからな。お前と真奈が付き合うかもって……」

「別にいいだろ。勝手にしてくれ」

「だから聞きたい。お前は真奈が好きなのか?」

「好きって言ったらどうするんだよ?」

「離れろ!」

 それは酷く冷たい言葉。

 俺の胸に貫くように刺さっていく。

「え?」

 俺は、それしか言い返せなかったんだ。優人のあまりの変容に驚いてしまったと言える。

「だから、真奈から離れろって言ってるんだ」

「どうしてだよ? お前まさか、真奈が……」

「余計な詮索はするな。ただ、離れろっているんだよ。わかるだろ、日本語だぞ」

「それはわかるけど……、嫌って言ったら?」

「そうしたら、俺にも考えがある。お前、きっと後悔するぜ」

「後悔? なんでだよ」

「とにかく離れるのか? それとも、もしかして付き合おうとしてるのか?」

「そうだよ。なんか文句あるか?」

「お前と真奈が。嘘だろ! 止めてくれよ。なぁ須藤、俺を笑わせるな」

「笑いを取ったつもりはないけどね」

「離れないって言うんだな」

「あぁ」

「後悔させてやる」

 それだけ言うと、優人は俺から離れて行った。

 後悔。

 酷く不気味なセリフを残してね……。

 後悔の理由は直ぐにわかった。まず、俺の靴箱から外履きがなくなった。これはまぁいい。それだけでなく、クラス全体が変わりつつあったんだよ。早い話、俺は無視されるようになったってわけ。つまり、虐めだよね。それも結構陰湿な……。

(なるほど、それであいつは後悔って言ったのか)

 スクールカーストの上位に位置する優人なら、このくらい朝飯前である。簡単に一人の生徒を無かったことにできるんだな。なんて奴だ。本当に人でなしだよ。

 正直、俺は困惑したよ。でもね、無視されるくらいなら、あんまり痛手にはならなかったんだ。そもそも、俺にはそんなに友達がいるってわけじゃないしね。元から少ない友達が、いなくなった。限りなくゼロに近かったから、俺は耐えていける。 

 だけど、それ以上に大きな問題が立ち塞がっていたんだ。

 それは、虐めが始まってから三日目に起こった。性懲りもなく、そいつが俺のところにやって来たのだ。

「おい。須藤、ちょっと来いよ」

 休み時間、優人は強引に俺を廊下に連れ出した。

 虐めが始まってから、俺は真奈の告白の回答を先延ばしにしていた。というよりも、真奈自身も俺の虐めに気づいているようだった。だけど、彼女は何もできない。ただオロオロするだけだったんだよね。

「お前だろ……、俺を無視しろって言ってるの?」

 と、俺は告げる。キッと睨みつけてやってもよかったけれど、そこまでの勇気がなかった。

「は? 何の話だ?」

「お前の策略か何か知らないけれど、俺は無視されてる。それってお前の所為だろ?」

「証拠があるのか? 須藤君……」

 不気味な笑みを浮かべる優人。

 こいつは根っからの悪人だ。きっといい死に方をしないよね。でも、こういうヤツが将来出世するから、人生ってのはわからないものだよ。

「証拠はないけれどさ……」

「助けて欲しいか?」

「バカ言え。別にいいよ」

「強情な奴だな。お前が真奈から離れるんなら、助けてやってもいいぞ」

「嫌だ。俺は真奈と一緒に居る」

 それが俺の正直な気持だった。

 そして、今日の放課後にも、真奈に思いを告げる予定でいたんだ。だけど、その予定は、一気に崩れ落ちてしまった。そいつが、決定的な一言を告げたからだ。

「いいのか? 須藤。今はお前だけの被害だ。でもな、これが真奈に及んだらどうする?」

「お、おま……、何を……」

 俺は慌てる。

 こいつは真奈をも標的にしようとしている。それはダメだ。真奈はそんなに強くない。今の時期に、無視されるような虐めを付けたら、きっと大きな傷を負ってしまうだろう。とにかく、それだけは避けないとならない。

「だから、このままだと、真奈にも被害がいくぞ! いいのか?」

「お前、最低だよ……」

「最低? 誰にモノを言ってるんだ」

「止めろよ。真奈に手を出すな」

「おぉ、怖いねぇ。須藤。条件だ。真奈から離れれば、俺は真奈に何もしない。そして、お前を救ってやる。だけどな、お前がもしも拒絶するなら、俺は容赦しない。お前と真奈を一気に潰してやる」

「なんで? なんでそんなことができるんだ? 第一、お前は真奈を好きなはずだろ?? だから俺に突っ掛かってくるんだろ? もしも真奈を虐めたら、お前だってマイナスなはずだ」

「それはどうかな? 誰も俺が指示したなんてわからないよ。それに、虐められてるところを、俺が救えば、俺のポイントは上がるかもな……。さぁ、どうする? 須藤、お前が拒絶すれば、大切な真奈が苦しむんだぜ……」

 最低の野郎だ。

 殴ってやりたい気分だけど、俺にはそんな力もないし、多分返り討ちに遭って終わりだろう。つまり、俺には何もできないんだよ。否、できる……。俺が真奈から離れれば、すべては上手くいく。なら、俺の取るべき選択は、ただ一つだよね。

 この時の俺は、まだまだ若く幼かった。だから、好きな人を守るために、自分が犠牲になるのが、一番いいと思っていたんだ。もしも、この時の俺に、もう少し勇気と力があれば、真奈を守り、一緒戦うっていう選択もできたはずなんだ。だけど、俺はそれができなかった。何というのかな? 楽な方に流れてしまったんだよ。

「……わかったよ。真奈から離れる」

 すると、優人はにっこりと笑い、俺の肩をポンと叩いた。

「本当だな? なら、今日真奈に言え。俺に付きまとうなってな」

「そう言えば、真奈に危害を加えないんだな?」

「もちろん。お前だって幸せになれるぜ。悪い話じゃないだろ?」

 苦渋の決断。

 というか、俺にはその決断しかできなかったんだ。俺は弱いよ。本当に。好きな人を守るために、好きな人を傷つけてしまう。優人は十分最低の奴だが、俺だって最低の人間だ。好きな人を守れないっていうのは、本当に情けない。

 男だったら、好きになった女の子を全力で守らないとならない。それが男気ってものだろう。なのに、俺はその決断をしなかった。ただ、安易にいいなりになって、真奈を傷つけてしまう。本当に情けなくて、嫌味な奴だろ。全くやれやれだな……。

 放課後――。

 俺は屋上に真奈を呼び出す。その時、屋上には数名の生徒がいたが、十分静かだった。切羽詰まった話をするのにはもってこいだろう。

 俺に呼び出された真奈は、オロオロしていた。きっと、俺の気持ちを聞くよりも、俺が標的になっている虐めの方に目が向いているんだろう。あぁ神様、本当に何とかしてくれよ。これじゃまるでロミオとジュリエットじゃないか。まぁ身分の差があるってわけじゃないけれど、好き合っている者同士が、引き裂かれるのは、本当に痛烈だよね。どこまでも悲しいよ……。

「真奈。俺に付きまとうな」

 俺は容赦なく言った。

 その言葉を聞き、真奈は大きく目を見開いた。恐らく、その言葉があまりに意外だったんだろうよ。それはそうだろう。誰だって告白の答えを聞くつもりでいるんだから。そして、その答えが、予想外の一撃だった。そうしたら、ショックを受けるのは当たり前だよね。

「え? 健君……」

「俺はお前が好きじゃない。正直迷惑なんだ。だから、俺に付きまとうな!」

 苦しかったよ。涙が出そうになるくらいにね。でもね、この時の俺には、そう言うしかなかった。何しろ、真奈の進退がかかっている。ここで俺が優人を拒絶すれば、真奈まで虐められてしまうんだ。虐められている真奈を見るのは、本当に辛い。

 なら、犠牲になるのは俺一人でいい。それで十分だよね。

「健君。ど、どうして? なんでそんな酷いこと言うの?」

「お前に告白されて噂になってる。そういうの、迷惑なんだよ。だから、俺の前から消えろ! いいな」

 俺はそれだけ言うと、直ぐに彼女の前から消えた。そして、彼女の前を通り過ぎた時、僅かに聞こえたんだ。

「バカ……」

 って言葉がね。


          *


 俺の高校時代は、それで終わったと言ってもいいだろう。俺が真奈を拒絶すると、彼女は俺から離れていったんだ。あれだけしつこかったのに、全然俺に構わなくなったんだよ。それにね、何かに必死になって耐えているようにも感じたよ。だけどね、俺は何もできなかった。

 そう。俺は真奈との距離を縮められなかった。というよりもね、溝を決定的にしてしまったんだよ。もう二度と修復できない。そんな気がしたよ。本当に嫌になってくる。俺は情けない。

 余談があって、優人は真奈とは付き合えなかった。真奈は誰とも付き合わなかったのだ。まぁ、それはどうでもいい話なんだけどね……。

 月日は流れる――。

 あれから十三年。俺は三十歳になった。俺は、高校を卒業してから、上京して東京の大学に進学したんだよ。もちろん、地頭がそんなによくないから、決して有名な大学に進学できたわけではないよ。身の丈にあった大学に進学したって感じかな。

 んで……、真奈はどうしたかというと、一所懸命になって勉強して、第一志望であったW大学に進学したんだよ。凄い努力だよね。俺には絶対無理だよ。きっと、俺に拒絶されたショックを発条に、必死になって勉強したんだろうよ。とにかく凄い。その一言に尽きる。

 俺は大学を卒業して、そのまま東京の企業に就職した。何というか、何のために生きているのかわからない時期が長く続いたような気がするよ。俺には決してやりたいことがあったわけではない。俺は、あるテキスタイルの会社に入ったんだけど、それが向いているかというと、そうでもない。

 テキスタイルというのは、主に洋服の生地を扱う会社で、俺はその営業課に配属された。慣れない営業をただ必死になってやっていたってわけ。給料っていうのは、本来我慢料だよね。嫌な仕事を、懸命になってやって、ようやくもらえるのが給料ってわけ。

 企業の企画部や、独立したデザイナーなんかを相手に、俺は生地を売り歩いた。決して、営業成績がよかったわけではないよ。それでも、何となく働いていたんだ。他にすることもないしね。それにね、俺は心のどこかで真奈の件が引っ掛かっていた。心に刺さった棘のようにチクリと俺を刺すんだよ。

 辛い……、いつまで経っても……。

 それでもね、時の流れが少しずつ癒してくれたんだ。いつしか、俺の中で、真奈の記憶は薄れていった。仄かの香る、洗濯物の香りのように、段々消えていったってわけ。

 だけど、どういうわけか、俺は真奈と再会するんだよ。それも、十三年経ったある日、丁度実家に帰省していた俺は、近くの公園を歩いている時、ふと見覚えのある顔を見たんだ。それは忘れもしない、真奈の姿だった。

 恐らく、向こうも気づいたんだろう。ハッとした顔を俺に向けた。十三年間、まともに口をきいていない関係である。今更、何を話せばいいんだろうね? でも、俺は懐かしくなったんだよ。何となく、彼女と話したくなった。時の流れ、心の傷を癒し、再び話す機会を与えてくれたんだ。

「真奈……、だよな??」

 と、俺は彼女とすれ違う際にそう言った。

 もちろん、相手は真奈で間違いない。時が流れ、大分感じは変わっていたけれど、少し猫っぽいというか、愛嬌のある顔立ちは少しも変わっていない。マキシ丈の白いワンピースに、デニムのブルゾンを羽織っている。どこか女らしい服装である。

「……。須藤君ね」

 真奈は俺を健君と呼ばなかった。苗字で呼ばれると、何となく距離を感じてしまう。でも、それも仕方ないのかもしれない。俺は一度、真奈を拒絶しているのだからね。

「久しぶり。てっきり東京で暮らしていると思った」

「うん。ちょっとね。こっちに帰ってきたの。須藤君はこっちで暮らしてるの?」

「いや、俺は東京の会社に勤めてる。今は休みをもらったから帰省してるんだ」

「そうなんだ……。ふ~ん」

 真奈は興味深そうに呟いた。

 そして、空いたベンチを指さし、そこに座るように言った。

「ねぇ、ちょっと話さない?」

 と、真奈は告げる。

 あの頃の記憶が舞い戻ってくる。俺は確かにこの瞬間、高校生の時に戻っていたのかもしれない。それくらい、胸は高鳴っていたんだ。

 今、真奈はこっちへ帰ってきている。一体、何をしてるんだろう? それが激しく気になる。今も変わらず一人なら、その時は……。

「須藤君。東京の会社で働いているんだ」

「うん。真奈はこっちの会社?」

 すると、真奈は口ごもった。何か言い辛そうにしている。

「んんん。ちょっとね……。須藤君も大人になったみたいだけど。け、結婚とかしてるの?」

「結婚? まさか、俺は独身だよ。それに彼女もいない」

「ふ~ん、そうなんだ……。それは意外だよ。てっきりとっくにお父さんになっているかと思った」

「俺が父親か。まだまだ先の話になりそうだよ」

「アハハ、いいお父さんいなりそうだけどね。ねぇ、覚えてる? 高校生の時、一緒にたこ焼き屋さんに行ったよね?」

 その記憶を俺は巻き戻す。

 淡い青春の一ページ。今でも峻烈に思い出せる。

「覚えてるよ。えっと、その、お前が告白したんだよ」

「うん。そうだよ。でも須藤君は断った。私が嫌だって言ってたよね?」

 今ならすべてを話せるような気がする。

 すべて優人の所為なんだ。あいつが俺たちを引き裂いた。圧倒的な元凶である。あいつがいなければ、俺たちは付き合っていたんだから。そうなれば、今とは違った形で、真奈と接していただろう。

「あれはな、その、つまり……」

 俺が全てを言う前に、真奈が遮った。

「何か、隠してるの? 何々??」

「実はな、俺がお前を拒絶したのには理由があるんだ」

「理由?」

「そう。あのさ、高校時代、田中優人って奴がいただろ? 覚えてるか?」

「田中優人……。うん、覚えてるよ。だって、私ね、優人君に告白されたことあるもん」

 これはもう言ってあるから知ってるよね。そう、優人は玉砕している。いいざまだよね、全く。

「その優人君がどうかしたの?」

 と、真奈は告げる。顔がみるみると真剣になっていく。

「あぁ、実はな、優人に脅されていたんだ……」

 堰を切るように、俺は一気に過去を説明した。何というか、凝り固まっているものが、解けていくような気がしたよ。

 俺が全てを話し終えると、真奈は瞳を大きく見開いた。その目は、訴えかけるような強い力がある。

「そう……、だったんだ……。そんなことが」

「ゴメンな。ずっと言えなかった。言えば、お前が傷つくと思ったし、俺が弱かったからいけないんだ」

「須藤君は優しすぎるよ。本当に……」

「俺は優しくなんかないよ……、全く、ダメな男さ。あのさ、今だから言うけれど、俺、お前が好きだった。これは本当だよ。だからね、あの告白を受けようと思ったんだ。だけど、それが優人の所為でおじゃんになってしまった。それで、俺はお前を拒絶してしまったんだよ」

「うん、わかってる。お互い若かったから仕方ないんだよ。う~ん、人生って難しいね。ねぇ、今、好きだったって言ったけれど、どうして過去形なの? 今は好きではないってこと??」

「否、そういうわけじゃないんだけど、なんか恥ずかしくて……」

「ねぇ、今はどう思ってるの?」

「今も好きかな……。もう遅すぎるけれど」

「そ、っか……。ありがとう。嬉しいよ。何か心のつかえが消えた気がする」

「え、どういう意味?」

「あのさ。ちょっと駅前行かない? あのたこ焼き屋さんはもうないけれど、代わりにクレープ屋さんができたの。そこに行ってみたくて。ねぇ行かない?」

「別にいいけど……」

 俺たちは、公園を離れ、駅前に向かった。時刻は午後三時。季節は夏で、太陽の眩しすぎる陽射しが、燦々と降りしきっていた。とにかく暑いよ。それでも俺は浮き立っていたんだ。特に久しぶりに会った真奈は、本当に美しくて、俺をうっとりとさせたんだよね。ずっと見ていたい……、そんな風に思えたんだ。

 駅前はだいぶ変わっている。再開発され、俺が高校生だった時とは、全く違った景色が広がっていたんだ。たこ焼き屋があった裏通りは、今はなく、代わりにコンビニやクレープ屋などが建っている。

 真奈はクレープ屋の前に立つと、何を買うか迷いながら、俺に視線を送ってくる。

「須藤君は何が食べたい?」

「え? 俺、まぁ何でもいいけど」

「じゃあチョコバナナにしよう。あ、でもイチゴクリームも捨てがたい。んんん、じゃあ二つ買おうかな。須藤君はチョコバナナね。あと私にもちょっと頂戴ね。うん、それでいいよね?」

「いいよ。あ、俺が出すよ」

「いいから。私が誘ったんだから、私が出します」

「でも」

「大丈夫だから。もう高校生じゃないのよ」

「そか、ならお言葉に甘えて……」

「うん、そうしたまえ」

 真奈はチョコバナナのクレープと、イチゴクリームのクレープを購入した。そして、俺にチョコバナナを渡し、自分はイチゴクリームを持った。

「さぁ食べよう、丁度ベンチが空いてるよ」

 駅前にはロータリーがあり、タクシーやバスが停まっている。そして、その一角を囲うようにベンチが点々と設置されている。

 俺たちは空いたベンチに座る。まるで、高校時代の一幕が舞い戻って来たような感覚である。どこか緊張するよ。でも、嬉しい。そう嬉しいのだ。本当に……。

 俺はチョコバナナのクレープを食べる。味は普通。まぁ美味いかな。

「美味しい?」

「うん。まぁな。クレープなんて、久しぶりに食べたよ」

「私も……」

「こうしてると、高校時代を思い出すな。あれって、もう十年以上も前の話なんだよな。時の流れって早いよ。お互い社会人になってる。それに三十路だぜ? 信じられるか?? もうおじさんだよ」

「アハハ。そうだね。もう私もおばさんだよ。本当だよね。時の流れは早い。こうしてアッという間にお婆さんになってしまうのかも。そう考えると、ちょっと怖いかもね」

「老人か……。確かにあっという間かもな……」

「須藤君は結婚しないの?」

「しないよ。相手がいないし」

「そうなんだ。モテそうなのに?」

「俺がモテる? 冗談だろ。俺、全然モテないよ。お前の方こそどうなんだよ。彼氏とかいるのか?」

 彼氏がいるか? それは激しく気になった。ここで、彼女がフリーであれば、これは運命なのかもしれない。ここで思いがけなく巡り合う。まさに邂逅というやつだろう。これを運命と言わず何という? そうだろ?

「私か……。あのね、私、結婚してるの」

 その言葉は、俺を奈落の底に突き落とした。結婚してる? 嘘だろ……。

「そ、そうなのか。意外だよ。結婚してたんだな。全く知らなかったよ。俺の親も何も言わなかったし」

「あんまり派手なのが苦手だから、結婚式とかはしてないの。それにね、須藤君は私を嫌ってると思ったから、連絡とかはしなかったんだ。だから、須藤君の両親も知らないと思うよ」

「何か色々気を使わせちゃったな。結婚か……。そうか、そうか……」

「うん。それもデキ婚。もう子供もいるんだよ」

「何歳?」

「二歳かな。私が二十八歳の時の子供だから」

 子供もいる。

 最早、あの頃のようには戻れない。彼女は手の届かないところに行ってしまったんだ。

「あのね、今、旦那と上手くいってないの」

「どうして?」

「浮気してるのよ。だから嫌になって子供と一緒に実家に帰ってきたの……。ホント嫌になるよ」

「離婚とかするのか?」

「そのつもりだった。……でも、やっぱりよくないよね。子供だって片親だと可哀想だし」

「で、でも、辛くないのか?」

「う~ん、辛いかな……。でもね、須藤君を見て、私勇気づけられたの」

「え? 俺、何かした?」

「うん。してくれた。だって、高校時代、私を守ってくれたんでしょ? その話を、聞いて、須藤君の愛を感じたよ」

「愛?」

「そう。ほら、恋ってさ、結構一方通行だよね。私も蕩けるような恋がしたかった。恋に恋した時もあったよ。でも、恋と愛は全然違う。人を愛するのってさ、どこか犠牲を伴うんだよ」

 犠牲か……。いたく哲学的な話だ。

 そもそも、俺には愛が語れるような経験をしていきていない。本当に、愛ってものがわからないんだ。

 続けて真奈は言った。

「愛は犠牲が必要。そして、何か見返りを求めちゃいけないんだ。その人のために、一生懸命に尽くす。これに限るよ。私は、夫がよくわからない。でも、愛さないとダメなんだと思う。浮気をしてね、反省してるみたいなの。でも、私は許せなかった。どうして私がいるのに他の女のところに行くのかが理解できなかった。だけど、愛ってさ。それさえも包み込むことを言うんだよね。きっと……。そして、須藤君は自分のすべてを擲って私を守ってくれた。本当は一番辛いのに。私のためを思って私を拒絶した。もちろん、あの時は辛かった。どうして拒絶されたんだろうって不思議だったんだよ。須藤君は優しかったのに、急に態度が変わったから、変だなぁって思ってた。でも、私はフラれたことで、あまりまともに考えられなくなってた。須藤君が覚悟を持って私を守ったのに、それに気づかなかった」

「それはそうだよ。あれは俺が悪い。本当は、優人っていう人間と戦わないとならなかったんだ。俺がした選択は最悪だよ。お前を傷つけた」

「それが愛なんだよ。好きな人のために、自分を犠牲にできる。それって素晴らしいことだと思う。もしも……、もしもね、もっと早く再会できていれば、私の人生はもっと違う形で輝いたかもしれない。でも、失った時はもう戻らないよね」

 そう、時は巻き戻せない。善人であっても、悪人であっても、平等に時は流れる。そして、人は今を生きるしかない。何があっても前を見る必要があるよね。過去は取り戻せないんだから。

「私ね、須藤君と再会して、須藤君と逃げたいなって思ったの。子供も夫も捨てて、昔好きになった人と逃げたい。……でも、そんなの無理だよ。私は、今の環境で生きていく。旦那のことは憎いけれど、愛さないと……。須藤君が私を愛してくれたように、私も旦那を愛そうと思う……。須藤君の過去を知って、私はそう思ったの……。だから、ありがとう、須藤君……」

 そう言った真奈の瞳は、少しばかり濡れていた。猛烈に抱きしめたいという衝動に駆られる。このまま彼女を奪って逃げられたら、どれだけいいだろう? だけどね、そんなのは無理だ。

俺は、高校時代に真奈を拒絶した。それは、優人の策略だったけれど、俺は自分を犠牲にしたんだよね。そして、真奈はそれを俺の『愛』だと言ってる。無意識だったけれど、俺は彼女を愛しているからこそ、あんな決断ができたのかもしれない。

そう考えると、少しだけ後悔が消えていくよ。まぁ、完全に消えたわけではないけれどね。それにね、俺は彼女を今でも愛している。なら、その愛を貫くだけだ。

「俺と逃げる? バカなこと言うな。不倫なんて御免だよ。それに俺好きな人いるしな」

 すると、真奈は哀愁じみた顔を浮かべる。

「そ、そうだよね。不倫っていけないしね」

「俺のことは忘れろ。もう過去の存在だ。旦那と幸せになれよ」

 俺に好きな人? もちろん、そんな人間はいない。強いて言えば、真奈が好きだ……。愛してる。だけど、その愛はもう届かない。それならば、俺は俺流の愛を持って彼女に接する。最後、俺は彼女を否定する。そして、彼女の未練を完全に断ち切る。それがベストな選択なんだ。

 これは、俺が真奈を愛しているからできるんだ。曖昧に好きだったら、真奈と逃げたかもしれない。そんな生き方は、ドラマや映画の中だから光り輝くのだ。現実には上手くいかない。愛しているからこそ、愛している人間には幸せになってもらいたい。だからこそ、俺は真奈を拒絶する。それが愛ってものだろ?

「真奈、幸せになれよ。俺はそう願ってる。そして、俺を忘れろ! いいな、そうしないと承知しないぞ」

「す、須藤君……。ゴメン。ゴメンね……、こんな話して……。でも嫌いにならないで」

「無理だよ。俺は人妻なんて相手にしない。もっと的確な相手がいるからな。うんざりなんだよ。俺って最悪だろ? そんなにいい男じゃないんだぜ」

 真奈の未練を打ち砕くため、俺はあえて鬼になった。それは辛い選択だよ。全く辛いよ。何しろ、本当は抱きしめたくて堪らないのだから。

 恐らく、真奈は俺の考えに気づいたのかもしれない。俺の愛が届いたのかもしれない。そして溢れ出る涙を拭いて、すっくと立ちあがった。

「うん。そうだよね。私、旦那のところにも戻る。そして、もう一度やり直すよ。須藤君みたいな冷たい男なんて御免だよ」

「だろ、だったらさっさと行け。ここでお別れだ」

 真奈は最後、笑顔を見せた。

 それはうっとりとするほどキレイな微笑みで、まるで天使のような輝きがあった。

 あの時に戻れるのなら、もう一度戻りたい。それは無理だとわかっているのに、何度も考えてしまう……。これがラスト。俺と真奈はもう出会わない方がいい。俺たちは結局、結ばれない運命だったんだ。悲しいけれど、それだけの話。だけどな、俺はお前を愛してる。……だから、俺の前から消えろ。それが俺の最後の愛だ!

「健君。それではごきげんよう」

 真奈は俺にそう言うと、俺の前から消えていった。最後、彼女は俺を名前で呼んだよ。懐かしい感じがして、優しさを覚えたよ。

残された俺は、クレープを一齧りして溜息をついた。やれやれ、全く何をしてるんだかな……。

 妙にクレープが甘かったよ……。嫌になるくらいにね。

 俺は結局、自分の愛を貫いた。最後に彼女を拒絶する、それが俺のできる最後の愛の形。

 愛っていうものは、たくさんの形がある。結ばれる愛もあれば、引き裂かれる愛だってあるんだ。俺はダメだった。でもね、彼女を愛して、俺は納得できたんだ。最後、彼女の誤解を解いて俺は満足している。

 愛ってさ、きっとその人のことを考え、その人が幸せになれるように考えるってことなんだ。相手の幸せを願う愛。それが俺の導き出した答えだよ。

 これってさ、素晴らしいと思わない? 人類史上最高の愛を、俺は与えたような気がするよ。俺たちはもう、二度と会うことはないだろう。それでもいいんだ。俺は彼女に自分なりの愛を与えたんだからね……。

 そりゃしばらくはショックを引きずるだろうけれど、時が癒してくれるだろう。そして、彼女を愛したことを誇りに思うはずさ。

 ありがとう真奈。幸せになってね……。

 俺は何となく愛ってものがわかったような気がするよ。これで、俺は次のステップに進める。俺のことを必要としている人間が、きっとどこかにいるはずさ。今度はその人を愛せばいい。その覚悟がある。んんん。本当にイイね、愛って素晴らしいと思うよ、全く……。

〈了〉

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