くすぐり・キッス
ごめんねこれ、シリーズがくすぐっているだけで、こちらの話ではくすぐってないんです。ただのイチャイチャです。それでもよければ…
最近の手芸部は風紀が乱れている。
部長が後輩の女子に囲まれて、されているのはなんとキスだ。
「あははっ、参っちゃうなぁ〜」
三人もの女子からマウストゥマウスで立て続けにキスされて部長もまんざらではなさそう。恥ずかしくないのか己は、と言ってやりたい気持ちと、バカなことに関わるものじゃないという気持ちが半々。
女同士だからだろうか、キスなんて言うのがにわかに流行っている。どうせすぐにブームは去って終わるだろうが、それまでこの桃色な空気の中で集中しないといけないのは参ったものだ。
「いだっ!」
「大丈夫? 今日二回目だけど」
宮下はそういう乱痴気騒ぎに混じったりもするけど、私と手芸する時間は減らしていない。減らしていないけどミスの頻度は上がっている。針を指に刺すことくらいあるけど、頻度が上がって最近は毎日何度か繰り返している。
キスのせい、と考えるのは短絡的だが手芸部ではそれくらいしか理由はなさそうだ。人生は手芸部だけではないから全く何の当てにもならないけど。
「なんか急にへたくそになっちゃいましたね……」
「集中できてないんじゃない? 上の空っぽいし」
「そ、そうですね……」
「なんか気になることでもあるの?」
「先輩って誰かとチューしました?」
ノータイムで聞いてきた。あまりに露骨で、わかりやすくて安心した。
「ない」
宮下は、真面目くさった顔で私の顔を覗き込んで、小さく安堵した。なんて大袈裟なやつ。
「え〜先輩私とのこと忘れたんですかぁ〜?」
「ん……あぁ、されてたっけ」
「え゛!?」
後輩の、風道がこしょっと笑う。いかにも手芸には興味ありませんといった籍だけ置いているような子だが、確かに作業中にほっぺに一撃もらっていた。危ないからやめろと言ったらニヤニヤするばかりだった。
「ふ、風道さん……」
「ごめんねぇ、先輩の初めてもらっちゃって」
なんかくだらない即興劇が目の前で繰り広げられている。宮下がわなわなと震えているさまは即興にしては真に迫るものがある。怒りやら悲しみやらの負の感情がないまぜになった表情がうまい。
変な空気はあったがやがて風道は友達に呼ばれて離れていき、宮下と私が残る。残った彼女は捨てられた子犬みたいに不安に染まった顔だった。
「したんですか、キス?」
「してたね、確かに」
「さっきしてないって言ったのに〜!」
「忘れてた。ごめん。そんな言うほど」
「私の先輩なのに〜!」
「いや風道の先輩でもあるし。宮下のものになった覚えもないから」
「ぐぅ〜!」
よくわからないうめき声を上げられるが、まあ気持ちはわからなくもない。宮下は私にお熱だからおかしくなるのも無理はないかもしれない。
「私が一番先輩のこと好きなのわかってますよね!?」
「それは、たぶんそうなんだろうね」
「それを分かっていながら……ひどくないですか!?」
「ごめんって………」
謝りながら、別にひどくもないし自分が謝る理由もないなと気がついた。
「宮下はそんなに私とキスしたいの?」
「そりゃあもう……したいですよ! 先輩はどうなんですか!?」
異様な迫力で迫る宮下に対して私は。
私は……
私も……
らんちき……
騒いで……
まじ……混じっても……いいですか?
「したいよ、宮下とキス。よしこい」
「……えええええっ!?」
あまり大袈裟に驚かないでほしい、変に注目が集まってしまう。
宮下の表情は驚きと、興奮というか喜びというか、とにかくさっきまでの不満たらたらではなくなっていた。
「そ、そんなせんぱい、ハレンチな……」
「部活全体そんな感じだから別にいいでしょ。私だってキスされてるんだし減るものじゃないし」
「先輩ってそんなハレンチでした?」
「……私、わりとこの部活の空気が好きだから。ひっそり裁縫しながらたまには混じりたいなって思っているよ」
「そ、それは、確かにくすぐり合いとかもしてましたけど」
「私にキスしてくれるの宮下くらいだと思ってたし、宮下ならさっさとキスしてくれると思ってたけど全然してこないし」
「だってそれは……えぇ……?」
何を困惑することがあるのか、私が追及する形だが宮下は気まずそうに口元を手で押さえる。
「だって……ガチになりません?」
「でも宮下いろんな子とキスしてるよね」
「それは、先輩とは違うから」
「別に減るものじゃなし」
「……じゃいいんですか!? いいんですね!?」
「いいですとも!」
ようやく覚悟を決めたのか宮下が近づいてくる。
こうして近くで見ると、宮下ってすごく綺麗な子だ。
態度がギャルっぽいけど肌はきめ細かいし髪も艷やかだしまつ毛も長い。
赤々として唇がしっとりと触れる。
そしてすぐ離れると、宮下の体もまた対面に戻った。
「ど、どうですか?」
「なんか他の子と態度違くない?」
「っそ、それはそうですよ! 先輩なんですから!」
「そう」
なんの気なしに、唇が湿ったからぺろと口を出すと、宮下はそれに過剰に反応してきた。
「なめっ!? なっ、なに舐めているんですか!?」
「え? なに」
「く、唇、そんな……」
「あぁ? なんか湿ってたし……」
「ひ、ひどい……信じられない……」
「ひどい?」
宮下はおよよと泣くように、口元を手で押さえて泣くみたいにして。
「……宮下舐めてるでしょ。唇」
ビクッと止まった。図星らしい。
「……してませんよ、そんなこと」
今度は私から宮下に近づいて唇を重ねる。
案外平気なものだ。この湿り気にも別に嫌悪はない。
とはいえそのままだと良くなさそうだから、またぺろっとした。
「湿ってるじゃん。嘘つき」
宮下は私にキスされたからか、見たことのない顔をしていた。口がいろんな形に動いているのに私を凝視していて、だんだん顔が赤くなっていって、最後には立ち上がった。
「ご……お……ごめんなさーいっ!」
そして逃げていった。
何なんだろう、別に本気で詰ったわけじゃないのに。
宮下が行ってしまったので、一人で裁縫を再開する。話し相手がいなくても困ることがないのは裁縫のいいところだ。
悪いことしたかな。
後になってから宮下の気持ちに応えられていないのかも、と胸の中に疑念が出てきた。
部内の騒ぎと私の興味で巻き込んで、宮下が望んでいないことをしてしまったのかもしれない。
あんな変な感じになってたけどしくしく泣いてたりしたらどうしよう。
「先輩やりますねぇ、あんな小悪魔なキス……」
「小悪魔〜? そんな大層なものじゃないよ」
様子を見ていたらしい風道がニヤニヤと近づいてくる。この子、単に宮下をからかいたいだけのような。
「まっなんにせよ、宮下とキスしたんですし、それじゃ私とも口でしてもらって……」
風道の言葉の途中で、教室の扉が再び開いて宮下が帰ってきた。
「あ、失礼しま〜す」
どうも宮下の縄張りになっているらしく、主が帰ってきて風道はおとなしく帰っていった。
「おかえり」
「はい戻りました。全く油断も隙もないですね。困ったものです」
深い溜息をつきながら、宮下は置いていった裁縫道具に再び手を伸ばして、裁縫を再開させていく。
キスの感想とかはなさそうだけど、わざわざ蒸し返すほどのことでもない。
こんなブームも一週間と経たないうちに終わるだろう。他のブームに比べれば長く続いている方だ。
しかし、裁縫の途中で妙に視線を感じる。
手を止めるまでもなく、宮下は針を持ったまま私を見つめていた。
「何か?」
「えぇと、その。特に何かあるわけではないんですが」
指をもじもじさせて、裁縫は手につかないらしい。今更何を言いづらいことがあるのか見当もつかない
、普段からいいづらそうなことは大抵言っているのだから。
「何を緊張してるの? 今更」
「そ、そうですよね。えぇと、もう、キスもした仲ですし」
「一度くらいで……」
「二度! 二度しましたよ! しかも一度は先輩から! そんなのもう……先輩……」
突然興奮して、突然静かになって、情緒はまだ落ち着いてないらしいし、平生とはいかないらしい。
「……うぁー今日はもう、いやしばらくずっとニヤけちゃいますよ」
「そ。好きにしたらいいよ」
「既成事実ですからね!」
「なんの?」
「キスしたっていう」
「それは、この部の人ほぼ全員そうなるけど」
「先輩と、口で、キスしたのは私だけ。ですよね?」
「んー、まあ」
「ダメですよ、風道なんかとしたら」
「……束縛するタイプだ」
「これはもうお願いです。お願いですよせんぱぁい……」
いったいその事実が、宮下にとってどんな影響を与えるのだろうか。
私にとっては些末なことで、他に誰とキスしてもこんな空気じゃ変わらない。宮下がその一事実にだけ執着するのが居心地悪くすら感じる。
そんなに大事なことなのか、不思議なくらいだけれど。
けれども、今までの宮下を見ているからこそ、まったく理解できないわけでもなくて。
「しょうがないなぁ。わかったよ」
「せんぱぁい! 大好きです!」
「はいはい」
宮下は立ち上がってその場でくるっと回った。喜びを体で表現する姿がバカバカしくて思わず笑ってしまう。
その後座ったかと思うと、即座に裁縫した。
「いったぁ!」
「針危ない。裁縫は止めておいたら?」
「はい!」
にこにこ、宮下はただ私を見つめている。
私は最初、ちょっと変なやつ、と思っていたが、やがて裁縫に没頭した。
そんな、よくある特筆することでもない手芸部の一日だった。